VOL.108

ESDなど内視鏡診断・治療の
エキスパートがそろう病院で
地域の先進的なニーズに応える

メディカルトピア草加病院
消化器内科 吉田 智彦氏(40歳)

東京都出身

2004年
昭和大学医学部 卒業
昭和大学藤が丘病院 初期臨床研修
2006年
昭和大学附属豊洲病院(現 同大学江東豊洲病院) 
消化器内科
2010年
昭和大学大学院医学研究科病理系 医学博士
がん研有明病院 内視鏡診療部に国内留学
2011年
昭和大学附属豊洲病院 内科 助教
2014年
メディカルトピア草加病院 入職 
内視鏡診療部長に就任

ESDによる大腸がん治療にも習熟した吉田智彦氏は、内視鏡の技術を磨くため、大学病院での臨床、大学院での病理学研究、がん治療の専門病院への国内留学と経験を積んだ。そして現在は低侵襲治療のエキスパートがそろうメディカルトピア草加病院で、内視鏡診療部長を務める。自らの技量を地域医療の先進的なニーズに役立てたいと転職した吉田氏の16年間を追った。

リクルートドクターズキャリア4月号掲載

BEFORE 転職前

早期発見・早期治療により
消化器がんの根治も目指せる
内視鏡の専門性を磨く

救命救急科の初期対応で
専門性の重要性を実感

ジェネラルな診療ができる医師としての厚みをベースに、これだけはと自信が持てる専門性を伸ばしたい。初期臨床研修で各診療科を回った吉田智彦氏は、自らの10年後の姿をそう定め、さまざまな経験の後、2014年からメディカルトピア草加病院(埼玉県)で内視鏡診療部長を務めている。

吉田氏は5代続く医師の家系に生まれ、ドイツ留学を経験して開業医になった父の「医師は、努力して患者と真摯に向き合えば感謝される、やりがいのある仕事」といった言葉を聞いて育ち、自然と医師を志すようになった。

もっと専門性を養いたいと感じたのは、初期研修の救命救急科での経験にもとづくと吉田氏。

「患者さんの初期対応後、専門の診療科に引き継ぐうちに、治療を最後まで完結できる専門性を身につけたいと思い始めました」

初期研修では各科の医師の診療も大いに参考になり、「多様な症状の患者を診る」といったジェネラルな経験は、医師としての核になっていると吉田氏は振り返る。

がんの早期発見・治療に
貢献する内視鏡に興味

研修後は消化管疾患、肝疾患、膵・胆道疾患を扱う消化器内科に入局。化学療法や緩和も含め広範な経験を積む中で、早期発見・早期治療でがんの根治も可能にする内視鏡に興味を持った。

「単純ですが、医師になったからには患者さんを自らの手で治したいという気持ちは強かったと思います。また、先輩に言われた『1例経験して分かる医師もいれば、100例経験しても分からない医師もいる』という言葉をよく覚えています。症例数の多さより、患者との関わりの深さが病気への理解を深め、適切な治療法を選ぶ助けになるとの意味で、症例を病理学の観点から見直し、適切性を検討する大切さに気づきました」

吉田氏は大学病院での臨床を経て大学院の病理系に入学した。

トップレベルを知るため
がん専門病院に国内留学

「私は大学卒業後の10年間で、自分のキャリアをある程度完成させたいと思っていましたから、それまでに多様な経験をするため活発に行動していました」

そう話す吉田氏は、学ぶ意欲や内容は環境に左右されると考え、1、2年おきに積極的に環境を変えていった。大学院修了後も一時は大学に戻ったものの、身につけた診断学をがん治療のトップレベルの病院で試し、また内視鏡治療を学びたいと思い、吉田氏はがん専門病院に国内留学した。

「医師のキャリア形成では、やりたい気持ちと正当性が伴えば、『こうあらねば』といったルールは存在しない、私はそう思います。この国内留学も先例はなかったものの、私から医局に目的を説明し、厳しい医局事情でしたが快く送り出してもらいました」

内視鏡でのがんの診断・治療は日本が世界に誇る分野であり、国内のトップレベルに留学すれば、世界のトップを学んだと同義だと説明する吉田氏。がん専門病院で内視鏡診断・治療を数多く経験し、そこで学んだ手技が現在の内視鏡治療を支えているという。

