VOL.88

外来、入院、訪問診療と
一人の患者を最期まで診ていく
理想の地域医療が実現できた

共立病院
内科 重成憲爾氏(42歳)

香川県出身

2004年
金沢大学医学部(現 医薬保健学域医学類)卒業
福井県済生会病院 初期臨床研修医
2006年
福井県済生会病院 放射線科 後期臨床研修医
2008年
姫路医療生活協同組合 共立病院 内科 入職

総合診療へと進む準備の一つとして放射線科医になり、30歳を機に地域医療で活躍するかかりつけ医・家庭医にキャリアチェンジした重成憲爾氏。医学部への進学を決めても、初期研修を経て専門分野を選んでも、ずっと先が見えずに不安だったという重成氏だが、改めて振り返るとその経歴は「患者を総合的に診たい」という強い思いに貫かれていた。

リクルートドクターズキャリア8月号掲載

BEFORE 転職前

大学で実感した総合診療の魅力
その分野に進む準備として
患者の全身を診る放射線科医に

医師になろうと決めたが
その先は見えず不安だった

進路選択とはさまざまな可能性を切り捨て、一つの道に絞り込むことではなく、無限に広がる新たな世界の扉を開く体験だ。

大規模な総合病院の放射線科医から転身し、姫路医療生活協同組合 共立病院(兵庫県)でかかりつけ医として活躍する重成憲爾氏は、キャリアチェンジ後10年を経てそう感じているという。

「といっても高校時代に医学部受験を決めたときは、将来を狭めるようなイメージが強く、自分の道がやっと決まった安心感より、先に何があるのかわからない不安で落ち着きませんでしたね」

重成氏が医師に興味を持ったのは、地域に根ざした診療を行っていた父親を見て育ったため。ただ中学校・高校と進むにつれ、工学部でエンジニアになりたいなど医師以外にも夢は広がっていった。

「そうしたいくつもの選択肢から、一番なじみのある医学部を選びましたが、まだ地域医療を目指すと決めた訳ではありませんでした」

重成氏は国立大学医学部の中でも伝統ある金沢大学に進学。生まれ故郷の香川県を離れ、北陸の地で約10年過ごすことになった。

総合診療に興味を持ち
他大学も見て理解を深めた

医学部の6年間で、重成氏が特に関心を寄せたのが総合診療の分野だった。これには多様な症状・年齢の患者を診ていた開業医の父親の影響もあったようだ。

「残念ながら当時の金沢大学は、総合診療にそこまで力を入れていない印象でした。そこで私は6年生の基礎配属で公衆衛生学教室に入り、研究テーマを『医学教育の研究』と定め、研究調査の名目で総合診療部が有名な大学病院を見学して回ったのです(笑)」

診療科別でなく横断的に患者を診る総合診療の現場に触れ、いずれ経験を積んだ後にはこの分野を目指したいと感じた重成氏だったが、卒業した2004年は現在も続く新医師臨床研修制度が始まった年。このため金沢大学医学部の関連病院の一つ、福井県済生会病院で初期臨床研修医となった。

「スーパーローテーションで各診療科を経験できるのは、幅広く患者さんを診たい私にとって願ってもない環境でしたね。ただ、2年後にどれか一つに絞らなくてはと思ってみても、自分が循環器内科でカテーテルを扱ったり、消化器内科で内視鏡検査を行ったりするイメージにどうもなじめず、専門分野を決められずにいました」

患者を総合的に診るため
放射線科医として経験を積む

その後、重成氏は熟考の末、放射線科なら患者の全身を診ることができ、多くの診療科とも接点が持てるなどの特徴に着目し、金沢大学の放射線医学の医局に入局。初期臨床研修と同じ福井県済生会病院で、放射線科の後期臨床研修医になることを決めた。

「当時の放射線科には、院内に100人近くいた医師から毎日X線画像診断や超音波検査の依頼が送られてきました。頭部、胸部、腹部と多様な部位の検査結果を報告書にまとめて、依頼した医師になるべく早く戻すのですから非常に勉強になりましたね」

