VOL.60

「官」から「民」への転職。
外科医としてのスキルを磨き、
科の立ち上げや再構築にも関わる

白岡中央総合病院
外科部長 森田 大作氏(47歳)

東京都出身

1994年
防衛医科大学校卒業。同大学校病院初期研修
1996年
自衛隊中央病院 外科
1998年
防衛医科大学校病院 外科
2000年
自衛隊大湊病院 外科
2001年
防衛医科大学校医学研究科(病理学専攻)
2004年
米国留学(13ヵ月)
2005年
海上自衛隊掃海隊群司令部 医務長
2006年
海上自衛隊第1術科学校 衛生課長 
2007年
自衛隊中央病院 外科
2009年
大宮総合病院(現・さいたま北部医療センター)
外科部長
2015年
白岡中央総合病院 外科部長

防衛医科大学校出身の森田大作氏は、9年間の義務年限を終了して米国留学。その後、しばらくは自衛隊の医官として勤務していたが、先輩医師の誘いで一般病院に転職した。長きにわたって公的な任務を担っていた森田氏にとって、環境の変化に不安もあった。しかし、いざキャリアチェンジをしてみると、そこには新たなやりがいが待っていた。

リクルートドクターズキャリア4月号掲載

BEFORE 転職前

大学の先輩医師から
「一緒に外科を立ち上げよう」
と誘われ、転職を決意

人を診たいから臨床を、結果がはっきり出るから外科を

「子どもの頃、手塚治虫の『ブラック・ジャック』を読んでカッコいいと思ったのが、今思えば外科医へのスタート地点でした。以来、頭の片隅にいつも医療という選択肢がありましたが、人を対象とする学問をしたいとはっきり思ったのは、高校生の時です」

と語るのは、白岡中央総合病院(埼玉県)外科部長・森田大作氏だ。高校を卒業後は、防衛医科大学校医学部(同県)へと進む。「防衛医大は全寮制で、規律が厳しいことで知られています。耐えられないのではないかと思いましたが、他の大学とはかかるお金が全然違いますから、親の勧めもあって決めました」「人を診たい」という高校生の頃抱いた思いは入学後も変わらず、臨床医を、そして外科医を志した。「手術というデバイスを使うと、患者はたいてい調子がよくなって喜んでくれます。外科は結果がはっきりわかるのがいいですね」

病理学の研究経験が外科の臨床に生かされる

大学卒業後は防衛医大病院で初期研修を受け、自衛隊中央病院に医官として勤務。再び防衛医大病院に戻って後期研修を受け、自衛隊大湊病院に赴任した。その後、大学院に相当する防衛医大医学研究科に入学して病理学を専攻し、博士号を取得した。臨床ではなく「病理」という基礎を選んだのはなぜか?「きちんと論文をまとめるには、研究に集中できる分野の方がいいと考えてです。正直なところ、研究が臨床にフィードバックできるとは思っていなかったのですが、別の視点から外科を見ることで、得られたものは大きかったですね。また、病理解剖では体腔内の臓器をすべて取り出して診ることもしますから、外科の手技そのものにも役立ちました」

博士号の取得は、防衛医大の卒業生ならではの考えもあったと言う。「私たちは自衛隊の医官として一定の年限働くことを義務づけられています。外科医でも外科だけを診ればいいわけではなく、風邪や水虫の患者も診なければなりません。外科医として手術の技量を担保できないのではないかという危惧を抱きます。将来的に一般病院に勤務した際、他の医師と互角にやっていけるためにも、博士号という資格を取ったのです」

さらに森田氏は、米国に留学してバイオインフォマティクス(生命情報学)を学んだ。「膨大なデータをコンピュータに入れて、例えばどの抗がん剤がその患者に最適かわかるシステムを作る、といった研究です。一朝一夕に成果の出る分野ではありませんが、今後、臨床に役立つことがあると期待しています」

