VOL.65

家族と一緒に暮らしながら
地域に根ざした診療ができる
そんな環境を選んだ

玄々堂君津病院
消化器外科 久保田 将氏(39歳)

千葉県出身

2006年
埼玉医科大学医学部卒業
2006年
埼玉医科大学総合医療センター 研修医
2008年
埼玉医科大学総合医療センター
消化管・一般外科(現:消化管外科・一般外科) 入局
2009年
埼玉医科大学病院 消化器・一般外科 助教
2010年
埼玉医科大学総合医療センター
消化管・一般外科 助教
2011年
太田西ノ内病院 外科
2012年
埼玉医科大学総合医療センター
消化管・一般外科 助教
2014年
玄々堂君津病院 消化器外科 入職

世界的に著名な医師でない限り、どの診療科も「患者を一定の基準に沿って診療する」という基本姿勢に、大きな違いはないのではないか? 取材時、久保田将氏が何度か口にした言葉だ。それでは何を基準に自分の活躍の場を選ぶのか。医師になって10年近くたったとき、久保田氏が出した結論は生まれ育った地域で、というこだわりだった。

リクルートドクターズキャリア9月号掲載

BEFORE 転職前

消化器外科チームとして
患者の手術を成功させるため
一生懸命になっていた

外科医になった原点は祖父と『ブラック・ジャック』

ずっと大学の医局で、附属の病院を中心に10年近く診療を続けてきた久保田氏。2年半前、玄々堂君津病院(千葉県)に移ったのが初の転職で、今ではここに骨を埋めるつもりと笑顔を見せる。

そんな久保田氏が医師への道を歩み始めたきっかけの一つは、父や祖父が医師で、自分にとってなじみ深い仕事だったからだ。

「父は勤務医で、祖父は千葉県と茨城県の県境近くで開業医をしていました。小さい頃は休みのたびに祖父のもとに遊びに行きましたし、けがの手当もしてもらうなど、頼りになる存在でしたね」

もう一つは手塚治虫が描く『ブラック・ジャック』への憧れから。誰にもまねできない高度な手術で、患者を救う姿に魅力を感じた久保田氏にとって、外科を専門に選んだのは自然なことだった。

「当時は薬や点滴での治療より、手術による治療の方が劇的に物事が動くと思っていたんです」

大学を卒業して大学病院で研修を受け、消化管・一般外科に入局。消化器がんの手術を主に担当し、1年半後に別の大学病院に移り、また以前の病院へ。そんな慌ただしさの中で久保田氏は結婚し、生まれ育った千葉市内に住んで3人の子どもにも恵まれた。

「勤め先は埼玉県で自宅とは離れていますから、ほぼ単身赴任みたいな感じで(笑)。週末など帰れるときには自宅に戻り、家族との時間を大切にしていました」

ひたすら技術を磨くことに疑問を感じた矢先の赴任

順風満帆のように見える生活の中、少しずつ頭をもたげてきたのは将来に対する不安だ。ブラックジャックのように、あるいは病院にいるトップクラスの先輩たちのように、「これは自分にしかできない」と言える技術を持つ外科医になれるのだろうか?

「確かに凄腕の外科医に憧れて医師になったものの、それが自分の目指す姿なのかと考えると、よくわからなくなって……」

本当は開業医だった祖父のようになりたいのではないか? 生まれ育った千葉を離れたままでいいのか? そう意識し始めた頃、久保田氏の次の赴任先が決まった。

「病院は福島県郡山市。首都圏からだいぶ離れた場所にあり、これはさすがに家族全員で引っ越しだろうと思っていました」

患者の生死を正面から受け止める医師になりたくて

郡山市への赴任予定は2011年4月。そろそろ本格的な準備に入ろうとしていた3月11日、東日本大震災が起こった。

「病院の先輩たちに心配され、私もずいぶん悩みましたが、少しでも現地の役に立てればと、予定通り4月から赴任したんです」

とはいえ被害状況もよくわからない中で家族まで連れて行くのは難しく、単身赴任を選んだという。

「町を一回りすれば仮設住宅が目に入り、さまざまな事情でここを去る人もいれば、残る人もいる。そんな厳しい環境の中、現地の同僚に子どもが生まれたと聞くとホッとすると同時に、自分が妻や子から離れているつらさを改めて感じましたね」

