VOL.71

乳がん治療から乳房再建まで
患者の悩みを総合的に
引き受ける医師になった

埼玉医科大学国際医療センター
乳腺腫瘍科・形成外科 廣川 詠子氏(34歳)

東京都出身

廣川 詠子

2006年
埼玉医科大学医学部卒業
埼玉医科大学病院 初期研修医
2008年
埼玉医科大学 形成外科 入局
2009年
埼玉医科大学国際医療センター 形成外科
2011年
埼玉医科大学病院 形成外科
2012年
埼玉医科大学国際医療センター
乳腺腫瘍科・形成外科兼担

当初はマンガの『ブラック・ジャック』に憧れて一般外科や消化器外科を目指したが、結婚や出産の後も医師を続けることを念頭に形成外科を選択。その後の診療で出会った乳房再建に興味を持ち、現在は乳腺腫瘍科に所属する廣川詠子氏。興味に導かれて転科も経験した同氏のキャリアは、女性が自分らしく生きることをサポートしたいとの思いが支えていた。

リクルートドクターズキャリア3月号掲載

BEFORE 転職前

多様な症状を扱い、
患者の全身を診る外科医を
目指して形成外科に入局

身近な人が亡くなり命を救う仕事を目指した

頭頸部再建を主とする形成外科から乳房再建に軸足を移し、その後に乳腺腫瘍科へ。より専門的な乳房再建を行うため、転科まで経験した廣川詠子氏だが、医師になるとき考えたのは一般外科や消化器外科だったという。

「マンガの『ブラック・ジャック』を愛読していたせいか、何でも診られる外科医が目標でした。また中学生の頃に祖母をはじめ親戚が続けて亡くなり、人の命を救う仕事がしたいと思ったことも医師を目指すきっかけになりました」

医学部なら東京都内の自宅から通える範囲で、という両親との約束を守り、廣川氏は埼玉医科大学に往復5時間かけて通学した。

「さすがに勉強が忙しくなる3年生から大学近くに下宿しましたが(笑)。医学が好きで選んだのですから給付型奨学金がもらえるくらい頑張って勉強しましたね」

卒業後の初期臨床研修は埼玉医科大学病院を選び、興味のあった消化器外科は約4ヵ月と研修中で最も長く経験を積んだ。しかし診療はかなりハードで、将来の結婚や出産などを考えると不安も感じたと廣川氏は当時を振り返る。

「そこで消化器外科と同じく体を幅広く診る分野はないかと再検討し、全身の体表を対象とする形成外科に入局を決めたんです」

より幅広い経験を求めて入局2年目から配転を希望

同院の形成外科が診るのは褥瘡など難治性潰瘍が多く、長期入院の患者とも親しくなれたが、病気が悪化して亡くなるケースもあり、何度も残念な思いをした。一方で口唇口蓋裂や多指症といった子どもの先天奇形の治療では、本人はもちろん家族全員に喜ばれたのが印象的だったと廣川氏。

「入局1年で非常に多様な経験ができた手応えはありましたが、さらに違った分野の手術も経験したいと考え、開院したばかりの埼玉医科大学国際医療センターへの配転を希望しました」

そして入局2年目の2009年には同センター形成外科に配転。こちらは頭頸部再建が多く、下咽頭がんや上顎がんなどで頭頸部を大きく切除した後、他の部分から移植再建するような手術を廣川氏は週1回のペースで経験した。

「この手術には顕微鏡下で血管を縫合するマイクロサージャリーが欠かせないため、毎日懸命に練習して技術を磨きましたね」

そうした技術習得に加え「高度な医療だからこそ安全第一の治療法を選ぶ」という意識も同センターで身についたという。

「万一再建手術で血管が詰まると本来の治療にも悪影響が出て、患者さんの入院期間が延びたり、痛みが続いたりします。合併症を避ける意味でも、成功率の高い手術を優先するのが当然でした」

乳がん治療から乳房再建まで総合的に診るため転科

その後、廣川氏は乳房再建を手がけることが増えていく。

「当時の形成外科は男性医師と私の2人体制で、乳房再建の相談に来られる患者さんは私を見て話すことがほとんど。それだけに信頼関係も築きやすく、次第に乳房再建は私の担当という感じになっていったのです」

