VOL.99

認知症の診療から病院運営まで
多様な経験をすべて生かして
地域の精神科医療を担う

ホスピタル坂東
精神科 久永明人氏(53歳)

兵庫県出身

1995年
富山医科薬科大学(現 富山大学)医学部卒業
同大学附属病院 神経科精神科
(現 神経精神科) 研修医
1997年
谷野呉山病院 医師
1999年
富山赤十字病院精神科部 常勤嘱託医
2000年
医療法人社団 明寿会 アルカディア氷見
(老人保健施設) 施設長・医師
同法人 ふるさと病院 院長、
アルカディア雨晴 施設長・医師 などを歴任
2006年
国立大学法人 弘前大学医学部老年科学講座 助手
2007年
医療法人サンメディコ 下田クリニック 医師
2008年
国立大学法人 千葉大学大学院医学研究院
先端和漢診療学講座 客員助教
同講座および同大学柏の葉診療所勤務
2009年
国立大学法人 筑波大学大学院
人間総合科学研究科 講師
(後に改組により医学医療系臨床医学域精神医学
 講師)
2013年
医療法人社団ひのき会
証クリニック併設和漢診療研究所 所長(現任)
2016年
医療法人清風会 ホスピタル坂東 精神科 
入職 副院長

漢方への興味から医師になり、睡眠医療を目的に精神科の医局に入局。その後もへき地医療、病院運営、認知症の基礎調査と診療など多様な経験を積んできた久永明人氏。現在は茨城県西南部の病院で、培った力を総動員して精神科医療に従事する。10年後の地域医療のため、次世代を担う人材育成にも力を入れる久永氏に、多様な経歴の理由と今のやりがいについて聞いた。

リクルートドクターズキャリア7月号掲載

BEFORE 転職前

和漢診療の第一人者に学ぶため
富山県の大学に進学し
やがて認知症の診療が専門に

睡眠医療の興味を
満たせるのが精神科だった

ホスピタル坂東(茨城県)は、県内に2施設しかない精神科救急対応の病院の一つ。筑波大学や東京医科大学茨城医療センターの協力を得て、県西南部の精神科医療、認知症の診療等で重要な役割を担うのが同院精神科の久永明人氏だ。

「ただ、私が医師になったのは精神科ではなく漢方への興味から。富山医科薬科大学に入学したのも、同大学で漢方と西洋医学を統合する和漢診療部を設立された、寺澤捷年先生に師事するためでした」

こう話す久永氏は、日本の伝統的な漢方と現代西洋医学を相互補完的に構築した診療体系を寺澤氏に学んだことで、「一般診療に漢方診療を含めて考えるのは自然なこと」と確信。このため漢方だけを自分の専門領域とせず、医局はもう一つの興味の対象だった睡眠医療を扱う精神科を選択した。

その後は市中病院の精神科で診療や病棟管理を行い、同時に睡眠医療の研究も続けていたが、指導教員が大学を離れることになり、別のサブスペシャリティを検討する必要に迫られることになった。

人間が最期にかかる病気
認知症を新たなテーマに

このとき久永氏が着目したのが、自らも精神科で多くの患者を診てきた認知症だった。今後も患者は増え続けるが医学的に未解明の部分も多く、やるべき仕事は山積していると実感したからだ。

「認知症は人生の最期にかかる病気で、当時も今も効果的な治療法がなく、ケアが重要になります。医学と介護・福祉の連携も必要で、これからはそうした複雑な問題に取り組もうと考えたのです」

認知症を新たなテーマに決めた久永氏は、以前の指導教員から認知症を専門に診る新病院の院長に誘われるなど、不思議と人の縁で進むべき道が開かれたと言う。

「開院後は一人院長で認知症の診療と慣れない病院管理を行いました。最初は苦労の連続でしたが、併設の老健施設の施設長に就任した外科のベテラン医師に身体疾患の診療を学び、少しずつ手応えを感じられるように。また医療機器が不足気味だったことで、患者さんをじっくり診て所見をとるなど臨床での力も鍛えられました」

さらに開院して約1年後、近くにある市民病院への医師派遣を久永氏の母校が行うことになり、病院長には大学時代の恩師が就任。市民病院との連携が深まって、患者の紹介も容易になったと言う。

「このように人の縁に支えられ、ゼロからスタートした病院は開院6年ほどで軌道に乗りました。ところが私は体調が思わしくなく、代わりのいない一人院長を続けるのが難しい状況。へき地での診療が長く、専門医取得が中途半端だったこともあり、40歳過ぎていましたが大学での研究生活に復帰し、資格取得も目指しました」

