VOL.77

大腸内視鏡での高度な診断を
地域に根ざした病院で
幅広く役立てる道を選んだ

福岡輝栄会病院
消化器内科 鍋山健太郎氏(48歳)

福岡県出身

1994年
福岡大学医学部 卒業。同大学病院 研修医
1995年
九州厚生年金病院(現:JCHO 九州病院) 研修医
1996年
新栄病院(現:社会福祉法人小倉新栄会 新栄会病院) 外科
1997年
山元外科病院(現:社会医療法人謙仁会 山元記念病院) 外科
1998年
佐賀県立病院好生館(現:地方独立行政法人 佐賀県医療センター好生館) 麻酔科
福岡大学病院救命救急センター 外科
1999年
一般社団法人糸島医師会 糸島医師会病院 外科
2000年
福岡大学病院 外科。福岡大学大学院医学研究科 入学
2004年
同研究科 修了。中間市立病院 外科
2005年
遠賀中間医師会病院(現:遠賀中間医師会おんが病院) 外科
2008年
高野会 大腸肛門病センターくるめ病院(現:社会医療法人高野会 くるめ病院) 外科
2013年
福西会病院 大腸肛門病センター
2015年
福岡輝栄会病院 消化器内科 入職

長く一般外科で診療し、専門性を求めて大腸肛門病の専門病院に移った鍋山健太郎氏。次なるキャリアチェンジは、一般から療養まで多様な病床を持つ病院の消化器内科への転身だった。「内視鏡で患者さんにより的確な診断を提供し、適切な治療につなげたい」と決意した、鍋山氏の熱い思いを聞いた。

リクルートドクターズキャリア9月号掲載

BEFORE 転職前

一般外科を10数年経験後、
専門性を身につけるため
大腸肛門病の専門病院に

手術で患者を治す
外科医への憧れが始まり

現在は福岡輝栄会病院(福岡県福岡市)の消化器内科で活躍している鍋山健太郎氏だが、大学卒業後は長くジェネラルな外科医としてキャリアを重ね、後半は大腸肛門病を専門にしてきた。

幼い頃から開業医だった父の姿を見て育ち、専門分野も同じ外科を志したという鍋山氏。

「当時、私にとって医師=外科のイメージだったんです。患者さんを手術して元気になる手助けをしたいと思い、早くから医師になろうと決めていました」

進学先は地元の福岡大学医学部。残念ながら鍋山氏が大学5年生のときに父親は膵がんで亡くなったが、そのことで患者を治したいとの思いは一層強まったという。

卒業後は同医学部第一外科(現在は消化器外科)に入局した。

「1年目は大学病院で研修、2年目から関連病院を回り、総合病院や大規模な個人病院などの外科で修練を積みました。また5年目の前半は麻酔科の研修を受け、後半は大学に戻って救命救急センターで診療と、一般外科・消化器外科として一通りの経験ができたと思います」

大学院での研究を経て
専門分野を持とうと決意

その後、医局長から大学院で勉強しないかと提案を受け、福岡大学大学院医学研究科に進学。ここで糖尿病に対する膵島移植治療の研究に携わった。

「一つのテーマを徹底的に突っ込んで考えることが、意外と自分に向いていると実感しました。このまま研究を続けようかとも思いましたが、やはり臨床から長く離れている不安が強かったですね」

大学院修了後は福岡県内の市立病院、医師会病院などで臨床に立ち続けたが、次第に専門性を磨きたいと思い始めたという。

「長く一般外科・消化器外科にいましたが、自分は何でもできる器用なタイプというより、ある分野に特化する方が向いていると考えたのです。これには大学院で研究に打ち込んだ経験も影響したと思います」

鍋山氏が次のステップに選んだのは大腸肛門病の専門病院。これまでの経験から下部消化管のがん患者が増えていると感じ、より多くの人に役立つ大腸疾患を専門にしたいと考えたからだ。

「その上、肛門疾患は一般の病院ではあまり見る機会がなく、大腸肛門病の専門病院ならそうした患者さんも多く診られるだろう、といった期待もありました」

大腸肛門病を診る中で
内視鏡への興味が高まる

鍋山氏は2008年から2015年にかけて、大腸肛門病の診療科を2つの病院で経験し、大腸がん、大腸炎のほか、クローン病や潰瘍性大腸炎といった炎症性腸疾患、一般的な肛門の病気など幅広く診ていった。

