VOL.83

ハンセン病の診療と並行して
途上国の国際保健活動に従事
日本と世界をつなげる

国立駿河療養所
皮膚科 四津里英氏(38歳)

東京都出身

2004年
東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業
聖路加国際病院 初期研修医
2006年
聖路加国際病院 皮膚科専門レジデント
2007年
Liverpool School of Tropical Medicine, Master of International Public Health(イギリス)修了
2008年
ALERT(All Africa Leprosy, Tuberculosis and Rehabilitation Training Centre)(エチオピア)研修修了
国立療養所 奄美和光園 医師
2009年
国立国際医療研究センター病院 皮膚科
2012年
Gorgas Course in Clinical Tropical Medicine, Expert Course(ペルー)修了
Global Leprosy Programme, World Health Organization(インド)研修
2013年
東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻修了
2014年
Liverpool School of Tropical Medicine, Diploma in Tropical Medicine and Hygiene(イギリス)修了
国立駿河療養所 皮膚科 入職

国立駿河療養所でハンセン病による入所者を診ている四津里英(よつ・りえ)氏だが、ハンセン病について深く知るきっかけとなったのは海外で受けた研修からだという。ハンセン病を通して、「次第に自分が専門とする皮膚科と、興味があった国際保健分野がうまくつながっていった」と四津氏。自分がやりたいことは何かを常に探し続け、迷いながらもそれが実現できる道を選んできた四津氏の軌跡を追った。

リクルートドクターズキャリア3月号掲載

BEFORE 転職前

自分の力で診断できる
プライマリーな医療を求めて
皮膚科を専門に選んだ

最初から海外で活躍できる
医師を目指していた

四津里英氏は2014年に国立駿河療養所(静岡県)に入職。ハンセン病による入所者の診療のほか、国内外の研究機関と連携して皮膚疾患の研究を続け、また発展途上国ではハンセン病をはじめ多様な皮膚疾患の調査・治療に取り組むなど、多方面で活躍している。

医師を目指したのは「人の役に立つ職業に就きたい」との思いから。また父親の仕事で小学3年生から中学卒業までアメリカで過ごした経験から、国際的な分野への興味も昔からあったという。

「入学した慈恵会医科大学は長い歴史を持つ伝統校でしたが、少人数での討議形式など新たな教育制度の導入にも積極的で、同じ目的を持つ学生同士の一体感もあって学びやすかったですね」

四津氏はこうした大学の授業や実習に加え、長期の休みにはアメリカで医学英語の教育プログラムを受講するなど、海外で活動するための準備も進めていった。

「しかも当時は医学部6年生になると、自分が興味のある病院で4カ月間の研修を受けられる機会があったのです。私はイギリス、アメリカ、フランスを回り、最先端医療を学んできました」

外科の高度医療から方向転換
皮膚科の診療に興味を持つ

四津氏の卒業時はちょうど現在の臨床研修制度が始まる時期だったが、その初期研修先に選んだのは聖路加国際病院だった。

「国際色豊かで、以前からスーパーローテートに近い研修を実施していた点も安心感がありました」

研修前の四津氏は「医師としてスキルを持って働く、そして人の役に立つには外科か産婦人科ではないか」といった漠然としたものだった。しかし医療現場では手術だけで治しきれないケースも多く、また高度な医療はときに一人の人間を人間として診られない不安を感じるときもあったという。

「思い描いていた医療はこういうものだったのかと問い直し、高度医療でなくプライマリーな医療に従事したいと、専門分野を再考したのが初期研修2年目でした」

そうした中で四津氏は皮膚科に興味を持ち始めた。大がかりな検査をしなくても、ある程度の疾患は自分の知識で診断がつくところも魅力で、母校の教えである「病気を診ずして病人を診よ」にもマッチするように思えたという。

さらに目標だった海外も先進国より途上国の状況を見たいと考え、病院長に相談。特例として初期研修終了後の6週間、ガーナでの臨床ボランティアに従事できた。

「現地で感じたのは、困難な状況で診療を続ける医師の力には限りがあり、支援するシステム構築や教育が必要ということでした。そこでもっとマクロな視点から国際保健を学ぼうと思ったのです」

一方、「国際保健の分野で働くにしても専門性が必要」と聖路加国際病院の皮膚科医長の助言により、帰国後、四津氏は当施設で皮膚科医としての道も歩みはじめる。しばらくしてイギリスで国際保健を学ぶ機会を得て渡英し、修了後はエチオピアで感染症に関する短期研修にも参加した。