大学卒業後10年の節目に
新たなキャリアへ

国内留学から戻った吉田氏は、専門病院で得た知識・技術を大学病院でも実践。それは治療だけでなく、患者の入退院マネジメントなどにも及び、病院のメディカルスタッフとも相談しながら、患者や家族が退院後も安心して暮らせるよう支援を充実させていった。

「内視鏡診断・治療に加え、病院全体で高度ながん治療を提供できる体制を整えたことは、私のキャリアの大きな節目になりました」

そして吉田氏は次のステップとして、内視鏡診断・治療のニーズがまだ十分に満たされていない地域、具体的には都心以外の首都圏近郊の病院を検討したと語る。

「私の知識・技術で地域医療に貢献したいと考えていたとき、メディカルトピア草加病院が内視鏡の診療部長を募集していることを知って応募。院長の金平永二先生が患者さんを真摯に思う姿にもひかれ、転職を決意しました」

AFTER 転職後

日本のトップ施設と同等の
高品質な内視鏡診断・治療を
温かな雰囲気の中で提供したい

34歳で内視鏡室を任され
信頼に応えようと努力

同院は、腹腔鏡手術治療の第一人者である金平永二氏が院長を務め、低侵襲治療の中でも臓器温存を主軸に診療を行っている。

吉田氏はいわば同院の根幹となる内視鏡室の運営を一任され、「白いキャンバスに絵を描くように、理想の内視鏡室を作ってほしい」と言われ、驚いたと話す。

「当時34歳だった私は、金平先生から大事な部門を任せてもらい、陰ながら支えていただきました。その信頼に少しでも応えたくて、『がん治療でトップレベルの病院と同等の高品質な内視鏡検査』を、『地域に根ざした温かな雰囲気の中で提供する』ことを目標に、スタッフ一丸となってきました。成果を上げなければ金平先生に申し訳ないので、その場合は半年で辞めようと覚悟していました」

吉田氏の考える高品質とは、内視鏡による診断・治療の精密さはもちろん、患者から見えない部分にも配慮し、安心で安全な医療を提供することだという。

「その点、当院のスタッフは非常に優秀で何をすべきかを熟知しています。患者さんの問診や状況把握など検査前に確認すべき点をしっかり抑え、検査を安全に行えるようにし、検査後も安心してお帰りいただけるようできる限り注意を払っています。こうした対応もあって、『この病院の内視鏡は丁寧で安心』と口コミで広がり、当院で内視鏡検査を受ける患者数は、私が着任してから3倍近くにまで伸びました。ただ当院で重視するのは数よりも、患者さん一人ひとりといかに深く関わり、満足いただけたかどうかです」

より低侵襲な治療であるESD(内視鏡的粘膜下層剝離術)はがんを的確に内視鏡で診断し、薄い粘膜下層を剥離する高度な治療技術が求められるが、これらは吉田氏の臨床経験や大学院での研究が存分に生かせる分野。

「どんなに困難な症例も最後まであきらめずに完全にきれいに切除し、病理診断に結びつけるようにしています。今までに800人以上の方にESDを行いましたが、皆さまに感謝の言葉をいただき、診療の励みになっています」

チームの一体感や教育など
転職後に心がけた3つのこと

医局を離れ、同院の内視鏡診療部長となって6年の間、3つのことを大切にしてきたと吉田氏。

「まずは看護師やメディカルスタッフとの一体感。大学病院ではどうしても医療の中心は医師との感じが否めませんでした。しかし当院は事務職も含め全員が『患者さんに良い医療を提供しよう』という気持ちにあふれ、その連携を生かして、各自が力を発揮できる環境づくりを心がけています」

吉田氏は院内で医療安全を含む5つのカンファレンスの責任者も務め、さまざまなスタッフと接する機会が多いのも楽しみと笑う。

「次に医師やスタッフの教育です。後進の医師に内視鏡の診断・治療に習熟してもらうことは、その人が将来診るであろう、多くの患者さんを幸せにすることにつながります。そのため出し惜しみなどせずに教えています。そしてカンファレンスを重視して、診断に迷うケースは必ず複数の医師の意見を聞いています。そんなやり取りが気軽にできる、オープンな雰囲気も当院らしさでしょう」

