VOL.54

ずっと思い描いていた
「将来の医師像」に近づくため
キャリアチェンジに挑戦。

羽生総合病院
循環器科 医長 鈴木健司氏(44歳)

東京都出身

1996年
山梨医科大学(当時)卒業
湘南鎌倉総合病院 内科
1999年
千葉西総合病院 循環器内科
2000年
羽生総合病院 循環器科
2003年
土浦協同病院 循環器内科
2007年
なめがた地域総合病院 循環器内科
2010年
羽生総合病院 循環器科

多くの医師は「将来、こんな医師になりたい」というイメージを持っているのではないだろうか。羽生総合病院循環器科医長の鈴木健司氏は、かねて地域医療に従事する医師になることを思い描いていた。専門的な技術を学んでいる最中も、その思いは忘れない。40歳を目前とした時、理想の医師像に近づくための一歩を踏み出した。

リクルートドクターズキャリア10月号掲載

BEFORE 転職前

電気生理分野の技術を身につけ、
かつて勤務していた病院に
7年ぶりの復帰

循環器科医としてどうしても学びたかったこと

「あまり言葉にしたことはありませんでしたが、地域医療に従事し、患者に寄り添う医師。そんな将来像を、漠然と思い描いていました」

羽生総合病院(埼玉県)循環器科医長の鈴木健司氏は、こう語る。鈴木氏は、1996年に山梨医科大学を卒業後、徳洲会グループの湘南鎌倉総合病院(神奈川県)に入職した。大学医局には所属せず、民間の病院を選んだことには理由がある。「医師になって最初の数年間でどれだけの経験を積むかが、その後の自分にとってもっとも大切なことだと考えていました。学生時代から循環器科を志望していましたが、その前に基本的な診療技術を身につけたかった。だから、症例数が多く、研修医にも仕事を任せてくれる湘南鎌倉総合病院に入職しました」

3年間の経験を経て、同じ徳洲会グループの千葉西総合病院循環器科に移る。その後、2000年に現在も勤務する羽生総合病院循環器科にたどり着いた。

実は、鈴木氏は同院から一度離れていたことがある。循環器科医として、どうしても学びたい分野があったからだ。「循環器科は、心筋梗塞などを対象とする虚血分野と、不整脈などを治す電気生理分野に分かれます。私は後者に強い関心がありました。電気生理分野は、ここ10年ほどで大きく伸びていますが、00年頃は今ほど普及しておらず、経験を積むことができる病院はわずかでした」

そこで、電気生理分野の症例数が国内随一で、実績も高かった土浦協同病院(茨城県)に転職した。同院は、大学病院で電気生理分野に携わる医師が、専門性を高めようと国内留学に来るような場だ。当時の鈴木氏は未経験だったが、学びたい意欲と熱意を買われて、入職に至った。

先進的な医療を極めるより、地域に根を張った診療がしたい

土浦協同病院には、軽症から重症までさまざまな不整脈の患者が訪れる。ここで、心臓内部にカテーテルを入れて不整脈の原因部分を焼き切る「アブレーション治療」の技術を身につけた。スケジュールは毎日ぎっしりと埋まり、次々に治療を行っていた。

臨床だけでなく研究にも携わった。国内外の学会に出席し、治療成果やリサーチ結果などを発表した。専門的な技術を身につけ、疾患に対する知識を高める日々は、医療のおもしろさを感じさせるに十分なものだった。鈴木氏は、「たくさんの学びをいただいたことに、本当に感謝しています」と振り返る。

だが、ふと自分の将来を考えた時、どこか違和感を覚えたと言う。「患者と深く触れ合う前に、『治療が終わりました。あと1回、外来に来れば終わりです』となることがよくある病院でした。症例数が多いためでしたが、目の前をどんどん患者が通り過ぎていくような医療が、果たして自分の将来像に合っているのか? と、疑問が湧きました」

