VOL.69

医局での経験、経営の知識、
自分のすべてをぶつけて
地域に必要な病院をつくる

宇和島徳洲会病院
院長 循環器内科 池田 佳広氏(42歳)

北海道出身

1999年
札幌医科大学医学部 卒業
札幌医科大学附属病院 第二内科 研修医
2000年
旭川赤十字病院 循環器内科
2001年
札幌医科大学附属病院 第二内科
2002年
函館五稜郭病院 循環器内科
2003年
札幌医科大学附属病院 第二内科、帯広協会病院 循環器内科
2004年
札幌医科大学附属病院 第二内科
2005年
道央病院(現:北広島 希望ヶ丘病院)
2006年
北海道立江差病院 循環器内科
2008年
新日鐵室蘭総合病院(現:製鉄記念室蘭病院) 循環器内科
2011年
東大宮総合病院(現:彩の国東大宮メディカルセンター) 循環器内科
国際医療福祉大学大学院 修士課程(h-MBAコース) 入学
2013年
同課程修了
2014年
宇和島徳洲会病院 循環器内科 入職 院長就任

大学時代から経営や経済に興味を持っていた池田佳広氏。10数年に及ぶ医局時代、北海道内のさまざまな病院で診療を経験する中で、患者を途中で見放さずに済むよう「適正な利益を生む病院経営」の必要性を痛切に感じたという。大学院で医療経営学の修士号を取得し、現在は宇和島徳洲会病院の院長として診療と経営の両面で活躍する池田氏の軌跡を追った。

リクルートドクターズキャリア1月号掲載

BEFORE 転職前

北海道内各地の病院を経験
地域医療に必要な人材と
病院経営の在り方に気づいた

大学時代から臨床と経営の両方に興味があった

70超の病院を擁する徳洲会グループの中で、2016年度の月別医業利益率で常に3位内を維持する宇和島徳洲会病院(愛媛県)。数年前まで低迷していた同院を変えた人物の一人が、2014年に院長に就任した池田佳広氏だ。

理系科目の成績が良く、それを生かして「人の役に立つ仕事」に就きたいと考えた池田氏は、自然と医療分野を目指すようになり、札幌医科大学に入学した。

「ただ経営や経済には以前から興味があり、医学部に入ってもそうした本を読み続けていました」

医療現場で年間数百人の患者を診るのもいい。その上で病院経営に携わる力があれば、さらに数十万人の患者の役に立てるだろう。より多くの患者を救いたい気持ちが、興味の扉を開いてくれた。

「とはいえ自分でまともに診療ができないうちから、経営がどうとか言っても説得力はありません。何より私は患者さんと接する臨床が好きなので、まず自分が専門とした循環器分野、そして内科全般の経験を積もうと考えたのです」

大学時代から今に至るまで全国の雀荘を100軒以上巡るなど、一つのことに熱中する一方で、大学では空手部で後輩を熱心に指導するといった面も。凝り性とあれこれやりたい気持ちが同居すると池田氏は自己分析する。

「大学の第二内科、現在の循環器・腎臓・代謝内分泌内科に入ったのも、専門分野と内科全般の両方に力を入れると聞いたから」

今も診療や院長職に全力で取り組み、常人の数倍仕事をする池田氏の原点が垣間見えるようだ。

地域医療を経験して病院経営の重要さに気づく

第二内科入局後は附属病院で1年、道内の病院で1年、附属病院に戻った後、またほかの病院へ……と、常に医局の目の届く範囲で指導を受けられたと池田氏。

「そうした医局時代の大きな転機は道立江差病院での経験でした。現場に出て6、7年が過ぎて、自分の診療分野は大体診られるようになったと実感する時期。心に余裕が生まれ、改めて病院経営や地域医療について積極的に勉強するようになったのです」

また二次救急まで引き受ける江差病院では、池田氏も救急担当の際には内科に限らず整形外科をはじめ全分野を診る経験を積んだ。

「総合診療医のような経験の中、多様な患者さんを診る地域医療では、幅広く対応できる人材の必要性を実感しました。そして患者さんを途中で見放さずに済むよう、病院を続けていくには利益をきちんと出すことも重要だと」

さらにこのとき医師からの情報発信として書き始めたブログは、1日3万アクセスを記録したこともあるという。病院から地域そして一般社会へと、池田氏の視点や交流は広がりをみせていった。