最後に医師としての厚みだけでなく、人間としての厚みも大切にしたいと吉田氏はいう。

「診療時間中は忙しいのですが、比較的に早い時刻に帰宅でき、子どもと遊んだり家庭のことを手伝ったり、読書や音楽も楽しむ余裕ができました。これまで治療技術ばかりを磨いてきましたが、転職してからは人間性も十分に養い、患者さんにとって『困ったときに、頼りになる親戚』のような存在になれたらうれしいですね」

内視鏡室で患者に説明する吉田氏 画像

内視鏡室で患者に説明する吉田氏

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
臓器温存治療とホスピタリティを重視

リニューアルにより
手術件数は8年で8倍超に

2012年の全面リニューアルで、同院は前身の病院から受け継いだ地域医療と、内視鏡を中心とした「臓器温存治療」の両分野を備えた病院に生まれ変わった。病床数は149床から80床に削減したが、臓器温存への期待から患者数は年々増え、リニューアル時点で年間200件前後だった手術件数も現在は年間1700件を超える。それに応じて職員を約80人から300人超に増強してきた。

院長を務める金平氏は、自分が師事したGerhard Buess教授の内臓温存治療という概念に共鳴し、臓器丸ごとの切除ではなく、病巣のみを適切に摘出する内視鏡手術の可能性を広げてきたと語る。

「臓器を温存することは根治性を失うリスクと隣り合わせです。しかし患者さんが温存を希望されているなら、それにできる限り応える方針を当院は貫いてきました」

そうした高度な技術を支えるのは、「自分が患者ならどうしてほしいか」と相手を思いやる心であり、それは同院の診療全般に及び、病院全体のホスピタリティの源泉になっていると金平氏は続ける。

「当院のプリンシプルは、『ひとびとの身体と心が癒えるのに役立つ〈態度〉』、『良いと思ったことを実現する勇気を持つ〈進取〉』、『当院で働くひとびと全員が互いに思いやり尊敬し合う〈仲間〉』の3つ。吉田先生も同じ思いで集まった仲間の一人で、面談時も技術の自慢でなく、患者さんの胃の温存を素直に喜ぶ姿が印象的でした」

吉田氏によりESDで治療可能な症例が増え、また「優しい先生で楽に手術が受けられた」と患者の評価も高いなど、その活躍に金平氏は満足していると話す。

同院の近隣には総合病院、大学病院、がん専門病院などがあり、難治性のがん治療等はそうした医療機関に任せたいと金平氏。

「当院は高度な内視鏡技術とホスピタリティを磨き、早期がん・良性疾患・機能性疾患で臓器温存が期待できる症例を中心に診る考えです。英語、中国語等に対応するスタッフもそろえ、海外の患者さんの受け入れも強化しています」

金平 永二氏

金平 永二
メディカルトピア草加病院 院長・外科診療顧問
1985年金沢大学医学部卒業。関連病院の外科に勤務後、1991年Tuebingen大学医学部外科(ドイツ)留学。Gerhard Buess教授のもとで内視鏡外科手術を学び、金沢大学心肺・総合外科(現 先進総合外科)講師に。2002年からフリー外科医となり、国内外で多数の内視鏡手術を行う。2005年四谷メディカルキューブきずの小さな手術センター長、2008年上尾中央医科グループ内視鏡外科アカデミー代表、上尾中央総合病院外科診療顧問を経て、2012年から現職。

メディカルトピア草加病院

1979年開設の埼玉草加病院が上尾中央医科グループとなり、診療科や病院名の変更、新病院建築など全面的にリニューアルし、2012年から新たな体制でスタートした。病床数を149床から80床にスリム化する一方、延べ床面積は1.5倍に増やし、ゆとりある空間で診療を行っている。グループ内で同一医療圏にある2病院と連携して機能の分化・補完を図るトライアングル総合診療構想のもと、同院は急性期かつ専門性の高い医療を担い、臓器温存の治療に強みを持つ病院として全国的に知られる。海外からの医療ツーリズムの患者の受け入れも進めている。

メディカルトピア草加病院

正式名称 医療法人社団協友会
メディカルトピア草加病院
所在地 埼玉県草加市谷塚1-11-18
開設年 2012年(リニューアル時)
診療科目 内科、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科、
糖尿病内科、外科、内視鏡外科、婦人科、
泌尿器科、女性泌尿器科、整形外科、小児科、皮膚科、
麻酔科、リハビリテーション科
病床数 80床(一般80床)
常勤医師数 29人
非常勤医師数 38人
外来患者数 400人/日
入院患者数 47人/日
(2020年1月時点)