VOL.62

まだ命を救う現場にいたい。
医療への思いから転身し、
理想の医療現場を構築中

池上総合病院
外科 飛田 浩輔氏(55歳)

埼玉県出身

1987年
東海大学医学部卒業、同大学医学部付属病院 前期研修
1989年
国立大蔵病院(現・国立成育医療研究センター) 外科 医員
1990年
東海大学医学部付属病院 外科 後期研修医
1992年
東海大学医学部付属大磯病院 外科 助手
1994年
日本鋼管病院 外科 医員
1995年
東海大学医学部付属東京病院 外科 助手
1997年
東海大学医学部付属病院 消化器外科 助手
2001年
東海大学医学部付属病院 消化器外科 講師
2010年
東海大学八王子病院 消化器外科 外科医長
2011年
東海大学八王子病院 教育研修部次長
2015年
医療法人社団松和会 池上総合病院 外科科長・臨床研修部長

約30年近く過ごした大学病院に不満はなかった、と言う飛田浩輔氏。それでも転身を決意したのは、自分の手で患者の命を救う現場からは離れたくないとの思いからだ。そして「ここなら理想の職場が作れそうだ」と感じる病院との出会いが後押しをした。新天地で1年がたち、新たな挑戦が続く充実の日々を送る飛田氏に聞いた。

リクルートドクターズキャリア6月号掲載

BEFORE 転職前

世界的に著名な恩師のもと、
自らも手術で腕を磨いた
約30年の大学病院時代

小学生で読んだ教科書が医療への熱い思いの始まり

医師という職業が自分の目標になったのは小学生の時、と言う池上総合病院(東京都大田区)外科科長の飛田浩輔氏。

「その頃まだ開発途上だったネパールの無医村を回り、患者さんを診ている日本人医師のエピソードを教科書で読み、すっかり感化されたのです。医師とは何とすばらしい仕事なのだろうと。両親とも医療とは無関係の家系でしたが、私にとっては医学部に進むことが最も自然な選択でした」

当時の純粋な気持ちを今も照れずに語る飛田氏は、その熱い思いを抱いたまま医学部に進み、医療の現場に飛び込んでいった。

「ネパールの話が自分の根っこにあるせいか、『ギリギリの状況で患者さんの命を救うのが医療』とのイメージが強く、白血病など難しい病気に取り組む血液内科を所属の第一候補にしていました」

しかし東海大学医学部付属病院に前期研修で入った際、ローテーションとして血液内科以外に消化器外科を回ったことで、新たな道が見えてきたのだと言う。

「消化器外科は朝から夜遅くまで手術の連続。しかもその病院は神奈川県西部の救急医療も担っていたため、病気や交通事故などで重篤な患者さんも数多く受け入れていて、まさに命を預かる現場を目の当たりにした研修でした」

自分のイメージ通りの世界を見つけた飛田氏は研修後、所属を予定していた血液内科には丁寧に断りを入れ、消化器外科医としてのキャリアをスタートさせた。

教授への反骨精神から肝胆膵がんを自分の専門に

消化器外科の医師が扱う疾病の多くはがんで、命を預かる現場の最前線で力を発揮したい飛田氏には願ってもない分野。さらに病院で上司となった教授との出会いが、次のステップへ進めてくれた。

「私の指導にあたったのは、食道がん治療で世界的に有名な幕内博康先生。本来はその道に進むのが順当なのでしょうが、私は反骨精神というか、それ以外の消化器がんをやろうと思ったのです」

そこで選んだのが当時まだマイナーな分野だった肝胆膵のがん。

「肝胆膵を専門的に診療し始めたのは1995年に赴任した東京病院から。その2年後に移った東海大学医学部付属病院は毎日のように手術が続き、その忙しさの中で教授に依頼された論文を書いて学会発表にも出る……と、非常にハードな職場。同時にとても充実して、楽しい日々が過ごせました」

反骨といってもそれは飛田氏の専門分野選びについてであり、実際の手術のやり方などは幕内流直伝で厳しく仕込まれた。また2003年からは、膵がん治療のエキスパートである今泉俊秀教授を上司に迎え、より高度な技術指導も受けられたと言う。今泉教授の着任後、同院の膵がんの治療成績は目に見えて向上していく。

