VOL.101

外来、病棟、訪問診療まで
地域医療を総合的に担う現場で
患者を最期まで受け止める

横浜甦生病院
内科 建部 雄氏氏(48歳)

京都府出身

2001年
昭和大学医学部卒業
2003年
医療法人社団明芳会 板橋中央総合病院 救急科 医師
(救急科スーパーローテーション研修を修了)
2005年
社会福祉法人日本医療伝道会 総合病院
衣笠病院 内科 医師
2008年
医療法人緑樹会 ベルディーナ高田クリニック 院長
2009年
医療法人社団愛友会 金沢文庫病院 内科 医師
2016年
医療法人豊葉会 関内パークサイドクリニック 院長
2017年
医療法人社団青葉会 牧野記念病院 内科 医師
2019年
医療法人社団 聖仁会 横浜甦生病院 内科 入職

振り返れば自らの希望に忠実に、ある意味でとてもわがままに進路を選んできたと話す建部雄氏氏。「医師を目指したのは、『社会に役立つ人になれ』という祖父の遺言がきっかけ。その言葉通り、より多くの患者さんを診られるジェネラリストになるのが私の目標でした」。総合診療の基礎となる内科に主に従事し、現在は訪問診療も行う建部氏はどのような経験を積んできたのか。その軌跡を追ってみた。

リクルートドクターズキャリア9月号掲載

BEFORE 転職前

専門分野に閉じるのでなく
より多くの患者を診るために
ジェネラリストを目指した

祖父の願いを引き受け
不動産業から医師に転身

高校時代は、学校の勉強にあまり価値が見いだせなかったと建部雄氏(たけし)氏。実家が不動産業を営んでいたこともあり、卒業後は父が経営する会社で事業を手伝っていた。そんな建部氏が医師になり、2019年から横浜甦生病院(神奈川県)で診療を行っているのは、父方の祖父が亡くなる前に残した遺言にあるという。

「その内容は、医師になって社会に役立つ人になってほしいというもの。戸惑いましたが、これまで世話になった祖父の遺言なら、一度は努力してみないと……と思って受験準備を始めました」

無事に医学部に合格した建部氏は自らのキャリアとして、母校の医局に入って専門を極める道に進むか、市中病院でジェネラリストを目指して経験を積むかという2つの選択肢で悩んだと振り返る。

「祖父の死因が脳梗塞だったため、専門として脳神経外科も考えたのですが、内視鏡下での手術はどうにも向かないと感じていました」

建部氏は知人に相談し、これからの地域医療には総合力が必要といった話も聞いて、最終的にジェネラリストの道を選んだと語る。

「できるだけ多くの患者さんを治療したい。どんな症状もファーストエイドぐらいはできるようになりたい。自分の専門外は診られないというのでは、祖父の遺言にあった『社会に役立つ人』ではないとの思いも強かったですね」

救急科で経験を積んだ後
総合診療の基礎となる内科へ

市中病院での2年間の研修は、多様な診療科で経験を積むスーパーローテーションの先駆け的なもので、建部氏は二次救急に24時間対応する救急科に配属された。

「内科にいるときは内科系の救急患者を診て、外科では外科系、産婦人科なら異所性妊娠などの症例を診てきました。研修で得た幅広い知識・経験は今後の診療に役立つと確信しましたが、救急科はかなりの激務続き。そのまま病院に残ることはためらわれました」

ちょうど研修の修了時期と自身の結婚とが重なり、建部氏は将来の出産や子育てに備えて妻の実家がある横浜市に新居を構えることを決心。同時に職場も横浜市内に移したいと考え、ジェネラリストの総合力を養う基礎となる内科を軸に転職先を探したと語る。

「研修を受けた2年間はとにかく忙しかったので、落ち着いた環境で内科の診療スキルをじっくり身につけられる病院を探しました。当時でいう認定内科医の取得も目指していたので、ある程度の症例数が診られることも重要でした」

そうした条件をもとに選んだのが、横須賀市で終戦直後から医療を担ってきた総合病院だった。

人材紹介会社を利用して
条件を満たす医療機関に転職

希望通り総合病院の内科で多くの患者を診て、2年ほどで認定内科医を取得した建部氏は、あるとき人材紹介会社からクリニックの院長職のオファーを受けた。

「クリニックで患者さんと身近に接することがジェネラリストとしていい経験になる。そんな期待が会社側にも私にもあったのですが、紹介先は整形外科が中心のクリニック。私の内科医のキャリアにはそぐわないところでした」

