VOL.73

他の医療機関とも連携して
これから地域が必要とする
医療を提供していきたい

館林厚生病院
脳神経外科 高橋 潔氏氏(59歳)

愛媛県出身

1981年
群馬大学医学部 卒業後、同学部附属病院 脳神経外科
1982年
伊勢崎市民病院 脳神経外科
1983年
国立東信病院(現:国立病院機構 信州上田医療センター)
脳神経外科
1983年
近森病院 脳神経外科
1984年
群馬大学医学部附属病院
脳神経外科・病理学第一講座(現:病態病理学)
1986年
南東北病院(現:脳神経疾患研究所 附属 総合南東北病院)
脳神経外科
1986年
群馬大学医学部附属病院 脳神経外科
1988年
近森病院 脳神経外科 1991年より同科科長
1992年
佐久総合病院 脳神経外科(医長)
1993年
近森病院 脳神経外科(部長)
2014年
館林厚生病院 脳神経外科 入職 同部長に就任

26年も在籍した病院を辞して、57歳で新たな病院に。「この年齢から公務員になるとは思わなかった」と笑う高橋潔氏は、自治体が共同で設置主体となる公的総合病院、館林厚生病院に2014年に入職した。専門は脳神経外科だが、院内のクリニカルパスを再整備したり、地域で摂食嚥下の研究会を立ち上げたりと多彩な活動を続け、大きなやりがいを感じているという。

リクルートドクターズキャリア5月号掲載

BEFORE 転職前

目の前にある命を救いたい
医療への思いを実現したくて
脳神経外科を選んだ

医師になったのは周囲の影響
脳神経外科は自分自身の夢

20年以上も高知県の病院で診療を続けていた高橋潔氏が、群馬県にある館林厚生病院に移ったのは57歳のとき。新天地でも以前と同じ脳神経外科を続けようと決めたのは、大学時代から抱く強い思いがあったためだという。

「私が医師を目指したのは母の勧めなど周囲の影響が強かったから。しかし自分が目標とする医師像は最初から非常に明確で、『目の前で倒れた人も救える医師になりたい』と強く思っていました」

当時の高橋氏の選択肢にあったのは脳神経外科か麻酔科。脳血管障害は一刻も早い治療が求められるが、そうした責任の重さをやりがいと受け止めたのだろう。先輩の勧誘も後押しとなり、高橋氏は脳神経外科を選んだ。

卒業後は群馬県や近県の病院を行き来して経験を積んだ高橋氏。

「私が行った病院は大学から離れた場所が多く、医局の指導がタイムリーに受けられない反面、早くから『何でも自分でやっていこう』といった自立心が養えたのはよかったと思っています」

最も長く勤務した病院との出会いは偶然から

そして数年が経った頃、高橋氏は専門医の取得を目指して、多くの症例が診られる病院に腰を落ち着けたいと考え始めた。

「その候補となった病院の中には高知県の近森病院も含まれていました。といっても最初は違う病院に行く予定でしたが……」

それまで近森病院にいた医師が都合で急に医局に戻ることになり、すぐ対応できる高橋氏に白羽の矢が立ったのだという。

「私は愛媛県出身で、同じ四国の高知県には親しみもありますし、非常に症例数も多い病院と聞いていたので即答でした」

近森病院は群馬大学の関連病院で、特に脳神経外科は1970年代から医師を派遣するなど縁は深い。高橋氏も1983年に初めて同院で診療した後、1988年から4年、1993年からは21年と、自らのキャリアの3分の2以上を過ごすことになった。

「いろいろな状況が重なり、自分の居場所が見つかったことに不思議なつながりを感じましたね」

障害が残る患者のためにも 地域との後方連携に注力

高橋氏は同院で診療を始めて数年で脳神経外科の科長となり、医長、部長を歴任。診療科のリーダーとして数多くの症例を扱い、手術を行い、後輩を育て上げた。

そうやって院内の診療にある程度納得できるようになった高橋氏が、次に目を向けたのは地域医療、特に患者が退院後に利用する施設等との後方連携だった。

「脳神経外科で治療を終え、命は助かったものの障害は残るような患者さんもいらっしゃいます。そうした方が医療施設や福祉施設で不安なく過ごせるよう、地域と関係を深めたいと考えました」

最初のうちは各施設と個別に情報交換をしていたが、同院で高橋氏を主体としたクリニカルパスの作成・導入が進み、その対象を地域にも広げることで、より効果的な連携につながっていった。

