VOL.89

長年の救急医療の経験をもとに
自分が理想としていた
地域医療・高齢者医療を実現

つばさ総合診療所
内科 八木啓一氏(64歳)

大阪府出身

1981年
鳥取大学医学部卒業、大阪大学医学部附属病院 特殊救急部 入局
阪和記念病院 脳神経外科
1982年
愛知県厚生連海南病院 外科
1985年
大阪大学医学部附属病院 特殊救急部
1987年
セントルイス大学(アメリカ) 麻酔科 research assistant professor
1990年
兵庫県立西宮病院 救急医療センター 医長
1992年
防衛医科大学校病院 救急部 助手(1993年から講師)
1996年
大阪府泉州救命救急センター 副所長
2000年
青梅市立総合病院 救命救急センター 部長(同年10月からセンター長兼務)
2002年
鳥取大学医学部 器官制御外科学救急・災害医学分野 教授
(2004年から救命救急センター長兼務)
2009年
横浜市立みなと赤十字病院 救命救急センター センター長
(後に院長補佐、臨床教育センター長兼務)
2018年
つばさ総合診療所 入職

国内の救命救急センターの先駆けといわれる大阪大学医学部附属病院から、救急車による受入患者数が全国トップクラスの横浜市立みなと赤十字病院まで、八木啓一氏はキャリアのほとんどを救急医療に費やしてきた。しかし2018年に転職した八木氏は、「救急は自分がやりたい医療へと至るプロセスだった」と断言する。何を目指して医師になり、どのようなゴールにたどり着いたのか、その流れを追った。

リクルートドクターズキャリア9月号掲載

BEFORE 転職前

地域の住民のために
何でも診られる医師を目指し、
選んだのは救急医療の道

診療所は町や村に1軒程度
医師は頼れる存在だった

医師として40年近いキャリアを持つ八木啓一氏は、国内の救命救急センターの先駆けといわれる大阪大学医学部附属病院特殊救急部に始まり、ほとんどを救急医療の最前線に身を投じてきた。そして2018年4月、自らの新たなキャリアとして選んだのがつばさ総合診療所(埼玉県)だ。

「もともと救急医療を目指したのは、どんな分野も診られる医師になって地域医療に貢献したかったから。長年の夢がかない、今は生き生きと仕事をしています」

そのような医師になろうと考えたのは、幼少期の暮らしが影響していると八木氏は振り返る。

「私の生まれは大阪府南西部でも特に人口が少ない地域で、当時は田畑の中に人家がぽつりぽつりといった感じ。診療所は町や村に1軒程度しかなく、医師はすべての患者を診るのが当たり前でした」

万一のときに頼れる存在だった医師に自然と憧れ、八木氏は医学部に入学。しかし医局選びはギリギリまで悩んだという。在学中に外科系に興味を持ち、最初は心臓血管外科への入局を考えたものの、自分が目指すような医師になるには、循環器を専門とするキャリアだけでは心細いと感じたからだ。

「全身を診るのなら小児科という道もあったのですが、あいにく私は子どもの扱いが苦手で(笑)。そうやって進路を選びかねているとき、私の同級生が救急医療に行くと聞いて、その道があったか!と目を開かれた思いでした」

施設の特性や院内連携により
救急医療は多様な面を見せる

最終的に八木氏が選んだのは大阪大学医学部附属病院。1967年に開設した特殊救急部は日本初の重症救急患者の専門施設として注目されていた。その頃の救急医療は交通外傷への対応が主だったため、入局後は関連病院と大学病院それぞれの外科で、半年ずつ研修するのが通例となっていた。

「当時の研修医は無給に近く、学生結婚をしていた私は妻にしばらく厄介をかけるな……と考えていました。ただ、関連病院のうち一つは多少なりとも給与が出ると聞き、研修希望の候補の一つに加えていたら、縁あってそこで研修を受けることになったのです」

いち早くCTを導入し、頭部外傷や脳腫瘍などを専門に治療する先進的な環境の中、八木氏は即戦力扱いで鍛えられたという。

その後は別の関連病院の外科、大学病院の特殊救急部、アメリカ留学を経て、兵庫県の病院で救急医療センター医長に就任。次に埼玉県の大学校病院で助手・講師を務め、自らの生まれ故郷に開設された救命救急センターで副所長となり、東京都下の病院では救命救急センターの立ち上げに加わるなど、さまざまな条件のもとで救急医療を実践してきた。