しばらくして建部氏は、横浜市内で地域医療に力を入れる病院に転職。内科の診療を中心に救急対応や訪問診療も行い、総合力はさらに磨かれたという。

「患者さんを診て、何か様子がおかしいと感じたら専門の診療科にためらわず相談する。おそらく問題ないと言われるだろうと思っても、自分で安易に診断せず、多様な症状を診る窓口という姿勢を徹底するようになりましたね」

同院で約7年の診療を経て、紹介会社からエイジングケアなどの自由診療も含む内科のクリニックの院長職を紹介された建部氏。

「高齢社会にはそうした分野も重要だろうと考え、家族の反対を押し切って引き受けましたが、さすがに自分が求める医師の姿とは違うとすぐ気づきました(笑)」

建部氏は地域医療を担う病院で、訪問診療を実践したり、訪問診療のクリニックを支援したりするところを探してほしいと紹介会社に改めて依頼。その両方を行っていたのが横浜甦生病院だった。

AFTER 転職後

多様な経験を生かして
外来、病棟、訪問診療と
オールラウンドに活躍する

在宅医療での病診連携を
現場で確かめたいと思った

建部氏が訪問診療の支援も実践も行う横浜甦生病院に転職したのは、在宅療養支援診療所と在宅療養後方支援病院との連携を、現場で確かめたかったからだと話す。

「勤めていた病院も後方支援病院でしたが、連携先でないクリニックからの打診も意外に多く、訪問先と診療所、支援病院の関係がどうなっているのかが気になっていました。個人的にも訪問診療に力を入れたい気持ちは強く、当院の場所や診療内容も私の希望通りで、最適な転職先だったのです」

現在は内科の外来を週3コマ担当し、月・火曜日の午後を高齢者施設への訪問診療に充て、それ以外を病棟管理と、訪問診療の現場を肌で感じていると建部氏。

同院の訪問先は施設が主で、患者の容体については施設からこまめに連絡が入るため、対応もしやすいのだと建部氏はいう。

「例えば『この利用者さんが昨日からこういう状態で、緊急性はないと思うが、次回の訪問時でも問題ないか』といった相談があれば、持っていく薬の種類・量など、こちらも準備して訪問できます」

訪問時は、ほかの利用者についても普段とどこか違いはないかなどを施設のスタッフに尋ね、情報収集に努める。ただこうした密接な連携は、スタッフの面倒見がよく、療養環境も整った施設だから可能な面もあると建部氏。

「今は勉強のため訪問診療のクリニックで非常勤医も務めていますが、夏は暑く冬は寒い部屋に、日中は患者さん一人といった訪問先もあり、個人宅の在宅医療はハードルが高い面もあると感じます」

生活習慣病から看取りまで
地域医療のニーズに対応

外来は70歳以上の高齢者が多く、生活習慣病に整形外科疾患や精神疾患などが複合している。

「救急科も含めさまざまな医療機関で多くの患者さんを診てきたため、内科に限らずたいていの症例で『こうすれば初期治療として問題ない』『容体がこう変わったら次の一手はこう』といった診断ができるのは私の強みでしょう。一方で自分を過信せず、少しでもおかしいと感じたら必ず専門の医師に確認することも徹底しています」

また、同院には緩和ケア病棟もあり、自分は直接担当しないものの、緩和医療での薬の使い方などはぜひ参考にしたいと建部氏はいう。施設や個人宅では対応が難しくなった患者を同院で受け入れ、看取りまで行うような体制づくりも視野に入れており、その実現に役立つと考えているからだ。

「地域医療という本質から外れなければ、新たな取り組みを実現しやすいことも当院の特色。病院全体では移転新築もすでに検討されているので、それと併せて重症な患者さんを診られる環境を用意できたらと考えています」

休日は勉強も兼ねて
ほかの医療機関で診療

同院の診療の柱は緩和ケア、地域のニーズに応えた外来診療と訪問診療で、救急対応など急患を診ることはほとんどない。おおむね定時で退社するため、家族との時間は確実に増えたと建部氏。

「ただ、休日はほかの医療機関での訪問診療や当直のため、私一人で出かけることがほとんどです。薬の選び方・使い方も医療機関で違いがあり、多様な事例を知ることで新たな知見が得られます」

