VOL.48

内視鏡のスペシャリストとして、
市内最大の総合病院で活躍。
消化器センターの新設に奔走する。

富士重工業健康保険組合 太田記念病院 消化器内科 
大竹 陽介
氏(43歳)

群馬県出身

1997年
東邦大学医学部卒業
同大学医療センター大橋病院 第3内科(現消化器内科)
2003年
国立がん研究センター中央病院 内視鏡部(現内視鏡科)レジデント
2005年
静岡県立静岡がんセンター
内視鏡科
2009年
国立がん研究センター中央病院 内視鏡科
2014年
太田記念病院 消化器内科

人口約22万人の群馬県太田市で、地域に密着した医療を提供している太田記念病院。消化器内科部長の大竹陽介氏は県内出身で、2014年に赴任した。前職は国立がん研究センター中央病院の内視鏡科。国内トップレベルの病院で得た専門技術を、故郷の病院で存分に発揮している。地域住民に頼られ、忙しくも充実した日々を送っている。

リクルートドクターズキャリア4月号掲載

BEFORE 転職前

師事した医師の言葉を胸に、自分の力を冷静に、
客観的に判断して転職を決めた

40歳で決断した自分なりの「けじめ」

太田記念病院(群馬県太田市)消化器内科部長の大竹陽介氏が転職した理由は、3つある。「同じ群馬県内にある実家に80歳近い両親が二人暮らししており、そろそろ近くに住もうか、というのが一つ。子どもの教育のために、伸び伸びと体を動かせる地域に住みたいとも考えていました。そして、もう一つの理由は、私が国立がん研究センター中央病院(以下、国立がんセンター)の常勤医でい続けていいのか、という思いでした」

1997年、東邦大学医学部を卒業した大竹氏は、同大学医療センター大橋病院第3内科に入局。医局人事でいくつかの病院に勤務したのち、03年、国立がんセンターの内視鏡部のレジデントとなる。国内トップレベルの病院で最先端の内視鏡の技術や知識を学んだ。

05年には、内視鏡治療のトップランナーの医師から声をかけられ、静岡県立静岡がんセンター内視鏡科でさらに腕を磨いた。09年、再び国立がんセンターに戻り、自身の力を発揮しながら若手の指導にあたった。はた目には順風満帆に見える。だが、大竹氏はあえてキャリアチェンジを選択した。「国立がんセンターの常勤医は枠が少なく、そこを目指す医師は大勢います。優秀な若手医師が学びに来る姿を見ると、席を譲った方がいいように思いました。技術では負けない自信がありましたが、いつかは追い抜かれます。国立がんセンターの使命は、世界に勝てるデータを出していくことです。やる気があり、若くて優秀な医師が存分に競争できるように、自分なりにけじめをつけました」

当時、大竹氏は40歳。そうは思っていても、普通はなかなかできない決断だが、かつて師事した医師の言葉が常に胸中にあった。「消化器がん治療の重鎮のような先生で、以前『がんセンターは若い医師がどんどん入れ替わらないといけない』とおっしゃっていました。日本の医療が発展するには絶対に必要な観点です。自分の力を冷静に、客観的に判断して、転職することを決めました」

すでに在職していた医師と入職前から交流を持つ

次のフィールドを探す際、ネットで見つけた医師紹介会社に登録した。提示した条件は、まず場所。実家がある前橋市に住居を構える予定が決まっていたため、群馬県内の病院を希望した。加えて、消化器内科の状況も重視した。「スタッフが大勢いても、特定の大学医局の医師ばかりだと少し入りづらいように感じていました」

太田記念病院は、紹介会社から提案された。前橋市から車で通える範囲で、学閥がない。13年6月に面接を受け、その場で気持ちを固めた。大竹氏が歩んできたキャリアに“縁”があったからだ。「太田記念病院は、私が所属していた東邦大学医療センター大橋病院の循環器グループの関連病院でした。副院長も同じ第3内科の出身で、面接でお会いした時、強く誘ってくださいました」

