VOL.93

脳神経外科の経験を生かし
急性期から回復期リハまで
地域医療に幅広く貢献する

新生病院
脳神経外科 鳥海勇人氏(52歳)

大阪府出身

2000年
奈良県立医科大学医学部卒業
奈良県立医科大学附属病院 脳神経外科
2001年
大阪警察病院 脳神経外科
2002年
奈良県立医科大学附属病院 脳神経外科
2006年
市立奈良病院 脳神経外科
2011年
済生会御所病院 脳神経外科
2014年
奈良県立五條病院
(現 南和広域医療企業団五條病院) 脳神経外科
2016年
南和広域医療企業団南奈良総合医療センター
脳神経外科
2017年
新生病院 脳神経外科 入職
同科医長に就任

バブル崩壊に揺れた1990年代、鳥海勇人氏は「目に見える形で人の役に立つ仕事に就きたい」との思いで社会人から医師を目指した。その後、脳神経外科医として直達術や血管内治療を追求していくが、やがて手術をメインとしない全人的医療を志向するようになり、2017年にケアミックス型の病院に転職。そこで新たな取り組みにチャレンジする姿を追った。

リクルートドクターズキャリア1月号掲載

BEFORE 転職前

銀行員からの転身後は
脳神経外科で患者を救うため
標準的な手術の精度も高めた

人の役に立つ仕事を目指し
銀行員から医師へと転身

2017年に新生病院(長野県)へ転職した鳥海勇人氏だが、最初の進学先である東京大学経済学部在学中は、人の役に立つ仕事に就きたいと思い、一時は公務員を目指していた。その後、産業に資金を供給し、社会を支えるという観点から銀行を就職先に選んだ。

「私が入行した1989年の日本はバブル景気でしたが、3年後のバブル崩壊で様変わりしました」

土地価格や株価の急激な変動で混乱する企業や金融市場。そして社会の異様な雰囲気に違和感を覚えた鳥海氏は、改めて目に見える形で人の役に立ちたいと考え、銀行を辞めて医学部に入学する。

「学部は違うものの、2度目の大学生活で多少は慣れていたのでしょう。海外の医療支援にも参加してバングラデシュ、インドネシア、ネパールを訪ねるなど、自分が関心のある国際協力分野の活動にも存分に打ち込めました」

卒業前は、手先が器用で細かい作業が得意などの特性を生かそうと考え、専門分野を脳神経外科か整形外科で迷ったと鳥海氏。そして自分がより難しいと感じる脳神経外科へのチャレンジを決め、大学の附属病院で診療を始めた。

吻合の早さや判断力など
手術に必要な技術を磨く

鳥海氏が病院に入って5年ほどは、術者として手術に携わる機会はあまりなく、入院患者の全身管理などを中心に担当していた。やがて脳神経外科の専門医や学位を取得し、ようやく手術の術者になるようになったという。

「当時は少しでも多く手術をして経験を積み、自分の技術を向上させたいとの思いは非常に強かったですね。例えば、血管の吻合の遮断時間を短くするなどを目標に吻合の練習を繰り返し、想定外のケースにどう対応するかなど、とっさの判断力を養うためにさまざまな症例研究も続けていました」

また専門医取得後に医局から派遣された病院では、先輩医師の指導を受けて脳動脈瘤クリッピング術なども習得する。しばらくして脳血管内治療の指導医が着任したことで、同専門医を取得できる症例数も経験できたと鳥海氏。

さらに次に移った病院では脳神経外科の手術のほとんどを鳥海氏が担当し、手術の可否や手術方法の選択も任されていた。

「しかし今思い返すと、当時は手術した分だけ私や診療科が高く評価されるのがうれしく、やや手術優先になったことは否めません」

鳥海氏のこうした言葉は、それだけ自分の手術を常に見直していることの表れといえるだろう。

手術をメインとしない
ケアミックスの病院に転職

別の病院では10年ぶりに着任した脳神経外科医として迎えられ、休眠していた診療科の再立ち上げも経験した鳥海氏。しかし以前の病院で一部で手術優先の判断となった反省などから、次第に手術がメインでない診療を志向するようになっていったという。

