VOL.115

患者の期待に応える治療が
続けられることを条件に転職し
肝がん治療で地域有数の病院に

渕野辺総合病院
内科 小池 幸宏氏(57歳)

1987年
上智大学文学部心理学科
(現 総合人間科学部心理学科)卒業
1993年
山梨医科大学医学部(現 山梨大学医学部)卒業
東京大学医学部附属病院 内科 研修医
1994年
関東中央病院 内科(臨床研修含む)
1996年
東京大学大学院医学系研究科入学
東京大学医学部第2内科入局
2002年
同大学院修了
関東中央病院 消化器内科 医長
2013年
関東中央病院 消化器内科 部長
東京大学医学部 非常勤講師
2018年
渕野辺総合病院 消化器内科 部長
2019年
渕野辺総合病院 副病院長

ラジオ波焼灼法による肝がんの治療で20年以上の経験を持つ小池幸宏氏は、手術や抗がん剤などの適応がない、あるいはそうした治療を望まない患者の期待に応えている。2018年に渕野辺総合病院に転職した際も、「これまで同様に、私の判断で患者さんに対処できるという条件が決め手でした」と話す。常に患者のためを思って診療を続け、副病院長として院内の診療体制の改善にも努める小池氏の思いを聞いた。

リクルートドクターズキャリア11月号掲載

BEFORE 転職前

精神科志望から消化器内科へ
治療の選択肢を広げるため
RFAでの肝がん治療に注力

心理学を生かす精神科から
消化器内科に興味が移行

ラジオ波焼灼法(RFA)による肝がん治療が、日本に導入された当初から携わってきた小池幸宏氏は、「手術や抗がん剤での治療が向かない場合でも、RFAが有力な選択肢となることは多い」と言う。そうした考えのもと、数多くの肝がんの患者を診てきた小池氏は、現在は渕野辺総合病院(神奈川県)で診療を行っている。

小池氏は臨床心理学に興味を持ち、文学部心理学科を卒業。しかし在学中に知り合った精神科の医師に「医師になった方が治療の選択肢は広がる」とアドバイスされ、改めて医学部に進学した。

「ただ、当時は精神科に関する科目は案外と少なく、教育の中心は内科などの分野。さらに学生から見ると、この頃の精神科の治療が薬物に偏っているように思え、興味は内科に移っていきました」

卒業後は研修医として内科の各分野を回り、内視鏡など検査・治療に手技を伴うことの多い消化器内科にひかれたと小池氏は話す。

「なかでも肝臓はC型肝炎の治療が本格化し、肝がんの内科的治療などで注目の分野でした。医局でも上司の指導を受けながら早くから肝がんの治療を行い、自分が治療した患者さんが無事に退院されるといった経験に感銘を受け、この道に進もうと決めました」

ラジオ波焼灼術の治療を
関連病院で新たに立ち上げ

小池氏が消化器内科に入局した数年後、同医局で肝がんに対するRFAの導入が始まった。それまでの内科的治療は名人芸のような勘と手技が必要で、特殊な医師が行う特殊な治療と見られていた。

「それらに比べて習得が比較的容易なRFAの導入は、内科的治療の普及につながったと思います」

小池氏は大学院での博士号取得を機に、研修医時代にお世話になった病院への派遣を希望。同院でRFAによる肝がんの治療を始めることも視野に入れていた。

「私が医局で行ったRFAの治療は約4年で350件ほどと多く、他の医師の治療にも加わって、さまざまな合併症と対処法も経験していました。病院を移っても一定レベルの治療ができる自負はありましたが、一般病院ではRFAがようやく知られ始めた程度。どうにか環境を整え、少ない人員で治療するなど苦労続きでした」

RFAによる肝がんの治療は、当時は原発性が主な対象で、腫瘍は3センチ以下、3個以内といった目安も治療法とともに広がりつつあった。しかし同院に異動後、小池氏のもとを訪れた患者の中には、転移性だったり、腫瘍の大きさや数が目安を超えていたりした例も少なくなかったという。

「手術も抗がん剤も適応がないと医師に告げられた患者さんから、何とかなりませんかと相談されることもしばしば。そんなとき、私自身ができると判断し、患者さんにもメリットがあると思えるケースは、十分にご説明した上でRFAによる治療を行ってきました」

