VOL.102

産業医の経験も生かして
患者の社会復帰・在宅復帰に
力を尽くす

上越地域医療センター病院
総合診療科 岩崎 登氏(40歳)

長野県出身

1998年
名古屋大学医学部保健学科看護学専攻 入学
2002年
名古屋大学医学部保健学科看護学専攻 卒業
2003年
産業医科大学医学部医学科 入学
2009年
産業医科大学医学部医学科 卒業
長野県厚生農業協同組合連合会 佐久総合病院 
初期研修医
2011年
山梨市立牧丘病院 内科
社会福祉法人緑樹会 ほくと診療所 内科
2012年
産業医として企業勤務
2018年
長野県厚生農業協同組合連合会 佐久総合病院 
佐久医療センター専属産業医
2019年
上越地域医療センター病院 総合診療科 入職 
医長に就任

看護師と医師の免許を持ち、地域医療も産業医も経験した岩崎登氏の現在地は、上越市の地域医療に欠かせない上越地域医療センター病院の総合診療科。自分に不足している診断力を磨くため、経験を積んでいると言う。「今後は院内連携、地域の病診連携を強化して、地域医療に役立てたい」と語る岩崎氏に、その多彩な経歴の理由を取材した。

リクルートドクターズキャリア10月号掲載

BEFORE 転職前

過疎地での地域医療から
健康づくりへと興味がシフト
産業医として活躍する

看護の病院実習の中で
過疎地の地域医療に興味

2019年から上越地域医療センター病院(新潟県)の総合診療科に転職した岩崎登氏は、看護師と医師という2つの免許を持ち、複数の企業で産業医も経験。その多彩な経歴の始まりは、医療系の仕事として医師より看護師を目指した高校時代にさかのぼる。

「担任からは首都圏の看護学部と名古屋大学医学部の看護学専攻を勧められ、知人も進学するなどなじみのあった名大を選びました」

最初は看護師に向いているのか不安に思っていた岩崎氏だが、疾病の予防・管理・健康保持増進も扱う看護学は興味深く、大学病院の実習では患者や家族に常に寄り添う看護の世界にひかれたと言う。

「こうした中、患者さんやご家族との関係がより濃密な、例えば山間部での訪問看護といった将来像も考えるようになりました」

しかし実習時、医師は業務に忙殺され、ベッドサイドにいることができる時間が少ない現状も痛感。医師が少ない地方では、その傾向はより顕著だろうと予測した岩崎氏は、自ら医師免許も取得した方が患者の役に立てると判断し、3年生後半から準備を始めた。

「加えて、今後は病気になる前の健康づくりも重要と捉えていましたから、働く人の健康づくりを担う産業医育成を目的とする産業医科大学医学部に入学しました」

健康づくりをテーマに
産業医として経験を積む

卒業後、岩崎氏は同大の卒後修練課程(4年間)に進み、前期2年間の臨床研修は、自身の出身地である長野県の佐久総合病院が行う初期研修を充てた。

「同院の初期研修はスーパーローテートで、経験する診療科を自由に選べるのですが、私は各科を満遍なく回りたくて数週間ずつのローテにしてもらったのです」

外傷が面白いと感じ始めた岩崎氏は、同課程の3年目も病院での研修を選び、山梨県の地域医療を担う病院と診療所で過ごした。

「自分一人で救急車も受け入れるなど、佐久総合病院でのローテートのおかげで、臆することなく患者さんを診られるようになっていました」

そして同課程の4年目から産業医となって現場を経験し、課程修了後は愛知県の大手自動車メーカーの産業医として就職した。

日本では企業ごとに産業医の役割・権限や医療体制が異なる。岩崎氏は大学で学んだ理想と現実のギャップに悩み、少しずつ現制度を変える努力を続けたと言う。

「配属先の工場の皆さんも協力的で、ここなら私が希望する産業医制度が作れそうだと感じていました。しかし別の工場への異動を契機に、違う企業の産業医も経験したいと考えるようになり、総合電機メーカーに転職しました」

