VOL.85

自ら心臓血管外科を立ち上げ
地域の患者に本当に必要な
高度医療を提供したい

羽生総合病院
心臓血管外科 平野智康氏(47歳)

島根県出身

1996年
防衛医科大学校医学科卒業
防衛医科大学校病院 研修医
1998年
陸上自衛隊帯広駐屯地所属
国立療養所帯広病院
(現:独立行政法人国立病院機構 帯広病院) 心臓血管外科
※通修制度により週2日研修
2000年
国立療養所帯広病院 心臓血管外科
※陸上自衛隊札幌病院付 専門研修により上記病院で研修
2002年
国立療養所帯広病院 心臓血管外科
2005年
春日部中央総合病院 心臓血管外科
2008年
戸田中央総合病院 心臓血管外科
2010年
イムス富士見総合病院 心臓血管外科
2017年
行田総合病院 血管外科
羽生総合病院 心臓血管外科 入職 
(心臓血管外科部長)

20年以上も心臓血管外科を専門とし、現在は新築移転する病院で同科の立ち上げに尽力する平野智康氏。しかしその道程では偶然と必然が何度も交錯し、多くの人との出会いがこの場に導いてくれたと語る。「一刻を争う患者さんを遠くの病院に送らずに済むように」と、高度医療も含め地域で医療が完結する体制を目指す平野氏の軌跡をたどった。

リクルートドクターズキャリア5月号掲載

BEFORE 転職前

偶然と必然が交錯する中
最初に希望した救急医療から
心臓血管外科へと舵を切った

防衛医科大学校を卒業後
研修中に見つけた自分の道

臨床研修2年目に心臓血管外科を専門と決めた平野智康氏。現在勤務する羽生総合病院(埼玉県)も含め20年以上も専門一筋に歩んできたが、それは多くの出会いに助けられたからだという。

医師に興味を持ったのは、高校時代に偶然手にした三浦綾子の小説『氷点』を読んだためだ。

「医師の華々しい活躍を描いた内容ではありませんが、何というかその世界観にはまってしまい、医師になろうと決心しました」

地元大学を出て公務員が両親の希望だったが、平野氏の意志は固く、経済的支援なしに医師を目指せる防衛医科大学校を選んだ。

「最終的には両親も納得し、快く送り出してくれましたね」

同校卒業後は2年間の臨床研修(初任実務研修)があり、当時から1年目は複数の診療科を回って幅広く経験し、2年目に自分の専門を選ぶ方式をとっていた。

「1年目のローテで救急を経験して、適切な治療で患者さんが劇的に回復する様子に驚きました。そして医師の力量が結果につながる救急に進もうと思ったのです」

しかし平野氏はすぐ救急には入らず、ある程度専門性を身につけておく方が救急医療でも役立つと考え、心臓血管外科を選択。

「一度も止まったことのない心臓を止めて手術を行い、成功して再び動き出したときの感動は大きく、まさに『患者さんの命を預かっている』実感があります。結局この魅力からは離れられず、救急には戻らないで、心臓血管外科医の道を歩むことになりました」

自分の専門を伸ばすため
早期退職して病院勤務を継続

臨床研修を終えた後、同校の卒業生は各地の部隊にある医務室などで2年間診療を行い、その後は2年間または3年間の専門研修を受けることになる。平野氏は北海道帯広市の駐屯地に配属され、心臓血管外科の専門研修も近くの帯広病院で受けられたという。

「実は部隊勤務の間も、臨床能力の維持のため週2日は外部で研修が受けられる通修制度があり、そのときから同院にお世話になっていました。心臓血管外科の診断、治療、術後管理といった基本はこの病院で教えてもらったのです」

そして研修後、自衛隊では心臓血管外科の技能を伸ばすのは難しいと平野氏は感じ、思い切って隊を退職。帯広病院に転職した。

「病院も帯広という土地柄も好きで、当初は骨を埋めるつもりでしたね。ただ忙しいと私の帰りも遅くなるため、妻と『近くに支えてくれる人がいた方がいいだろう』と相談し、妻の実家がある埼玉県に戻ることにしました」

次の転職先はラグビー部時代の縁ですぐに決まった。学会で会った部活の先輩に何気なく埼玉県に戻る話をしたところ、本人が勤める病院を紹介してくれたからだ。

そうやって埼玉県で最初に転職した病院は、上長が後進の育成に熱心で、平野氏自身も執刀する機会が増えた。また以前の病院は循環器と呼吸器が専門だったが、こちらは総合病院で、合併症などの患者にも対応できて自分の成長にもつながったと平野氏はいう。

