VOL.38

高齢者医療に携わって20年。
急性期病院の中の療養病棟で
患者と家族の希望を叶える日々

医療法人徳洲会 東京西徳洲会病院 療養病棟 
瀧宮 顕彦
氏(56歳)

広島県出身

1982年
東京医科大学卒業
同大学第二内科入局
同大学大学院入学
1983年
社会保険鰍沢病院循環器内科入職
1992年
医療法人社団三秀会青梅三慶病院循環器内科入職
1994年
医療法人社団東光会西東京中央総合病院(当時:田無第一病院)循環器内科入職
2011年
医療法人社団康明会康明会病院内科入職
2012年
医療法人徳洲会東京西徳洲会病院療養病棟入職

どれだけ自分が求められているか。その度合いによって、やりがいは大きく変わる。東京西徳洲会病院療養病棟部長の瀧宮顕彦氏は、20年にわたり高齢者医療に尽力してきた。一度は、「ここに骨を埋めよう」と思う病院に在籍しながらも、現在の病院に転職したのは自分がいる必要性を感じたからだ。急性期中心の病院ゆえに療養病棟の専属医が不在である様子に、これまでの経験を生かしたいと考えた。転職して2年。病棟スタッフと協力しながら、患者・家族の希望を叶える日々は、やりがいに満ちている。

リクルートドクターズキャリア5月号掲載

BEFORE 転職前

新たに立ち上がる療養病棟を軌道に乗せるために
長年の経験が役に立った。

患者との信頼関係を築き病院職員の意欲を高める

高齢者医療をとりまく環境は、この数年で大きく変化した。最近では、一つのキャリアとして療養型病院に転職する医師も増えてきたが、東京西徳洲会病院療養病棟部長の瀧宮顕彦氏は、この道20年のベテランである。1982年に東京医科大学を卒業後、しばらくは同大学病院循環器内科や、関連病院に勤務し、卒後10年目に高齢者医療を中心とする青梅三慶病院(東京都青梅市)へ入職した。その後、医局派遣で半年ほど西東京中央総合病院(当時:田無第一病院)の急性期医療に携わるも、任務終了と同時に医局を離れ、循環器科医としてのキャリアに終止符を打つ。

「大学病院では、ほとんど研究ばかりでしたから、少なからず急性期の臨床への心残りがありました。しかし、そうした思いは田無第一病院での経験によって解消され、自分の性格や診療スタイルに合った高齢者医療に進む気持ちが固まりました」 同級生の紹介で大久野病院(東京都・日の出町)に入職したのは94年。当時は療養型病院という呼称は馴染みがなく、「老人病院」と呼ばれていた。入院患者のほとんどは在宅療養が困難になった高齢者で、家族は自宅で面倒を見られないことへの後ろめたさを抱えていることが多かった。また、病院職員も必ずしもモチベーションが高いとは言えなかった。

「患者を治療しようにも、家族が拒否するケースがありました。医師や看護師たちも医療に対してあまり積極的ではありませんでした」

瀧宮氏は、患者にとって望ましい医療を実現すべく、現場の改善に奔走した。家族が見舞いに来た時は、しっかり面会の時間を確保して、家庭内の事情や、患者のバックグラウンドをヒアリングした。あまり見舞いに来ない家族には、個別に連絡をして来てもらうこともあった。

「家庭内のやむを得ない理由で長期入院させているケースもあり、家族とのコミュニケーションは極めて困難でした。まずは丁寧な医療サービスを提供し、『この先生なら信頼できる』と思ってもらえるように、関係を構築していきました」

入職から3年目には副院長に就任し、「自分が引っ張っていかなければ」という思いが強かった瀧宮氏。日々、病院を改善するための努力を重ねた成果は、入職7~8年目から肌で感じることができた。

「意欲のある医師が増え、医療の質が向上しました。また、社会状況の変化によって療養型病院という呼称が一般化し、リハビリや在宅支援事業も手がけることになりました。退院は難しいと思っていた患者が、適切なケアによって退院できた様子を見るのはうれしかったですね」

大久野病院には17年間にわたって勤務し、療養型病院の標準的な運営方法を身につけた。新たなキャリアを進むべく医師転職会社を介して康明会病院(東京都日野市)に転職したのは2011年。同院は、在宅医療に力を入れる医療法人の傘下にある。瀧宮氏は「これまで培ってきた経験を生かしながら、骨を埋めるつもりでした」と振り返る。

