VOL.32

子どもの進学を機に
長野から茨城の病院へ。
100点満点の転職を果たした

医療法人茨城愛心会 古河病院 整形外科部長 
中村 信幸
氏(53歳)

大阪府出身

1985年3月
信州大学医学部卒業
1985年4月
1同大学病院勤務
1986年
医局派遣によって関連病院に勤務
1992年
JA長野厚生連鹿教湯病院勤務
2011年8月
医療法人茨城愛心会 古河病院 整形外科勤務

茨城県の西端、栃木県や埼玉県とも隣接する古河市に、徳洲会グループの古河病院がある。開院から9年目の新しい病院だが、すでに地域の住民に親しまれ、県をまたいで来院する患者も多い。整形外科医の中村信幸氏は、今からちょうど2年前に同院へ転職した。複数の病院を比較検討し、最終的に選び抜いた古河病院で、ワークライフバランスの取れた理想的な毎日を送っている。常勤医であっても、家族との時間を十分に確保し、ゆとりのある気持ちで診療に臨むことができている。同院は、急性期医療から、慢性期、回復期、療養期のすべてをカバーするケアミックス型の病院で、今後、地域のニーズに合わせて拡大していく路線だ。将来性があり、医師を大切にする風土のある同院は、幸せなキャリアチェンジに最適な場であった。

リクルートドクターズキャリア10月号掲載

BEFORE 転職前

病院全体に笑顔が絶えず
和気あいあいとした雰囲気の中で診療に集中できる。

人材斡旋会社に求めた3つの条件とは?

Anytime with a smile.

この古河病院のキャッチフレーズを体現するかのように、中村信幸氏(整形外科)は穏やかな笑顔をたたえている。

信州大学出身の中村氏は、約20年間にわたり長野県内の病院に勤務してきた。同僚にも地域の患者にもすっかりなじみ、大きな不満はなかった。しかし、心機一転、2011年8月に茨城県の古河病院に転職した。きっかけは、娘の中学受験だった。

「娘が小学5年生になった頃、中高一貫校に進学することを決めました。長野県内にはあまり進学校がなかったことと、先々、大学に通うときの利便性を考えて、関東近郊の学校を受験させました。現在は、埼玉県内の新設校に通っています」

仕事と生活。言うまでもなく両者のバランスは重要なものだ。とりわけ子煩悩な中村氏にとって、愛娘の教育環境を整えることは重要性が高い。中学進学に合わせて、自身も転職したわけだが、まずは医師専門の人材斡旋会社に登録することから始めた。

「すぐにいくつもの案件を紹介してもらえました。実際にアルバイトで勤務してみたこともあります」

中村氏が人材斡旋会社に求めた条件は、次の3つだった。

(1)当直がない

(2)極端に高度な急性期ではない

(3)前の病院と同水準の給与である

この中で最も重視したのは、「(1)当直がない」ことである。

「全国各地の病院がそうであるように、私の前の勤務先でも、一晩当直した翌日もフルタイムで働いていました。それほど救急搬送は多くありませんでしたが、やはり体にこたえますよね。年齢的にも、そろそろ当直から離れたいと思っていました」

これは、多くの医師が共通して持っている感覚ではないだろうか。

あまり高度な急性期病院を避けたのも、似た気持ちからだ。前の病院は脳卒中が専門で、患者の多くは高齢者であった。整形外科の手術は大腿骨頚部骨折などが中心だったことから、「今から幅広い症例に対応するのは厳しいと感じていました。それよりも、この20年で身につけてきた経験を存分に生かす医療をしたかった」と言う。

5~6件の病院を回り徹底的に比較検討

転職活動中、中村氏は5~6件の病院をじっくり比較検討した。実際に病院へ足を運び、面接を受ける中で、院内の雰囲気や院長の人柄は、実に多種多様に見えたそうだ。

「いずれも穏やかな勤務環境の病院ですが、院内を一通り回り終えると、働きやすさなどが少しずつ異なることを感じ取れます。建物の新しさや、医師の人数、勤務条件なども含め、総合的に検討しました」

