VOL.59

病気の社会的要因に興味を持ち、
スウェーデンで社会学を学んだ。
その知見を地域医療に生かす

健和会病院
内科 大槻 朋子氏(41歳)

大阪府出身

2002年
信州大学医学部卒業、耳原総合病院 初期研修
2005年
西淀病院 内科
2007年
リンショーピン大学(スウェーデン)留学
2009年
健和会病院 内科

医学と社会学は、縁遠い分野のように感じるかもしれない。しかし、健和会病院内科の大槻朋子氏は、その関連性に自分の領域を見いだした。社会の状況や、患者個人が置かれた状況によって、健康が規定づけられる――。その仕組みを学ぶために、30歳で病院を辞めてスウェーデンに留学。現在は再び臨床に復帰し、糖尿病専門医を目指して経験を積んでいる。

リクルートドクターズキャリア3月号掲載

BEFORE 転職前

一度、中断した医師の仕事を
再スタートする場として、
学生時代を過ごした長野を選ぶ

生きる意味を考えて法学部から医学部に

健和会病院(長野県飯田市)内科の大槻朋子氏は、大阪市立大学法学部2年生の時に医師を志し、受験し直して信州大学医学部に入学した。「当時はルワンダ難民のことが問題になっているような時期で、こんな混沌とした時代に法学部を出て会社員になって、いったいどんな意味があるのだろうかと、迷ってしまった。それで、医療の技術があれば、こんな時代にも生きている意味があるのではないかと考えたのです」

医学部入学後は、国境なき医師団のように海外に行って活動する医師になりたいと思ったが、周囲の反対もあって断念。2002年の卒業後は出身地の大阪に戻った。総合病院で初期研修を受け、05年からは、同じ大阪の中規模病院で後期研修。その後は同院に内科医として勤務した。

「内科を選んだのは、私にとって医師イコール内科医というイメージだったからです。おじいさん、おばあさんが好きで、高齢者を診たいと思っていました」

当初は家庭医を目指したが、家庭医はカバーする疾患の範囲が広く、経験が浅い医師には難しい。「何か自信の持てる専門領域を身につけてから守備範囲を広げよう」と思いつつ、日々の診療に追われてそれもままならないまま2年が過ぎた。

性別や年齢、収入などが健康を規定する事実

「ちょうど30歳になった時でした。人生には限りがある、やりたいことをやらなくては、と思ったのです。それで、学生時代から関心のあった海外生活を具体的に考え始めました。同じ頃、『健康格差社会』の著者・近藤克則先生(千葉大学予防医学センター教授)の講演を聞き、健康規定因子としての社会的要因に興味を持ちました」

一例として、男性で、中高年で独身、うつ病があり、低収入の人は、虚血性心疾患になりやすく寿命も短いというように、社会的要因が健康を規定してしまうことがある。もともと法律を学んでいた大槻氏は、「文系の学問も極めてみたい」と思ったのだ。

あれこれ情報を集め、スウェーデンのリンショーピン大学に、無料で学べる「健康と社会」という社会学のコースがあるとわかった。「申し込んだら受けて入れてくれるというので、病院を辞めて行きました。ちょっと英語を勉強し直しただけで、思い立ってから1年も経たないうちでした」

講座の中では、やはり社会的要因関連がおもしろかったと言う。「たとえば、私は女性の方が男性より寿命が長いのは生物学的な問題だと思っていたのですが、女性が抑圧されている社会では女性の方が10年も短かったりします。あるいは、スウェーデンでは女性の喫煙率が高く、寿命の世界ランキングが男性に比べて低い。そのような事実に、目が開かれる思いがしました」

1年半のコースを終了して帰国後、仕事を再開するにあたって考えたことは、「学生時代を過ごした、自然の多い長野県で働きたい」「社会的要因が健康に及ぼす影響を重視している、全日本民主医療機関連合会(民医連)の病院がいい」という2点だった。