病院で実践、大学院で理論DPCを多面的に学ぶ

その後、循環器内科の医師として最新の心臓カテーテルの技術を身につけようと新日鐵室蘭総合病院に移った池田氏。同院がDPC導入の先駆け的な存在だったため、DPC制度下での病院経営にも非常に詳しくなったという。

「ちょうどこの頃、江差のときの知人から医療経営学の大学院で一期生になったと連絡をもらいました。しかもそこにはDPCのデータ解析コースがあると聞き、私も是非学びたいと考えたのです」

池田氏が目指したのはヘルスケア分野に特化した医療経営戦略(h−MBA)コースで、大学院のキャンパスは東京都心にある。そこで池田氏は通学のため北海道から埼玉県の病院に移り、平日は病院勤務、週末は大学院受講の二重生活を2年間続けて修了した。

「大学院では多くの事例、院生や教授の意見に触れました。また自分でもクリニカルパスなどを作成し、病院の業務改善に取り組んでいたため、そうした経験の理論的裏付けにもなりましたね」

この時点で、池田氏は次のキャリアを院長職か医学関係での起業と考え、情報収集に努めた。

「自分一人が頑張るだけでなく、多くの人に協力してもらえるなら、もっとたくさんの患者さんが救えるはず。これからは組織の長になって力を試そうと思いました」

AFTER 転職後

「患者さんと家族に寄り添う
医療」を病院の目標として、
院長の立場からそれを実践

地域のニーズに応えても経営が難しい病院に入職

さまざまな病院から誘いを受ける中、池田氏が選んだのは宇和島徳洲会病院。愛媛県西部の宇和海沿いの港を臨み、同じ市内にある市立宇和島病院とJCHO 宇和島病院とともに、人口減少と高齢化が進む地域の医療を支えている。

「徳洲会については友人の紹介で院長募集の情報を知り、経営陣と面談しました。その後、『失敗を恐れずにやってください』と当院の院長を打診され、私がそれに応えて就任が決まったのです」

同院は2004年の開院以来、貞島博通氏(現総長)が院長として経営を担ってきた。院内で対処困難な出来事に見舞われながら、他の病院で満たせないニーズに応え、地域に根付かせてきた。池田氏は貞島氏の手腕をそう評価する。

「その中で培われた当院の柱は、1000例超の腎移植経験を持つ医師が率いる泌尿器科と、急性期と在宅をつなぐ回復期を中心とした地域医療。私が院長を継いでもそれは同じですが、やり方は大きく変える必要があったのです」

徳洲会は病院経営で全国トップクラスと池田氏は認識していたが、宇和島は残念ながら2013年度以降は減収減益。就任直後は医業利益率でグループ70超の病院中40位前後と中位以下だった。

患者のためにも利益を出しここで病院を続けることが大切

それが2016年度の税引前利益率では、4月から9月まで上半期のトップを維持するまでになっている。池田氏は何をどう変えたのだろうか。

「患者さんのためにという気持ちはすばらしいのですが、良くも悪くも家族的。互いの悪い点を指摘・改善できなかったり、その場限りの対応で忙しさが増したり。ここまではOK、この先は緊急時に限る、といった線引きを明確にすれば無駄も減り、業績が改善することはすぐわかりました」

そこで池田氏は現場を見ながら、この場合はこうするといったルールの設定から始め、クリニカルパスなどの形にしていく。一方的な押しつけではなく、経営の数字と医療現場の様子から実情に即した工夫を続けたことで、自分の病院経営の力も向上したと語る。

「本当に患者さんのためを考えたら、当院がきちんと利益を出し、この地で医療を続ける仕組みづくりが大切なはず。そのために当院の強みを生かして多くの患者さんに来ていただくと同時に、業務の効率化を続けて、経営状態を改善していったのです」

新入院患者数は過去最高となる一方で、業務の整理で忙しさが緩和、平準化され、職員の離職率は激減。医師や看護師からは患者とゆっくり話せると好評だ。

月1回の運営会議では部署ごとに経営目標を見える化し、進捗を発表。経営への積極的な提言も出されるなど雰囲気も一変した。

地域医療で一番を目指し税引前利益は約2倍に

同院は徳洲会グループの理念「命だけは平等だ」とともに、「患者さんと家族に寄り添う医療」を病院目標とする。池田氏はさらに「地域密着型の病院として地域で一番に」の具体的目標を職員と共有し、患者の在院日数の短縮、DPCコーディング等による適正な請求などの施策を実行した。