家族への思いが募る一方、久保田氏は病院での診療にも戸惑いを感じていた。それまで大きな病院で先輩医師を中心としたチームでの手術がほとんどだったため、

「自分が担当する手術を一生懸命やることに終始して、患者さんを一人の人間と捉えた診療まで至らなかったように思います。しかし赴任先では、その人の生死に正面から向き合う気持ちが日増しに強くなっていきました」

それが病院の雰囲気だったのか、地域性なのか、震災のせいなのかまではわからないと久保田氏は言う。しかしここでの経験が、家族と一緒に暮らしながら、患者をじっくり診る地域医療に従事するという将来像を明確にし、転職を促したのは間違いないようだ。

転職先は自宅から通えて、総合診療科で患者を診ながら自分なりのスペシャリティも伸ばせるところ、が久保田氏の条件だった。

「そして、できる限り長く勤められる病院が希望でした。それまで1、2年で病院を変わっていたので、今度は腰を据えて患者さんと向き合いたいと思ったのです」

AFTER 転職後

総合診療科も担当しながら
消化器や腎臓などの分野で
自分なりの強みも育てていく

外来、入院、緩和までずっと患者を診ていく体制

久保田氏が自分なりの条件をもとに転職先に選んだのが玄々堂君津病院。同院は千葉県房総半島の東京湾沿いにあり、総合診療科に加え、腎移植など腎臓病診療を中心とした専門外来で構成される。

「ここでは医師が専門領域を持ちながら総合診療科も担当します。私も消化器外科と並行して診ることで、患者さんの顔と名前、家族背景や社会背景などがすぐに浮かび、一人ひとりを意識した診療ができるようになりました」

また以前いた大学病院では患者との接点は手術のときくらいだったが、同院の場合は外来診療、入院、緩和まで、1人の医師が同じ患者を診ることも珍しくない。そして治療を終えて退院する患者はもちろん、看取りを終えた患者の家族からも感謝されるそうだ。

「先生に診てもらってよかったといった言葉をいただく機会も多く、私も目頭が熱くなります」

専門性の高い病院での手術と違う、総合診療科ならではの喜び。最初からこの道に進まなかったのが不思議に思えると久保田氏。

むろん卒業後すぐに総合診療では難しかったろうし、大学病院での経験が役立っていることは十分わかっているが、そう思えるほど現状に納得しているという。

「今では私自身も、病気になったら1人の医師にずっと診てほしいと思うようになりましたね」

患者を総合的に診る幅広さと専門性を養うために

さらに自分なりのスペシャリティを伸ばしたいという期待にも、しっかり応えてくれるようだ。

「外科手術のため自分で内視鏡検査も行うようになり、また腎臓内科の診療チームにも入って知識が広がりましたし、新しいシャント手術なども経験しています」

がん治療も以前のように手術だけを担当するより、化学療法や緩和ケアも含め、最初から最後まで診たいという思いも強くなった。

「そのためには幅広さに加えて相応の専門性も必要で、それが自分のスペシャリティになるのだと思います。これは当院の池田院長の『地域の中で高度な医療まで手掛け、患者さんを点ではなく線で診る』という考えとも一致するのでしょう」

しかも同院には腎移植が得意、総合診療科が希望、血管外科に力を入れたいなど、さまざまな考えと経験を持つ医師が集まっている。

「もともと和気あいあいの雰囲気ですが、どの医師も総合診療科を担当しているので顔見知りになり、何かわからないことはすぐに聞けるので、とても勉強になりますね」

スペシャリティを持ちつつ総合診療で活躍する医師に学ぶことは多く、自分の診断力も高まると久保田氏は成長を実感している。

毎日家族と暮らせる幸せと地域に貢献できる喜び

誰でも医師になって10年前後でひと息ついて、これまでを振り返り、将来を考える時期が来るのではないか、と久保田氏は言う。

「もちろん大学に残ればよくも悪くも安定して、先輩たちを参考に自分の将来像も描きやすいのは確か。しかし私が転職を決意したのは、このまま家族と離れて暮らすのか、自分が骨を埋める場所はどこがいいのかと悩み、家族と一緒に千葉で暮らしたいという結論に至ったからです」

世界的に高度な手術ができる外科医でもない限り、患者に対し一定のガイドラインに沿って診療するのはそう変わらない。どの病院、どの地域で行うかを選ぶのが、自分にとって大切だったと久保田氏。

