VOL.92

三次救急での経験を生かし
市内唯一の総合病院で
理想の二次救急医療を目指す

白岡中央総合病院
救急科 篠原克浩氏(51歳)

長崎県出身

1993年
金沢医科大学医学部卒業
同大学病院 一般・消化器外科
1994年
田中病院 外科、消化器外科
1995年
金沢医科大学病院 一般・消化器外科
1997年
公立宇出津総合病院 外科
1998年
日本大学医学部附属板橋病院 救命救急センター
2006年
健友会上戸町病院 外科
2011年
イムス富士見総合病院 救急担当
2017年
白岡中央総合病院 救急科 入職
同科部長に就任

本格的に救急医療を経験したのは救急救命センターだったという篠原克浩氏。外科の勉強として救急医療を選んだときは30代になったばかりで、「当時は数年で外科に戻るつもりだった」と笑う。50代になった今、三次救急の経験から地域で二次救急が果たす役割を重視し、新たに救急科を立ち上げる病院に入職。自らが理想とする救急医療の実現に取り組んでいる。

リクルートドクターズキャリア12月号掲載

BEFORE 転職前

外科の勉強が目的で始めた
救急医療が本業となり
救命救急センターも経験した

獣医学部のつもりが
叔父の勧めで医学部に入学

外科の勉強のため、数年程度の予定で入った救急医療の世界。気がつけば20年が過ぎ、現在は白岡中央総合病院(埼玉県)の救急科部長を務めるなど、一生の仕事になったという篠原克浩氏。

高校時代は獣医学部が第一志望で、内科医だった叔父の熱心な勧めがなければ、医学部は受験しなかったと篠原氏はいう。

「私の兄が叔父の意見に従って福岡の医学部に進学したので、私は見逃してもらえるかと期待したのですが、甘かったですね(笑)」

獣医学部と一緒に医学部も必ず受験すること。叔父とそんな約束を交わして本番に臨み、最終的に金沢医科大学で学ぶ道を選んだ。

「もともと医療全般に興味があったので、入学後は医学にも興味がわき、同じ目的を持つ仲間と充実した6年を過ごしました」

医学部入学と同様、卒業して消化器外科に入局したのも、人との縁だったと篠原氏。兄がいる大学の消化器外科の教授と、母校の消化器外科の教授が親友で、「うちの局員の弟が金沢医科大学を卒業する」と聞いた教授に声をかけられたのがきっかけになった。

「在学中から消化器に興味はありましたし、やってみないと向き不向きもわからないので、このときは誘われるまま入局しました」

救急医療での力不足を
実感し、次の道を模索した

金沢医科大学病院は一般・消化器外科として診療し、頭部および循環器・呼吸器を除いた体全体を診る。まだ経験の浅い篠原氏は勉強することも多く、毎日が目の回る忙しさだったという。

「加えて外科は救急患者の手術に呼ばれることもあり、病院に救急車が来ると知らせが入ると、『また呼ばれるのではないか』と不安でドキドキしていました」

こんなふうに救急の手術を不安に思うのは、ひとえに自分の経験不足が原因と反省した篠原氏。まず救急患者を多く診られる現場で腕を磨こうと考え、いったん医局を離れることを決心する。

「といっても当時は数年でまた医局に戻ろうという、腰掛け的な転職のイメージでした。それなのに後輩の紹介を頼りに、東京にある大学病院の救命救急センターに入ってしまったのです」

仲間のサポートのおかげで
未経験の三次救急も乗り切る

同センターは内科、外科、脳神経外科の3チーム体制で三次救急に対応する。二次救急までの経験しかない篠原氏には初めての症例ばかりで、自分が日々成長していく手応えがあったという。

「集中治療を何度も経験すると、血圧や尿などの数値で容体の変化を敏感に感じるようになります。また消化器外科医は検査時にがんなどを優先して見つける癖がありますが、救急に慣れてからは命を脅かす疾患や損傷を真っ先にチェックするようになりました」

救急車で搬送されたバックグラウンドもわからない重症患者に対して、応急処置と並行してさまざまな検査を行い、原因を推測し、チームの仲間と話し合いながら治療方針を固め、時間との闘いの中で治療を進めていく。

