VOL.50

呼吸器内科医としての専門性を、
地元の医療に生かしたい。
その夢をかなえたキャリアチェンジ。

国際親善総合病院 呼吸器内科 
中田 裕介
氏(42歳)

神奈川県出身

1995年
慶應義塾大学理工学部卒業
浜松医科大学入学
2001年
同大学卒業
藤沢市民病院
2003年
神奈川県立循環器呼吸器病センター
2004年
横浜市立大学附属市民総合医療センター
2006年
横浜栄共済病院
2007年
横浜旭中央総合病院
2013年
国際親善総合病院

自分の家族を大切にしながら、住んでいる地域の医療を守る。こうした、シンプルかつ本質的なキャリアビジョンに、共感する医師は多いのではないだろうか。国際親善総合病院の中田裕介氏は、転職によってその夢をかなえた。自身の家族が受診していた病院に勤務し、専門性を発揮する。地域医療に貢献する日々は、学生時代に思い描いた医師像と重なる。

リクルートドクターズキャリア6月号掲載

BEFORE 転職前

もともと「患者家族」として知っていた病院に入職。
地域医療に参画する

理工学部で人工知能を学び、のちに医師になる道を選んだ

「自分の得意分野を、地元の人のために生かすのが夢なんです」

国際親善総合病院(神奈川県横浜市/287床)呼吸器内科の中田裕介氏は、屈託のない表情で語る。その思いは、医師を目指した頃と何ら変わらない。

中田氏は、1995年に慶應義塾大学理工学部を卒業後、浜松医科大学に入学した。「理工学部では人工知能を学んでいました。しかし、卒業間近の講義で、ある先生が言ったのです。『人工知能は10年後には使い物にならない。それまでに新しいスキルを身に付けて欲しい』と。理工学部での学びを否定されたようで驚きましたが、私自身もずっとコンピューターを相手にすることに疑問を感じていました」

仮に人工知能のプログラマーになったとしても、徹夜の多い仕事だけに40代が限界と言われていた。同級生たちは理工学関係の大学院に進学したり、法科大学に進んだりした。そうしたなか、中田氏は医師になる道を選んだ。「医師であれば、自分が高齢になってからも患者の役にたつことができます」というのが理由だ。加えて、同じ年に祖父が他界したことも背中を押した。「親族が集まる席で『身内に医師がいたら』という会話が交わされました。自分が医師になって、神奈川県内の地域、とりわけ医療過疎と言われる地域を救いたいと思いました」

勤務地が遠方で、地元の医療に貢献できない悩み

2001年に浜松医大を卒業し、呼吸器内科の医局に所属した。「高齢化社会に伴って、肺炎になる人は増加するはずです。少なくとも地域に1人は呼吸器内科を専門にする医師が必要なのではないかと思いました。また、呼吸器内科は診療の幅が広く、何でも診られるようになるのも魅力でした」

医局人事でいくつかの関連病院に勤務し、経験を積んだ。07年には、スキルアップを図るために症例数の多い横浜旭中央総合病院に転職し、医局を離れた。

やがて結婚。妻の地元である横浜市泉区に新居を構えた。妻の父が糖尿病で目が不自由なため、近くに住むことにしたのである。ここで、現在勤務する国際親善総合病院と初めて出会う。「妻の父が当院の眼科で手術を受けており、最初は患者家族の立場で病院を知りました。区内で数少ない総合病院で、人口に対して医師が少ないせいか、いつも混んでいて、忙しそうに見えました」

同じ横浜市内でも、中田氏が住む泉区と、横浜旭中央総合病院のある旭区は距離が離れている。毎日の通勤は片道1時間~1時間半ほどかかっていた。「遠方の病院に勤務して、地元である泉区の医療を救えていないことに、悩みました」

医師紹介会社に相談し、次なるキャリアを検討した。求めた条件は、泉区内の病院であることが第一。そして、呼吸器内科医を増やしていくポテンシャルがあることだ。紹介されたのが、奇遇にも国際親善総合病院だった。呼吸器内科の常勤医が不在で、中田氏の入職希望は大いに歓迎された。