「脳神経外科を選んだとき、手術ができるようになったら10年は頑張るつもりでした。このときはそうした節目でもあり、働く場所や働き方を一度考え直そうと思ったんです。『人の役に立つ』という核の部分は変わらず、急性期中心の病院や、急性期から回復期・終末期までをトータルに診られる病院、海外で長期的に医療支援ができる団体などを検討しました」

1年以上もかけた転職活動の中で、鳥海氏は医療系雑誌で目にしたこと、以前に海外医療支援について学ぶため訪ねたことなどから新生病院も候補の一つに加えた。

同院はキリスト教を背景とする病院で、急性期から回復期まで地域に根ざした診療を行い、海外で医療支援も続けるなど、鳥海氏は転職先としても興味を持った。

「病院見学で現地を訪れたとき、患者さんのためを思って診療する姿勢に感銘を受けたのに加え、どこかでカッコウの鳴く声が聞こえて、『自然が身近なところで暮らすのもいいな』と感じました」

同院がある長野県小布施町は豊かな自然、葛飾北斎の画や伝統的な景観を現代に生かす町づくりで知られ、新たな取り組みを受け入れる気風を感じたと鳥海氏。

「私もそうした町で新しいチャレンジをしたいと思ったのです」

AFTER 転職後

認知症やリハビリの支援と
可能な範囲での手術を行い
小布施町の医療を充実させたい

脳神経外科の立場で
回復期リハの患者を支援

新生病院は155床の規模ながら、地域のニーズに応えて幅広い診療科を擁し、急性期から回復期、在宅診療までカバーする。

その中で鳥海氏は脳神経外科の外来および入院患者を担当し、脳卒中の慢性期患者の治療、急性期患者の保存的な治療や小手術などを行っている。外来でもの忘れなどの症状も診ることで、認知症の早期発見にも努めたいという。

また脳神経外科の立場から整形外科やリハビリテーション科と連携し、回復期リハの患者の支援に積極的に加わっている。

「私はリハビリにおいて現在の標準的なものはもちろん、脳神経外科医というバックグラウンドを生かした支援も提供したいと考えています。例えば脳血管障害の後遺症に対するリハビリなどを行い、当院の診療レベルを高めていけば、地域で完結できる医療の範囲がさらに広がると思うのです」

これまでは脳血管障害の患者を受け入れても、症状の急変や再発があれば急性期病院に戻していたが、現在は鳥海氏がある程度対応できるのも強みとなっている。

さらに亜急性期の患者の受け入れも進めており、治療後すぐのリハビリを充実させることで、回復度合いを高める取り組みも行いたいと鳥海氏はいう。

「当院がこれまで行ってきた治療は同様にできるようになり、さらに私が脳神経外科でやってきたことを、当院の状況に合う形で実践したいと思っています」

科学的根拠にもとづく
適切な対応も重視したい

回復期リハを経て在宅医療に移行する患者もいるが、同院は専任の医師を置くなど訪問診療にも力を入れ、同グループに居宅介護支援やデイサービスの施設、訪問看護ステーションなどもある。

「訪問診療の医師から私が診ていた患者さんの様子を聞けるほか、介護や訪問看護のスタッフとの人的交流もあり、患者さんが在宅に移っても、顔の見える関係の中で診療が行われるのは安心です。こうした部分も含めた地域全体の診療力は手厚いと思いますね」

一方で脳神経外科の医師は自分だけで、内科で神経内科を診る医師も1人。地域の医療機関との連携も欠かせないと鳥海氏。

また同院はキリスト教を背景とするだけに、患者や家族への対応がとても優しく感じるという。

「心に寄り添うような真摯な対応を大切にしながら、さらに医療経済の視点から、科学的根拠にもとづく適切な対応も必要かと思います。一気にすべてを変えるつもりはありませんが、できる範囲でこうした考えを周囲のスタッフにも伝えていきたいですね」

院内の心安らぐ場所を訪ね
それから診療に向かうことも

小布施町は千曲川が流れ、北信五岳と呼ばれる山々が望める自然豊かな土地。入職前にカッコウの鳴き声で自然を感じた鳥海氏は、今は四季折々の美しさを眺めながらの通勤や、間近にある山や川での楽しみを満喫している。