「今泉先生を招くため、当時病院長の幕内先生が尽力されたと聞きます。『この機会に膵がんをもっと学べ』と幕内先生なりの配慮もあったのでしょう。その気持ちを非常にありがたく受け止めました」

命を救う最前線にいるため自分の理想の環境を探す

飛田氏が30年近くも大学病院にいたのは、このようにすばらしい技術を持つ医師と巡り会い、腕を磨き続ける環境に恵まれたからだ。その点は非常に幸せな時代を過ごせたと振り返る。

「しかし50歳を超えると、さまざまな事情から大学病院では治療の最前線に立つのが難しくなります。もっと自分の手で患者さんを救いたかった私は、大学病院に残るかそれ以外の道を選ぶか、かなり悩み続けました」

大学病院でなくとも肝胆膵を中心に消化器がん治療を行う、小回りの利く医療機関はないか。そのような自分が理想とする職場探しを続けるうち、幾人かの知人に共通して紹介されたのが東京都にある池上総合病院だった。

「ここは民間経営で地域医療との連携も重視しますが、二次救急をはじめ高度な医療にも意欲的な病院。私の大学の先輩でもある町村貴郎名誉病院長の『地域医療をこの場で完結させたい』との思いにも共感し、私が理想とする医療に挑戦しようと考えました」

AFTER 転職後

難易度の高い手術に
毎日でも対応できる態勢で、
地域のニーズに応える

内科医からも信頼を得て肝胆膵がん手術が大幅な伸び

2016年3月で池上総合病院での最初の1年を終えた飛田氏。ようやく先の灯りがうっすら見えたところで、まだ結果を問える段階ではないと語る。

それでも院内に肝胆膵の専門家がおらず、他院への紹介しかできなかった状況は一変。例えば肝胆膵がんの手術は一昨年の0から翌年19へと手術件数を大きく伸ばした。診断する内科医も、飛田氏が来て院内手術の選択肢が広がったことを歓迎しているのは明白だ。

「患者さんに院内での手術を勧めてくれるのは、私たち外科チームが期待され、信頼されている証でしょう。外科も内科も多様な分野の医師が同じ医局にいて、声をかければすぐ相談もでき、話がまとまりやすいのもいいですね」

もちろん地域と深くつながる病院だけに、外科も難易度の高い手術に特化はできない。それでも難しい手術が常時できる態勢でなくては、患者のニーズに充分に応えられないと飛田氏は言う。

「○○先生が来る日は難しい手術ができます。それに合わない場合は他院を紹介します……では地元の方は安心して受診できません。ここで治したいから受診するのであって、よそに行きたくないのが患者さんの本音でしょうから」

常に難しい手術ができればそうした患者の期待に応え、地域内で高度な医療まで一通り完結できるようになる。「来る患者全員をここで治したい」とは同院の町村名誉院長、臼井和胤院長の悲願でもあり、飛田氏はそうした経営陣の心強いバックアップを受け、外科チームを率いている。

大学病院での経験を生かしチーム力の向上を目指す

では自らの新たな挑戦の舞台となった池上総合病院を、飛田氏はどう捉えているのだろう。

この病院は東海大学と縁が深い松和会が運営するため、同大学病院の医師も数多く加わって同院で地域医療を支えている。

「このため同じバックボーンを持つ医師が多く、私と一緒に現場に立った後輩もここにいます。それだけに大学病院での経験を生かした医療に適した環境なのです」

もっとも、難易度の高い手術は飛田氏一人の力では実現できず、外科チーム全体のレベルアップが必要。それは試行錯誤の中で着実に進んでいると飛田氏は見ている。

そしてメンバー一人ひとりが納得のいく医療にこだわり、腕を磨いてチームの質を向上させ、病院全体の評価を良くし、患者の満足につなげたいと言う。

「そこまでいけば将来は研修医も受け入れたいですね。私が研修医時代に新たな道と出会ったように、若手医師が新しい可能性を見いだす機会になればと思っています」

質の高い医療と私生活の充実その両立も新たな挑戦に

飛田氏にとって予想外だったのは自らのワークライフバランスの向上だ。振り返れば激務に追われていた大学病院時代、仕事がすべてに優先する毎日だった。

「その頃に比べれば随分と早く帰宅でき、自分の自由時間も増えました。人生で初めて犬を飼い始め、好きだったテニスの練習にもコンスタントに通っています。もともと私は手術を続けたくてこの病院に来たので、こうした普通の生活までは想像しておらず、やや戸惑っています(笑)」