「クリニカルパス自体は院内向けで、多職種によるチーム医療が浸透して、各自の専門性を生かした連携が本格化するなど大きなメリットがありました。そして病院でどんな医療を行うのかが明確になることで、地域との連携もさらに深まっていったのです」

さらに高橋氏は脳卒中に特化した地域連携クリニカルパスの作成も主導し、脳神経外科で治療した患者が地域の施設でよりよい生活を送れるよう力を注いだという。

「また近隣の病院と合同でパスの発表大会を行ったり、高知県庁とのつながりもできたりと、地域の中での交流が広がりましたね」

このほか院内ではNSTの立ち上げを提案するなど、2000年頃から脳神経外科の枠に収まらない活動を続けてきた高橋氏。

「高知市内に自宅も建てましたし、このまま定年まで近森病院にいるのだろうと思っていました」

それが急転直下、慣れ親しんだ同院を去ることにしたのは、妻の希望があったためだという。

「高知県に来てずっと仕事中心の生活でしたから、今度は妻の気持ちを大切にしたかったのです」

AFTER 転職後

自分の診療だけでなく、
病院や地域の医療レベルを
向上させるために活動中

地域の救急ニーズに応え 脳血管などの救急医療に従事

30代から50代のほとんどを高知県で過ごし、その間は本当に仕事ばかりで妻には迷惑のかけ通しだったと振り返る高橋氏。

「しかし、娘夫婦に孫が生まれることになり、私の妻が子どもたちの近くに住んでサポートし、孫の世話をしたいと希望したのです」

自分の仕事も一段落ついたと感じていた高橋氏は病院と大学の医局を離れ、2014年に群馬県の館林厚生病院に入職した。

同院は自治体が共同で設置主体となった公的病院。地域のニーズに応えて救急医療にも力を入れ、高橋氏が責任者を務める脳神経外科と脳心血管センター、そして循環器内科が協力して脳血管や心血管の重篤な病気に対応する。

「救急車の受け入れも多いのですが、私自身が執刀する手術はなるべく減らして、当院では後進の育成に努めています」

こうした急性期医療以外にも同院は回復期リハビリ病棟、地域包括ケア病棟を持ち、患者に必要な診療を行っているのが特色だ。

また高橋氏は当時の院長と相談してクリニカルパス委員会を引き継ぎ、以前に同院が作成したパスを多職種連携、地域連携の視点から再整備も行っている。

「当院で整備したクリニカルパスは公開パス大会などを通じて医療関係者に情報提供し、地域を巻き込んだクリニカルパスへと発展させたいと考えています」

医療機関を越えて学び合う症例検討会を主催する

それまでいた民間病院と同院との違いを高橋氏はこう語る。

「規模も小さく、医師数も少ないなど院内の環境も違いましたが、公的病院だけあって、近隣の医療機関や施設に地域連携の話がしやすいのは実感しましたね。あの病院が地域のことを考えてくれるなら、とにかく話は聞こうと前向きな対応がほとんどでした」

高橋氏が主体となって始めた地域連携の一例が、医療機関を越えた症例検討会の実施だ。これは同院のある館林市のほか、桐生市や太田市など群馬県東部に勤務する脳神経外科医を集めて行うもの。

「当地区は群馬大学からの派遣が多いものの、勉強のためとはいえ大学まで頻繁に通える距離ではありません。ですから地域内での勉強会で知識を共有し、互いのレベルアップを図りたいのです」

医療・介護に携わる人材を 地域で育てる病院でありたい

また高橋氏は館林市、隣接する邑楽(おうら)町で「館林・邑楽おくちのリハビリ研究会」を立ち上げ、摂食嚥下障害についての勉強会もスタートさせている。

「脳卒中の治療後、嚥下障害でお困りの患者さんは多く、そうした障害から少しでも回復してもらいたいと思って、医療職や介護職に勉強の機会を提供しています」

この勉強会は年数回のペースで続いており、毎回100人程度が参加。第5回は2017年3月に開かれ、口腔ケアによる肺炎の予防がテーマだった。

「厚生労働省の『平成27年人口動態統計(確定数)』で、日本人の死亡原因3位となった肺炎を予防することは、今後の地域医療で重要な課題と考えています」

同院は地域医療支援病院でもあり、地域の医療・介護に携わる人材の育成も大事な使命の一つ。高橋氏はそう考えている。

このような活動を見ていると、高橋氏は好奇心旺盛で積極的にチャレンジするタイプに思える。

「そうでもありません(笑)。基本は引っ込み思案で、昔は自分から何か始めることは皆無でした」

自ら動く性格は脳神経外科の科長や医長の立場が作ったものと自己分析する高橋氏。今回のキャリアチェンジで地域連携を一層深めているのは、公的病院という立場が後押ししているに違いない。