また報告書では放射線科独自の用語は使わず、どの診療科にも共通する標準的な書き方を先輩医師に指導されるなど、相手に伝える力の大切さも実感したという。

さらに放射線科の経験が浅くても判断できるコモンなものから、同科の医師が集まって検討する難しい症例まで、短期間で多くの経験を積み、次第に画像を見渡すだけで「この辺がおかしい」と気づくことも増えたと重成氏。

「放射線専門の医師ならまだまだというレベルでしょうが、総合診療に進む準備としては十分と私は考え、次は患者さんを直接診たいと思うようになったのです」

後期研修医2年目の後半、転職先候補をネットで探していた重成氏の目にとまったのが、現在の勤務先となる共立病院だった。

「地域のかかりつけ医として内科で総合診療に取り組み、自宅への訪問診療まで行うなど、患者さんをトータルに診たいと考えていた私にぴったりでした」

重成氏はメールで応募し、幾度かの面談を経て2008年から同院に入職。兵庫県に居を移した。

AFTER 転職後

生活習慣病も末期がんも対象に
地域に必要な医療を提供し
患者を総合的に診る内科医に

10年、20年と同じ地域で
同じ患者をずっと診ていける

共立病院はJR姫路駅から車で20分ほど、戸建て住宅や団地が並ぶ住宅地にある。

重成氏は後期臨床研修の3年目に入職し、「兵庫民医連家庭医療後期研修プログラム 姫路コース」を受け、指導医のもとで内科医として患者を診ながら、日本プライマリ・ケア連合学会家庭医療専門医も取得した。

今年で入職11年目と一つの節目を超えた重成氏は、外来診療から入院対応、近隣の患者宅や施設への訪問診療まで幅広く経験できるのが同院の魅力と振り返る。

「最初は外来で診ていた患者さんも、容体が悪くなって入院が増え、やがて在宅医療へ。このように患者さんと同じ時間を過ごし、看取りまで担当できるのが地域医療の醍醐味だと感じています」

そう語る重成氏だが、入職してすぐは病気に限らず生活や仕事のことも含め家族全体の多様な問題を抽出して対処する、家庭医の守備範囲の広さに驚いたという。

「今思えばご家族とも十分相談し、家庭ごとに望ましい医療や福祉サービスを実現させるのが、家庭医の役割だと感じています」

訪問診療では患者や家族への
敬意とけじめも大切にする

同院は1人の医師が外来・入院の診療と訪問診療の両方を担当するため、院内での診療日、訪問診療の日を曜日で振り分けている。重成氏の場合、現在は週3日が訪問診療の担当日となっている。

「私が1日に回る患者さん宅は10軒から15軒ほどで、通常は看護師が同行するので診療に集中できます。一般的な慢性疾患で、患者さんの症状が安定していれば簡単な検査と世間話などで終わることがほとんど。逆にがんの末期で体も衰弱した状態なら、容体の急変などで訪問の機会は増えますね」

そして患者がどのような容体であっても、重成氏は訪問の際には次のことを忘れないという。

「私たちは患者さんやご家族のプライベート空間に入り込む部外者ですから、たとえ寝たきりであっても患者さんと同じ目線になるようしゃがみ、目を合わせてご挨拶するなどけじめを大切にします。またその方をお呼びするときは名前、あるいは『ご主人』など家庭内での役割を踏まえた呼び方にすると、気持ちの面から元気になってくれる気がしますね」

看取りでは家族の努力も重要だが、患者本人が一番頑張っているのだから、最期まで敬意を持って接しなくてはいけないと重成氏。

「そうやって患者さんといい関係を築けると、看取りの後でご家族に『最期まで在宅でよかった』と思っていただけるようです」

姫路に来てプライベートも充実
子育てにもいい環境だった

30歳にしてなじみ深い金沢や福井から姫路へと移り、仕事も生活環境も大きく変えて再スタートを切った重成氏。当時は何の不安もなかったのだろうか?