40代で大学に戻って
研究と資格取得に励む

久永氏は弘前大学医学部の老年科学講座を経て、以前に師事した寺澤氏が在籍する千葉大学大学院の先端和漢診療学講座で診療・研究に従事。そして認知症研究の第一人者・朝田隆氏を知り、同氏のいる筑波大学大学院に移った。

「ここでは厚生労働省の科研費研究である『認知症の有病率調査』にも加わり、その立ち上げ、プロトコール決定、実際の調査などに携わりました。現在もこの結果をベースに認知症の治療・研究や政策決定がされており、重要な研究に貢献できたと自負しています」

加えて日本老年精神医学会、日本東洋医学会などの専門医も取得した久永氏は、50代を前に長く安定して続けられる職場や仕事のやり方を模索したと言う。

「まだ個人の漢方専門医として身を立てるにはニーズが少なく、もう一つの専門である認知症の診療に漢方を組み合わせる方が現実的でした。また私の体調が悪化した場合も考え、ある程度大きな組織で働く方が安心だったのです」

条件に合う転職先を探していたとき、筑波大学時代に非常勤で訪れていたホスピタル坂東の理事長から「茨城県西南部の医療危機を何とかしたい」と聞き、現職に就くことになったと久永氏は言う。

「自分の経験が地域医療に役立つと考えたこと、働きやすい環境だったことで転職先に決めました」

AFTER 転職後

10年後の地域医療を見据え
精神科救急や認知症ケアを
担う人材も育てていく

病院や大学との人脈も生かし
地域の精神科医療の充実を

久永氏が2016年に入職したホスピタル坂東は茨城県西南部、千葉県との県境にあり、埼玉県にも近い。茨城県は人口10万人当たりの医師数が全国最下位に近いが、この地域は県平均も下回る。

そうした中で県内の精神科救急を担う県立病院は県央部にあり、県西南部に精神科救急がなかった時代は、救急車で40分以上かけて患者を県央まで運んだという。

「医療危機が迫る中、私に期待された役割の一つが、身体科と精神科を持つ当院の強みを生かし、精神科診療・精神科救急を充実させることでした。これにより地域医療の利便性が高まり、県全域の患者が集中する県立病院の負担軽減にも役立つと考えています」

残念ながら県西南部の医療過疎問題はすぐには解決できないが、国や県の医療政策をもとに、県立病院・地域の基幹病院、筑波大学をはじめとする各大学、同院の全科救急と協力し、適切な地域医療を提供したいと久永氏は語る。

「幸い筑波大学で4年間講師を務めたおかげで、大学附属病院精神神経科の新井哲明教授、県立中央病院精神科の佐藤晋爾教授とは旧知の仲。県内の精神科医療の第一線にいる医師など、同じ目線で精神科医療を考える人たちと連携しやすく、当院の安定した診療を支えるつながりになっています」

日頃の病棟での会話から
認知症ケアを伝えていく

今後は認知症発症後のケアにも力を入れ、患者やその家族の話をじっくりと聞き、適切なケアプランを案内したいと久永氏。

「地域の福祉施設との連携も必要ですから、介護専門職とチームになってケアを行うのが目標です」

久永氏のもう一つの役割は後進の育成で、前述の認知症ケアもスタッフの充実なしに実現は難しい。このため同院看護部と協力し、認知症ケアに必要な教育を自ら講師になって教えていると言う。

「ただ私の場合はカンファレンスや勉強会で教えるより、自分が病棟を回る機会を重視します。現場のリーダーナースと『この患者さんにはどんなケアプランが適切なのか』を日頃から分かりやすい言葉で話し合い、具体的な症例をもとに認知症ケアの共通理解に必要な基礎を養ってほしいからです」

また若い医師などに認知症診療の基本を教えるときは、最重要項目がしっかり理解できるよう教え方にもメリハリをつけ、相手が相談をしやすい雰囲気づくりにも気をつかうと久永氏は笑う。

「当院で精神保健指定医を目指す医師も指導していますが、うれしいことに希望者は全員合格するなど手応えを感じています」

精神科や認知症の診療、へき地医療、病院管理といった実践経験に加え、筑波大学で講師を務めたことで精神科全般を教えられるのも自分の強みと話す久永氏。

「認知症を専門にしたいと考える若い医師は少数派ですが、今後も増え続ける認知症は高齢者のコモンディジーズの一つとなり、難しい症例以外はすべての精神科医が診る時代になるはず。認知症を専門に診療・研究する医師だけでなく、誰もがその基本を知るのは将来に役立つと思っています」