知人や恩人のオファーにより
心臓血管外科医として成長

「しかし3年ほどたち、その上長が別の病院への栄転が決まって、私も身の振り方を悩んでいたところ、今度は帯広でお世話になった先生に声をかけられたのです」

オファーの内容は、血管内治療と心臓血管外科の2枚看板で診療体制を構築中だが、その責任者にならないかというものだった。

「せっかくの話なので、迷わず引き受けました。そこではカテーテルか開胸かといった治療の選択肢を検討する話し合いもできましたし、責任者の役割を担うなど、心臓血管外科医として次のステージに進んだように感じました」

その後、以前に栄転した上長からの打診を受け、その人が院長を務める病院に転職した平野氏。心臓血管外科の立ち上げを主導し、紹介患者も増やすなど、十分な実績を残せたと振り返る。

「そこは事情が重なって身を引きましたが、新築移転で心臓血管外科医を探していた羽生総合病院を知り、新たに診療科の立ち上げから始めようと入職しました」

AFTER 転職後

心臓血管外科の構成要素を
一つひとつ積み上げて
患者に信頼される診療科に

緊急の心臓手術にも
対応できる診療科を創る

平野氏が羽生総合病院に入職し、心臓血管外科の新規立ち上げに挑んでいるのは、近隣に同様の診療科が少なく、現状では心臓の緊急手術が必要な患者も遠方の病院に送らざるを得ないからだ。

「心臓は一刻を争う手術が多いにも関わらず、遠くまで搬送していたら悪化したり、命を落としたりするケースも出てきます。たとえ手術がうまくいっても、遠方だと入院中に家族が付き添うのも大変、退院後の通院も患者さんの負担になるでしょう。当院のような近くの病院で高度な手術までカバーできれば、地域の皆さんにも大きなメリットになると思います」

しかも同院は平野氏が入職した半年後の2018年5月には新築移転するため、ハイブリッド手術室をはじめ先進の設備も整い、医師やスタッフを増やすにも絶好のタイミングでもあった。

「院長の松本先生には『診療科が整うまで10年はかかるでしょう。腰を据えて取り組んでください』とアドバイスを受けました」

すぐに結果を求めるのでなく、質の高い医療のために現場が納得する形で準備を進めてほしい、という同院の考え方が窺える。

究極のチーム医療を目指し
各専門職をレベルアップ

以前の病院で平野氏が率いていた心臓血管外科のチームは、ある医師に「まるでオーケストラのようだ」と評されたという。

「私たちの治療はチームワークなしには成り立ちませんから、ハーモニーを奏でているように見えたなら本当にうれしいことですね。当院でもそんなチームを創り上げようと各専門職の知識やスキルの向上を図り、より密接な連携を進めているところです」

例えば手術中に人工心肺を適切に扱うには、経験豊富なME(臨床工学技士)が必要となる。そこで平野氏は自らそのような人材を探し、採用後にはMEのリーダーとしてメンバー教育にも力を入れてもらうつもりだという。

「エコーによる検査も独特な部分があるため、これもその分野の専門家を招いてレクチャーしてもらう予定。また場合によっては薬も大量に使うので、薬剤師にも理解を求めなくてはいけません」

もちろん手術のサポートや術後管理に大きな役割を果たす看護師には、心臓血管外科について深く学んでほしいと平野氏。

「とはいえ当院の看護師に心臓血管外科の手術経験はなく、少なからず不安を感じているかも知れません。まずそうした手術を行っている病院で一定期間研修を受けてもらうなどして、不安を取り除くことも大切になるでしょう」

幸い、同院は開設時から徳洲会の協力を得ているため、現場での研修も受け入れてもらえるだろうと平野氏は期待している。

働きやすい環境の中で
理想の医療を実現させる

心臓血管外科を構成するパーツを一つひとつ積み上げ、新たな診療科を創り上げる手応えを日々感じている平野氏だが、並行してMEの協力がいらない心臓手術、下肢静脈瘤や閉塞性動脈硬化症などの治療もスタートさせている。

