VOL.119

断らない救急医療を実践
他の診療科・病院との連携で
患者の暮らし全体を支えていく

相澤病院
救急科 宮内 直人氏(34歳)

大阪府出身

2012年
奈良県立医科大学医学部卒業
倉敷中央病院 初期臨床研修医
2014年
同院 救急科 後期臨床研修医
2017年
同院 救急科 専門修練医
2019年
相澤病院 救急科 医長

救急医療を目指して医学部に入学し、初期研修医での診療科のローテ以外は救命救急センターで患者を診てきた宮内直人氏。専門医取得を経て、自らの成長のため救急科が入院患者まで診られる病院に転職し、活躍の幅を広げている。「退院後の暮らしまで考えて対応するなど、地域に根ざした医療を行っている実感があります」と語る宮内氏の軌跡を追った。

リクルートドクターズキャリア3月号掲載

BEFORE 転職前

重傷患者の外科手術から
どんな患者でも診るER型へ
救急医療へのスタンスが変化

テレビドラマと実体験が
きっかけで救急医療の道へ

大学卒業以来、救急医療の道を歩んできた宮内直人氏は、初期臨床研修医を含め7年以上在籍した病院を離れ、現在は相澤病院(長野県)の救急科で活躍している。

宮内氏が救急医療を意識したのは、中学生のときに見た救命救急センターが舞台のテレビドラマ。

「命の瀬戸際にいる患者さんを救おうと尽力する医師の姿は、ドラマながら格好よかったですね」

その後、自身も事故で救急搬送を経験し、救急医療を担う医師になる決意を固めたと言う。

しかし、医学部の病院実習でさまざまな診療科を回るだけでなく、学外で地域医療の現場を見学する機会を得たり、臨床推論の勉強会で診断の面白さを実感したりする中で、救急医療に対するスタンスは変化してきたと宮内氏。

「当初は外科医として主に三次救急に携わるイメージでしたが、次第に病気・事故で患者さんの日常が突然崩れたとき、最初に対応するようなER型の救急医療を目指すようになっていきました」

多彩な経験を持つ医師と
働ける環境も魅力だった

初期研修先の検討のため、宮内氏はER型の救急医療を中心に、大学の高度救命救急センター、各診療科が協力して対応する三次救急、地域密着の二次救急など、卒業までに30近い病院を見学。

「その中でも、倉敷中央病院はER型の救命救急センターをちょうど立ち上げた時期で、地域医療や集中医療などバックグラウンドの異なる先生が救急科に集まっておられました。そうした先輩方の経験からも学びたいと考え、同院での初期研修を選択しました」

初期研修医の最初の頃は担当患者も少なく、症状は軽症や中等症が中心。ほかの医師の診療を見学して勉強したと宮内氏。一方で、患者を診る時間が長めにとれ、生活背景や考え方を知り、一人ひとりに寄り添う医療を意識できたのはいい経験になったと振り返る。

後期研修医になると救急科に配属され、重症患者への対応も経験を積むうちに任されるようになって、自分にできることが徐々に増えていく実感があったと言う。

「ただ、入職時に救命救急センターのセンター長からは『救急医療は10年以上経ってからが一人前』と助言を受けていたので、当時は半人前よりも未熟な立場と考えていました。それだけに一度起こしたミスは繰り返さないよう、どう対処すればよかったのかの振り返りを行い、それを同期や後輩と共有するなど、レベルアップのための努力を常に心がけてきました」

成長する実感が得にくくなり
新たな環境への転職を決意

同院での診療も5年近くになると、救急科で診るようなコモンな疾患への対応は身につき、さほど考えずとも治療ができるようになっていったと宮内氏は話す。

「もちろん手順通りに治療を行うことは安定した成果につながります。しかし、それによって体が覚えた手技を繰り返す時間が増え、患者さん一人ひとりの印象が薄まるなど、自分が成長している実感も得にくくなっていました」

また、同院では救急外来での治療後、入院が必要な場合は各診療科で患者を診てもらうため、自身には入院患者管理の経験が乏しい点も不安だったとも言う。

「私は患者さんを包括的に診る地域医療の一つとしてERを選んだので、将来は別の分野に移るかもしれません。そうしたときにERだけの経験しかないのでは選択肢が狭くなると考えました」