専門医とスキルを身に付け2年越しの転職を実現

「面接の場で、清水誠副院長(当時診療部長)は『本格的に呼吸器内科を充実させたい』とおっしゃいました。その期待に応えるためには、しっかりとスキルを身に付けておく必要があると感じました。まだ専門医を取得していなかったため、入職を少し保留していただくことにしました」

その後2年間にわたり、横浜旭中央総合病院に勤務し続け、研鑽を積んだ。日本内科学会認定医、日本呼吸器学会専門医、加えて、サブスペシャリティとして日本呼吸器内視鏡学会気管支鏡専門医、日本がん治療認定医機構がん治療認定医を取得した。

一定のスキルと資格が身に付いたところで、13年、再び国際親善総合病院の門をたたく。「いよいよ、地元の医療に貢献できることがうれしかったですね」

当時の心境は、その一言に凝縮されている。医学部卒後13年目。キャリアチェンジを通じて、夢をかなえるスタート地点に立った。

AFTER 転職後

呼吸器外科医や非常勤医と協力しながら、
専門的で質の高い医療を提供

毎週月曜日には院内で呼吸器疾患の勉強会を開催

国際親善総合病院は、診療科の垣根を超えて助け合う風土が根付いている。転職して2年。中田氏は、「呼吸器内科という看板にとらわれずに総合内科的な治療を手伝ってくれるドクターが大勢います」と実感している。

呼吸器内科の常勤医は中田氏1人だが、ほかに非常勤医と、呼吸器外科医3人が協力して、専門性の高い医療を提供しているのだ。「呼吸器疾患の患者に、何か合併症が起きた時のサポート体制が手厚いのです。例えば、出血して開胸手術が必要になっても、すぐに呼吸器外科が対応してくれます」

気管支鏡検査に力を入れており、まれな疾患に触れることも少なくない。「最近も、気管支鏡で珍しい膠原病関連の肺疾患が見つかり、研究機関に専門的な血液検査を依頼して確定診断がつきました。そうやって地域の患者を救うことに、やりがいを感じますね」

よりスキルを高めるために、毎週月曜日には勉強会を開いている。中田氏と非常勤医、呼吸器外科医、時には薬剤師も顔をそろえる。「話題は新しい治療薬に関することなどです。よい薬が出ればどんどん採用していっています」

同院は日本呼吸器学会関連施設と、日本呼吸器内視鏡学会関連施設に指定されている。難しい症例にあたる際には、関連施設の上級医に指導を仰ぐことができる。「近隣では、神奈川県立循環器呼吸器病センターと連携しており、定期的に合同カンファレンスを開いています。緊急の場合は、電話やファックスなどで適宜、相談することも可能で、いつも親身になっていただいています」

医師の健康と精神衛生が整っていてこそのよい医療

1日の診療は、午前8時半のICUカンファレンスから始まる。「夜間に搬送された患者に関して、救急の担当医のプレゼンテーションを聞きます。呼吸器疾患の患者、とくに死が切迫している患者がいないかを確認する時間です」

9時以降は外来か病棟の診療だ。中田氏は、火曜の午前中が初診外来。木曜は一日中、初診と再診の外来を受け持ち、それ以外は病棟でスタンバイしていることが多い。「他科の医師から、呼吸器疾患について相談される機会が多いんです。救急の医師から、『重症の肺炎の患者が搬送されてきました』と言われれば、すぐに駆け付けられるようにしています」

呼吸器内科医としての専門性を、余すことなく発揮している。日々、多忙ではあるが、夜は5時ぴったりに帰宅できることが多い。「医師の精神衛生や健康が整っていてこそ、よい医療が実現すると思っています。以前は無理に長時間労働をしていたこともありましたが、自分が倒れてしまえば患者に迷惑がかかると気づきました。今は考え方を変えて、ほかの医師に任せられる仕事は積極的にお願いしています」

そうした考えを持つ医師は中田氏だけではないためか、同院ではワークシェアリングがうまく回っている。業務が細分化されており、分担しやすくなっているのだ。自分の責任を果たすラインは守りつつ、ワーク・ライフ・バランスを保っている。「今、子どもが3歳と5歳で、一緒に夕食を囲む時間を、こんな幸せはほかにないと感じます。何よりも家族を大事にしたいですね」

