VOL.91

目の前の患者を救うやりがいと
家族と過ごせる時間の両方を
救急医療の最前線で手に入れた

総合大雄会病院
救命救急センター 竹村元太氏(34歳)

愛知県出身

2011年
愛知医科大学医学部卒業
津島市民病院 初期臨床研修医
2013年
JA愛知厚生連 豊田厚生病院 外科
2014年
同院 心臓外科
名古屋大学医学部胸部外科(現 心臓外科) 入局
2016年
総合大雄会病院 救命救急センター 入職

転職のきっかけは体力・気力を使い切るストレスフルな生活から抜け出し、家族との暮らしを大切にしたかったから。心臓外科から救命救急センターへとキャリアチェンジした竹村元太氏の願いはストレートだ。しかしそうした前職の経験も決して無駄ではなく、すべては現在につながっているという。救急医療でのやりがいと家族との時間を両立させた竹村氏に今の思いを聞いた。

リクルートドクターズキャリア11月号掲載

BEFORE 転職前

翌日午前4時まで続いた手術
厳しさと同時に充実していた
心臓外科を専門に選んだ

臨床実習で偶然知った
心臓外科に興味を持った

ほぼ定刻に出勤し、三次救急も含む救急医療に従事した後、予定通りに帰宅。2016年に総合大雄会病院(愛知県)の救命救急センターに移った竹村元太氏は、無理を重ねた以前とは仕事のやり方も暮らしも一変したと笑う。

「前職は心臓外科医で、24時間ずっと携帯が鳴るのを気にするような毎日。そのときに比べてストレスは大幅に減りましたね」

医師を目指したのは父親の影響だと竹村氏。内科が専門で、開業医として地域で総合診療的な役割も担う姿を見てきたことから、医療に興味を持ったという。

「近所の方や親戚からも当然医師になると思われていたようで、半ば無意識に選んでいました。ただ、父は漢方専門で主に生薬を使った治療が特徴。そんな大変なやり方の医院を継ぐのはさすがに遠慮したくて(笑)、卒業後は勤務医になろうと考えていました」

医学部に進学した竹村氏は部活でバレーボールも始め、朝から夜まで忙しい日々を送った後、5・6年生で病院の臨床実習を経験。このとき実習した診療科が卒業後の進路の決め手になったという。

「当時のローテ先の一つに心臓外科があり、午前9時から始めた手術が翌朝4時頃までかかるなど非常に厳しい現場でしたが、それだけ強く記憶に残っていたんです」

きつい、苦しいと訴える患者を
手術で救うのがやりがい

卒業後の初期臨床研修先は400床超の中規模病院で、比較的自由度の高い実習ができそうに思えたのが選んだ理由だった。そこでも外科系、特に循環器を意識して研修を受けたと竹村氏はいう。

研修後は病床数600床の総合病院に心臓外科を前提に入職。まず外科の基礎を学ぶため外科へ入り、1年後には同院の心臓外科に異動し、同時にその病院と縁の深い大学の胸部外科に入局した。

「手術で患者さんの容体が劇的に変わるのが心臓外科の醍醐味で、いわば結果がはっきり見える仕事です。少し動くと体がきつい、胸が苦しいとつらそうにしていた患者さんが、手術後はとても楽になったと笑顔で話される様子を見ると、やってよかったと感じますね」

小児以外の手術はほとんど担当でき、循環管理の経験も得られるなど、同院での診療は充実していたと竹村氏。しかし同科は常に人員不足で、やりがいはあるが、疲れとストレスはたまるばかりだった。

「もともと心臓外科の常勤医は私を含め3人でしたが、1人は院長に昇格されて実質2人体制。非常勤の先生に手伝っていただくとはいえ、この人員で365日手術を行い、当直もして救急に備えるのは大変でした。数日間帰宅できないこともよくありましたから」

このとき竹村氏はすでに結婚しており、妻には「好きな仕事に精一杯打ち込んでほしい」と応援してもらっていたが、子どもが生まれたことで、自らの仕事を見直したいと感じたのだという。

