VOL.36

医療機器の充実した“夢のある病院”で、
呼吸器外科の専門性を発揮

パナソニック健康保険組合 松下記念病院 呼吸器外科 
和泉 宏幸
氏(43歳)

滋賀県出身

1995年3月
東京医科歯科大学医学部卒業
同年4月
東京医科歯科大学医学部附属病院胸部外科
1996年7月
東京都立墨東病院麻酔科
1997年1月
江戸川病院外科
1998年7月
東京医科歯科大学医学部附属病院胸部外科
同年10月
JA長野厚生連北信総合病院心臓血管外科
2001年4月
東京医科歯科大学医学部附属病院胸部外科
2006年1月
東京共済病院呼吸器外科
2010年4月
市立泉佐野病院呼吸器外科
2011年4月
松下記念病院外科

松下記念病院の周辺は呼吸器外科のニーズが高いが、長い間、呼吸器外科医が不在だった。そこに和泉宏幸氏が入職したことで、対応できる患者層が大幅に広がり、組織が活気づいた。自分の専門性を強く求められ、存分に力を発揮できる病院は、医師と病院がWIN-WINの関係となる。「権威や名声よりも、地域の患者の役に立ちたい」と願う和泉氏にとって、松下記念病院はもっとも輝いて働くことのできる環境だ。

リクルートドクターズキャリア3月号掲載

BEFORE 転職前

権威や名声よりも、
地域の患者の役に立つことにやりがいを感じる。

自分が中心となって手術を行う自信がついた

松下記念病院は、大手電機メーカー・パナソニックの健康保険組合立の病院だ。電子カルテでオーダーした薬を自動でピックアップする「注射薬自動払い出し装置」や、自律搬送ロボット「ホスピー」など、同院がパナソニックとコラボレーション開発した機器が目を引く。

そんな“夢のある病院”で活躍しているのが、外科副部長の和泉宏幸氏だ。専門は呼吸器外科で、地域住民の健康を守っている。

和泉氏は東京医科歯科大学医学部を卒業後、同大学胸部外科に入局し、複数の関連病院を回った。医局の方針で心臓血管外科と呼吸器外科の両方の経験を積んできた。転職を意識し始めたのは、2005年に学位を取得してからである。

「出身は滋賀県で、医学部進学のために東京に住んでいました。いつかは関西圏に戻るつもりでした」

医師転職会社に登録し、時間をかけてじっくり検討した。いくつか紹介された病院の中から、市立泉佐野病院(大阪府)を選んだのは2010年である。同院の呼吸器外科部長は手術技術に定評があり、スキルを磨く場として最適だった。

だが、ほどなくしてその部長が異動となる。

「後任の部長がすぐに決まらず、3ヵ月間ほど、呼吸器外科医は私一人でした。当初は戸惑いも感じました。学位は基礎系の研究で、大学の関連病院では心臓血管外科に所属していた時期もあるため、自分が中心となって呼吸器の手術を行うことはあまりなかったからです。しかし、実際に一人になってみると、他科の助けを借りながら、十分に対応できることを実感しました」

当時、卒後15年。診断も手術もすべて自分だけで判断をつけられる手応えを感じた。逆境と思われたことが、呼吸器外科医としての自信をもたらしたのだ。2011年、和泉氏は、自らの腕をさらに生かすべく、2度目の転職を決意する。再び、医師転職会社に相談し、次なるフィールドを探した。

中規模病院でCT、MRI、PETまでそろう

「求めた条件は、関西圏にある病院で、医局に属さなくてもよいこと。加えて、病理医が常駐し、CT、MRI、PET、放射線治療機器がそろい、院内で検査や治療が完結することでした。楽をしたいわけでも、高い報酬を望んでいたわけでもなかったため、手術で帰宅が遅くなること等は気にしていませんでした。また、指導医がいることも、あえて求めませんでした」

呼吸器外科医を募集している病院はあっても、それだけの機器がそろっているとなると、該当する病院は絞られてくる。そんな中、医師転職会社に紹介されたのが、松下記念病院だ。病床数は359床。医療機器は十分に充実していた。冒頭で紹介した薬剤関係の機器のほか、和泉氏が求めた検査・治療機器は一通りそろう。呼吸器外科の手術に必要な機器であれば、新たに導入できる状況だった。