「ここに骨を埋めよう」と思ったあとの意外な展開

ところが、1年ほどたったある日、思いがけない展開となる。「東京西徳洲会病院が療養病棟を立ち上げるため、ぜひ参加してほしい」と知人から打診を受けたのだ。

「徳洲会グループと言えば、急性期医療のイメージが強く、当初は私が行く場ではないように思いました。しかし、院内を見学して説明を聞くうちに気持ちが変わりました。急性期中心の病院であるだけに療養病棟専属の医師がおらず、診療がスムーズに回っていなかったのです」

康明会病院に残るかどうか迷ったが、自分を必要としているのはどちらか考えると、答えは自明だった。

「康明会病院はすでに高齢者医療をスムーズに行う体制が確立されており、私がいなくても診療は回ります。一方で、東京西徳洲会病院の療養病棟は今始まろうとしているところでした。自分にできることがあるなら、力になりたいと思ったのです」

AFTER 転職後

高齢者専門の療養型病院と
急性期病院の中にある療養病棟は
似ているようで大きく違う。」

療養病棟専属医として入職し病棟スタッフから感謝の声

東京西徳洲会病院の療養病棟は49床で、患者の約2割が急性期病棟からの転科。残り約8割は他病院からの紹介によって入院している。地域の高齢者にとって、地元の病院で療養できることは大きな支えだ。

2011年12月から病棟の準備が始まり、当初は急性期の医師や非常勤医がなんとか病棟を回してきた。しかし、専属の医師がいないことは病棟スタッフに負担がかかる。12年4月に瀧宮氏が入職すると、スタッフからは「医師がいつもいて指示を受けられるようになって安心した」と感謝の声があがった。

入職から丸2年がたった今、瀧宮氏が実感しているのは、高齢者医療専門の療養型病院と、急性期病院の中にある療養病棟との違いである。

「療養型病院であれば、高齢者に適した診療の流れを医師同士で共有できています。それに対し、当院の診療の流れは、急性期を中心として考えられています。しかし、感染症対策や、薬の選定、使い方などは、すべて急性期と同じ方法が高齢者医療に適しているとは限りません。また、治療後の検査や処置も、急性期と高齢者医療では異なる部分も少なくなく、適宜、自分で工夫しながら効率化する必要があります」

「人を診る」医療には多職種連携が不可欠

病棟スタッフと密なコミュニケーションを取りながら診療にあたる瀧宮氏。
病棟スタッフと密なコミュニケーションを取りながら診療にあたる瀧宮氏。

瀧宮氏は、少しずつでも着実に、院内で療養病棟のポジショニングを確立することを目指している。

「療養病棟は、急性期の治療を終えた患者の行き先を的確に判断する場です。終身で入院するのか、自宅へ戻るのか、別の病院や介護施設へ移るのかなど選択肢はさまざまですが、患者の希望を叶えるには生活環境や家族関係、人生観、哲学なども把握しなくてはなりません。いわば『病気』ではなく『人』を診る医療です」

そうした医療を実践するために心がけているのは、病棟スタッフとの密なコミュニケーションだ。医師、看護師のみならず、介護職員、リハビリスタッフ、医療ソーシャルワーカー(MSW)も含めた多職種連携が欠かせないと言う。

「入院前の病歴はカルテや紹介状でわかりますが、生活歴や経済状況などはMSWの協力なくしては得られない情報です。医師のトップダウンではなく、みんなが同じ立場で目標を持って話し合うことが大切です」

時には、専門としている日本温泉気候物理医学会の情報をスタッフに伝えることもある。「温泉の効能などを学術的に研究している学会です。薬や手術では治らない高齢の患者には、有用な情報もあるのです」

誠実かつ、柔軟な姿勢を保っている瀧宮氏。「多職種が協力して、患者や家族の望む医療ができた時にやりがいを感じます」と語る笑顔には、高齢者医療に対する優しさがにじむ。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
医療法人徳洲会 東京西徳洲会病院 総長 板垣徹也氏