自然の多い環境で働きたい、社会的要因重視の病院がいい

「医学部を卒業後、お世話になった大阪の2つの病院も民医連でした。私自身、もともと社会的視点が大事だという気持ちはありましたし、民医連には無差別・平等の医療というポリシーがありますから、社会的視点のある医師が多いように思います」

また、学生時代に現在勤務する健和会病院で実習をした。その際、お世話になった和田浩副院長とは卒業後も連絡を取っていた、というつながりもあった。「民医連に連絡を取り、長野県で働きたいと相談したところ、ご縁のある健和会病院を勧められました。私は一度、医学を離れて社会学を学びましたが、再び医師人生をやり直すなら、今度は長野がいい。都会よりも、地域医療が盛んで自然の多い土地がいいと思ったのです」

09年、医師としての再スタートをきった。

AFTER 転職後

医師会主催の勉強会や
ほかの医療機関との連携が充実。
じっくりと専門性を高められる

大都市との大きな違いは医師に対する患者の信頼度

大槻氏が健和会病院に入職したのは、09年1月。まず初めに感じたのが、患者の違いだった。「大都市では医療機関に対して、少なからず不信感を持っている患者も多いように思います。しかし飯田では、患者が医師を信頼してくれます。みんな本当に素朴で温かい。信頼されればそれに応えたいと思うのが人情ですし、ここでは患者の信頼が医師としての自分を育ててくれていると実感できます。私にとって嬉しい驚きでしたし、医師としての充実にもつながっています」

大槻氏は今、糖尿病を専門領域にしたいと考えて、糖尿病患者を重点的に診ている。「当初は糖尿病専門医が取れる施設認定があったのですが、認定が保留になってしまいました。それは想定外でしたが、糖尿病を重点的に診たいと申し出て、初診と教育入院はほぼ私に回ってくるようにしてもらっています」

糖尿病は、スウェーデンで学んだ病気の社会的要因と関連性が高い。発症原因や経過が、患者の社会的・個人的状況に関連しているからだ。患者とともに考えながら病気を治すことに、やりがいを感じると言う。「大阪にいた頃は、製薬企業に勧められるままに薬を出しているだけでは、という疑問もありました。それで患者が治っても、果たして自分が治したと言えるのだろうかと、内心、忸怩たる思いがありました。ところがここでは患者が私を信頼してくれて、どうすれば生活を変えられるかを一緒に考え、頑張ってくれます。話をしただけで血糖値が下がるのを見ると、本当に嬉しいですね」

ほかの医療機関や開業医と顔の見える関係を築ける

もう一つ驚きだったのは、ほかの医療機関や開業医たちとの連携が密で、病院の枠を超えて協力し合えることだ。同院では全医師が医師会に入ることになっており、勉強会に参加したり、何らかの役割を担ったりする。「たとえば、この地域には血液内科の専門医が開業医一人しかいません。でも、その先生とも顔の見える関係にあったことから、当院に週1日の診療支援をしていただけるようになりました。おかげで私は、主治医として骨髄腫やリンパ腫、慢性骨髄性白血病の症例を多数経験することができています」

さらに大槻氏は、週に1回、飯田市立病院の内分泌カンファレンスにも通っている。「そこで知り合った専門医に、困難な症例の相談などもさせてもらっています。大阪のときは勤務先の病院以外の医師とはほとんど交流がありませんでしたから、病院の枠を超えていろんな人に相談できるというのは新鮮でしたし、とてもありがたいですね」

また、糖尿病に専門性を置きながらも守備範囲を広げたいとの思いから、透析の勉強も始めた。「当院には経験豊富な透析専門医がいます。未知の領域を教えてもらえるのが嬉しくて、ここでコツコツと診療の幅を広げていこうと決意しています」

実は、大槻氏には0歳、4歳、6歳の3人の子どもがいて、留学時代に知り合った夫と協力しながら子育てをしている。「大変ですねとよく言われますが、病院が配慮してくれるのはありがたいですね。病院の規則で、子どもが1歳になるまではお昼に1時間授乳時間をもらえるため、昼休みの1時間と合わせて2時間の間に、保育園へ授乳に行くこともできます」