だがその間に、鍋山氏は新たな将来像が見えてきたとも語る。

「どちらの病院も診療科には外科のスタッフしかいなかったため、私は内科的な分野も勉強させてもらいました。特に大腸内視鏡を扱う中で、もっと消化器や内視鏡を専門的に学びたいと思うようになったのです」

すでに日本消化器内視鏡学会などにも参加し、内科医と接する機会が増えていたという鍋山氏。

「そこで細やかな診断力、内視鏡検査への評価の正確さなど、私たち外科の及ばない部分があると気づかされました。患者さんはより正確な検査と診断のため内視鏡検査を受けるのですから、外科だからこのレベルというのは言い訳になりません。それならもっと勉強して、検査力や診断力を磨く方がいいと考えたのです」

新たな針路を検討する鍋山氏に声をかけたのが、以前同じ医局にいた友人の山本純也氏。大学時代から顔なじみで、卒業後も一緒に食事をしていたが、鍋山氏の目標を聞いて、自分が外科部長を務めている福岡輝栄会病院の消化器内科を勧めてくれたという。

「私が使いたいと思っていた拡大内視鏡も備わっているなど、環境面では好条件に思えました。ただその病院名は私には初耳で、本当に消化器内科に入れるのか確かめないと……と悩みながらの転職活動スタートでした」

AFTER 転職後

ニーズが高まる内視鏡検査
その診断力と治療技術を磨き
地域医療にさらに貢献する

消化器内科での診療が
転職するときの条件

福岡輝栄会病院は50年以上の歴史を持つが、地元密着の医療が中心で、同院のある地域以外での知名度はさほど高くなかったようだ。このため鍋山氏はどんな病院かを知ることから始め、特に外科医として内科を診るのではなく、自分が消化器内科に入って診療できるかにこだわったという。

「幸い、中村院長との面談では『山本外科部長からの推薦でもあり、ぜひとも消化器内科で頑張ってほしい』と言ってもらえました。中村院長も私や山本と同じ大学の外科出身で、そうした縁もあって引き受けてくれたのでしょう」

希望通り消化器内科に入職できたものの、本当に自分に内科的な診断ができるのか不安な面もあったと鍋山氏は打ち明ける。

「それまでは私も含め外科医ばかりの環境での診断で、どこまで細やかな視点が必要なのかは未知数でした。ですから基本的なことでも念には念を入れて資料で確認し、必要に応じて当科の上司に相談して治療方針を決めるなど、しばらくの間はあれこれ教わりながら診療していましたね」

患者のために必要な
診断と治療の力を磨く

2015年に同院に転職した鍋山氏は入職3年目を迎えた。大腸内視鏡への興味は増すばかりだが、診断や治療に対する不安はすでになくなったと話す。

「例えば内視鏡を使った大腸ポリープ治療技術には、私が行っているEMR(内視鏡的粘膜切除術)のほかESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)もありますが、今から新たな技術にチャレンジするより、現場で多く必要とされるEMRに磨きをかけるのが現実的で、患者さんのためになると考えています」

しかし内視鏡による診断の精度はさらに高めたいと鍋山氏は考えている。診断が的確になるほど適切な治療を複数提案でき、患者の選択肢が広がるからだ。

「当院は別の医局とも分け隔てなく気軽に相談できるので、いずれは内科全員を集めた症例検討会などを開き、もっと多くの人から学べる機会を作りたいですね」

このほか鍋山氏は胃潰瘍など一般的な内科の病気も受け持ち、また健診部門の大腸内視鏡検査でも力を発揮している。

「近年は健康診断で内視鏡検査を希望される方も増え、一般内科でも内視鏡検査を勧めると同意していただけるなど、大腸内視鏡の認知は高まっていると感じます」

だからこそ大腸内視鏡のプロフェッショナルとなり、患者の期待に応えようと、鍋山氏は自らを磨き続けると決めているのだ。

公休日の活用で子どもと
一緒にいる時間も増えた

同院の休診日は毎週日曜日だが、医師やスタッフには週1回の公休日もあり、鍋山氏は今のところ金曜日をそれに充てているという。

「平日は妻も仕事なので、金曜は私が子どもの面倒を見る当番なんです。転職時は休みのことまで気が回りませんでしたが、公休日があるおかげで保育園や習い事への送り迎えなど、子どもと過ごす時間が増えて満足しています」