一度は閉鎖した療養病棟を地域の求めに応じて再開設

東京西徳洲会病院のある昭島市は、少し足を伸ばせば立川市や八王子市に行き当たり、二次医療圏では100万人の医療を担っている。総長の板垣徹也氏は、2005年の開院以降をこう振り返る。

「もともとは二つの療養病棟を持つ病院でした。07年にDPCを導入した際、急性期に特化するために一度は療養病棟を閉鎖したのですが、12年に再び開設しました。この辺りには療養病床が不足し、住民たちのニーズが高かったためです」

瀧宮氏が入職したのは、そのタイミングである。長年にわたって培ってきた高齢者医療の経験は、療養病棟で提供される医療の質を確実に高めている。

「瀧宮先生が来られてから、安定した病棟運営ができるようになりました。患者が入浴する頻度、介護との連携など、急性期の医師では気づかないところまで瀧宮先生は見てくださっています。そのためか、病棟スタッフたちの働く意欲も向上しています。また、急性期の治療を終えたあとに転院しなくても済むようになったことで、地域住民の安心感も増していると感じます」

徳洲会グループと言えば、急性期医療を力強くけん引するイメージがあるかもしれないが、あくまでも地域医療を守ることが前提である。板垣氏は「徳洲会グループは、地域に介護事業所や高齢者施設なども設け、地域の中で医療が回ることを大切にしています」と語る。

医師個人の意欲を組織として表現できる場

今後の同院の方針としては、がん治療などの専門医療と、救急総合医療を両立させること。加えて、先端医療への協力も惜しまない病院でありたいと、板垣氏は考えている。

「徳洲会グループは、常に新しい研究や治療にトライアルしながら成長してきました。以前は、ゲノム研究に積極的に検体を提供していましたが、今後はiPS細胞の研究に協力する方針です」

つまり、急性期で専門性を高めたい医師、瀧宮氏のように療養病棟で力を発揮したい医師、そして新しいことに挑戦したい医師のすべてにとって、活躍できるフィールドがあると言える。板垣氏は、若手医師に向けてこうアドバイスする。

「専門医志向を持つことは大事ですが、ずっと同じ領域を突き詰められる医師はわずかです。多くは、専門性の幅を広げるか、新しいことにチャレンジしてキャリアを切り開いています。私自身、もともと脳外科医ですが、離島やへき地医療も経験して現在は総合診療に携わっています。医師には多様な可能性があります。あまり専門性を狭め過ぎず、関心のあることに挑戦してほしいですね。当院は、そうした個人の意欲を、組織として表現できる場です」

板垣 徹也氏

板垣 徹也
医療法人徳洲会 東京西徳洲会病院 総長
東京都出身。1971年京都大学医学部卒業。脳外科医として吉田病院、松江赤十字病院、兵庫医科大学病院、天理よろづ相談所病院を経て、83年福岡徳洲会病院に入職。その後、宇治徳洲会病院、名瀬徳洲会病院を経て2005年に東京西徳洲会病院に入職。

医療法人徳洲会 東京西徳洲会病院

2005年、徳洲会グループとして初めて東京都内に開院。小児から高齢者まで診療する地域基幹病院として地域住民に親しまれている。昭島市内には200床以上の病院が少ないため、月間救急搬入数は600件を超える。縦割りの診療科にとどまらず、診療科を横断するセンター化を実現。循環器センター、乳腺腫瘍センター、脊椎センターなど13領域のセンターを設けているのも特徴だ。

医療法人徳洲会 東京西徳洲会病院

正式名称 医療法人徳洲会 東京西徳洲会病院
所在地 東京都昭島市松原町3-1-1
設立年月日 2005年9月1日
診療科目 内科、糖尿病・内分泌内科、循環器内科、心臓血管外科、
消化器内科・外科、内視鏡外科、呼吸器科、神経内科、
肝臓内科、腎臓内科、外科、脳神経外科、
整形外科、脊椎外科、関節外科(スポーツ整形外科)、形成外科、
美容外科、泌尿器科(人工透析)、乳腺腫瘍科、小児科、
皮膚科、婦人科、歯科口腔外科、放射線科、
麻酔科(ペインクリニック)、病理科、リハビリテーション科、救急科
病床数 364床
常勤医師数 55名
非常勤医師数 35名
看護師数 210名
外来患者数 1日平均600人
入院患者数 1日平均250人(2014年3月末日現在)