複数の病院を比較検討したり、条件交渉をしたりしなかったことについて、「生まれつき、結構ぱっと決めちゃうタイプなんです」と大竹氏は笑顔を見せる。国立がんセンターには、少し前から転職する旨を伝えていた。いざ、新たな就職先が決まったことを同院内視鏡科部長に報告すると、「残念だな」と惜しまれた。だが、思いがけず、はなむけの機会をプレゼントされた。「部長は、『今度、群馬で講演をするから半分の時間は大竹が話せ』とおっしゃいました。早い段階で群馬県内の医師に顔を知ってもらった方がいい、という理由です」

地元の医師が集まる研究会での講演だった。大竹氏は、自身の研究テーマで講演を行い、終了後の懇親会では地域の病院の医師や、開業医らとつながりができた。

中には「太田記念病院は忙しいよ」と発破をかける声もあったが、市内で唯一の3次救急病院である。忙しくなることは織り込み済みだ。だからこそ、入職後にスムーズに仕事ができる手はずを整えた。「現在、一緒に消化器内科で働いている医師とは、私が入職する前から会っていました。消化器内科における課題や、お互いの得意分野などを共有したのです」

14年9月、満を持して太田記念病院での勤務がスタートした。

AFTER 転職後

同じ消化器内科医の協力と、
他科の医師のサポートで無理のない範囲で仕事ができる

土日の対応は外科、当直は救急科が協力する

転職後も大竹氏は、内視鏡専門医としてのキャリアを余すことなく発揮している。外来のない日は朝から内視鏡室で検査を行い、他の日も午後は内視鏡治療にあたっている。「内視鏡をしたくて転職したので、やりがいがありますね」と言う。

使用する内視鏡は、国立がんセンターに比べても大きな差はない。少し異なっていたのは、患者層だ。「当院は、以前から循環器科が充実していますから、抗血栓薬を服薬している患者が多く見受けられます。内視鏡を行う際、意外にそのマネジメントが難しいこともありますね」

現在、消化器内科の常勤医は大竹氏を含めて2人。忙しさは予想通りだ。朝は8時頃から勤務を開始し、病院を出るのは19時半~20時頃が多い。2人で交替しながら、消化器内科のオンコール当番を回している。

とはいえ、他科の医師のサポートが手厚く、無理のない範囲での仕事ができている。「土日の対応は、外科にお任せしています。当直は月2回ほど。内科当直のため、消化器疾患以外も診ますが、当直日を救急科の医師が待機している曜日にしてもらっていますから、いざという時も安心です」

難しい内視鏡治療を行う際は、国立がんセンターの後輩が応援に駆け付けたこともある。「今でも、国立がんセンターの部長とはメールのやりとりをしており、本当に困った時には頼りになります」

15年4月から新たに2人の消化器内科医が入職

今年4月からは、消化器内科に2人の常勤医が入職する。2人とも、胆膵のエキスパートだ。増員により、業務の負担は軽減され、対応できる疾患の幅も広がる見込みだ。ゆくゆくは、消化器センターが新設される予定もある。病院を挙げて内視鏡室を拡大させていく方針なのだ。

大竹氏は、太田記念病院の新しい屋台骨を支える中心人物として準備に奔走している。「すでに新たな医療機器の導入などハード面の整備を進めています。機器メーカーの担当者など、違う業種の人とミーティングをすることは、刺激になります」

メンバーのマネジメントなど、ソフト面の調整にも余念がない。「当院のように学閥がないことは風通しがいい反面、違う医局出身の医師が集まるため、学んできたことや手技は少なからず異なります。そこをどううまくまとめるかが、一つの課題です」

新たに入職する医師とは、実際に何度か顔を合わせて、お互いのことを知るようにしている。「人柄も信頼でき、とにかく技術をたくさん持っている医師です。それぞれの専門性をリスペクトしながら、私も内視鏡以外の領域は教えてもらう気持ちをもって接したいと思います」

また、これからは病院として初期研修医を迎えることにも注力する。臨床に加え、研修医の教育の仕事も多くなりそうだ。「自分が教えられることはもちろん自信をもって教えます。消化器内科は非常に範囲が広いので、専門外の部位のことは他の医師に協力してもらいながら、若手を育てられたらいいですね」