「しかし脳外科や心臓外科が充実した病院かそうでないかによって、脳梗塞や心筋梗塞の患者をどの程度の重症度まで救急で診るかは違ってきます。あるいは院内連携によって救急から各診療科への患者の受け渡しがスムーズだったり、妙に壁があったりと千差万別。それに30数年前は交通外傷が中心でしたが、今は高齢者が半数以上で、転倒によるけがや内科疾患も増えるなど、時代によっても救急医療は様変わりしています」

おかげで救急医療だけでも幅広い経験が積めた。八木氏は自らのキャリアをそう捉えている。

地方での救急医療に疲弊し
自分がやりたい道へと進んだ

さらに2002年から母校の救命救急センターで臨床と後進の教育に努めていた八木氏。臨床研修制度の変更は地方の救急医療に大きな痛手になったと付け加える。

「研修医は都市部に集中する傾向が強まり、地方の大学病院や関連病院に来る人員は激減。私はセンター長として医学部長や病院長と幾度も人員確保と勤務環境の改善を話し合いましたが、有効な改善策は打ち出せないままでした」

何年も精神的・体力的にギリギリの状態が続き、これが限界と感じた八木氏は部下とともに大学を退職。これは新聞やwebメディアにも大きく取り上げられた。

それから神奈川県の病院で救急医療に従事した後、八木氏は念願の地域医療の道へと進んだ。

AFTER 転職後

高齢者を一人ひとり丁寧に
診療するというゴールに
ようやくたどり着いた

救急医療と高齢者医療は
思った以上に似ている分野

八木氏が転職したつばさ総合診療所は主に高齢の患者を対象に、外来診療と介護施設などへの訪問診療・往診を行う医療施設。八木氏は昔から目指していたゴールにやっとたどり着けたと笑う。

「私にとっての医療の原点は、生まれ故郷の村にいた何でも診てくれる医師の姿なんです。特に高齢の患者さんを優しく診る姿が懐かしく、大学病院にいたときは救急医療の傍ら、高齢者医療の病院をアルバイト先に選んだほどです」

また近年は救急で運ばれてくる患者の半数以上は高齢者であり、八木氏にとって違和感がないどころか、この点を注意しないと容体が急変するといった知識がダイレクトに役立つ職場だという。

「また高齢になると複合疾患の患者さんも多く、全身を診てきた救急医の強みも生かせます」

生き生きと仕事をしているとの言葉通り、笑顔で語る八木氏。

「始めて数カ月ですが、おばあさんのファンも増えましたね(笑)」

主治医としての責任を持ち
患者ごとに適切な医療を提供

八木氏の一日は、診療所で当日診る患者の情報をもとにカルテを整理する業務から始まる。

「まだ受け持ったばかりで、ようやく患者さんの顔と名前を覚えたところですが、主治医として各自の病気と容体をしっかり把握し、薬の種類や量が適切かを確認するなど、やることは多いですね」

このため今はこうした準備に時間を取られると八木氏。患者はさまざまな医療機関を回り、そのときに出された薬を飲み続けている患者も目につくため、減薬を前提に患者ごとに適切な医療を提供できるようにしたいと話す。

八木氏が担当する患者の大半は施設入居者で、訪問診療が中心となっている。このため準備を終えると運転手、看護師などと訪問診療に出かけることがほとんど。訪問ペースは午前に1施設、午後に1施設で、施設で診療する患者数は15人ほど。1日に診る患者数は30人程度が平均的だ。

「夕方に診療所に戻って報告書をまとめたら業務終了。残業やオンコールはなく土日も確実に休めるので、救急にいた頃に比べるとストレスも感じませんね」

これからも仕事で成長し
同時に私生活も充実させたい

八木氏は救急医療の現場で自分が後輩に言い続けてきたことを、改めてかみしめているという。

「何でもすぐ検査に頼るのではなく、丁寧な視診・触診・問診で病気やけがの当たりをつけ、検査はあくまで確認など補助的に使うこと。これは一刻を争う救急医療や災害医療の基本ですが、訪問診療先で簡易的な検査機器を使って判断を下す際にも重要になります」

介護施設に親などを入居させているのは、家族の力だけではケアが難しいからだ。訪問診療では判断がつかないから、検査のため病院へ連れて行くようにといった指示は、そうした家族にとって非常な重荷になりかねない。

「このように救急医療でやってきたことにもっと磨きをかけ、新たな知識も吸収しながら、さらに成長を続けたいと考えています」

一方でプライベートはすでに大きく変わったと八木氏。趣味のランニングも、以前は夜中など時間が取れるときに走ってきたが、最近は早朝や土日など自分が気持ちいい時間帯に走れる。また好きな登山は転職後半年のうちに数回も行けるようになった。