新生病院も敷地のあちこちに木々が生い茂り、春は新緑、秋は紅葉が美しい場所。また敷地の奥にある森の中のチャペルは心安らぐ場所としてよく訪れるという。

「朝の礼拝を終え、とても穏やかな気持ちで病院に向かうときは、当院そして小布施町に来られて本当によかったと感じます」

このほか仕事では自分の動きが病院の質の向上につながる実感もあるという鳥海氏。

「転職を決める前には家族と話し合って、『50代からは一番やりたかった医療を実践したい』という気持ちを共有してもらえました。この小布施町で残りの人生をさらに充実させたいと思っています」

鳥海氏とスタッフとのカンファレンス風景 画像

鳥海氏とスタッフとのカンファレンス風景

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
公益性の高い医療で地域に安心を

施設の充実と経営改善で
今後も地域医療を支える

同院は80年以上の歴史の中で診療科や施設の充実を図ってきたが、10数年前から新病棟や福利厚生施設などの設備を拡充するとともに、院内の医療資源から財務状況まで各種データの見える化を進め、医療職・事務職が協力して経営改善に取り組んできた。

また認定看護師の取得支援などスタッフの教育や待遇の向上にも力を入れたことで、看護師や各専門職も安定して確保でき、今は多職種連携もスムーズだという。

2017年に院長となった大生定義氏は、私立病院や公的病院の臨床医、診療所の所長、大手企業の産業医、大学での医師教育の研究など、さまざまな変容(トランスフォーム)で得た自らの経験を病院運営に生かし、さらに働きやすい環境を整えたいと語る。

「たとえ専門職でも不注意や記憶違いなどで、ルールから逸脱してしまう場合もあるでしょう。それを隠さず伝え、周囲の人間は受け止めて許し、再発を防ぐ工夫をするなど、全員で協力して医療の質や安全性を高めたいのです」

診療面では高齢者も多い小布施町の健康を守るため、医療、介護、福祉の横断的な視野と対応が必要と大生氏。その点、同院は外来・入院に対応する診療科が幅広く、在宅医療専門の医師も常駐。介護や訪問看護の関連施設を持つなど、地域を多職種でカバーできる。

「こうした体制により外来の患者さんが入院した際には同じ医師が引き続き担当でき、在宅に移行した場合も院内の在宅担当の医師と協力した診療が可能です」

加えて20床の地域包括ケア病床で在宅患者の入院にも適宜対応でき、回復期リハ病床とともに急性期医療と在宅医療をつなぐ重要な役割を果たしている。

また鳥海氏については外科手術も含めた診療能力が非常に高いと評価し、それが生かせるサポートをもっと提供したいと大生氏。

「環境が整えば、さらに診療面で活躍してもらえると思います。その上で今後は外科の専門分野だけでなく、医療チームのリーダーの役割も期待したいですね」

大生定義氏

大生定義
新生病院 院長
1977年北海道大学医学部卒業後に聖路加国際病院で研修を受け、同院内科副医長、医長を歴任。1995年より産業医に転身し、ニューキャッスル大学臨床疫学大学院修士課程修了。その後、横浜市立市民病院神経内科部長および臨床研修委員会委員長を務め、診療と教育に従事。2006年から立教大学社会学部教授、横浜市立大学医学部臨床教授。2017年から現職。

新生病院

同院は日本の結核患者を救うためカナダ聖公会が建設した診療所を母体とし、現在は地域福祉など公益を目的とする特定医療法人で、小布施町唯一の病院でもある。診療面では多様な診療科による外来診療と在宅医療に注力し、地域の幅広い医療ニーズに応えている。同時に被災地や途上国などでの医療協力活動にも積極的で、社会貢献事業を主としたNPO法人が新生病院グループにあるのも特色だろう。また関連施設に居宅介護支援事業所や訪問看護ステーション、デイサービス等を持ち、同町の医療、介護、福祉を支えている。

新生病院

正式名称 特定医療法人 新生病院
所在地 長野県上高井郡小布施町851
開設年 1932年
診療科目 内科、消化器内科、消化器外科、外科、
小児科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、
泌尿器科、放射線科、整形外科、脳神経外科、
形成外科、歯科、歯科口腔外科、麻酔科、
婦人科、リハビリテーション科、肛門外科、
循環器内科、緩和ケア内科
病床数 155床
(一般96床うち地域包括ケア病床20床、療養59床)
常勤医師数 15人
非常勤医師数 13人
外来患者数 190人/日
入院患者数 132人/日
(2018年11月時点)