同院で行われた公開クリニカルパス大会で発表する高橋氏。 画像

同院で行われた公開クリニカルパス大会で発表する高橋氏。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
公的病院として地域が求める診療を行う

急性期から慢性期まで 地域医療に幅広く貢献

館林厚生病院は近隣6市町の自治体が設置主体となった病院。6市町には約18万人が住むが300床超の病院は同院だけで、唯一の公的総合病院として地域医療の拠り所となっている。

「当院でないと診られない救急の患者さんも多く、救急車は年間で約3500台、昼夜を問わず毎日10台前後は引き受けています」

地域の救急医療のニーズに応えることも公的病院の大切な使命だと院長の新井昌史氏はいう。

「二次救急までの対応ですが、心血管や脳血管の治療は医師数も充実しており、心筋梗塞や脳梗塞といった短時間での処置が求められる症例も得意としています」

また群馬県がん診療連携推進病院として、手術、放射線治療、薬物治療を適切に提供するなど、地域の中で三大疾病の治療を完結できるよう体制を整えている。

こうした急性期医療に加え、同院は48床の回復期リハビリ病棟や地域包括ケア病棟も設け、回復期や慢性期までカバー。人間ドックなどの健診にも積極的だ。

「地域の健康を守る当院の診療内容は多種多様で、消化器外科で内視鏡を扱ったり、泌尿器科でIMRTのような高度な治療を取り入れたりと、希望すれば新たなチャレンジも可能なのです」

同院は群馬大学医学部、自治医科大学、獨協医科大学、埼玉医科大学などから同程度の距離にあり、医師の出身大学も幅広いという。

「学閥のない自由な気風のもとで、地域医療への貢献が実感できるのも魅力と感じています」

そうした環境の中で、脳神経外科部長兼脳心血管センター長を務める高橋氏は診療科のレベルアップはもちろん、病院全体の質の向上にも大いに貢献してくれていると新井氏は高く評価する。

「多職種や地域との密接な連携を前提としたクリニカルパスの再構築、栄養管理や嚥下訓練を行うNSTの強化などは、高橋先生が率先して取り組んでくれたおかげです。今後は高齢社会に必要な整形外科の充実など、各自治体とも協力して十分な対応を進めます」

新井昌史氏

新井昌史
館林厚生病院 院長
1983年新潟大学医学部卒業後、群馬大学循環器・呼吸器内科(現:臓器病態内科学)に入局。1993年同医局で医学博士を取得。専門は心不全、分子循環器病学など。2014年から館林厚生病院に副院長として着任し、2015年に院長就任。地域包括センター長も兼務。日本内科学会総合内科専門医、日本循環器学会循環器専門医。

館林厚生病院

同院のある館林市に加え、板倉町、明和町、千代田町、大泉町、邑楽町が共同で設立した邑楽(おうら)館林医療事務組合が設置主体。この地域に欠かせない公的総合病院として、二次救急、多様な診療科による外来および入院診療、健診など地域のニーズを幅広くカバーする。15年の新病院開院時に医療機器を一新。館林駅前のマンションと提携して医師の住環境を充実させるなど、働きやすさにも配慮している。

館林厚生病院

正式名称 邑楽館林医療事務組合
館林厚生病院
所在地 群馬県館林市成島町262-1
設立年 1964年
診療科目 内科、精神科、循環器内科、
内分泌糖尿病内科、アレルギー呼吸器科、
小児科、外科、整形外科、形成外科、
脳神経外科、呼吸器外科、心臓血管外科、
消化器外科、皮膚科、泌尿器科、
産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、麻酔科、
リハビリテーション科、放射線診断科、
放射線治療科、歯科、歯科口腔外科
病床数 329床
(一般275床 感染6床 回復期48床)
常勤医師数 39人
非常勤医師数 30人
外来患者数 377人/日
入院患者数 270人/日
(2017年2月時点)