これまでの転職がそうだったように、新たな経験をしたいという気持ちは変わらないと建部氏。そうした多様な経験は現在の診療に間違いなく生きているという。

「転職先の中には想定と異なるところもありましたが、それも含めて貴重な経験。自分が進みたい道に進んできたことが最終的にいい結果を生んだのだと思います」

午後からの訪問診療に備え、施設側がまとめた利用者の最新情報を再度確認する。 画像

午後からの訪問診療に備え、施設側がまとめた利用者の最新情報を再度確認する。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域医療を主に緩和ケアにも尽力

医師のスキルにもとづく
新たな取り組みにも積極的

横浜甦生病院は地域に根ざした医療を基本に、末期がんの患者を受け入れる緩和ケア病棟、近隣の患者を対象にした外来診療、訪問診療を柱としている。中でも緩和ケアには、県内でもいち早く取り組んだと院長の澤田傑氏はいう。

「緩和ケア病棟に専任の医師、緩和ケア認定看護師を配置するなど診療体制も整っています。長年の実績が信頼となり、神奈川県立がんセンターや近くの大学病院から緩和ケアを希望する患者さんを紹介いただいています」

外来は内科を中心に地域医療に徹し、人工透析、内視鏡での上部・下部消化器検査も実施している。訪問診療は近隣の老人福祉施設等と連携し、利用者の容体が悪化したときは同院で入院加療を行う。

基本的に訪問診療で診ていた医師が入院後も患者を担当するため、これまでの経緯をもとに責任を持って対処できると澤田氏。

「さらに当院は日本脈管学会認定研修関連施設で外科の症例も比較的多いため、若手の外科の先生方がキャリアを積み、専門医の取得や維持も可能だと思います」

また同院は新たな取り組みにも積極的で、澤田氏も専門は消化器外科ながら、以前から血管外科の診療も行っていた経験をもとに下肢静脈瘤治療の専門外来を開設。患者は年々増えているという。

「地域医療と緩和ケアという当院の基本から外れなければ、各診療科の先生方が持つスキルや経験を生かした取り組みをバックアップしたいと考えています」

さらに同院では次のステップとして、老朽化し手狭になった病院の移転新築計画も進んでいる。

「当院の基本姿勢は変わりませんが、これまでの強みをより強化する様な施設が必要と考えています。例えば多死社会といわれる中、がん以外でも緩和ケアのニーズは増えてくると考え、新築の際に緩和ケア病棟の増床も検討中です。また、子育て中の医師がもっと活躍できるよう託児所を設置し、時短勤務やワークシェアを採り入れるなど、医師の働きやすさも考えた病院を作りたいですね」

澤田 傑氏

澤田 傑(すぐる)
横浜甦生病院 院長
1992年岐阜大学医学部卒業後、同学部第一外科に入局し、消化器外科を専門とする。同附属病院での診療後、愛知県がんセンター(国内留学)、横浜総合病院外科部長、ヘルシンキ大学医学部血管外科などを経て、2013年に横浜甦生病院消化器科部長就任。2014年から現職。日本外科学会外科専門医、日本消化器病学会消化器病専門医など。

横浜甦生病院

同院は横浜市最西部にあり、周囲には住宅地が広がる。市内では早くから高齢化が進んだ地域のため高齢の患者も多く、外来診療は内科が主体。生活習慣病の領域に強みを持っている。近年は新たな取り組みとして地域のニーズに応じた下肢静脈瘤の治療を開始し、上部・下部消化管の内視鏡検査、エコーやCTを用いた肝臓がん・膵臓がんの検査なども実施。千葉県と神奈川県に病院・老人福祉施設を持つ医療法人社団聖仁会の一員で、横浜市栄区にある同法人の精神科専門病院と協力し、精神疾患患者の身体合併症にも対応する。

横浜甦生病院

正式名称 医療法人社団 聖仁会 横浜甦生病院
所在地 神奈川県横浜市瀬谷区瀬谷4-30-30
開設年 1995年
診療科目 内科、耳鼻いんこう科、外科、整形外科、皮膚科、形成外科
病床数 81床(一般39床、療養30床、緩和ケア12床)
常勤医師数 5人
非常勤医師数 15人
外来患者数 157.5人/日 ※2018年度実績
入院患者数 64.1人/日 ※2018年度実績
(2019年5月時点)