「そのとき感染症、特にハンセン病について詳しく知り、私の専門である皮膚科と国際保健との接点を見つけることができました」

専門医取得と並行して
国内のハンセン病診療も経験

四津氏は合計1年数カ月の留学を終え、次に皮膚科の専門医取得を目指して日本へ帰国。国立国際医療研究センター病院の皮膚科という国際保健を学ぶ環境にも恵まれた最適な職場が見つかった。同院で診療を始めた直後、奄美大島のハンセン病療養所での研修を勧められたという。四津氏にとっても思いがけない話であった。

「半年間でしたが、受け入れ先に皮膚科の指導医もいて、いい経験になると考えて引き受けました。療養所は長期間入所されている方がほとんどで、ハンセン病も完治しており、いわば小さな村で地域医療に従事する感じでした」

半年間の研修を終え、四津氏は病院に戻って診療を続け専門医を取得。さらに海外でハンセン病など皮膚疾患の研究活動が増えていく中で、もう一度国内でハンセン病の診療を経験したいと考えるようになり、転職を決意した。

AFTER 転職後

ハンセン病による入所者が
安心して暮らせるよう
生活全般をケアしていく

国内でハンセン病を診る
機会は今しかないと考えた

四津氏が現在勤務している国立駿河療養所は、以前に研修で訪れた奄美大島の療養所と同じ国立ハンセン病療養所の一つ。国内の新規患者は現在ごくわずかで、同施設の入所者も減少を続けている。ハンセン病はほぼ完治し、後遺症や高齢化などのため入所を続けているケースがほとんどだ。

「あと十数年後には、国内でハンセン病を診る機会はほぼなくなります。私が療養所に転職したのは、半年間で終えた研修を中途半端に感じたこと。また、世界の現場に行くときに日本人として日本の現場も知っていることは重要。今のうちに国内でハンセン病とその後遺症の診療を経験しようと考えたからです」

さらに所長の福島一雄氏との相談で、国立国際医療研究センター病院での研究の継続、海外出張も認められ、療養所での診療以外に、ハンセン病をはじめとする熱帯皮膚感染症の研究、現地の調査・治療と幅広く活動している。

末梢神経障害で傷が絶えない
入所者をチーム力でケアする

ハンセン病にかかり治療が遅れると、末梢神経障害による知覚麻痺の後遺症が残ることが多い。このため手足をぶつけたり傷ついたりしてもわからず、常に傷が絶えず、治りにくい状態が続く。

四津氏は糖尿病患者の足潰瘍の治療も専門にしており、この経験を療養所で役立て、入所者の四肢の傷の治療にあたる。一方で、ハンセン病から学ぶことも多い。

「皮膚科医としてそうした傷の治療はもちろん、傷の予防についても考えなくてはなりません。幸い当施設には義肢装具士も常駐しているため、随時、足底板や装具を調整して傷の部分にかかる圧力を軽減するなどの措置を行っています。これは新たな傷を予防するためにも重要なケアのひとつです」

ほかにも看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士などのスタッフと気軽に話し合える環境で、入所者の診療やケアにチームとしてあたることができると四津氏。

「しかし入所者の平均年齢は約84歳と非常に高齢化し、施設内での看取りも行われています。大変な時代を生きてきた方たちに対し、ご本人が納得のいく最期をどう迎えていただくのかも重要な課題」

その準備として、四津氏は入所者一人ひとりのリビングウイルを記録し、保管しておく書類のフォーマットを作成。希望者に対して順次聞き取りを行っている。

海外で皮膚感染症の
診断と治療にも取り組む

このような国内状況と異なり、WHOが2016年に「ハンセン病の世界戦略2016-2020:ハンセン病のない世界への加速」を開始するなど、海外では一定数のハンセン病の感染が続いている。そのため四津氏はWHOや財団法人と協力。海外でハンセン病のほかさまざまな皮膚感染症の調査・研究に携わっている。

2014年に始まった「コートジボワール(西アフリカ)における学童皮膚検診」では、現地の学校で子どもたちを診断し、熱帯病による皮膚疾患の早期発見・早期治療に取り組んでいるという。