同院で日本救急医学会救急科専門医を取得するまでを一つの区切りとし、宮内氏は入職して7年目に転職先を探し始めた。

「まだER型の救急医療から離れる気はなかったので、気になった病院のホームページをチェックして、ER型の救命救急センターを持ち、入院した患者さんの管理もできるところを探しました」

そうした条件に合った病院の一つが相澤病院で、宮内氏は病院を見学して、救急科の医師や看護師、スタッフが連携し、イキイキと働く姿に好感を持ったと言う。

「山岳地帯での事故など地域特有の疾患・けがも診られ、新たな知見が身につく期待もあって、相澤病院への転職を決めました」

AFTER 転職後

高齢の患者も多いため
退院した後の暮らしも考え
救急の立場で地域医療に尽力

救急患者を退院まで診る
診療体制にひかれた

相澤病院は病床460床のうち410床を一般病床に充て、ICU、HCU、SCUも備える急性期病院。長野県松本市やその周辺の医療の要となり、すべての救急患者を受け入れる「断らない救急医療」をモットーとして、24時間365日の対応を行っている。

入職した当時、宮内氏は救急科全員が誇りを持って救急医療に取り組んでいるのを感じたと話す一方で、「最初のうちは、どんな患者さんも断らずに対応するやり方に苦慮した」と打ち明ける。

「以前在籍した病院でも救急は断らないのが基本。ただし病床の空きなど体制が整っていることが前提でした。しかし相澤病院では、患者さんの引き受けを優先し、そのために内部をどう調整するかという考え方で戸惑いました」

また、一般的にER型の救急医療では初期治療後に入院する場合は各診療科の医師が担当を引き継ぐ。しかし、同院では集中治療が必要なケースなどは、救急科のチームがそのまま患者が退院するまで担当を続けていくのが特徴。

「救急外来の仕事を継続しながら入院業務もできることも当院を選んだ理由の一つでしたから、ERで育った私が退院まで見据えたケアを改めて学ぶ機会になりました」

患者ごとの生活状況の違いを
踏まえて治療を行う

さらに地域には80代、90代で一人暮らしの住民は多く、そうした高齢者が誤嚥性肺炎や感染症などで緊急入院した場合、治療後の自宅での暮らしにも配慮して退院を考えるようになったと宮内氏。

「前職のときは周囲の回復期や慢性期の病院に患者さんを送れば、そこの先生方が何とかしてくれましたが、松本市では受け入れ先を探すのが難しいときもあります。このため、退院後のサポートや施設への入所の検討など、患者さんの生活状況を踏まえた対応も必要で、救急の立場から地域医療に携わっていると実感します」

以前の職場で、救急科から他の診療科にコンサルトする中で身についた幅広い知識、多くの症例を診た経験で得た手技などは、現在も役立っていると話す宮内氏。

「当院に移ってからは、習得した知識や手技をもとに、気持ちにゆとりを持って診療ができるようになりました。重症の患者さんの数やスタッフの協力度合いなど、昔と環境は違いますが、自分自身も多少は成長したと思います」

自身のブラッシュアップや
余暇を楽しむ時間も作れる

救急科の診療は2交代制で、基本的に9時から17時30分までの日中勤務が週3回、17時30分から翌朝9時までの夜勤が週1回。夜勤は2日分とカウントされるため、週5日の勤務形態だ。

「日勤は受け持ち患者さんがいれば病棟を診て、その後に救急科で外来を担当。研修医のサポートも行っています。夜勤は病棟業務がなく、それ以外は日勤とほとんど同じです。朝のカンファレンスや勤務時間後の研修医指導もあり、毎日が定時とは限りません。それでも診療に必要な勉強など自分をブラッシュアップする時間も作れ、ある程度余裕の持てる毎日を送れるようになりました」

現在のようなコロナ禍の前は、一泊二日程度の旅行によく出かけたと言い、松本市周辺の豊かな自然も楽しんでいるようだ。

「私にとって初めての転職でしたが、仕事の面でもプライベートの面でも非常に充実しています。もし自分が置かれた環境に満足していない、将来に関して迷っているといった状況なら、不安のある中でも、新たな世界に一歩踏み出すことも大切です。踏み出した先で『何か違う』と感じても、挽回の機会はきっとありますから」