「消えそうな命を何とかつなぎ止め、次第に回復していく様子を見ていると、私自身の気持ちも高揚してきます。同時にさらに腕を上げて多くの患者さんを救いたいとの思いも強くなりましたね」

同センターはメンバーの絆も強く、篠原氏も多大なサポートで三次救急に対応する力が身についたと在籍した8年を振り返る。

その後、篠原氏は救急医療をひと通りやり終えたとの実感やメンバーの入れ替えなどを機に、同センターを辞して実家のある長崎に戻り、100床ほどの病院で主に外科を担当。しかし救急の現場を離れてその魅力を再認識し、5年後に埼玉県の総合病院で救急医療の担当に復帰したという。

「そこで6年間勤めたものの、50歳を超えて、今後も救急医療を続けたいと考えたとき、病院までの通勤時間や人員不足の問題などを改善したいと思いました」

自宅からの距離や救急医療への意気込みなどの条件をもとに、紹介会社が提示した病院から篠原氏が選んだのは、救急科立ち上げ予定の白岡中央総合病院だった。

AFTER 転職後

地域に根ざした二次救急で
幅広く患者を受け入れて
万一のときに頼れる病院に

三次救急を機能させるには
二次救急の充実がカギに

同院は救急告示病院で、以前から白岡市を中心に一次および二次救急の患者を受け入れている。しかし救急専任の医師はおらず、各診療科の医師がその都度対応する体制が長く続いていた。

「埼玉県は人口10万人当たりの医師数や医療施設数が全国ワースト上位。白岡市周辺で救急医療を担ってきた2つの病院も、経営母体の変更や隣の市への移転問題で先行きが不透明です。そうした中で三次救急の病院には患者が集中して搬送され、現場は疲弊する一方。その中には二次救急で診るべき患者も多かったはずです」

篠原氏はこう考え、院長と相談していた計画に沿って、入職後に救急科を立ち上げると同時に救急専任の医師となり、日中は救急車対応を一手に引き受ける体制へと変更した。同科では病気以前と思われる人も含め、軽症から二・五次程度の患者まで診療する。

「救急車からの電話は当科の看護師が直接受け、その判断をもとに私に連絡が来て受け入れを決める流れ。二次救急で広く患者を診て、三次救急の病院は重症患者に特化してもらい、地域の救急医療を機能させる後押しをするのが当院の役割と考えています」

救急医療の重要なポイントは
患者の適切なトリアージ

2017年4月に同科が開設されて以来、日中の救急車の応需率は良好な状態が続いている。救急患者からの入院率は以前より減ったが、これは適切なトリアージができているためと説明する。

「もちろん救急科での初期治療後、専門の診療科で診てもらうことも多く、各科との連携は欠かせません。現在は院長の発案で診療科横断の情報交換会も行うなど、信頼関係の構築に努めています」

同科は二・五次程度の患者まで受け入れを目指すが、篠原氏は重症が疑われるケースには慎重な対応が必要だと付け加える。

「救急だから、近い病院だからと、三次救急で診た方がいい患者さんまで受け入れると、結局は救命救急センターへの転送を余儀なくされる可能性も出てきます。これは時間と医療資源の無駄で、ご本人やご家族のためにもなりません」

逆に患者側にも、本当に救急搬送しか方法がないのかを吟味してほしいと篠原氏。いずれは救急車の適切な利用などを地域に啓発する機会も作りたいそうだ。

「これらの課題は院内の関係部署で十分に検討し、情報共有することが重要。私が三次救急で得た経験をもとに、二次救急との役割分担をみんなで再確認したいですね。現在は病院の新築移転も検討中と聞きます。今から準備すれば、新たな病院に新たな人材が入るときには、当院の救急医療は大きく進化できると期待しています」

上司と部下の関係ではなく
チームでの救急医療を目指す

現在は救急科部長として同科の救急対応を引き受ける篠原氏は、次世代を担う人材に救急医療の魅力を存分に伝えたいと話す。

「初療で、そのバックグラウンドもわからない患者さんを、さまざまな情報を集めて診断・治療し、回復させるのは救急医療の醍醐味でしょう。また軽症からある程度の重症まで、分野を問わず診療することでオールラウンドに成長できる点も魅力だと思います」