信頼する内科医がいたから思い切った決断ができた

森田氏にとって最初の転職は40歳の時。防衛医大の先輩医師に誘われて、自衛隊中央病院から社会保険大宮総合病院(現・さいたま北部医療センター)へだった。「自衛隊を辞めるのは、少なからず恐怖心を感じました。自分の技量が外で通用するか、わかりませんでしたから。それでも、先輩に『お前なら大丈夫。外科を立ち上げているから一緒にやってくれないか』と言われて決意しました。外科診療だけに集中できることにも大きな魅力を感じました」

そこで多くの症例を経験し、一通りの外科の技術を身につけた。森田氏が再び転職するのは2015年。当時は内科医の同僚で、現在は白岡中央総合病院副院長の中野真氏から声をかけられた。「外科医にとって内科医はとても重要です。内科医が診断し、手術が必要だと判断して初めて、患者は外科医の元に来る。術前術後の連携もある。優れた内科医がいなければ、外科医は患者の役に立ちようがないのです」

それまでの独立行政法人が運営する病院から、今度は医療法人の病院へ。病院間の競争が激しく、院内の風土も変わるのではないかと不安がないわけではなかった。だが、「信頼する中野先生が行く病院であれば、もう絶対だと思いました」と森田氏。

外科医として、新たな一歩を踏み出すことを決意した。

AFTER 転職後

自分の手で外科を再構築し、
1年間のブランクを建て直すことに
大きなやりがいを感じる

技量を認められ、力を存分に発揮できる

森田氏が転職して1年がたとうとしている。転職前に感じていた不安は杞憂に過ぎなかった。新たな環境は、自分の技量が認められ、それを存分に生かせる場であることが嬉しいそうだ。「院長にお会いした時の言葉が、今も印象に残っています。『外科のニーズがあるのに医師が足りず、やむを得ず1年間まったく手術ができていない。一緒に外科を一から立ち上げてくれないか』と。いわば人から頼られたわけで、自分がそれに応えられるものならば応えたいと考えました。今まで、先輩について外科の立ち上げに関わったことはありましたが、今度は自分が中心になって一からシステムを作っていく立場です」

現状の手術件数は、平均して月に10件程度。外科が休眠状態にあった影響もあって、すぐには件数が増えない。今はまだ定時手術より緊急手術の方が多い。だが、診療と並行して、地域の開業医などからの患者紹介を増やすことにも尽力している。「医師会に参加し、開業医の先生方に声をかけています。いったん途切れていた関係はなかなか回復しませんが、当院に入院したいという患者もいます。その人たちのためにも信頼関係の構築は欠かせません。こうした活動も含めて外科の再構築なんだなと思って、楽しみながらやっています」

互いの方針を尊重しつつ協力し合って態勢作り

定時手術は水曜日と金曜日、そのほかの日は、回診に加えて外来や内視鏡検査、緊急手術などが入る。外科の態勢は、森田氏も含めて常勤医が2人、非常勤医が1人だ。もちろん、出身大学の異なる医師もいる。外科の場合、よく問題になるのが出身大学による手術手技の違いだが、その点はどうだろうか。「手技の違いは当然あります。でも、成熟した医師同士ですから、トラブルになることはありません。基本的には、手術は術者の意思に従うルールです。治療方針にしても同様で、主治医の意見が優先します。そうした意識の統一ができていますから、大学が異なる医師の中に転職しても、特に困ることはありませんでした」

もう一人の常勤医が休みの日は、代わりにその医師の患者も回診する。互いのやり方を尊重しながら、チームとしてうまく協業しているのだ。

細分化された領域に縛られず幅広い診療に携わる喜び

森田氏が力を入れていることにはもう一つ、腹腔鏡手術の導入がある。1年間のブランクによって途絶えかけた技術を、再び成熟させていくのだ。「私自身は、前の病院で一通りの手術ができるようになっています。しかし、他の医師たちを完全に指導できるまでには至っていません。幸い、同じ上尾中央医科グループ内の病院に腹腔鏡手術の大家が在職していますから、その医師の元でトレーニングすることも考えています」