前述の通り、鈴木氏が目指すのは地域医療に携わる医師だ。「先進的な医療を極めるより、しっかり地域に根を張って、診療したかった」

医師が少ない埼玉県北部で、これまで学んだ技術を生かす

いくつかの病院から、アブレーション治療を広めて欲しいと入職の打診もあったが、鈴木氏の意志は固かった。自分の目指す医師像に近づくべく、地域医療を主体とする病院に移る。

2007年、なめがた地域総合病院(茨城県)に転職。10年には、子どもが小学校に入学するのを機に、羽生市に戻った。そして、再び羽生総合病院に入職する。7年ぶりの鈴木氏の復帰を、羽生総合病院の職員は大いに歓迎した。「羽生市のある埼玉県北部は医師が少なく、患者が遠くの病院に行かざるを得ない状況もあります。この地域の住民のために、自分ができる医療をしっかり提供しようと強く思いました」

学びたいことは、若いうちに全力で学んだ。今度はその技術を地域に還元する時期である。キャリアチェンジによって、医師としての第二幕が始まった。

AFTER 転職後

地域医療に必要なのは、
「当たり前」の診療を
ぶれずに提供し続けること

患者との信頼関係が醸成された瞬間がうれしい

鈴木氏が羽生総合病院に戻って、5年がたつ。現在の、典型的な仕事の流れはこうだ。

毎朝7時に自宅を出て、8時頃には病院に到着。まずは病棟を回診する。その後、9時からは外来、あるいはカテーテルを用いた治療や検査に入る。午後の仕事内容は日によってさまざま。検査の日もあれば、午前の外来を引き続き行うこともある。日によっては、ペースメーカーチェックの特殊外来が入る。地域の患者を、一人ひとり丁寧に診ている。「自分の思い描いていた医師像に近い診療ができ、非常に充実しています」

とりわけ、やりがいを感じるのは、患者やその家族と深い信頼関係が醸成された時だ。「例えば、病状が刻々と変わっていくような場合、患者や家族の方に逐一説明するようにしています。

まるでその思いが伝わったように、『何とか頼むよ』といった目をされることがあるのです。つまり、お互いの感情が一致し、信頼関係を感じられる瞬間が、非常にうれしいですね」

信頼している医師と再会し抜群のチームワークを実現

もう一つ、鈴木氏の充実感につながっているのが、信頼している医師との再会である。かつて同院に勤務していた頃も同じ循環器科で協力し合っていた先輩医師だ。鈴木氏が他院で経験を積んでいる間も、ずっと羽生総合病院で地域の患者を診ていた。「その先生とは、以前から診療に関する考え方が非常に一致していました。意思疎通は極めてスムーズで、お互いを尊重し合いながらチームワークのよい診療ができています」

鈴木氏は電気生理分野の検査や治療のスキルを持って帰ってきた。一方の先輩医師は主に虚血分野の治療を行っている。「力を合わせて、循環器疾患全般の診療をカバーできるようになりました」

循環器科は2人主治医制をとっており、同じ患者を医師2人で診ている。お互いにどんな診療をするか熟知し合っているため、ストレスを感じることもないそうだ。

常勤医の負担軽減策が充実。当直やデスクワークは免除

また、同院では常勤医の負担軽減に力を入れている。通常は、18時~19時の間に業務を終え、帰路につくことができる。当直は基本的に非常勤医が担っており、常勤医が行うことはない。「病院の方針で、常勤医は当直を免除してもらっています。2日に1回はオンコールの当番ですが、季節の変わり目などの繁忙期を除けば、それほど電話がかかってくるわけではありません」

医師秘書課を設けており、医師がデスクワークを行う必要もない。また、医師が回診しながら話したことは、秘書がすべてパソコンに入力する。医師は診療に専念できる環境なのだ。