同院に入職して3年経ち、診療の時間帯や生活スタイルにも少し余裕ができたと振り返る久永氏。所属学会での役職も増え、地域での講演会など一般への情報発信に加えて、学会での情報収集・情報発信も活発になったと言う。

「私が転職先を探す際には、自分の能力が生かせるのはもちろん、健康も考慮して当直なしの勤務を希望しました。医師不足が深刻な地域で長く医療に貢献するには、無理せず働けることも重要。そうした環境が整った当院で、次世代を担う人材の育成に力を注げることに本当に満足しています」

2018年に行われた埼玉メンタルヘルス交流会での久永氏の講演風景。 画像

2018年に行われた埼玉メンタルヘルス交流会での久永氏の講演風景。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
高度な精神科医療と地域医療に貢献

重度の精神疾患も含め
心と体の両面から診療する

ホスピタル坂東は精神科救急病棟を持ち、精神科の救急患者の受け入れに加え、内科・整形外科・外科を中心とした身体科との連携で身体合併症の患者にも対応。精神科の認知症診療や身体科の一般診療は地域医療にも貢献する。

さらに法人として医療・介護に必要な施設を幅広く設置し、高齢者や精神疾患の患者と家族が安心して暮らせる環境を整えている。

院長の吉田正氏は、同院が精神科救急に対応したことで、重症患者も受け入れ、県西南部の精神科医療に貢献できていると言う。

現在のような高齢社会では身体合併症が増え、同院の社会的意義はより一層大きくなっていく。

「認知症でも身体合併症管理や骨折の手術、リハビリが受けられるなど、当院のように心と体の両面から診られる診療体制はますます重要になります。精神科だから、身体科だからと安易に線引きをせず、複合的な疾患を診るために努力する医師やスタッフの対応力も当院の強み。私も身体合併症の患者さんに消化器の内視鏡治療を行ったことが何度もあります」

そして同院の医師・スタッフの実力養成に多大な貢献をしているのが久永氏だと吉田氏は続ける。

「現在は精神科に5人の後期研修医が在籍して精神保健指定医を目指していますが、久永先生はその全員を担当。彼らの書いたレポートをすべて確認するなど、一人ひとりを丁寧に指導されています」

また久永氏の認知症診療の実績は地域でも広く知られ、医療や介護の関係者を対象に講演会も開いている。久永氏が書いた高齢者の認知症検査の診断書は、運転免許センターもその正確性や的確な分析を高く評価するほどだという。

そして吉田氏は消化器内科の地域の課題にアルコール依存症の多さを挙げ、軽度や依存症前の段階から早期介入を図りたいと語る。

「消化器内科で診るときにはアルコール性肝障害が重症化しているケースも多いので、精神科と協力して、依存症にならない飲み方の指導など事前で食い止める工夫ができればと考えています」

吉田 正氏

吉田 正
ホスピタル坂東 院長
1988年筑波大学医学専門学群卒業。大学病院のほか、主に県内の総合病院の内科・消化器内科で診療。ホスピタル坂東消化器内科医長に就任し、2017年から現職。日本消化器病学会消化器病専門医、日本消化器内視鏡学会消化器内視鏡専門医など。

ホスピタル坂東

同院は統合失調症や気分障害などの精神疾患や身体合併症を持つ患者、認知症の高齢者などに高度な医療とケアを行う。また法人全体では在宅医療に関わる医療・福祉施設、介護老人保健施設などのほか、精神疾患の患者を対象としたグループホームや生活訓練施設も持ち、病院を中心に幅広い医療・福祉サービスを提供している。こうした特色ある地域医療を行う同院は茨城県西南部でも貴重な存在だ。このため長期的な視野に立って健全な病院経営に向けた取組を継続。2016年にはREVIC(株式会社地域経済活性化支援機構)から支援を受け、その翌年には医療法人清風会となって、安定して医療を提供する環境を整えている。

ホスピタル坂東

正式名称 医療法人清風会 ホスピタル坂東
所在地 茨城県坂東市沓掛411
開設年 1962年
診療科目 内科、循環器内科、消化器内科、
神経内科、精神科、脳神経外科、
消化器外科・外科、整形外科、
歯科口腔外科、もの忘れ外来
病床数 470床
(一般70床、療養50床、精神350床)
常勤医師数 17人
非常勤医師数 37人
外来患者数 220人/日
入院患者数 350人/日
(2019年4月時点)