ERでトリアージの状況を確認する宮内氏 画像

ERでトリアージの状況を確認する宮内氏

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
救急医療を核に地域完結型医療を提供

陽子線、ガンマナイフなど
がんの放射線治療も充実

同院は「ERを入り口とする相澤型救急医療を充実・発展させ、住民が安心して暮らせる地域を創る」をミッションの一つに掲げ、北米型ERによる救急医療を提供。さらに長野県初の地域医療支援病院となり、初期治療を行う医療機関と密接に連携し、松本市および周辺地域の医療を支えている。

院長の田内氏は、「地域完結型の医療を行うには高度ながん治療の導入も欠かせない」とし、部位ごとの外科治療、化学療法に加え、放射線治療の充実を図ってきた。

「当院は松本市内で唯一、陽子線治療、IMRT(強度変調放射線治療)、ガンマナイフによる治療のすべてが可能で、大学病院とも協力して治療にあたっています」

また、2020年に地域災害拠点病院に指定され、災害発生時の重症・重傷患者の受け入れなど災害医療の中心的な役割も担う。

このように急性期医療に特化してきた病院が、50床を回復期リハ病棟に変更した理由について、田内氏は以下のように語る。

「以前は当院で治療を終えた方は、近隣の病院に回復期をお願いしていましたが、高齢化などで回復期リハが必要なケースが急増したため、院内に病床を設けたのです」

結果として急性期リハから回復期リハまで切れ目なく実施でき、急性期病床での在院日数・総在院日数ともに減少。患者のQOL向上にも寄与することになった。

同院救急科で活躍する宮内氏について、田内氏は「救急医療の経験が豊富な宮内先生の入職で、同科の対応力や職員のモチベーションが高まった」と評価する。

「宮内先生が以前の病院で培ったノウハウをもとに、当院の救急医療の現場を改善するアイデアも多く提案いただいています」

田内氏が今後の課題と話すのは、同院の医療の原点ともいえる「患者への優しさ、いたわる心」を全職員に行き渡らせることだ。

「これは抽象論ではなく、欧米で普及している『患者経験(Patient Experience)』の概念をもとに具体的な行動指標を共有し、それが実践できるよう取り組んでいます」

田内 克典氏

田内 克典
相澤病院 院長
1983年富山医科薬科大学医学部(現 富山大学医学部)卒業。1991年同大学大学院医学研究科修了。1983年同大学医学部第二外科入局。同大学附属病院(現 富山大学附属病院)医員。同大学医学部第二外科助手、講師を歴任し、2001年に相澤病院消化器外科統括医長。院長補佐、副院長を経て2017年より現職。日本外科学会外科専門医・指導医、日本消化器外科学会消化器外科専門医・指導医ほか。

相澤病院

創業110年超の社会医療法人財団 慈泉会は、救急医療を核とする急性期病院の相澤病院を中心に、地域医療に貢献してきた。2014年、相澤病院内に回復期リハ病棟を設け、2016年には地域包括ケア病棟のみの相澤東病院を開設。健診施設や在宅サービス、サ高住など、地域に根ざした医療・介護サービスも幅広く展開する。他の医療機関等との密接な連携により、地域の安心を支えることを目指している。

相澤病院

正式名称 社会医療法人財団 慈泉会 相澤病院
所在地 長野県松本市本庄2-5-1
開設年 1952年
診療科目 内科、呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、
脳神経内科、人工透析内科、腎臓内科、疼痛緩和内科、
糖尿病内科、内視鏡内科、外科、気管食道外科、呼吸器外科、
形成外科、歯科口腔外科、消化器外科、小児外科、心臓血管外科、
整形外科、脳神経外科、乳腺外科、眼科、救急科、産婦人科、
耳鼻いんこう科、腫瘍精神科、小児科、精神科、泌尿器科、
病理診断科、放射線診断科、放射線治療科、皮膚科、麻酔科、
リウマチ科、リハビリテーション科、臨床検査科
病床数 460床(一般410床、回復期リハビリテー ション50床)
常勤医師数 148人
非常勤医師数 102人
外来患者数 722人/日(2020年平均値)
入院患者数 380人/日(2020年平均値)
(2020年12月1日時点)