さて、鈴木氏に今後の目標を尋ねるとこんな言葉が返ってきた。「他院の医師がサポートに来てくれた時に、必ず話すことがあります。患者にとって必要な検査と治療をしっかり行い、難しい症例は適宜、高度な病院に相談する。当院の役割をよく見極めて、自分たちができる医療を着実に提供することを目指している、という話です。非常に当たり前のことですよね。でも、今後もぶれずに、その姿勢を大切にしていきたいのです」

地域医療に必要な医療を真剣に考えたからこそ、導き出された答えなのだろう。鈴木氏は「私はあんまり進歩的でない人間かもしれません」と謙遜するが、医療への責任感と情熱は人一倍強い。思い描いていた医師像に到達する日は近そうだ。

鈴木氏が勤務する4階西病棟のスタッフたち。いつも密なチーム医療を実践している。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
医師の自己実現を病院としてサポート

地元住民はもとより、近隣3県からも患者が訪れる

羽生総合病院のある羽生市は、埼玉県北部に位置し、茨城県や栃木県、群馬県との県境に近い。院長の松本裕史氏は、地域における役割について、こう語る。「このエリアは高齢化が著しく、患者の大部分は高齢者です。重症例も珍しくありません。また、隣県から搬送されてくる患者も多い。7対1の急性期病院として、救急から高度ながん治療、高齢者医療まで対応します。また、地域の健康保健活動も大切にしており、医師が病院外に出て、生活習慣病の予防や、がんの早期発見に関する講演などを行っています」

古くから研修指定病院である同院は、在籍する医師の出身大学もさまざまである。医局に属さない医師も、フレキシブルに受け入れる素地があるそうだ。前出の鈴木氏については、こう評価している。「技術を磨くために他院に移り、再びここに戻って地域医療に貢献しています。非常に真面目で、しっかりした考えを持った医師だと思っています」

3~4年後をメドに病院を新築移転し、医師も増員

病院の方針として、オン・オフの切り替えを明確にし、働きやすい環境を整備している。「かつてのように、医師が長時間働く時代ではなくなりました。医師が患者とじっくり向き合うには、適切に休むことも必要です。常勤医は、当直やデスクワークの負担をほぼ免除しています。さらに医師の多様な働き方も大切にしており、子育て中の女性医師も働きやすい病院、地元出身の医師がUターンしやすい病院を目指して、環境を整備しています」

今後の見通しとしては、3~4年後をメドに、病院の新築移転を計画している。「診療機能を大幅に向上させ、医師を増員して、より働きやすい病院を目指しています。地域医療に興味を持ち、やる気と能力のある医師なら、自己実現をサポートします。そのための環境を提供する努力は惜しみません」

松本 裕史氏

松本 裕史
羽生総合病院 院長
埼玉県出身。1984年群馬大学医学部卒業。三井記念病院、国立がん研究センター、群馬大学医学部附属病院、伊勢崎市民病院を経て2002年より現職。

羽生総合病院

人口約5万7000人、埼玉県北部に位置する羽生市は、豊かな自然に囲まれた田園都市である。羽生総合病院は、ここで地域密着型の医療を提供している。救急車の受け入れ台数は、周辺地域からの搬送も含めて年間約3000台。急性期から慢性期まで幅広く対応している。1999年から臨床研修病院の指定を受け、教育機関としての機能も併せ持つ。また、2018~19年頃までに病院の新築移転を計画している。診療レベルの向上はもちろん、今以上に患者が安心でき、職員が働きやすい環境を目指している。

埼玉医療生活協同組合 羽生総合病院

正式名称 埼玉医療生活協同組合 羽生総合病院
所在地 埼玉県羽生市上岩瀬551
設立年 1983年
診療科目 内科、消化器科、循環器科、外科、小児科、整形外科、脳神経外科、
皮膚科、泌尿器科、放射線科、産婦人科、歯科、口腔外科、眼科、
リハビリテーション科、救急総合診療科、耳鼻咽喉科、麻酔科、病理科、和漢診療科
病床数 一般311床
常勤医師数 38人
非常勤医師数 60人
外来患者数 約600人/日
入院患者数 約240人/日
(2015年7月時点)