「子どもの寝顔しか見られない毎日より、一緒に遊べる時間がほしい。そのために時間通りに終わる職場に移ろうと決めました」

竹村氏がキャリアチェンジ先として考えたのは救急医療。24時間対応の救命救急センターでも、シフト制なら勤務時間は明確だ。

「それに目の前にいる重症の患者さんの命を救うという、心臓外科に通じるやりがいを感じられるのも救急にこだわった理由です」

時間通りに終わることや
人との縁などで転職先を決定

紹介会社を利用して、三次救急まで対応、決まった時刻に診療が終わるといった条件にマッチした病院を提示してもらい、面談へ。その中から竹村氏が最終的に選んだのが総合大雄会病院だった。

「院内は明るく仕事がしやすそうな雰囲気で、面談でも救急に力を入れていることが伝わってきました。それに私の母校とも縁が深く、大学の先輩も多く在籍されている点も親しみ易かったですね」

加えて竹村氏の大学時代、豊富な経験を生かして救急医療を教えていた井上保介氏(当時は特任教授)が同時期に入職すると聞き、そこにも縁を感じたという。

「大学で教えを請うた先生とほぼ一緒に入職するなんて、巡り合わせとは不思議なものです」

AFTER 転職後

救急専任の医師として入職
循環管理など前職で得た
知識や技術も生かせる仕事

患者は重症から軽症まで
救急は特別な分野ではない

地域医療の中核病院として多様な診療科を持ち、救急医療や予防医療の充実などでも知られる同院で、竹村氏は24時間365日対応の救命救急センターに所属。井上氏とともに救急専任の医師として、他の診療科や非常勤医の協力も得ながら診療に当たっている。

同センターは救急車で搬送された患者が対象で、ウォークインの場合はまず内科が担当。高齢者は肺炎や骨折などが多く、同院の脳卒中センター、心臓血管センターと協力して脳血管疾患や循環器疾患の救急対応も行うという。

「救急専任は当院に入職してからですが、さほど不安はありませんでしたね。以前の病院でも当直で救急の患者さんを診ていますし、そもそも私は救急が特別とは考えていないんです。もちろん重症の方を診るときは命を救う手応えも十分に感じられます。ただ、それ以外は診断後にすぐ歩いて帰れる方も多いですし、一般の診療とさほど変わらないでしょう」

同院に来る救急車の台数は平均で1日10台超。うち専門の医師に引き継ぐ必要がある患者は1、2人ほどだと竹村氏はいう。

「そういう仕組みとはいえ、快く引き継いでもらうには普段のコミュニケーションも大切で、『どうなりましたか』と声をかけるようにしています。患者さんの容体も気になるときは病棟まで見に行きますね。当院のような中規模病院は関連部署の医師やスタッフの顔はおおむね把握でき、良好な関係をつくるにもちょうどいい規模だと感じています」

救急に加え心臓外科の経験を
生かす機会も増えた

今後は同センターに救急専任の医師やスタッフの増員も考えられており、人員に余裕ができればドクターカーの導入も検討に上るだろうと竹村氏は期待している。

「理想をいえばあと2人ほど入ってもらうと、ドクターカーで現地に医師を出しても大丈夫な体制になると考えています。救急の患者さんをより早く診ることで、治療の選択肢が広がるでしょう」

このほか救急に限らず、竹村氏が通常の心臓外科の手術などに参加する機会も増えているそうだ。同センターに井上氏など医師が待機しているとき、手術のタイミングが合えばといった条件付だが、他の診療科に手伝ってもらうことが多い救急だけに、こちらも進んで協力したいと竹村氏はいう。

「私は心臓外科が嫌で救急に移ったのではありませんし、これまで培った専門の知識・技術をもっと活用できたら面白いですね」

帰宅後も緊張が続いた前職
今は安心して家族と過ごせる

仕事はもちろん転職後は暮らしも変わった。特にストレスから解放されたのが大きいと竹村氏。

「以前は病院からの呼び出しに備えて家でも携帯を持ち歩き、寝るときは枕元に置いていました。常に着信音を意識する感じでずっと緊張が続いていたんです」

家族との旅行も泊まりがけは避けて、ほとんどが日帰り。趣味で続けていた仲間うちのバレーボールも、呼び出しのたびに練習や試合を抜けていたという。

「今は本当に落ち着いて家族との時間を過ごしています。旅行も久しぶりに何泊かしましたし、バレーも思う存分楽しめています」

だからといって当時を悔やんではいないと竹村氏。大学での臨床実習、卒業後の初期臨床研修、心臓外科医の道を選んだこと、そこで得た循環管理のノウハウなど、これまでの経験がすべて積み重なっていると思えるからだ。