「500床を超える大病院では、小回りが利かないことを感じていましたから、松下記念病院の規模はちょうどよかったですね。京都府立医科大学の関連病院ですが、医局に属する必要もありませんでした」

加えて、同院の近隣は非常に交通量が多く、排気ガスの影響が問題視されている。呼吸器外科のニーズは高いにも関わらず、長い間、呼吸器外科医が不在で、住民は離れた病院に行くことを余儀なくされていた。

「私は権威を持ったり、名声を博したりすることには関心がなく、患者の役に立つことを強く願っていました。呼吸器疾患の患者が多いのであれば、きっとやりがいがあると思いました」

また、副院長の野口明則氏は、くしくも和泉氏が学位を取得した際の教授と元同級生だった。設備の整った病院を求める和泉氏と、呼吸器外科医を求める病院・地域のニーズが合致し、安心感を覚える縁もある。ためらうことなく、転職を決めた。

AFTER 転職後

転職によって手に入れたもの。
それは、医師として「やりたいことがやれる環境」

呼吸器外科医は1人だがフォロー体制は万全

転職してすぐ、和泉氏はうれしい驚きに直面する。松下記念病院では、外科のうち呼吸器外科医は和泉氏のみだが、チーム医療体制が万全なのだ。手術時には、専門を問わず外科のメンバーがフォローに入る。消化器外科医や乳腺外科医が力を貸してくれるため、まったく不便は感じない。

「麻酔科も協力的で、患者の同意を得て、少しリスクの高い手術を行う際、臨機応変に対応してくれます。また、放射線科との連携もスムーズです。大きな病院とは違って融通が利き、患者が希望する治療をかなえることができています」

企業の健保組合立の病院だが、全患者に占める社員の割合は約10%。ほとんどが一般の地域住民である。呼吸器外科で手術をする患者の約半分は肺がんで、合併症があったり、手術のリスクが高かったりするため、がん専門病院や大学病院で手術を断られてきたケースも少なくない。和泉氏は、患者の社会的な状況や、家族状況まで時間をかけて話を聞き、柔軟に治療法を決めている。

「手術ができないとされた患者でも、改めてリスクとベネフィットを詳しく説明すると、手術を受けたいと望む場合があります。可能な限り、患者の意向に沿う医療を行いたいですし、当院ではそれを実現できます」

また、転職は新しいスキルをももたらした。

「それまで胸腔鏡補助下手術は経験があったものの、完全胸腔鏡手術は当院に来て初めて経験しました。しかし、完全胸腔鏡手術の実績の高い国立姫路医療センターで見学する時間をもらうなど、学ぶ時間は十分に確保できましたから、不安はありません。現在では、自分自身で完全胸腔鏡手術を執刃しています」

人間関係の風通しがよく負担感が少ない

パナソニックと共同開発した3D内視鏡システム。
パナソニックと共同開発した3D内視鏡システム。

和泉氏は、呼吸器外科の急患は積極的に受け入れてほしいと、病院側に要望している。そのため、帰宅が遅くなったり、時間外に病院へ駆けつけたりすることもあるが、それほど負担感はないそうだ。

「人間関係の風通しがよく、“上司が帰らないから病院にいる”という雰囲気はありませんし、土日のどこかで休みは取れます。無理のない範囲で仕事ができています」

今後、呼吸器外科の症例数が増えていけば、若手の教育にも力を入れたいと考えている。

「呼吸器外科のニーズの高い地域ですので、若手が経験を積むにはちょうどいい環境です」

転職によって手に入れたもの。それは、「医師として『やりたいことがやれる環境』であると実感しています」と和泉氏は笑顔で語る。自分の専門性が求められる現場で、存分に力を発揮する。そんな、やりがいにあふれた日々を送っている。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
パナソニック健康保険組合 松下記念病院 副院長・外科部長 野口明則氏