内科の診断力を養うため
総合診療科での勤務を選択

転職先も前の職場とは違う面で産業医の立場が独特で、さまざまな発見があったと岩崎氏は言う。

「その中でも違和感があった産業医の職務の見直しなどを進めていましたが、あるとき佐久総合病院から『戻ってきて産業医をやらないか』と打診を受けました」

職場の人間関係や職務内容等でやむなく職場を離れた従業員に対し、本人や主治医、職場の上司らと何度も話し合い、復職の道を探る産業医に手応えを感じていた岩崎氏。興味も地域医療から健康づくりへシフトしていたと話す。

「職場の改善点などにより、技能を持った従業員が復帰して働けるようになることは、本人にも企業にとっても大きなメリット。初期研修でお世話になった病院で、そうした働きができればと期待して転職したのですが……」

同院に移ったものの、しばらくして病院の事情で次第に産業医の仕事が減り、健診部門を手伝うことも多くなったと振り返る。

「当初の狙いとは違う仕事が増える中、改めて自分を見つめ直し、不足している部分を強化したいと考えるようになりました」

最も必要と思えたのは内科の診断力。病気を詳しく説明できる知識・経験を得られる環境を探していたとき、雑誌で総合診療科の診療と家庭医育成に力を入れる上越地域医療センター病院を発見。同院への転職を決意した。

AFTER 転職後

院内連携や地域連携を進め
自らの診断力を磨き
広く地域医療に貢献する

診断・治療をしない産業医に
診断力が必要と感じた理由

上越地域医療センター病院のある上越市は新潟県南西部にあり、隣接する妙高市、糸魚川市とともに上越医療圏を構成する。同院は総合診療科のほか児童精神科なども持ち、受診する患者は幅広いが入院は高齢者が中心となる。

岩崎氏は自宅のある長野県から新幹線で同院に通勤し、診療を行っている。

「私がこの病院を選んだのは、総合診療科での経験を通じて病気に関する知識を大きく広げるためです。産業医は面談した従業員の診断・治療はせず、必要なら適切な医療機関を紹介するのが本来の役割。しかし医療資源に恵まれない地域の工場などでは、『近くの医療機関を受診してください』と簡単に言う訳にもいかず、そうした地域での勤務も考慮すると、自分でもある程度は病気を説明できた方がいいと判断したからです」

しかも同院は一人の医師が外来と病棟の両方を診るため、外来の患者が入院した場合はそのまま自分でフォローでき、知識・経験がさらに広がる点も特色。ただ、最近は岩崎氏が担当する外来患者も増え、病棟を診る時間が減っている点を懸念していると言う。

「業務をうまくやりくりし、病院長の古賀先生の指導も受けながら、もっと患者さん一人ひとりと話せる時間を作りたいですね」

診療を通じて気づいた
産業医と地域医療の共通点

同院の総合診療科は内科の初診患者、受診すべき科がよくわからないと困る患者のほか、病院や地域の医療機関からの紹介患者を受け入れる窓口でもある。この中で、病診連携は今まで以上に強化が必要と岩崎氏は感じている。

「中には肺炎疑いの患者さんに抗生剤を処方してから紹介いただくケースがありますが、これでは当院で菌の同定ができません。そうした場合は抗生剤なしで送っていただくか、事前に検体を採取していただくよう、患者さんを紹介元にお返しするときに一言添えています。こうした地道な努力を続けて地域との連携をもっとスムーズにしたいと考えています」

また、同院は診療所の後方支援病院としての機能に加え、回復期リハ病棟や充実したリハビリテーションセンターを持ち、地域包括ケア病棟も開設するなど、急性期治療後の在宅復帰や在宅からの一時入院にも力を入れている。

「つまり患者さんの社会復帰を支援する役割で、これは離職した従業員を職場に復帰させる産業医とも重なります。医療を通じて、その人の仕事や暮らしを取り戻す支援を行う点が共通するのです」