転職活動の終盤には古河病院と、埼玉県内にある病院の2件に絞り込んだ。

「埼玉の病院は、整形外科医が1人体制でした。非常勤医の応援で回すことにはなっているものの、少なからず心配だったのは事実です。加えて、立地に関しても気になる点がありました。居住地は娘の通う学校の近くにしようと思っていたのですが、少し遠かったのです。一方の古河病院は、立地が理想的でした」

加えて、院内の雰囲気も古河病院は優れていた。開院からまだ9年なだけに建物はきれいで、外来ロビーや病棟の廊下は広々としている。冒頭のキャッチフレーズにあるように、院内は和気あいあいとしていた。中村氏は、院長の福江眞隆氏にこんな第一印象を抱いたという。

「非常に気さくな人柄です。面接を受けた時から、なんでも気楽に話せそうに感じました」

面接後はとんとん拍子に話が進んだ。当直はまったくなく、思いがけず給与もアップした。人材斡旋会社に示した"3つの条件"は、すべてクリアできたのである。

医師として、新たなスタートを切る準備は万端。活躍の場を長野から茨城へ移し、大きくキャリアチェンジした。

AFTER 転職後

整形外科の手術数を増やし、
さらに患者に選ばれる病院へつなげていきたい。

常勤医の当直はゼロ。毎日17時に帰宅できる

朝8時50分、古河病院の1日は、コーヒーを飲みながらのミーティングで始まる。常勤医、非常勤医が顔をそろえ、業務の引き継ぎから、病院の経営的課題、各々が日ごろ気になる点などを短時間で報告する、ウオーミングアップのような時間だ。

同院では、基本的に常勤医の当直がない。代わって非常勤医が交替で当直にあたるが、曜日固定のため、意思疎通は極めてスムーズである。中村氏は「仕事のしやすさは常勤とほとんど変わらないですよね。非常勤の先生も長く勤務しているので、何も心配ありません」と言う。

急患や手術が長引いた場合などは多少の残業があるものの、基本的に毎日17時には帰宅できる。中村氏の生活は大きく変わった。

「圧倒的に体がラクになりました。当直をしないことで、これほど体への負担が軽減されるとは驚きです」

ワークライフバランスも、格段に向上した。もともと育児に積極的で、子どもが幼い頃はおむつ替えや入浴、弁当作りはもちろん、PTA活動も行っていた中村氏にとって、家族と過ごす時間は何より大切だ。

「日ごろから妻や娘とのコミュニケーションは良好で、海外旅行も含めて、しばしば家族で出掛けます」

前の勤務先で培った経験を転職後もいかんなく発揮

家族で海外旅行に出かけた際の一コマ
家族で海外旅行に出かけた際の一コマ

入職した翌年は、院内に電子カルテを導入する年だった。実は、前の病院でシステム委員長を務めていた中村氏。プログラムを作り、電子カルテの使いやすさを向上させた実績を持つ。古河病院の電子カルテ導入でも、その知識はいかんなく発揮された。本人は「いえいえ、会議に参加していただけですよ」と謙遜するが、無駄がなく、操作しやすい電子カルテは職員の評判も上々だ。

快適な仕事環境は、診療に対するモチベーションをも引き上げる。中村氏は、今後、手術件数を増やしていくことを目指している。現在は、週に1~2件、年100件前後の手術だが、整形外科医として、もっと力を生かしたいと願う。

「以前勤務していた病院の恩師から、かねがね『新しい医師・新しい治療を開始する場合は、地域に浸透するまで5年はかかる』と、教わってきました。一人ひとりの患者に丁寧に接し、相手が理解するまでしっかりと説明することで、口コミで評判が広がっていき、古河病院もまた、5年ほどで地域の信頼を得られると信じています」

一般に、前の勤務先の勤続年数が長ければ長いほど、転職先の土地が遠ければ遠いほど、転職を躊躇しやすい。だが、中村氏は、その2つを難なく乗り越えた。今回の転職を100点満点で評価するとしたらどうなるか?そう尋ねてみると、すぐに「100点です」と笑顔を見せた。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
医療法人茨城愛心会 古河病院 院長 福江眞隆氏

職員の定着率の高さが医師の働きやすさを物語る

古河病院は職員の定着率の高さが自慢だ。常勤医10人のうち、約半数は9年前の開院以来ずっと勤続している。事務局長や看護師長も開院以来のメンバーで、看護師、非常勤医も長く勤務し続けている。