今は自宅から車で往復2時間の通勤だが、家族と一緒に暮らせるから問題ないと笑って答える。

「以前は週末だけか、月数回しか家族に会えませんでしたからね。自分が地域に貢献できていることも実感できますし、このまま同じ病院で診療を続けるつもりです」

現在は内視鏡検査も自ら手掛ける久保田氏(写真中央)。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
総合診療を軸に高度な専門医療まで提供

若い人材を多く受け入れ長く勤められる環境を整備

玄々堂君津病院は40年を超える歴史を持ち、「何でも相談できる外来」である総合診療科をベースに全人的な医療を提供してきた。また二次救急指定病院として救急医療にも力を入れている。

「高齢化が進めば、どこかしら具合が悪いという患者さんも増え、救急搬送も多くなります。医療と介護の連携も念頭に、地域に求められる診療を提供し続けるのが当院の使命と考えています」

と語る院長の池田重雄氏。さらに地域の中で医療が完結できるよう、専門分野の充実も図っている。その代表例が腎臓病診療だ。総合腎臓病センターとしてすでに多くの透析患者を受け入れ、シャント手術は年400症例を超え、年間一定数の腎移植も行ってきた。

「当院なら重症な患者さんも含め最初から最後までしっかりと診療を経験してもらえるでしょう。腎臓病以外でも、高度な医療を提供することで、『点ではなく線で患者さんに関わっていく』ことが可能になるはずです」

こうした考えのもと、同院では外来、入院、緩和と1人の医師が同じ患者を担当。さらに重篤な場合は君津中央病院など基幹病院と連携し、より高度な医療を受けてもらうこともできる。

これからは総合診療科と並行して各種の専門外来を経験することで、自分に合った専門性を持つ医師に育ってほしいと池田院長。

「一定の経験を持つ人でも研修を終えてすぐの人でも、地域医療に興味があれば当院に是非来ていただきたいですね。もちろん長く勤めたいという希望は大歓迎で、診療レベルは十分維持しながら当直を減らし、給与も休みもある程度は確保するなど、働きやすさを考慮して病院を運営しています」

また結婚や出産でキャリアが途切れないよう、院内に保育所を設けるなどの配慮も欠かさない。そのためか同院には勤続10年、20年の職員も当たり前だという。

「もともと医療資源が乏しい地域ですから、若い人材を育てて長く活躍してもらうことが、将来の地域医療に欠かせないのです」

池田 重雄氏

池田 重雄
特定医療法人新都市医療研究会「君津」会 玄々堂君津病院 院長
1991年に東京大学医学部卒業後、東京大学医学部附属病院、河北総合病院、癌研究会附属病院(現・がん研究会有明病院)などで経験を積む。2000年から2003年にアメリカのテネシー大学やウィスコンシン大学の外科で研究員を務め、茨城県立中央病院・茨城県地域がんセンター外科医長、南大和病院副院長を経て、2014年から玄々堂君津病院院長。

玄々堂君津病院

同院では総合診療科を中心に地域医療を充実させながら、医師がそれぞれ専門分野を持ち、各種の専門外来で診療も行っている。こうした体制は患者にとって、1人の医師が総合的に診てくれる安心感につながるだろう。関連施設にクリニックと訪問看護ステーションを持ち、介護施設も開設予定。医療と介護との連携など地域に求められる医療サービスを提供していく。また透析をはじめとする腎臓病診療に力を入れ、腎移植では東京女子医科大学の協力を得て、地元での安全な移植医療を目指している。

玄々堂君津病院

正式名称 特定医療法人新都市医療研究会「君津」会 玄々堂君津病院
所在地 千葉県君津市東坂田4-7-20
設立年 1974年
診療科目 内科、糖尿病・内分泌内科、腎臓内科、
消化器内科、循環器内科、呼吸器内科、血液内科、
神経内科、外科、消化器外科、腎臓外科、整形外科、
乳腺外科、血管外科、泌尿器科、アレルギー科、リウマチ科、
放射線科、人工透析内科、リハビリテーション科
病床数 160床(一般132床 療養28床)
常勤医師数 18人
非常勤医師数 60人
外来患者数 480人/日
入院患者数 128人/日
(2016年6月時点)