上司と部下の関係ではなく、一つのチームのメンバーとして話し合い、助け合いながら治療していく体制を目指すと篠原氏はいう。

新たな病院でこれまでの経験を生かし、集大成となる救急医療を目指す篠原氏。自らも成長を続けるのはもちろん、次世代へのバトンタッチ、病院全体の救急医療の取り組みを進化させるなど、充実した50代は始まったばかりだ。

搬送されてきた救急患者を診る篠原氏。先ほどまで穏やかだった救急室の雰囲気が一変する。 画像

搬送されてきた救急患者を診る篠原氏。先ほどまで穏やかだった救急室の雰囲気が一変する。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
診療科の充実で地域完結型の医療へ

今後増加する高齢者を
地域でケアする体制を作る

同院がある白岡市はベッドタウンとして発展し、人口はここ30年間増加を続ける一方で、高齢化も徐々に進んできた。そうした中、市内唯一の総合病院となる同院は地域の中核病院の役割を担う。

「高齢化に伴って都心に勤めていた方のリタイアも増え、当院を受診されることも多くなるでしょう。中核病院として診療科を幅広く揃えるのはもちろん、消化器系の診療科や脳神経外科などは、都内と同等の高度な医療体制を整えたいと考えています。また、整形外科は現在でも高度な診療レベルを維持していますが、患者さんの高齢化に伴うニーズに対応すべく、さらに充実を図っていきます」

院長の橋本視法氏は同院で強化を目指す点をこう述べた上で、地域との連携も深めたいと続ける。

「その一つが救急医療です。万一のときに24時間救急対応する病院が身近にあることは、市民の皆さんの安心に直結しますから」

同院では各診療科で分担していた救急医療を、2017年開設の救急科に一本化。救急科部長の篠原氏が中心となってトリアージと初期治療を行っている。

「篠原先生のおかげで日中の救急車の応需率は93%から95%を維持。月の受入台数は今までで最大180台くらいで、これはもう少し増やせたらと考えています」

同院では診療科横断のプロジェクトチーム等、救急科と各診療科のスムーズな連携に注力し、救急患者の受入体制を整備している。

加えて地域包括ケアシステムの中心となる地域診療科も開設。近隣の医療機関と患者の紹介・逆紹介を進め、介護福祉施設と連携し、在宅医療も手がけるという。

「今年度中に地域包括ケア病床も開設予定で、地域とつながる高齢者ケアの『白岡モデル』を構築したいと考えています」

院内で最も古い建物は築40年を迎えるため、現在は病院の新築移転も検討していると橋本氏。

「市内唯一の総合病院という期待に応え、新たな環境でも地域の皆さんに喜ばれ、信頼される医療を続けていくのが当院の使命です」

橋本視法氏

橋本視法
白岡中央総合病院 院長
1983年防衛医科大学校卒業。同大学校病院、自衛隊中央病院整形外科、藤村病院整形外科部長、同院副院長兼整形外科部長を経て、2004年に白岡中央総合病院整形外科部長に就任。2014年から現職。

白岡中央総合病院

開院時は内科、外科、整形外科を持つ60床の病院だったが、現在は20を超える診療科、256床の病院に発展し、多様な医療ニーズに応えている。さらにがん、炎症性疾患、肝胆膵疾患などを得意とする消化器内科をはじめ、強みのある診療科をより強化し、高度な医療まで地域で完結できる体制づくりを進める。同院が属する医療圏は埼玉県内でも医療資源の不足が顕著で、24時間対応の救急医療、地域包括ケアシステムの運用などに力を入れる方針に地域の期待も高まっている。

白岡中央総合病院

正式名称 医療法人社団哺育会
白岡中央総合病院
所在地 埼玉県白岡市小久喜938-12
設立年 1978年
診療科目 内科、神経内科、消化器内科、
循環器内科、腎臓内科、小児科、外科、
消化器外科、乳腺外科、整形外科、
形成外科、美容外科、脳神経外科、皮膚科、
泌尿器科、眼科、耳鼻咽喉科、放射線科、
麻酔科、リハビリテーション科、救急科、
地域診療科
病床数 256床
(一般157床、回復期41床、療養58床)
常勤医師数 26人
非常勤医師数 31人
外来患者数 394.1人/日
入院患者数 226.7人/日
(2018年9月時点)