しかし今後の成長が期待できる若手スタッフにとっては、仕事と生活の良好な関係が欠かせないことは飛田氏も実感している。

「質の高い医療とそれに付随する業務を勤務時間内に凝縮し、プライベートにゆとりをもたせること。今後はそうしたメリハリある診療の実現を次のチャレンジと捉え、積極的に取り組みたいですね」

外科チームによる症例検討会

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
救急から看取りまで幅広い診療が特色

地域の医療ニーズに対応し常に変化を目指す病院に

池上総合病院の病床数は384と大田区内では大規模な民間病院に属する。そのうち94床が療養病床、290床が一般病床で、ICUも14床備えている。

「当院は二次救急指定病院、24の診療科を持つ総合病院、そして急性期後の患者さんが院内で療養病床に移れるケアミックス病院といくつもの顔を持ちます。その根底には、この地域の医療をすべて引き受けたいとの思いがあります」

そのように熱っぽく語る同院の臼井和胤院長は、2012年の病院長就任以来、次々と改革を進めてきた。それも強引に押し切るのでなく、反対派ともじっくり話し合った末の合意によるもの。論理的主張はブレることなく、同時に相手の気持ちも配慮する臼井院長ならではの成果といえる。

「改革で定着した診療の多様性は当院の魅力の一つ。幅広く経験したい医師には最適な環境でしょう。例えば循環器内科ではカテーテル治療を行い、並行して高齢の患者さんも診ています。またジェネラリスト希望で入職した場合も、やりたい分野が見つかれば院内で専門家も目指せるのです」

最近は往診も開始し、また総合内科での専門医の育成、小児科の医師を含めたプライマリードクターの育成にも取り組んでいる。このように変わり続ける同院に、アクティブな考えの飛田氏はよくマッチしていると言う。

「若手医師の育成、新たな分野へのチャレンジ、コスト削減の提言など、飛田先生の取り組みはとても高く評価しています。もちろん医療面での貢献も大きく、食道、大腸の専門家に加え、肝胆膵の専門家が加わったことで、当院の診療に厚みが増しました」

そのような積極的な医師を歓迎する同院は、ワークライフバランスの充実も見逃せない。

「この地域はターミナル駅や空港に近く、各地の学会にも行きやすい利便性の一方で、家族での暮らしやすさ、お子さんの学校選びの幅広さなど生活面でも安心です。仕事と生活の質、両方が高められるのは間違いありません」

臼井 和胤氏

臼井 和胤
医療法人社団松和会 池上総合病院
院長
1988年、東海大学医学部を卒業。専門は循環器内科で、東海大学医学部付属病院、沼津医師会病院、平塚市民病院を経て1998年に池上総合病院に赴任し、現場の医師やスタッフと共に同院の経営建て直しに尽力する。2012年に院長就任。

池上総合病院

総合内科のほか消化器内科、循環器内科、脳神経外科、呼吸器外科など24の診療科目・384の病床を持つ池上総合病院は、医療連携室を中心に近隣の医療機関と密接に連携。駅から徒歩約1分の好立地と充実した診療体勢により、東京都最南部の地域医療の中核を担っている。また二次救急指定病院となる一方、一部を療養病床に転じるなど、地域ニーズへのきめ細やかな対応は住民からの評価も高い。医師やコ・メディカルスタッフも新たな取り組みに意欲的で、風通しのいい雰囲気も魅力だ。

池上総合病院

正式名称 医療法人社団松和会 池上総合病院
所在地 東京都大田区池上6-1-19
設立年 1993年
診療科目 内科、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科、
神経内科、腎臓内科、糖尿病・内分泌内科、外科、整形外科、
脳神経外科、心臓血管外科、呼吸器外科、泌尿器科、リウマチ科、
眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科、婦人科、歯科口腔外科、
リハビリテーション科、麻酔科、放射線科、
病床数 384床(一般290 療養94)
常勤医師数 54人
非常勤医師数 80人
外来患者数 833人/1日
入院患者数 15人/1日
(2016年5月時点)