2016年度、上半期の税引前利益率は17%に迫り、病院経営に詳しい知人に「前代未聞」と驚嘆されるなど、急性期も扱う総合病院としては驚異的な数字を出した。

「この急回復は当院が10数年積み重ねてきた信頼と私が進めた改革がうまくかみ合った成果。今後は急性期を担う市立病院、当院とは異なる強みを持つJCHOとの協力も進み、宇和島の地域医療はさらに良くなると確信しています」

池田氏による心臓カテーテルの検査風景。 画像

池田氏による心臓カテーテルの検査風景。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域のため進化し続ける病院に

地域医療の今後を見据え医師の育成にも貢献

地域住民の求めで開設された同院だが、市内には三次救急まで対応する市立宇和島病院のほか宇和島社会保険病院(現:JCHO)があり、クリニックも多いなど懐疑的な声も聞かれたようだ。

「しかし開院直後から市立病院を退院した患者さんが数多くお見えになり、当院の存在意義が急性期と在宅医療をつなぐ回復期医療にあると明確になったのです」

開設から10年も院長を務めた貞島氏は当時をそう語り、現在は腎移植の経験豊富な泌尿器科と回復期を中心とした地域医療が同院の二本柱との考えを示す。

「そして高齢化が進む宇和島地区で必要な医療の一つとして、認知症の方を地域全体でケアする『もの忘れ外来』を2009年に開設し、また、地域包括ケアシステムの構築にも取り組んでいます」

貞島氏は池田氏が院長になって院内の風通しが良くなり、意見も活発に出ているといい、その活躍に大きな期待と信頼を寄せる。

「私の院長時代は『いいことは何でもやろう』と幅を広げ過ぎ、的が絞れず無駄が増えました。現在は池田院長による医療の質を重視した改革で、当院は筋肉質の病院に生まれ変わりつつあります」

また池田氏は循環器内科、自らは神経内科で多くの患者を診ることで医療面も充実したと利点を挙げる。こうした好循環の中、同院では貞島氏が中心となって、今後の地域医療に必要な総合医の養成プログラムの提供を始めた。

「残念ながら新たな専門医制度は一時延期になりましたが、幸い当院なら急性期、回復期、在宅医療など幅広い医療現場が一気に経験でき、地域に根ざした医療の課題なども勉強になると思います」

同プログラムではグループ内の総合病院とも連携し、地域で総合診療、都市では高度な専門医療を学べるのも特色。宇和島地区をはじめ全国各地で活躍できる人を育てるのが夢と貞島氏は語る。

「院長交代で当院はより地域密着型の病院に進化しました。今後は地域が求める医療を提供するため、常に変わり続けていきます」

加藤 一良氏

貞島 博通
宇和島徳洲会病院 総長
1971年に熊本大学医学部卒業後、福岡徳洲会病院内科に入職。1975年北野病院(大阪市北区)神経内科入局、1978年から福岡徳洲会病院内科医長に就任し、神経内科でも診療を行う。同院副院長、垂水徳洲会病院院長を歴任。2004年から宇和島徳洲会病院で院長を務め、2014年から現職。

宇和島徳洲会病院

宇和島徳洲会病院は徳洲会グループの使命として年中無休24時間の救急医療を行うと同時に、高齢化が進む宇和島地区に必要な医療を提供。急性期、回復期、介護療養までカバーし、開設10数年で住民や提携医療機関から「地域に欠かせない病院」との評価を得ている。特に急性期を担う病院と連携して、回復期リハビリによる在宅医療へのスムーズな移行に力を入れ、もの忘れ外来では認知症の早期発見・対応により、認知症になっても地域で暮らせるよう丁寧なサポートを行っている。

宇和島徳洲会病院

正式名称 宇和島徳洲会病院
所在地 愛媛県宇和島市住吉町2-6-24
設立年 2004年
診療科目 内科、神経内科、消化器内科、
循環器内科、外科、整形外科、
泌尿器科、婦人科、リハビリテーション科、
放射線科、麻酔科
病床数 300床(稼働病床数271床)
(一般133床 障害者54床 回復期30床 介護療養54床)
常勤医師数 13人
非常勤医師数 28人
外来患者数 160人/日
入院患者数 244人/日
(2016年9月時点)