今後は、4~5年のスパンで呼吸器内科の指導医を取得し、一緒に働く若手や中堅の医師を増やしていきたいと考えている。「当院は、呼吸器内科の診療に必要なインフラは十分に整い、あらゆる呼吸器疾患に対応できます。呼吸器専門医も気管支鏡専門医も取得できる環境ですから、呼吸器内科医にとって、大きなやりがいのある職場だと思います」

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域の中核病院として急性期医療に重点

メンバーを鼓舞し、うまく統率する医師を求めている

1863年、横浜市の外国人居留地に、欧米人が中心となって創設された国際親善総合病院。その後、日本人の患者も診療する病院となり、西洋医学に関心のある医師が学ぶ場として発展した。戦後、社会福祉法人として再スタート。1990年に、横浜市街地から現在の泉区へと移転した。泉区は横浜市や東京のベッドタウンだが、医療機関が少ない地域だ。「歴史とともに病院の役割が変わり、現在は泉区で、地域の中核病院として、急性期医療を担うことに重点を置いています」

副院長の清水誠氏はこう語る。

同院は、横浜市が「二次救急拠点病院A」に指定する13施設のうちの一つだ。心肺停止患者も受け入れており、今年3月にはICUをリニューアルした。がんや、その他の急性期疾患に対する侵襲的検査・治療を行っている。

そうしたなかで、前出の中田氏は、積極的に気管支鏡検査に取り組み、周囲の信頼を集めている。清水氏は「中田先生は非常に勉強家で、努力家の医師。入職して2年ですが、周囲からよく相談されています」と印象を語る。

以前から、県内の大学医局からの医師派遣を受けているが、ここ数年は別ルートでの医師採用にも取り組んでいる。歓迎する医師像は、最低限必要な臨床スキルを持っていることに加え、対人スキルが高い医師だ。「医師は多くの職種と仕事し、常にリーダーシップを必要とされます。しかし、唯我独尊になってはいけません。メンバーを鼓舞し、チームを統率する役割を果たすことが大切です。自分の思いをうまく伝えられること。そして、自分が周囲からどう見られるかを想像できる医師を求めています」

泉区への移転から25年目の今年、病院が生まれ変わる計画も進んでいる。建物を増築してがん緩和ケア病棟や地域包括ケア病棟を新設する。また、病室を6床から4床中心にし、患者の療養環境を改善する。完成は今年8月の予定だ。歴史ある病院の節目の年に、意欲のある医師の参入を待っている。

清水 誠氏

清水 誠
国際親善総合病院 副院長
1987年、横浜市立大学医学部卒業。横浜南共済病院、横浜市立大学(救命救急センター)、静岡県公立森町病院、焼津市立総合病院を経て、2007年より国際親善総合病院に勤務。

国際親善総合病院

横浜の市街地から、ベッドタウンの泉区に移転して25年。泉区で数少ない総合病院として、地域住民に頼られている。急性期医療を中心としながら、現在は生活支援型医療も充実させようとしている。少子高齢化の社会状況を鑑み、後期高齢者でも安心して地域で暮らせるための医療を実践するのだ。隣接地に建設中の新館棟は今年8月に竣工予定。緩和ケア病棟と、地域包括ケア病棟の設置を予定し、シームレスな地域医療を目指している。また、本館の改修工事も行い、患者の療養環境、ならびに職員の勤務環境の改善にも努めている。

社会福祉法人 親善福祉協会 国際親善 総合病院

正式名称 社会福祉法人 親善福祉協会 国際親善 総合病院
所在地 神奈川県横浜市泉区西が岡1-28-1
設立年月日 開設年1863年/移転開院1990年
診療科目 内科、消化器内科、循環器内科、内分泌内科、
腎臓・高血圧内科、神経内科、精神科、呼吸器内科、
呼吸器外科、小児科、外科、整形外科、
脳神経外科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、
皮膚科、泌尿器科、画像診断・IVR科、麻酔科
病床数 287床
常勤医師数 60名
非常勤医師数 76名
外来患者数 約720人/日
入院患者数 約240人/日