それまで同センターの形成外科は頭頸部再建が主流。乳房再建は症例数も少なく、ほぼゼロからのスタートだったと廣川氏はいう。

「必要な知識や技術を学ぶほか、院内連携のため形成外科と乳腺腫瘍科の医師、関連するスタッフが参加する合同カンファレンスを定着させるなど、一定の成果が出せたことにやりがいも感じました」

しかし、同センターでの診療は大学病院のローテーションの一部。約2年で廣川氏は病院に戻り、代わりにほかの医師が来る予定になっていた。自身も日本形成外科学会専門医の取得のため症例数を増やす必要があり、2011年に大学病院に再配転。形成外科医として経験を積みながら、今後について見つめ直す機会を得た廣川氏は、乳腺腫瘍科に転科して乳房再建を担当することを決意する。

「乳房再建のためには治療法まで把握することが必須ですが、乳がん治療は日進月歩。常に最新知識を得るには、自分も乳腺腫瘍科に移って患者さんを診療していた方がいいと考えたのです」

AFTER 転職後

乳腺腫瘍科への転科
がん診療の視点も生かして
乳房再建をさらに極めたい

がん治療の現場を経験し戸惑った時期もあった

形成外科から乳腺腫瘍科への転科は埼玉医科大学では珍しい例だったが、両科の担当教授が快諾。廣川氏は2012年から同センター乳腺腫瘍科に所属し、がんの診断や治療から携わり、乳房再建まで実践する外科医となった。しかし診療を始めると、形成外科との違いにかなり戸惑ったという。

「まず生命予後の改善を優先するとの考え方がカルチャーショックでした。また、それまでがんの診断・治療の機会は多くなかったにもかかわらず、周囲からは大丈夫そうに見えたのか、転科後すぐに外来も担当したので大変でした。現場での実践も大事な勉強の一部として吸収した感じです」

例えばがんの診断では浸潤がんと非浸潤がんでは皮膚のひきつれが違うなど細かな点での理解が不足しており、さらなる勉強の必要性を痛感。また経過観察か手術かを判断する際はガイドラインを参考に、先輩や同僚のアドバイスを受け慎重に進めていった。

「そうした中で検査、診断、治療の相談など患者さんと何度もお会いして、一人ひとりと深く関わる医療の大切さを実感しました。当初は乳房再建もさほど多くなく、乳がんの診療がメインでしたから、非常に勉強になりましたね」

リスクも含め乳房再建を正しく理解してもらうために

その後、同センター乳腺腫瘍科での乳房再建について患者への周知が進み、乳房に変形をきたすような無理な温存術は減少。代わって乳房再建数が増えていった。

「とはいえ乳房再建への理解不足から、再建が必要かどうか決めかねる方もまだ多いのです。乳房再建の場合は受診回数が増え、再建後に痛みや違和感を伴うこともあるなど、患者さんにはリスクの面も含めて理解していただけるよう工夫を重ねています」

そのため廣川氏は乳房再建に関する専用パンフレットやホームページを作ったほか、待合室ではタブレット端末を使ったeラーニングプログラムも提供。診療時も、「自分の胸がなくなるのに耐えられない」といった強い決意を持つ患者以外、乳房再建を勧めないなどの方針を徹底している。

患者から喜びの声が届くと涙が出るほどうれしい

それでも乳房再建を行うと決めた患者に対して、廣川氏は個々の事情も聞きながら治療法を検討し、必要に応じて治療スケジュールも調整していく。こうしたきめ細かな対応も、診療から乳房再建まで総合的に手がける廣川氏であれば実現しやすいのだろう。

「例えば結婚式を控えた患者さんと一緒に、手術後でも問題なく着られるウェディングドレスのデザインを考え、皮膚の変色やこわばりの恐れもある放射線治療は挙式後にするなど、女性同士だからこそ相談してもらえ、それに応えられることは多いと思います」

無事に結婚式を挙げ、患者からお礼の手紙や式の写真を受け取ったときなど、廣川氏は涙が出るほどうれしくなり、改めてやりがいを感じるという。

そうやって仕事が充実する一方で、廣川氏は結婚して2016年には第1子が誕生。現在は育児休暇中ながら、3本の研究論文をまとめるために週1回程度は同センターを訪れている。

「育児休暇から復帰しても、しばらくは子育てとのバランスも考え、乳がんの診療を減らし乳房再建を中心にする予定です。ただ進歩が早い乳がん治療をキャッチアップするためにも、現場から長く離れることはないと思いますね」