「今はまだ来院された方や地域の皆さんにアピールするなど、新規集患の真っ最中。当院の事務部は大変協力的で、PR用ポスターを院内に貼ってくれたり、下肢静脈瘤や閉塞性動脈硬化症の医療講演をセッティングしてくれたりと、サポートしてくれます」

前述した院長の言葉も含め、この病院には妙なプレッシャーがなくて働きやすいと平野氏。

「ここに住む方の治療は、地域の中で完結させたい。心臓血管外科はその理想を実現する大事な一歩になってくれると思います」

天才的な心臓外科医であるTirone E. David氏(写真中央)の手術見学のため、トロント総合病院に赴いた平野氏。 画像

天才的な心臓外科医であるTirone E. David氏(写真中央)の手術見学のため、トロント総合病院に赴いた平野氏。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域の信頼と期待に応える医療を行う

がん治療、救急医療、予防医療等がさらに充実

同院は35年前の開設以来、埼玉県北部から群馬県南部の地域医療に幅広く貢献してきた。関連施設との連携により、地域の中で急性期から慢性期、介護までシームレスに提供する体制を整えている。

そして2018年5月、現在地からほど近い場所に新病院が完成する。周囲からの期待も大きく、同院がこれまで力を入れてきたがんの高度医療、24時間対応の救急医療、予防医療もさらに充実すると院長の松本裕史氏はいう。

「例えばがん治療では放射線科の治療機能が強化されます。まずはCT、MRI、血管造影といった検査機能の充実を進めてきましたが、新病院ではハイレベルな放射線治療も可能になり、この地域の中でがん治療を完結できるケースも大幅に増えるでしょう」

さらにハイブリッド手術室の導入により、脳神経外科、循環器科、心臓血管外科などでより先進的な治療が可能になる。

また救急患者を断らないことは開設以来の方針だが、新病院では救急総合診療科を2階に、一般の外来を1階に配置して動線を区別するなどで、救急車の受け入れをよりスムーズにすると松本氏。

「現在は年間約3000台の救急車、その倍のウォークインの救急患者を受け入れ、救急専従医が初期対応を行っています。新病院では常勤医の負担を増やさず受け入れ枠を広げるため、非常勤医の配置を工夫して北米型の完全交替勤務制を実現する予定です」

心臓血管外科部長として診療科の体制づくりを進める平野氏も、こうした救急医療での活躍を大いに期待されているようだ。

一方、予防医療では内視鏡、マンモグラフィ、ABUS(乳房用エコー)などの検査を充実させ早期発見に取り組んでいる。

「新しい施設・設備も、各分野の専門家が使いこなしてこそ、患者さんに質の高い医療を提供できる“ツール”となるのです」

環境整備だけでなく人材育成にも力を入れ、地域に必要な医療を継続して提供できる体制をつくりたいと松本氏は力強く語った。

松本裕史氏

松本裕史
羽生総合病院 院長
1984年群馬大学医学部卒業後、三井記念病院、国立がん研究センターを経て、1990年から群馬大学医学部附属病院外科。1991年伊勢崎市民病院外科医長に就任後、2002年同院外科部長。2003年から現職。専門は胸部外科(肺)および消化器外科(食道)。

羽生総合病院

羽生総合病院は羽生市、行田市を含む北埼玉地区の医療施設の充実を目指し、地区の住民が設立した埼玉医療生活協同組合を母体とする。組合は羽生市および医療法人徳洲会の協力を得て、1982年に同院を開設。これまで35年間、埼玉県北部から群馬県南部における地域の中核病院となるだけでなく、関連施設として県西北部に150床の皆野病院、県内各地にクリニックや福祉施設などを持ち、地域医療を包括的に支えてきた。そうした中、さらなる環境整備のため、同院は2018年5月に新築移転し、より充実した環境のもとで診療を行っていく(上の外観画像は新病院の完成予想イメージ)。

羽生総合病院

正式名称 埼玉医療生活協同組合 羽生総合病院
所在地 埼玉県羽生市上岩瀬551番地
開設年 1982年10月
診療科目 内科、循環器科、小児科、外科、
整形外科、脳神経外科、皮膚科、
泌尿器科、産婦人科、眼科、
耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、
放射線科、麻酔科、救急総合診療科、
和漢診療科、病理科、歯科口腔外科
病床数 311床
常勤医師数 42人
非常勤医師数 16人(常勤換算)
外来患者数 574人/日
入院患者数 237人/日
(2018年4月時点)