思い切ってキャリアチェンジした大槻氏。信頼してくれる患者に囲まれ、医師としてのやりがいを感じている。今後はインスリンポンプや妊娠糖尿病などにも携わりたいと、意欲も十分だ。

大槻氏(中央)と、他科の医師たち。

大槻氏(中央)と、他科の医師たち。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域の信頼を得て、公的責任を果たす

医師それぞれの個性を生かし
最大限に能力を発揮できる

「当院は、二次救急を担うケアミックス型病院で、救急車搬入件数は飯田市立病院に次ぐ第2位です」

と、健和会病院院長の牛山雅夫氏は語る。急性期医療だけでなく慢性期医療にも強く、消化器内科・外科、循環器、腎・透析、神経リハビリなどが得意分野だ。「在宅血液透析の実施、病理医常勤でセンチネルリンパ節生検など術中迅速病理診断も可能など、中小規模病院としてはかなり充実しているのではないでしょうか」

さらに、長野県から高次脳機能障害支援拠点病院に指定され、飯田市から委託の病児保育や無料低額診療事業を実施している。牛山氏が飯田医師会理事を務め、医師会統一の事前指示書の運用や、地域包括ケアシステムの構築をリードするなど、公的に果たす役割が大きいのも特徴だ。「地域の信頼を得て公的責任を果たすことは、とても重要です。当院のある飯伊二次医療圏は、10万人当たりの医師数が全国平均の8割程度と少ないのですが、それにも関わらず平均寿命が長く、一人当たりの医療費も低い。そうしたアウトカムの高い医療を可能にする一翼を、私たちが担っていると自負しています」

また、医療機関同士や医師会と行政の連携が良好であるため、医師は院内だけでなく地域全体で学び、活躍できる。それを支えているのが、同院の「医師それぞれの個性を生かして、能力を最大限に発揮してもらう」という方針だ。「大槻先生のように専門性を高めながら守備範囲を広げている医師もいれば、他病院、他施設に往診して嚥下内視鏡検査を積極的に行い、遺憾なく能力を発揮している医師もいます」

十分な話し合いによって、本人の専門性や能力、希望などとの擦り合わせをしっかり行い、ストレス無く働ける場を整えているのだ。現在は、住民のニーズが高い整形外科と呼吸器科をはじめ、あらゆる科の医師を求めている。「当院は医局の雰囲気がよく、何でも気軽に聞ける環境です。思う存分に力を発揮してもらえます」

牛山 雅夫氏

牛山 雅夫
健和会病院
院長
長野県出身。1979年新潟大学医学部卒業。山梨県、長野県等での研修をへて、85年健和会病院入職。神経内科、リハビリテーション科、内科を担当。97年から同院副院長。05年から現職。

健和会病院

健和会病院は、一般病棟のほかに回復期リハビリテーション病棟、療養病棟を持ち、急性期後も切れ目のない医療を提供できる病院だ。退院後は地域の往診専門診療所、訪問看護、訪問介護、デイサービスなどと連携し、重症者でも安心して在宅療養ができるように援助している。法人内の「かやの木診療所」「健和会飯田中央診療所」とは電子カルテを共有し、スムーズな連携体制を築いている。毎月、院内で開催する「公開医療講演」や、地域に出向いての医療講演、「伊那谷健康友の会」による健康づくり活動への職員支援など、地域住民に向けた健康情報の発信にも力を入れている。

健和会病院

正式名称 社会医療法人健和会 健和会病院
所在地 長野県飯田市鼎中平1936
設立年 1973年
診療科目 総合内科、消化器内科、循環器内科、透析内科、神経内科、リハビリテーション科、睡眠時無呼吸内科、外科、形成外科、脳神経外科、小児科、泌尿器科、精神科、心療内科、病理科
病床数 199床
常勤医師数 19人
非常勤医師数 36人
外来患者数 440人/1日
入院患者数 182人/1日
(2015年12月時点)