転職によって、自分のやりたいことを実現できる環境を手に入れた森田氏。医師としての方向性も定まってきた。「大病院では胃なら胃、大腸なら大腸と専門が細分化していますが、ここでは違います。幅広い手術をする経験が学びになりますし、それを患者にフィードバックできることに喜びを感じています。私が医療に貢献できるとしたら、ハイボリュームセンターにいる医師とはまた別の方法、外科におけるジェネラリストとしてなのかもしれません」

官から民へのキャリアチェンジ。それは、森田氏の活躍の場を広げ、大きなやりがいをもたらした。

外科のスタッフとミーティングをする森田氏。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
市内唯一の総合病院として地域に貢献

得意分野はさらに強くそれ以外の分野も満遍なく

「白岡市は、埼玉県東部にある人口5万2000人程度の市で、当院はその中で唯一の総合病院です」

と、院長の橋本視法氏は語る。全256床。二次救急医療機関として24時間救急医療態勢をとり、急性期・亜急性期、回復期リハビリテーション病床、障害者病床を有する中規模病院だ。「当院には、地域の中核病院として市民の多様な医療ニーズに満遍なく応える使命があります。それを達成するためにも、得意分野はより強く特化させていきたいと考えています」

現在、重点的に力を入れているのが整形外科、消化器内科、消化器外科、脳外科だ。消化器外科が専門の森田氏を招聘したのも、得意分野をさらに充実させていくためである。

意欲がある医師は手術症例をたくさん経験できる

橋本氏自身は整形外科医であり、関節外科が専門であるため、同院には人工関節の患者も多い。そのほか、スポーツ整形を得意とする医師や、外傷をジェネラルに診られる医師なども在職する上に、脊椎手術にも対応できるなど、整形外科の態勢はかなり充実している。

「ここで専門医を取得した医師は何人もいます。トレーニングしたいという気持ちがあれば、大学病院にいるよりも手術症例などはたくさんこなすことができますし、もちろん指導もします」

院長として心がけていることは、風通しをよくして、科ごとのバリアーをなくすことだ。「森田氏も言われていたように、外科は内科なしでは成り立ちませんし、よい治療のためにはチームワークが非常に大事です。今は垣根なく、何でも気軽にコンサルトできる雰囲気ですね」

採用に際してはひとり一人の希望をしっかり聞き、じっくりと勤務態勢などを調整していく。「意欲がある医師なら、診療科を問わず歓迎します。働きやすい環境で、私たちと長く一緒にやっていってほしいと思っています」

橋本 視法氏

橋本 視法
白岡中央総合病院
院長
1983年防衛医科大学校卒業。同大学校病院、自衛隊中央病院整形外科、藤村病院整形外科部長、同院副院長兼整形外科部長を経て、2004年白岡中央総合病院整形外科部長。14年から現職。

白岡中央総合病院

白岡中央総合病院は、関東圏内に数多くの病院、クリニック、老人保健施設等を持つ上尾中央医科グループ(AMG)傘下の病院だ。一般急性期から回復期、慢性期、健診に至るまで幅広い診療を行っている。開院以来、白岡市唯一の総合病院として地域住民に信頼され、発展を続けてきた。整形外科の手術症例が多く、院内のコミュニケーションも円滑。さらなる診療態勢強化のため、医師増員に力を入れている。東京・新宿から45分、JR白岡駅から徒歩7分のため、都内から通勤する職員も少なくない。

医療法人社団哺育会 白岡中央総合病院

正式名称 医療法人社団哺育会 白岡中央総合病院
所在地 埼玉県白岡市小久喜938-12
設立年 1978年
診療科目 一般内科、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科、腎臓内科、外科、整形外科、
脳神経外科、眼科、皮膚科、形成外科、小児科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、麻酔科、
放射線科、リハビリテーション科、血液浄化療法(血液透析、腹膜透析)、人間ドック、
各種健康診断、訪問看護、訪問リハビリテーション
病床数 256床
常勤医師数 22人
非常勤医師数 30人
外来患者数 414人/1日
入院患者数 205人/1日
(2016年1月時点)