定着率の高さは、病院の働きやすさにほかならない。その背景には、院長の福江眞隆氏の、職員をおもんぱかる経営方針があった。

「人が足りないからといって、重い負担を強いていても、病院は継続できません。私は、職員が気持ちよく、長く勤務してもらえることを重視しています。当直は約30人の非常勤医が受け持ち、ほとんどの常勤医が週4・5日の勤務です。働く時は働く、休む時は休むと、メリハリをつけながら仕事にあたることで、質の高い医療を実現しています」

古河病院は徳洲会グループの1つだ。「徳洲会」と聞くと、急性期中心の多忙な病院をイメージするかもしれないが、全くそうではないようだ。

「徳洲会といっても、病院によってカラーがさまざまです。当院では、医師が安心して働けることを大切にしています。また、常勤医の出身大学も偏りがなく、学閥を気にせずに働くことができます。それも、転職した医師が定着しやすい理由かもしれません」

急性期から終末期まで一貫して責任を持つ病院へ

転職してすでに2年がたった中村氏に対しては、こんな印象を抱いている。

「初めて顔を合わせた時から、『十分な経験を積んでいる、完成された整形外科医』という安心感を覚えました。職員の教育にも力を入れてくれており、頼もしい存在です。新しく始めた病棟学習会は看護師たちの知識向上につながっています」

仕事と私生活のバランスを保ち、医療に専念できる同院は、女性医師に対しても優しい。2人の子どもを持つある女性医師は、院内保育所を利用しながら仕事を継続できた。

こうした医師の支援策を強化すると、必然的に人件費や設備投資費がかさむが、同院の経営は上昇傾向だ。2012年には74床を増床し、新たに一般急性期病棟を開設。回復期リハビリ病棟も準備中だ。福江氏は「職員1人あたりの負担を軽減しても、地域のニーズに応える診療をしていれば、患者さんは必ず来てくれる」と、実感している。

今後は、高齢化が進む地域の特性に合わせて、介護領域の施設を増強する方針だ。

「グループホームや高齢者住宅、介護老人保健施設を作ることを視野に入れています。訪問看護や訪問リハビリにも力を入れていくつもりで、急性期から終末期まで一連の医療に責任を持つ病院でありたいと考えています。整形外科医をはじめ、一般外科や一般内科の医師が活躍できる場が広がっています」

福江 眞隆氏

福江 眞隆
医療法人茨城愛心会 古河病院 院長
福岡県出身。1986年、筑波大学医学専門学群卒業。同年、同大学病院勤務。91~93年、米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)心臓血管研究所(CVRI)留学。93年から筑波記念病院外科医長。2001年、龍ヶ崎済生会病院外科部長、04年庄内余目病院副院長、05年4月三和記念病院副院長を経て、同年7月より現職。

医療法人茨城愛心会 古河病院

隣接する他県も含め救急車を断らず受け入れ、地域に根ざした医療を実践することを目標としている。2次救急診療から急性期、亜急性期、慢性期、終末期、在宅、施設入所のすべての段階で患者のニーズに対応している。最大の自慢は、横のつながりで各診療科、コメディカル、看護部、事務部が非常に風通し良く業務を行っていることだ。1人ひとりの医師の力を存分に発揮できる環境が整っている。

医療法人茨城愛心会 古河病院

正式名称 医療法人茨城愛心会 古河病院
所在地 茨城県古河市鴻巣1555
設立年月日 2005年7月1日
診療科目 内科・外科・整形外科・小児科・
婦人科・呼吸器科・呼吸器外科・泌尿器科・
消化器科・脳神経外科・循環器科・皮膚科・
眼科・口腔外科・麻酔科・放射線科・
リハビリテーション科・美容外科
病床数 許可ベッド数234床、稼働ベッド数199床
(一般145床:内10床は亜急性期病床、医療療養病棟54床)
常勤医師数 10名
非常勤医師数 30名(当直医など含む)
看護師数 84名
外来患者数 1日平均275人(男性4:女性6)
入院患者数 1日平均168人(男性4:女性6)