一方で同院は二次救急まで対応するため、急に忙しくなるときはあるものの、それもまたメリハリがつくと鍋山氏はワークライフバランスを高く評価している。

自ら希望したキャリアチェンジではあったが、移る前はかなりの葛藤もあったと鍋山氏。

「これまでずっと外科でやってきて、『本当にこの選択でいいのか』と悩んだ時期もありました。しかし内視鏡への興味と、患者さんのために自分をもっと成長させたいとの思いから決意。転職後は自分のやりたい診療ができ、本当によかったと実感しています」

近隣住民対象の健康教室で、大腸疾患の説明をする鍋山氏。こうした地域とのふれ合いも同院の魅力だ。 画像

近隣住民対象の健康教室で、大腸疾患の説明をする鍋山氏。こうした地域とのふれ合いも同院の魅力だ。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域のため幅広い診療と専門性を両立

予防、治療、リハビリまで
地域の中で完結する医療を

小児診療所から総合病院に発展し、地域医療の充実に努めてきた同院だが、一時その流れが停滞気味だったと院長の中村吉孝氏。

「私が当院に入職した当時は、ベッド数が多い割に診療科が少なく、診断・治療という病院の基本機能が不足していました」

そこで中村氏は閉科していた脳神経外科の再開をはじめ診療内容の充実に着手。現在までに総合診療部を中心に初診や救急の患者を診療し、地域のニーズが高い脳神経外科、整形外科、消化器内科、消化器外科などで、より専門的な診療を行う体制を整えてきた。

またカプセル内視鏡検査、単孔式手術、脳神経外科による脳卒中や神経疾患の総合的治療などは、福岡市全域から患者が集まるほど高い評価を得ているという。

「わざわざ大学病院まで行かずとも、もう少し専門的な診療を気軽に受けたい、といったご希望に応えられるのが当院なのです」

2018年前半には、再開発で活気づく西鉄・JR千早駅近くに新病院をオープン予定で、総合診療部、各専門診療科とも充実を図りたいと中村氏。

「私も院長兼外科医、そして総合診療部の一員として、当地域の医療を向上させたいと考えています」

そうした中、外科を幅広く経験し、大腸・肛門を専門に診た上で消化器内科を希望した鍋山氏に、中村氏は期待を寄せている。

「当院は多様な症例を診る『町の病院』で、当直もありますが、鍋山先生は幅広い経験をお持ちなので安心して任せられます。さらに健診でも内視鏡検査は消化器内科の担当のため、大腸・肛門分野の専門性を発揮してもらえるのです」

同院は一般、回復期リハ、療養、地域包括ケアと多様な病床を設け、健診部門による予防や病気の早期発見から、治療、リハビリ、看取りまで一貫して行っている。

「もちろんご自宅で療養したい方の在宅医療を支援し、『この町に輝栄会があってよかった』と思っていただけるよう、親切で親身な病院を目標に地域医療に尽くしたいと考えています」

中村吉孝氏

中村吉孝
医療法人輝栄会 理事長
福岡輝栄会病院 院長
1985年福岡大学医学部卒業後、同大学病院での研修を経て、1986年九州大学生体防御医学研究所外科研修医。国立病院(現:国立病院機構)九州がんセンターおよび財団法人(現:公益財団法人)天理よろづ相談所病院の消化器外科分野で診療後、1991年から中村病院(現:福岡輝栄会病院)。1993年に同院副院長、1995年同院長。2007年医療法人輝栄会理事長に就任。

福岡輝栄会病院

同院は発足時の小児診療所から総合病院となり、診療科を充実させ、予防・治療・リハビリまで地域の中で切れ目のない医療を提供。グループ内に高齢者複合施設も開設し、地域包括ケア病床を設けるなど高齢社会への対応も行っている。現在は主に総合診療部が初診や救急に対応し、脳神経外科、整形外科、消化器内科、外科などがより専門的な分野をカバー。病院の移転新築計画も進んでおり、完成すれば総合診療部、各専門診療科それぞれの機能が強化される予定だ。

福岡輝栄会病院

正式名称 医療法人輝栄会 福岡輝栄会病院
所在地 福岡県福岡市東区千早5-11-5
設立年 1961年
診療科目 外科、脳神経外科、整形外科、脊椎・脊髄外科、
形成外科、呼吸器外科、心臓血管外科、肛門外科、
泌尿器科、眼科、内科、消化器内科、
呼吸器内科、循環器内科、リウマチ科、アレルギー科、
糖尿病外来、放射線科、リハビリテーション科、麻酔科
病床数 259床(一般150床 回復期リハ28床
療養45床 地域包括36床)
常勤医師数 24人
非常勤医師数 22人
外来患者数 200人/日
入院患者数 230人/日
(2017年6月時点)