「どれも遠回りではなく、キャリアチェンジ後も余分と思える経験はありません。すべてがつながって今があると実感しています」

救急車で搬送された患者を受け入れ、救急初療室(ER)へと急ぐ竹村氏と救急スタッフ。 画像

救急車で搬送された患者を受け入れ、救急初療室(ER)へと急ぐ竹村氏と救急スタッフ。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
救急医療を地域の患者の窓口に

救急プラスαの専門性を
生かす体制づくりを急ぐ

同院は愛知県尾張西部医療圏のほぼ中央に位置し、脳卒中の専門治療を行う脳卒中センター、心筋梗塞などの循環器疾患に対応する心臓血管センターのほか、多様な診療科で急性期医療に貢献。

その中でも救命救急センターは24時間体制で三次救急を提供し、加えて当番制で二次救急も担っているため、重症から軽症まで幅広い患者をカバーするのが特徴だ。

院内には同センターが重症患者の初期治療を行う救急初療室(ER)、集中治療科が主に利用する(ICU・HCU)があり、状況に応じて患者の引き継ぎを行う。

「救急で必要な措置を済ませた患者さんをすぐ専門の医師に託せるのも、当院の各診療科での急性期医療が充実しているからこそ」

同院副院長で同センターの主要医師でもある井上保介氏は、そうしたやり取りをスムーズに行うには普段から院内のコミュニケーションが欠かせないと強調する。

「その点で竹村先生は救急医療に対する熱意と技術に加え、周囲と協力して物事を進める力に長けているのが頼もしいですね。同じ大学の後輩なのですが、こんな逸材が隠れていたとは驚きました」

近隣の患者が困ったとき、いつでも頼れる窓口となることも救急の重要な役割。同院を受診してよかったと思われる対応の積み重ねで、「地域のかかりつけは大雄会」という昔からのイメージをさらに強固にしたいと井上氏はいう。

一方で同センターでは救急専任の医師であっても、本人の希望次第で他分野での診療もできるよう体制づくりを急いでいるそうだ。

「これまで培った専門知識・技術を十分に生かせないままというのはもったいない話。また救急以外に新たな分野にチャレンジしたい人もいるはずです。救急8割、他分野2割ほどを目安に、医師一人ひとりが好きなことに取り組める環境を目指したいのです」

そのためにも同センター配属の医師を増やしたいと井上氏。余裕ができればドクターカーの導入、詳細な症例検討会にも取り組みたいと将来の展望を熱く語った。

井上保介氏

井上保介
総合大雄会病院 副院長
1984年愛知医科大学医学部卒業。同大学附属病院(現 愛知医科大学病院)での初期臨床研修後、同院および愛知県内の関連病院の麻酔科に従事。同院救命救急センター(現 高度救命救急センター)在籍時、ドクターヘリ導入のためシアトル市(アメリカ)の病院で研修に参加。同大学医学部地域救急医療学寄附講座教授(特任)を経て、2016年に総合大雄会病院救命救急センター入職。同時に現職に着任。日本救急医学会救急科専門医など。

総合大雄会病院

同院の母体となる大雄会は1924年開設の岩田医院に始まり、国産初の医療用X線装置を全国に先駆けて導入するなど、進取の精神のもと地域医療および先進的医療に取り組んできた。現在は4つの医療施設、5つの介護施設などを有する社会医療法人へと成長。中でも同院は愛知県の地域医療支援病院として近隣の医療機関と連携し、尾張西部医療圏における地域完結型医療の実現に重要な役割を果たしている。

総合大雄会病院

正式名称 社会医療法人 大雄会
総合大雄会病院
所在地 愛知県一宮市桜1-9-9
設立年 1924年
診療科目 内科、循環器内科、消化器内科、
呼吸器内科、内分泌・糖尿病内科、
血液内科、神経内科、外科、消化器外科、
呼吸器外科、乳腺外科、心臓血管外科、
脳神経外科、整形外科、泌尿器科、
産婦人科、小児科、耳鼻いんこう科、眼科、
皮膚科、形成外科、リハビリテーション科、
精神科、心療内科、救急科(救急救命科)、
麻酔科、放射線科、歯科、歯科口腔外科、
病理診断科
病床数 379床(うちICU8床)
常勤医師数 115人
非常勤医師数 60人
外来患者数 延べ603人/日
入院患者数 延べ305人/日
(2018年8月末時点)