大竹氏は、仕事に対して常に謙虚で理性的だ。その基本姿勢の背景には、国立がんセンターの部長の教えがある。「理想の上司というのでしょうか。なにか判断に迷った時は、いつも『部長なら、こんな時どう対応していたか?』と思い出し、参考にしています」

尊敬できる師からじっくり学んだ技術と対応力は、常に大竹氏を支えている。新天地でのますますの活躍が期待される。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
症例数が多く、新しい技術が身につく

救急、循環器、周産期に加え消化器を病院の柱とする

太田記念病院は、太田市最大の総合病院だ。病床数は400床、常勤医師数も94人で最多である。12年の新築移転を機に3次救急対応を始め、13年からは地域医療支援病院に認定された。地域住民にとってかけがえのない存在である。

院長の佐藤吉壮氏によると、病院としての売りは豊富な症例数だ。「周産期から高齢者まであらゆる患者層が訪れ、重症例も多い。14年の救急車受け入れ台数は約5500台、手術は約4200件、お産は700件近く扱っています。若手医師が経験を積む環境として適しています」

特筆すべきは、心臓血管外科医が3人在職し、循環器センターをもっていることだ。年間100件ほどの開心術を行っている。また、佐藤氏が専門とする小児科も充実している。11人の小児科医が365日の当直体制で重症患者を多く受け入れるほか、手術件数も多い。「このエリアでは珍しく、小児外科医が2人在職しています。新生児外科の手術も行っています」

産婦人科にも力を入れており、6人の産婦人科医が24時間体制で分娩や産婦人科救急疾患に対応している。地域周産期母子医療センターに指定され、ハイリスク症例はほとんどが同院に搬送される。

今後は救急、循環器、周産期の3つの柱に加え、さらに消化器センターを設ける見込みだ。「15年4月から消化器内科医が2人増えます。大竹先生をはじめ、消化器内科の医師がもっと活躍できる環境を整備する予定です。専門医を取得した医師が、さらに新しい技術を学べる場にしたい」

佐藤氏が院長に就任して以来、初期研修医の受け入れにも尽力している。15年度は5人の枠がフルマッチした。「やはり症例数が豊富なことが魅力のようです。当院は、確かに忙しい。でも、2年間の研修を終えた頃には、どこの病院の研修医よりも力がつくように育てます」

これからスキルアップに励みたい若手医師も、即戦力として技術を発揮したい医師も、太田記念病院なら大いに活躍できるはずだ。

佐藤 吉壮氏

佐藤 吉壮
富士重工業健康保険組合 太田記念病院 院長
1977年慶應義塾大学医学部卒業。同大学小児科学教室入局。79年足利赤十字病院勤務を経て、84年より総合太田病院(現太田記念病院)小児科に赴任。同小児科部長、同医局長、同副院長を歴任し、12年より現職。

富士重工業健康保険組合 太田記念病院

2012年に新築移転。院内外は森をイメージしたデザインで統一されている。群馬県東毛地区の唯一の3次救急病院で、ICU/CCU、HCUを整備。症例数が豊富で、若手医師の間でも「スキルアップできる病院」として知られる。救急、循環器、周産期はそれぞれセンター化し、重症疾患にも対応する。今後は新たに消化器センターを設け、さらに病院機能を高める予定だ。

富士重工業健康保険組合 太田記念病院

正式名称 富士重工業健康保険組合 太田記念病院
所在地 群馬県太田市大島町455-1
設立年月日 1946年に前身である太田病院が設立。2012年より太田記念病院。
診療科目 内科、消化器内科、呼吸器内科、内分泌内科、
循環器内科、神経内科、心療内科、腎臓内科、
泌尿器科、産婦人科、小児科、
小児外科、外科、乳腺外科、呼吸器外科、
血管外科、心臓血管外科、脳神経外科、整形外科、
形成外科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、
救急科 、リハビリテーション科、麻酔科(ペインクリニック)、
放射線科、病理診断科、歯科口腔外科
病床数 一般400床
常勤医師数 94名
非常勤医師数 97名
外来患者数 943人
入院患者数 1169人