「最初は疫学的な調査から着手しましたが、今後は病気の診断ツールの開発、治療法の改善なども検討したいと考えています」

四津氏らが中心となって始めたこの調査も最初は小さな活動だったが、現在では世界的なムーブメントになりつつあるそうだ。

「それまであまり注目されていなかった分野に自分なりのアイデアを持ち込み、新たな可能性を見いだしていくのが私のやり方。まずは実践してみて、積み重ねることで、世界で認めてもらえると実感しています」

四津氏が国際保健活動の一つとして取り組んでいるコートジボワールでの学童皮膚検診。 画像

四津氏が国際保健活動の一つとして取り組んでいるコートジボワールでの学童皮膚検診。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
ハンセン病を全人的に診療する

病気による後遺症に加え
高齢者特有の疾患も診療

国立駿河療養所は第二次世界大戦中、南方でハンセン病に罹患して帰国した傷痍軍人を収容するための施設を母体とし、すでに70年超の歴史を有している。

「国立ハンセン病療養所は全国13カ所に置かれていますが、当施設より東には東京都下までなく、西は岡山県と離れており、東海北陸地区で唯一の療養所です」

そう語るのは熊本県の療養所で内科医長を務め、同施設への異動後に副所長を経て所長となった福島一雄氏。ハンセン病は感染力が弱い上、現代では多剤併用療法による治療法が確立され、すでに治療可能な病気となった。しかし有効な治療法がなかった時代に発症した患者は、完治後も後遺症に苦しんでいるケースが多いという。

「後遺症の一つに四肢の末梢部の知覚麻痺がありますが、これにより、やけどやけがに気づかず放置して悪化したり、感染症になったりするほか、視覚障がいが残ったりと日常生活に深刻な影響が出ている入所者の方は多いのです」

現在、56人の入所者全員が65歳以上と高齢。同施設はハンセン病の治療、後遺症に起因する外傷の治療、長く社会から離れて暮らす入所者に対するメンタルケアに加え、高齢者疾患も診る高齢重複障害者医療施設の役割も担っている。このため各診療科の医師やスタッフが協力して総合的な診療を提供していると福島氏。

「その中でも皮膚疾患や手足の傷の治療、傷を負わないよう保護カバーを装着するなど、皮膚科医の役目は重要で、四津先生を常勤医に迎えられて本当によかったと思っています。ハンセン病治療にも詳しく、国際保健分野の第一線でも活躍されていますから、新たな知識の共有にも期待しています」

また同施設では入所者の意向を尊重し、医療や介護を一定レベルに維持するなどを条件に、2015年から一般患者の診療を行って地域貢献をさらに進めている。

「当施設には緩和ケアで高いスキルを有する人材もいますから、今後はそうした分野で地域に活用されることも目指しています」

福島一雄氏

福島一雄
国立駿河療養所 所長
1979年熊本大学医学部卒業後、同第一内科(現:呼吸器内科)入局。1987年同大学院医学研究科(現:医学教育部)修了。結核予防会結核研究所病理学研究科、国立療養所再春荘病院(現:独立行政法人国立病院機構熊本再春荘病院)を経て、2006年国立療養所菊池恵楓園内科医長。2011年に国立駿河療養所副所長に就任、2014年から現職。日本呼吸器学会指導医・専門医、日本結核病学会結核・抗酸菌症指導医など。

国立駿河療養所

同施設は全国に13カ所ある国立ハンセン病療養所の一つで、富士山を望む約37万㎡の広大な敷地に、外来診療および入院治療を行う医療施設、入所者住居・医療ケア施設、入所者サービス部門などを持つ。入所者は1956年に471人となった以降は次第に減り、現在は56人。平均年齢は約84歳、全員が65歳以上の高齢者となっている。同院の医療・介護等は主に入所者に対して提供され、ハンセン病とその後遺症、高齢者疾患を中心に診療を行っている。常勤医による内科、外科、皮膚科、歯科に加え、非常勤医が眼科、耳鼻咽喉科、心療内科、整形外科までカバーし、スタッフは看護師や薬剤師のほか、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、義肢装具士などが常駐。マルチスライスCTも備え、検査体制の充実も図っている。

国立駿河療養所

正式名称 国立駿河療養所
所在地 静岡県御殿場市神山1915
設立年 1945年
診療科目 内科
外科
皮膚科
眼科
耳鼻咽喉科
歯科
病床数 医療法病床数258床(一般258床)
入院定床 41床
常勤医師数 5人
非常勤医師数 19人
入院患者数 56人
(2017年12月時点)