VOL.86

矯正施設からの社会復帰のため
被収容者の心身の健康を支え
地域への受け入れも進めたい

大阪医療刑務所
外科 加藤保之氏(66歳)

大阪府出身

1978年
大阪市立大学医学部 卒業
同学部 第一外科 入局
1984年
同大学院医学研究科博士課程 修了
同大学医学部 助手
1998年
同大学医学部老年医学研究部門腫瘍分野 助教授
2002年
大阪医療刑務所 医療部長に就任
2010年
同所長に就任

長く医局に籍を置き、教育・研究・臨床のすべてに力を注いだ加藤保之氏は、「患者さんが手術で良くなる手応えがうれしくて、がむしゃらだった」と当時を振り返る。その後、2人の恩師が転機をもたらしたが、それは50歳になって突然訪れたとも、20年以上前から準備されていたとも見える。大学教員から法務省矯正医官へ。出会いが生んだ加藤氏の選択を紹介する。

リクルートドクターズキャリア6月号掲載

BEFORE 転職前

がん治療を専門としながら
社会医療の現場で診療も経験
次の扉へは恩師が導いてくれた

矯正施設の被収容者に
医療を提供する理由

大阪市と隣接する政令指定都市の大阪府堺市に、日本に4か所しかない医療施設の一つが置かれている。刑務所や拘置所、少年院など矯正施設の被収容者のうち、より専門的な医療が必要な患者を受け入れる大阪医療刑務所だ。

加藤保之氏は大阪市立大学医学部で助手、助教授を務めた後、2002年に同所医療部長に就任。その後、所長となった。

「矯正施設は治安を維持する最後の砦ともいえ、日本が安心・安全な社会であるために大いに貢献していると思っています。これらの施設で被収容者の心と体の健康管理を行い、また病気やけがをした場合に適切な医療を提供するのが、それぞれの矯正施設に配属された医師の役目なのです」

しかし施設内の診療所では長期入院や手術への対応は難しく、そうした患者は大阪医療刑務所を含む4か所の医療専門施設が診療を担っていると加藤氏はいう。

「被収容者を改善更生させる教育や職業指導も、各自の健康なしには成り立ちません。ですからその治療は国が責任を持って行う社会医療だと私は考えています」

忙しくも手応えを感じる
医局で20年以上過ごす

そんな加藤氏が医師になったのは、小学校入学直後に父親が急死したことが影響しているという。

「私の入学式に参列した父はそのまま市民病院に入院し、2か月後に亡くなったのは非常にショックでした。それから私は『人はなぜ病気になるのか』『どうすれば治す術が見つかるのか』と考えるようになり、医師を目指したのです」

医学部を卒業した加藤氏は消化器外科や一般外科を主とする第一外科に入局。臨床研修で外科医としての基本を身につけた後、本格的に医療現場に出ると同時に大学院に進学した。修了後は医学部で助手となり、胃がんや乳がんを専門に診療を行っていた。

「大学教員は教育・研究・臨床をすべて担うため非常に忙しいのですが、患者さんが手術で良くなっていく手応えを感じ、がむしゃらに突き進んでいました。そのため家庭を疎かにしたことは否めず、妻には心配され、娘からは『私は医師とは絶対に結婚しない』と宣言されてしまいましたね(笑)」

さらに1998年に同医学部が設立した老年医学研究部門で腫瘍分野の助教授となり、胃がん、乳がんを中心に高齢者のがんに関する治療と研究に従事。忙しさはピークを迎えることになる。

矯正施設への転身を
後押しした2人の恩師

加藤氏がキャリアチェンジを意識したのは、50代を前に激務を見直したいと考えたからだが、その流れを後押しした2人の恩師の存在も欠かせないという。

まず前述した社会医療の視点を養うきっかけとなったのが、本田良寛氏との出会いだった。本田氏は1970年にあいりん地区に開設された大阪社会医療センター付属病院の初代院長。大阪市立大学医学部と大阪市・大阪府が同センターの運営を支援しており、加藤氏も忙しい合間を縫って20年以上も診療に加わっていた。