「私は何事もやり過ぎる傾向があるようで、せっかく建てた自宅にも私は住むことなく、20年近く単身赴任を続けてきたのです。ここに来てようやく腰を落ち着けて、バランスのとれた人生が送れると実感しています」

訪問診療に出る前、診療所内で看護師と当日診る患者の容体などを再確認。 画像

訪問診療に出る前、診療所内で看護師と当日診る患者の容体などを再確認。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
医療で高齢者と家族の幸せを支える

外来の整形外科・リハビリと
施設などへの在宅医療が中心

同診療所がある埼玉県入間市は東京都北西部と隣接するベッドタウンで、高齢化も着実に進展。そうした中、同診療所が担うのは地域の高齢者の外来診療と介護施設への訪問診療・往診などだ。

外来では一般内科のほか、特に整形外科や通所リハビリに力を入れ、患者や利用者の健康寿命の延伸に貢献。また在宅は介護施設の入居者や自宅療養の患者の健康管理が中心で、例えば内科なら在宅酸素療法や中心静脈栄養法(IVH)、経管栄養法、人工呼吸器の指導管理なども行っている。

また同診療所の場合、常勤医は当直やオンコールがなく、それらは専任の医師が担当。このためプライベートの時間をしっかり確保できるのも魅力となっている。

「ご家族による高齢者へのケアの一部を私たちが肩代わりし、ケアをする側もされる側も幸せになっていただく。そうした社会奉仕の仕事だと実感しています」

院長の坂口修平氏は診療の感想をこう語る。同氏も自らのクリニックを少し前に閉じ、同診療所に来た経歴を持つ。医療機器の維持・更新のコストに加え、高齢になるほど医療と経営の両面に責任を持つのは難しいと感じ、求められるうちに転職したという。

「私は内科の診療経験はあるものの、専門は形成外科・整形外科。長く救急医療で活躍していた八木先生の入職により、互いの強みを生かす体制を作ることができています。また患者さんやスタッフからも『話しやすい』と好評です」

ただそうしたバックグラウンドとは関係なく、患者と気持ちをつなげられる医師なら、相手の思いに寄り添う在宅医療で力を発揮できるはずと坂口氏は言い、自身は時間がかかっても患者の話をじっくり聞き、ことば遣いや態度も敬意を持って接していると話す。

「病気でなく患者さん自身を診る。在宅医療はそんな医師本来の姿に戻れる現場だと感じています。そして70歳になっても自分の力が求められ、患者さんやご家族に感謝してもらえる。そうした職場が見つかって私自身も幸せです」

坂口修平氏

坂口修平
つばさ総合診療所 院長
1978年昭和大学医学部卒業後、同医学部形成外科に入局。首都圏を中心に大学病院・総合病院の整形外科、救命救急センター、形成外科などで経験を積む。1983年からパリ大学サン・ルイ病院形成外科に留学。1992年から父親経営のクリニックに加わり、後に継承。専門の形成外科のほか内科全般を診療する。2017年に同クリニックを閉院し、現職。

つばさ総合診療所

同診療所は首都圏を中心に外来医療・在宅医療事業、介護事業などを展開する医療法人グループの一員。内科および整形外科の外来診療、通所リハビリテーションに加え、併設の有料老人ホームや近隣の介護施設を対象に在宅医療を提供している。外来は予約制で常勤医と非常勤医で担当。現在は内科、整形外科を開設しており、高齢の患者を中心に、地域のかかりつけ医として総合的な健康の相談、足腰など関節の痛み・しびれなどに対応している。また理学療法士8人、作業療法士6人に加え、リハビリ助手、ヘルパーとスタッフが充実。在宅は内科のほか歯科、精神科、眼科、皮膚科、耳鼻咽喉科と担当医師の専門分野を生かした体制を整えている。

つばさ総合診療所

正式名称 医療法人社団 白報会
つばさ総合診療所
所在地 埼玉県入間市下藤沢350
開設年 2015年
診療科目 内科(外来・訪問)、整形外科(外来)、
歯科(訪問)、精神科(訪問)、眼科(訪問)、
皮膚科(訪問)、耳鼻咽喉科(訪問)
常勤医師数 2人
非常勤医師数 4人
訪問診療担当患者数 270人(内科)
訪問数 30人/日
(2018年7月時点)