最初は年40件弱だったRFAによる治療件数も10年で年270件ほどになり、地域の医療機関からの認知度も高まった。院内はもちろん近隣の医師による紹介患者も増え、やがて地方在住の患者も同院を受診するようになった。

「より多くの方に治療の機会をご提供できるようになりましたが、RFAのメリットよりデメリットが上回る場合は、お断りしなくてはなりません。患者さんとの対応でそれが一番難しい部分でした」

子どもの夢を支えながら
仕事を続けるために転職

常に患者のことを考えて診療を続け、後進の育成にも熱心だった小池氏は、並行して自分の子どもの夢をかなえるためのサポートにも力を入れていたと振り返る。

「子どもが実績を残し、夢が具体的になるにつれ、サポートに割く時間も長くなりました。これが続くと、今の仕事を自分が納得できるレベルで行うのは難しいと分かり、仕事と生活のバランスを調整するための転職を決意しました」

教授に相談したのは2017年12月。年明けから転職先を探し始めた小池氏は、知人の紹介で知った渕野辺総合病院が、これまで同様に自身の判断で肝がんの患者に対処できるという条件を提示してくれたことで、転職を決めた。

AFTER 転職後

ガイドラインだけに縛られず
目の前の患者をしっかり診て
RFAの適応を判断する

転職後1カ月でRFAを開始
患者は全国から集まる

2018年4月から渕野辺総合病院に転職した小池氏は、内科の外来で多様な患者を診ながら、他の医療機関からの紹介などで訪れる肝がんの患者にRFAを用いた治療を行っている。

「RFAによる治療の立ち上げは2度目でしたが、今では一般的な治療法になっていますし、以前の病院と同様の設備を整えてくれるなどサポートも手厚く、スタッフの多大な協力もあって、転職して1カ月でスタートできました」

RFAによる肝がんの治療は、現在もガイドラインにある腫瘍の大きさや数などを参考に行われることが多い。しかし小池氏は、基本として大事だが常に順守すべき規律ではないとの考えを持つ。

「私はRFAのガイドラインは、この範囲なら安全性が高く、治療の効果が十分期待できる目安と捉えています。ただ、それに縛られず目の前の患者さんをよく診て、こうすれば安全にできるのではないかと考え、治療のメリットがデメリットを上回るなら、RFAも治療の選択肢に加えてきました」

小池氏はこれまで診ていた患者の経過観察のため、今も以前勤務していた病院で週1回診療しているが、それだけでは対応が難しい患者は、本人が希望すれば同院への転院も受け入れているという。

患者第一の視点から
既存業務の改善も進める

子どものサポートに必要な時間を作るために、仕事と生活のバランスを見直す転職でもあり、当初は役職なしでの勤務を考えていたと明かす小池氏。しかし同院への転職が決まった後、子どもが別の道に進むことになってサポートの必要性が薄れてしまった。

そのため病院から打診された消化器内科部長の職を受ける余裕もでき、翌年からは内科部長兼副病院長を務めることになった。

「病院運営に関する私の考えはシンプルで、『受診された患者さんを治療し、状態を良くしてお戻りいただく』という病院の基本をきちんと実践することに尽きます。しかし病院が歴史を重ねるうちに、いつの間にか複雑なローカルルールができ、患者さんにご迷惑をかけるような状況を見過ごすようになってしまいます。私はそれを少しでも改善したいと考えました」

例えば、紹介患者やすでに診断がついている患者も、紹介状なしの患者と同様に最初は初診外来の医師が診ていたが、それぞれ適切な診療科が受診できるよう変更。また医師によって受け持ち患者数が大きく違ったため、ある程度平準化するよう働きかけも行った。

「もちろん自分が対応できない場合は、ほかの医師につなげばいいのですから、病院全体で連携してその方に適した医療をご提供することが大切と考えています」

RFAの導入や従来の診療の流れを変えるなど、新たな取り組みで一時的に負担増となっても、スタッフが力を合わせてくれたおかげでスムーズに進んだと小池氏。

「看護師をはじめ当院のスタッフはみんな優しくて協力的。とても仕事がしやすい環境です」

自分を頼ってくれる患者に
必ずメリットを提供したい

一方で、小池氏個人の目標は、患者の依頼に可能な限り応えてRFAによる治療を安全に行うこと、それが難しければ他の治療法や医療機関を紹介するなど、自分を頼ってくれた患者に何らかのメリットを提供し、受診してよかったと感じてもらうことだと言う。