「本田先生はセンター近隣に多く住む日雇い労働者など、十分に医療を受けられない人には社会として医療を提供すべきと、診療に心血を注がれていました。その姿から、どんな患者にも必要な医療を提供する姿勢を学びました」

さらに加藤氏が医局入局後に指導してくれた先輩が、大阪医療刑務所の所長に就任。そして加藤氏が50歳になった2002年、「当所の医療部長が退職するのでこちらに来ないか」と先輩から打診されたという。

大阪医療刑務所は法務省矯正局に属する矯正施設の一つで、入省した医師の身分は国家公務員の矯正医官となる。一般的に残業はほとんどなく、生活面でのゆとりができると加藤氏は考えた。

「矯正施設の被収容者が対象の医療を矯正医療と呼び、一般の診療とは異なる状況での診療となりますが、センターにいたおかげで違和感はありませんでした。それに被収容者には特定の疾患が多いなど偏りはあっても、『病気でなく、人を診る』という診療姿勢は変わらないと考えたのです」

AFTER 転職後

社会が支えてくれる矯正医療
だからこそ地域と密に連携し
住民の理解を得られる医療を

患者と医師の信頼関係を
作るのが難しい矯正医療

大阪医療刑務所は西日本にある矯正施設から内科、外科、精神科、泌尿器科等の患者を受け入れ、透析治療も行っている。同所に送られてくる患者の半数はがんで、所内での手術は2017年度で100件ほど行われ、やはり消化器や呼吸器、泌尿器等の悪性腫瘍の切除がその大半を占めている。

「確かに病気を診断し、それに対して治療を行うという点では一般の病院での診療とさほど変わりませんでした。しかし医療の根本となる患者と医師との信頼関係の構築は難しい場合が多く、どうしても被収容者と管理者という立場が表に出てしまうのです」

被収容者の中には「治療してもらって当然」という権利意識の強い者もいて、感謝の気持ちを伝えてくれることが少ないように思うと加藤氏。さらに分子標的薬など高額ながん治療をどこまで行うかなど、検討すべき点も増えた。

「その中でもやりがいを挙げるなら、矯正医療に決まった教科書はなく、多様な状況を経験しながら自分なりの解答を得ていく機会に恵まれることだと思います」

同所の理念制定を通じて
矯正医療=社会医療を実感

診療部長として医療現場に出ていた時期は、こうした迷いを感じながらの診療だったと加藤氏は振り返る。その後に迷いを脱し、矯正医療に対して明確な考えを持つ契機となったのは、2010年の所長就任だという。同所には医師、看護師、薬剤師、リハビリの専門職、被収容者の処遇を行う部門など多様な立場の職員がいるが、各自の見方・考え方を同じに整える指標として、「大阪医療刑務所の理念」制定の機会を得たからだ。

「職員からも意見を募って練り上げたもので、矯正医療が安心・安全な社会に貢献すること、当所での専門医療が他の矯正施設の支援になること、被収容者の病気回復とともに社会復帰を支援することなど、5項目にわたります」

そして理念を制定する中で、恩師の一人である本田氏のいう社会医療、医療が行き届かない人には社会がそれを提供するという考えが、矯正施設での医療にも当てはまると加藤氏は実感した。

「2015年に法務省矯正局が発表した『いきいき・きょうせいプラン2015』でも矯正医療は矯正行政の基盤と示され、私たちの拠り所の一つとなりました」

もっと地域に受け入れられる
医療刑務所を目指して

加藤氏は大学教員のときに数多くの指導医、専門医を持ち、後輩に「どれが本当の専門ですか?」と冗談交じりに聞かれたほど。

「残念ながら以前は公務員の兼業が制限され、更新に必要な症例数を確保できずにほとんどを手放しました。しかし今なら『矯正医官特例法』で兼業やフレックス勤務が可能になり、専門医を維持できる環境が整ったと思います」

現在、同所の常勤医は定員17人をほぼ充足する16人で、うち4人が女性。男女を問わず、矯正医官特例法を活用して柔軟な働き方をする医師は増えているようだ。

常勤医の専門分野は多様だが、すべての治療を所内で行うことは難しいため、外部医療機関と協力して検査を近隣の病院に依頼したり、高度な手術は外部から専門の医師を招いたりするという。