結婚や出産も念頭に置いて選んだ現在の診療科。やる気に満ちた廣川氏の笑顔から、今後もその道をしっかりと歩む決意が伺えた。

埼玉医科大学国際医療センター乳腺腫瘍科でのカンファレンス風景。 画像

埼玉医科大学国際医療センター乳腺腫瘍科でのカンファレンス風景。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
患者中心の高度専門医療を目指す

豊富な症例数をもとに短期間で多様な経験が可能

乳腺腫瘍科の乳がん手術件数は2015年で489例と全国屈指の多さ。にもかかわらず、医師が患者一人ひとりの検査、診断、手術、看取りまで一貫して担当する点は同科の特色と上田重人氏。

「これにより短期間で多様な症例が経験できる上、多くの症例に接することで希少なケースに出会える可能性が高まり、医師の診療の幅も大きく広がると思います」

また患者中心の医療を目指す同センターでは、多様な診療科が容易にチームを組んで診療できる連携も強みと上田氏はいう。

「診療科間の垣根の低さに加え、乳腺腫瘍科、形成外科、骨軟部組織腫瘍科、緩和医療科などの医師、多職種のスタッフが参加する合同カンファレンスも週1回開催し、常に情報交換に努めています」

特に廣川氏のように、乳腺腫瘍科に専門の形成外科医がいることは日本では珍しいと上田氏。

「本人も乳がん治療に積極的で、専門の壁を作らず意見を出してくれたので、互いの理解も深まり、良いシナジーが生まれました」

こうした廣川氏の影響で、他の医師も患者に乳房再建の意志確認をすることが増え、余命の短い患者でも再建を希望するなど隠れたニーズが見つかったという。

「学会ガイドラインとはやや異なりますが、術後に患者さんの喜ぶ顔や満足そうな様子を見ると、手術してよかったと感じますね」

こうした乳房再建はもちろん、今後はサポーティブケアも重視し、2017年には同科教授を中心とする日本がんサポーティブケア学会などを通じ、QOLを高める研究や実践にも取り組んでいく。

このほか同科の新たな動きとして外来患者向けに、日々の体調や検査値を手軽に記録できるスマートフォン用アプリも開発中だ。

「がん治療は体調変化が起きやすいのに、外来受診時にしか患者さんの訴えを聞けない現状を改善するのが目的。2017年から当科で臨床研究を始める予定です」

まだ若い病院だから自由な発想が生かせると、上田氏は同センターの魅力を強くアピールした。

上田 重人氏

上田 重人
埼玉医科大学国際医療センター 病棟・外来医長
2000年に防衛医科大学校医学部卒業後、外科医として臨床に従事。並行してがんの生体機能イメージングの研究に着手する。2007年カリフォルニア大学アーバイン校に留学し、さらに研究を深める。2012年に埼玉医科大学国際医療センター乳腺腫瘍科入職。専門は乳腺外科、乳がん薬物療法、乳がん診断、トランスレーショナルリサーチ。

埼玉医科大学国際医療センター

埼玉県全域を対象に、がんや心臓病の高度専門医療に特化し、さらに脳卒中を含めた高度の救命救急医療を提供する。従来の大学病院の概念や枠組みにとらわれず、「患者中心の医療」の具現化を目指し、例えば包括的がんセンターでは、がんという腫瘍の治療ではなく、「がんをもつ患者を全人的に診るがん治療」をモットーに、多職種連携によるチーム医療を進めている。

埼玉医科大学国際医療センター

正式名称 埼玉医科大学国際医療センター
所在地 埼玉県日高市山根1397-1
設立年 2007年
診療科目 [包括的がんセンター]脳脊髄腫瘍科、
小児腫瘍科、小児外科、造血器腫瘍科、
婦人科腫瘍科、泌尿器腫瘍科、
乳腺腫瘍科、皮膚腫瘍科・皮膚科、
骨軟部組織腫瘍科・整形外科、
頭頸部腫瘍科・耳鼻咽喉科、形成外科、
歯科口腔外科、原発不明・希少がん科、
緩和医療科、精神腫瘍科、放射線腫瘍科、
病理診断科、消化器内科、消化器外科、
呼吸器内科、呼吸器外科
※この他に心臓病センター、救命救急センター等がある。
病床数 700床(すべて一般)
常勤医師数 293人(研修医含む)
非常勤医師数 277人(登録人数)
外来患者数 755.7人/日
入院患者数 670.9人/日
(2016年12月時点)