「私も妻も実家は香川なので、姫路からは車で2時間ほどの距離。子育てや親のことなどを考えるとかえって都合がよかったのです」

また病院もそれほど忙しくなく休日ものんびりできるため、こちらに引っ越してロードバイクが趣味になったという重成氏。生活面でも充実しているようだ。

「キャリアチェンジで方向転換というと、それまでの可能性を切り捨て、より狭い世界に入るように思われるかもしれません。私も以前はそう考えていましたが、今なら『選んだ後の世界はそれまで以上の可能性に満ちている』と断言できます。私は訪問診療を中心とした地域医療でそれを実感しました。新たな道を選ぶことは自分の将来を絞るのではなく、無限の可能性を開くことなんです」

重成氏と同行した看護師による訪問診療の様子。 画像

重成氏と同行した看護師による訪問診療の様子。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
姫路市東部の地域包括ケアを支える

訪問診療を最重視し
地域で高齢者を診る体制に

海沿いの工業地帯から平野部の市街地、山間部へと広がる姫路市。その東部の地域包括ケアシステムの要となるのが同院の役目と、院長の西村哲範氏は言い切る。

「たとえ医療依存度が高く入院が必要な患者さんでも、本人とご家族の希望があれば訪問診療や各種介護サービスを活用して在宅療養に移行し、地域との結びつきを感じながら命をまっとうしていただく。そんな地域全体で支える医療を主導したいと考えています」

このため同院では訪問診療を最重視し、病床44床のうち32床を地域包括ケア病床に当てるなど病院と地域との連携を強化。急な容体の変化によって近隣の医療機関から紹介された患者を入院で対応し、必要なら高度医療を担う中核病院に送るなど、地域医療のハブ的な役割も担っている。

さらに母体である姫路医療生活協同組合が持つ訪問看護、訪問介護のほか多様な福祉施設とも協力し、地域が求める支援を多面的に行う病院でありたいと話す。

「当院の開設は30年以上も前で、いずれ施設は大幅なリニューアルが必要になります。ただそのときも規模の拡大に走らず、当院の強みを生かして在宅医療支援を充実させる形になるでしょう」

また、今や同院で訪問診療の主要な担い手となった重成氏に対し、入職前の情報提供や面談などを担当したのも西村氏だ。

「当時の重成先生は放射線科医で臨床から離れていましたが、診療に必要な基礎能力やコミュニケーション能力は備わっているとわかり、受け入れに不安はなかったですね。入職後は臨床経験を積み、家庭医療専門医も取得するなど期待以上に活躍されています」

同院のある姫路市は、中心部の住宅密集地には高齢者だけの世帯も目立つが、郊外は親子や三世代で同居する家族も多く、各家庭の介護力に応じて訪問診療にも工夫ができるなど、医療面でも多様性に富む面白い地域だと西村氏。

「もちろん生活面も、街あり海あり山ありと楽しみは多く、仕事も遊びも充実すると思いますよ」

西村哲範氏

西村哲範
共立病院 院長
1988年岡山大学医学部卒業。神戸医療生活協同組合 神戸協同病院、尼崎医療生協病院を経て、1990年から姫路医療生活協同組合 共立病院で研修医。北海道勤医協中央病院での診療後、1993年に姫路医療生活協同組合 共立病院入職。2009年から現職。姫路市の認知症初期集中支援チームの一員として、地域の高齢者医療にも尽力している。

共立病院

同院は内科での総合診療的な取り組みを中心に、かかりつけ医・家庭医の役割を担っている。加えて循環器、消化器、呼吸器の各専門分野に詳しい医師をそろえ、急性疾患にも対応。地域包括ケアシステムを支える病院として、外来、入院、訪問診療、デイケアまで手がけている。中でも訪問診療は5人の常勤医から数名ずつ毎日交代で、6人の非常勤医は担当する曜日ごとに、近隣の患者宅を訪問するなど強化。24時間365日対応の体制を整える一方、夜間や休日の電話は担当看護師が受けた上で、必要なら当番医師が往診するなどワークライフバランスの向上にも力を入れる。

共立病院

正式名称 姫路医療生活協同組合 共立病院
所在地 兵庫県姫路市市川台3-12
設立年 1983年
診療科目 内科、循環器内科、消化器内科、
呼吸器内科、リハビリテーション科
病床数 44床
(一般12床、地域包括ケア病床32床)
常勤医師数 5人
非常勤医師数 13人
外来患者数 129.8人/日
入院患者数 35.5人/日
訪問診療患者数 40.4人/日
(2018年5月時点)