「このため外部医療機関との連携は重要で、定期的に協議会を開いて当所の診療内容を伝え、当所からの救急搬送は医師が必ず同乗して、受け入れ先の病院の不安を減らすなど工夫しています」

加えて地域の住民には被収容者の製作物を販売する矯正展で、同所のPRにも力を入れている。

「公的費用で行う社会医療は国民に支えられていますから、多くの皆さんの理解が得られる医療刑務所でありたいと願っています」

大阪医療刑務所内の手術室。悪性腫瘍の治療などで使われることが多い。 画像

大阪医療刑務所内の手術室。悪性腫瘍の治療などで使われることが多い。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
被収容者の健康管理で社会復帰を支援

階層化されたシステムで
医療と予算の最適化を図る

矯正施設の被収容者が社会復帰を目指して教育や職業訓練を受ける際、健康の保持・回復は非常に重要なファクターとなる。このため各矯正施設には診療所や病院が置かれ、法務省所属の矯正医官(医師)が健康管理に当たっている。

「矯正医療はこれら一般施設での診療をベースに、階層化したシステムで医療や予算の最適化を図っています。例えば成人の被収容者の場合、一般施設で対応できない症状なら医療重点施設となっている矯正施設に移送。さらに専門医療が必要なケースは、大阪医療刑務所をはじめとする医療専門施設が受け入れる仕組みです」

そう説明するのは法務省大阪矯正管区の林真輝氏。各施設で医師が担う役割も異なり、一般施設の矯正施設では総合診療医的な位置付けだという。一方で医療専門施設は急性期を中心に開胸・開腹手術や内視鏡治療も手がけ、各医師の専門性を生かした医療が特徴だ。

とはいえ高度な先進的医療は含まれないが、社会一般の医療の水準に照らし、適切な医療上の措置を講じている。

「加藤先生は同所の運営、後進の育成はもちろん、近隣の大学医学部や医療機関を訪ねて矯正医療への理解を求め、密接な連携を図るなど積極的に活動され、その姿にいつも感銘を受けています」

林氏は矯正医療になくてはならないと加藤氏を高く評価する。

なお医療専門施設は全国に4か所あるが、北九州医療刑務所(福岡県)、岡崎医療刑務所(愛知県)は精神疾患が専門。身体疾患及び精神疾患を診るのは大阪医療刑務所と東日本成人矯正医療センター(東京都)となっている。また岡崎医療刑務所は診療所のため当直は行われないが、残りの3施設は病院のため当直も行われる。

残念ながら矯正医官の人材確保はまだまだ不十分な状態が続いているが、「矯正医官の兼業の特例等に関する法律」によって兼業が可能になり、働きやすくなったと林氏はいう。女性活用も進み、全国で約40人の女性医師が矯正施設に勤務している。

林 真輝氏

林 真輝
法務省 大阪矯正管区矯正医事課 課長
刑務官として各地の刑務所で勤務し、法務省大臣官房会計課、法務省矯正局矯正医療管理官室での業務を経験し、2015年4月から現職。

大阪医療刑務所

同所は1974年、身体および精神疾患の被収容者を診療する医療専門施設として開設。JR堺市駅から徒歩15分ほどの交通至便な場所にあり、外部医療機関と連携しやすい点も特色だ。1983年に人工透析や集団作業療法を開始し、1989年には集中治療室を新設。2013年は設備更新として16列のCTスキャナを導入するなど、医療ニーズに応じて着々と進化してきた。現在は西日本の総合的な医療センターとして、各地の矯正施設から移送されるさまざまな患者を受け入れている。主な疾患は悪性新生物、消化器系疾患、循環器系疾患、感染症、精神科疾患など。これらが複合する患者もいるため、各診療科や外部医療機関との連携に力を入れている。

大阪医療刑務所

正式名称 大阪医療刑務所
所在地 大阪府堺市堺区田出井町8-80
開設年 1974年4月
診療科目 内科、外科、泌尿器科、呼吸器内科、
呼吸器外科、婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、
整形外科、放射線診断科、腎臓内科、
精神科、皮膚科、歯科
収容定員 267人(うち女子23人)
常勤医師数 16人
所内診療患者数 80人/日
(2018年5月時点)