「転職してから遠距離通勤の毎日ですが、ストレスの少ない環境で楽しく働けています。安易には勧めませんが、現状に行き詰まったら別の道を検討するのもいいでしょう。職場の課題が自分では解決できないときは、居場所を変えるのも一つの選択肢だと思います」

小池氏は内科外来と肝臓を含む消化器の専門外来を担当する 画像

小池氏は内科外来と肝臓を含む消化器の専門外来を担当する

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域住民の一生を支える多機能病院

地域で診療の中枢となる
内科の専門分化を図る

同院のある神奈川県相模原市の市街地は、周囲に大学病院や中小規模病院なども多いエリア。そうした医療機関と連携しながらも、同院らしい強みを磨いて、地域住民に選ばれる病院でありたいと病院長の世良田和幸氏は言う。

「当院は一般病床、回復期リハビリテーション病床、地域包括ケア病床を設け、二次救急、急性期、慢性期まで広く対応。さらに近年は消化器や内分泌など内科の充実を図り、がんの早期発見と治療、生活習慣病の管理などでも、地域の健康を支えています」

同院は161床と比較的小規模な病院ながら12診療科を標榜し、産婦人科、脳神経外科をはじめさまざまな領域をカバーする。

また、神奈川県の開放登録病床の届出施設でもあり、近隣の医療機関の登録医と、紹介患者の共同診療を行うなどの地域連携も進めてきた。紹介患者の容体が安定した後は逆紹介が基本だが、必要な場合は同院の訪問診療センターによる在宅医療への移行も可能だ。

同院に消化器内科部長として入職した小池幸宏氏には、RFAによる肝がんの治療に加え、診療の中枢となる内科を支える副病院長の役割も期待したと世良田氏。

「小池先生の豊富な経験と臨床での真摯な姿勢は、周囲の医師やスタッフのモチベーション向上につながっています。紹介患者の受け入れに関する改善提案など、病院全体を見て自発的に動いてもらえるのも有り難いですね」

世良田氏は2018年の病院長就任後、健康経営を意識した病院運営を行ってきたと話す。

「職員の心身が健康でないと、患者さんへの対応など日頃の行動にも影響が出るでしょう。医療の質を高めるのはもちろんですが、働きやすい環境整備も重要です」

世良田氏は、同院の理念「共生と至誠」をもとに、受診してよかったと思われる病院、地域に信頼される病院を目指すと言う。

「この地で生まれて、お亡くなりになるまで、地域の皆さんの一生を支えるのが地域密着の医療を行う当院の使命と考えています」

世良田 和幸氏

世良田 和幸
渕野辺総合病院 病院長
1976年昭和大学医学部卒業。1980年同大学大学院医学研究科修了。卒業後は同学部麻酔学教室に入局し、同大学病院、同大学藤が丘病院で手術室での麻酔業務のほかペインクリニック外来に従事。2002年同大学横浜市北部病院麻酔科教授。副病院長を経て2014年に病院長就任。2015年昭和大学名誉教授。2018年から現職。

渕野辺総合病院

1954年に開設された同院は、地域の医療ニーズに応えて診療科を拡大し、現在は12の標榜科を擁する。内科は消化器、糖尿病、呼吸器、循環器を中心とし、外科は主に消化器、呼吸器、乳腺が診療対象。肉腫の治療を得意とする医師も在籍する。また産婦人科、小児科などで子育てをバックアップし、在宅医療も手がけている。母体となる医療法人では健診センター、介護老人保健施設、在宅医療に関わる各施設、高齢者支援センター(相模原市からの委託)などを展開。予防、診療、看取りまで、住民の健康維持と、住み慣れた地域での暮らしを幅広くサポートしている。

渕野辺総合病院

正式名称 医療法人社団相和会
渕野辺総合病院
所在地 神奈川県相模原市中央区淵野辺3-2-8
開設年 1954年
診療科目 内科、小児科、外科、眼科、整形外科、
脳神経外科、産婦人科、泌尿器科(尿路結石治療センター)、
麻酔科、放射線科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科
病床数 161床
(一般143床※うち地域包括ケア病床10床、回復期リハ18床)
常勤医師数 32人
非常勤医師数 80人
外来患者数 490人/日 (2019年実績)
入院患者数 14人/日 (2019年実績)
(2020年8月時点)