和泉氏が入職したことでほかの医師の意欲が向上

「1+1が3にも、4にもなっています」

副院長で外科部長の野口明則氏は、和泉氏が入職したことを、こう表現する。前述の通り、松下記念病院は京都府立医科大学の関連病院で、外科は基本的に医局派遣で成り立っていた。医局以外のルートで入職した医師は、和泉氏が初めてであるが、むしろそれがよかった。

「和泉先生には、自力でキャリアを切り開いてきたたくましさがあります。ほかの医師が、そのパワーに刺激を受け、組織が活性化しました」

長い間、呼吸器外科医が不在だった同院では、いわゆる5大がんのうち肺がんの手術だけができなかった。しかし現在は、和泉氏をほかの外科医がフォローすることで、手術ができている。このようにチーム医療が円滑な理由は、外科医としての腕はもとより、周囲と協力できる人柄が大きいようだ。

「ホスピタリティがあり、多くの人に『もう一度、あの病院へ行きたい』と思われる病院になることが当院の目標です。医師をはじめ、病院スタッフや患者と、うまくコミュニケーションを取れることと、患者を家族のように大切にする気持ちが重要ですが、和泉先生は最初からそれが長けていました」

パナソニックと共同開発した最新医療機器をいち早く導入

松下記念病院には、3つの顔がある。1つは、パナソニックの技術を生かした“夢のある病院”だ。昨年4月からは、パナソニックとのコラボレーションで開発された「3D内視鏡システム」をいち早く導入した。

「特殊なめがねをかけることで、内視鏡下の視野を立体的に見ることができます。手術が非常にスムーズになりました。今後も、新しい機器を積極的に導入するつもりです」

また、所在地の守口市や近隣の門真市には公立病院がない。そのため、松下記念病院は地域医療の担い手としての責務も大きい。

「早くからDPCを導入し、近年、救急にも力を入れています。現在は各科の医師が対応していますが、ゆくゆくは救急科として独立させたいですね」

加えて、大阪府指定のがん診療拠点病院として、質の高いがん医療を提供する役目も担っている。

「和泉先生が入職して呼吸器外科の手術ができるようになったため、呼吸器内科でも医師が増えることを望んでいます。肺がんの症例の経験を積みたい医師にとっては、非常に学びになることでしょう。今後は、腫瘍内科や緩和ケアの体制も充実させ、がんの診療を強化させたいと思っています」

長期的には、新病院の建設も計画されている。自身の専門性が発揮でき、経験を積める病院を探している医師であれば、科を問わず活躍できる病院である。

野口 明則氏

野口 明則
パナソニック健康保険組合 松下記念病院 副院長・外科部長
京都府出身。1982年京都府立医科大学卒業。同大学附属病院第一外科、国立福知山病院外科、精華町国民健康保険病院外科医長、同院副院長を経て、2005年松下記念病院外科部長。10年より現職

パナソニック健康保険組合 松下記念病院

地域医療支援病院、および大阪府がん診療拠点病院の指定を受けており、大阪府北河内医療圏における急性期医療の中核病院としての機能を果たしている。パナソニックとのコラボレーションによって自律搬送ロボット「ホスピー」などの最新技術を積極的に導入し、医療専門職が本来業務に打ち込める環境を整えている。やりがいの持てる職場作りや人材育成を大事にして、地域の患者が満足できるホスピタリティ・マインドのあふれる病院を目指している。

パナソニック健康保険組合 松下記念病院

正式名称 パナソニック健康保険組合 松下記念病院
所在地 大阪府守口市外島町5-55
設立年月日 1940年11月1日
診療科目 糖尿病・内分泌科、呼吸器科、血液科、消化器科、
循環器科、神経内科、精神神経科、外科、
脳神経外科、整形外科、小児科、産婦人科、
皮膚科、泌尿器科、眼科、耳鼻咽喉科、
麻酔科、腎不全科、放射線科、歯科
病床数 359床
常勤医師数 82名
非常勤医師数 45名
看護師数 298名
外来患者数 1日平均687人
入院患者数 1日平均290人(2013年10月末日現在)