リハビリ部門との連携など
医療サービスの向上に努める

同院で診療を始めて1年に満たない岩崎氏だが、次の目標としてリハビリテーションセンターとの連携強化を挙げる。

「以前にいた佐久総合病院や山梨県の病院もリハビリ部門が充実していて、OTやPTなどの専門職と患者さんの退院後についてディスカッションし、在宅復帰をサポートしていました。当院のリハビリテーションセンターともこうした関係が築ければ、医療サービスの向上が図れ、私の仕事の幅も広がると期待しています」

このほか地域住民に対してACPの重要性を紹介するなど、自宅での看取りを念頭に、最期までその人らしく生きられるようアドバイスもしたいと言う。

「大学卒業後に研修した病院は人材や設備が比較的豊富でしたが、当院は残念ながら足りない部分があるのも確か。しかし地域になくてはならない病院ですから、現場でできること・変えた方がいいことを検討しながら、少しずつ改善していきたいと思います」

総合診療科で外来を務める岩崎氏 画像

総合診療科で外来を務める岩崎氏

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域が求める医療のため進化する

上越地域に欠かせない
ケアミックス病院

上越市には規模の異なる病院が約10施設あり、機能分化が図られている。同院は地域連携パスにもとづき急性期病院の患者を回復期リハ病棟に受け入れる、他の医療機関からの紹介患者の検査・入院に対応する、高齢者を中心に肺炎や糖尿病、心不全、がん等の急性期医療を提供する、など複数の役割を担うケアミックス病院だ。

「いわば急性期病院、在宅医療の診療所、介護施設の橋渡し役。地域医療を多方面から支援する医療・介護連携のセンター機能を持つ、なくてはならない病院です」

こう語る病院長の古賀昭夫氏は、診療の核となる総合診療科の開設に尽力した一人でもある。

「当院の総合診療科は二次救急も含め、地域の患者さんをできる限り診るという方針。若手医師にも興味を持たれるよう、日本プライマリ・ケア連合学会の家庭医療専門医取得プログラムも用意しています。岩崎先生のおかげで当科の厚みは増しましたが、ご本人は久々の臨床のはず。しっかりとサポートしなければと思っています」

加えて訪問看護や訪問リハビリ、居宅介護支援事業所の機能を備えた在宅医療支援センター、患者や家族からの介護・福祉・健康・医療の相談に応える地域包括支援センターも併設し、地域住民のよろず相談窓口となっている。

「このほか当院のリハビリテーションセンターはPT、OT、STが計44名と豊富で、多くの回復期の患者さんが利用されます。ただ、在宅療養中の患者さんやご家族からのご要望も非常に多いため、2018年に地域包括ケア病棟を開設。在宅の患者さんの入院とリハビリにも対応しました」

このように地域が求める医療を実現させたいと言う古賀氏。上越市所轄の診療所と、母体を同じくする同院が連携する地域医療にも取り組みたいと考えを明かす。

「例えば医師不足の診療所に当院から医師を派遣するなど、医療人材のハブを考えています。それには当院の体制もさらに充実させる必要があり、今後の新病院建設もそれに寄与すると思います。」

古賀昭夫氏

古賀昭夫
病院長
1995年金沢大学医学部卒業。長野県厚生農業協同組合連合会 佐久総合病院でスーパーローテート型の初期研修を終え、引き続き内科で経験を積む。2001年から医療法人徳洲会 ゆきだるまクリニック(現 閉院)院長として地域密着の医療に従事。2010年に上越地域医療センター病院に入職し、総合診療科の開設に尽力。2017年副院長に就任し、2018年から現職。

上越地域医療センター病院

1908年開設の陸軍病院から戦後に国立高田病院となり、2000年に上越市が国から委譲を受けて、現在の上越地域医療センター病院が発足した(2000年から2017年までは同市から委託された上越医師会が運営。2018年からは上越市を主体とする一般財団法人 上越市地域医療機構が運営)。現在は55床の回復期リハ病棟、上越地域有数の規模となるリハビリテーションセンターを持ち、近隣の3つの急性期病院で治療を終えた脳卒中や大腿骨骨折の患者を積極的に受け入れ。また総合診療科と41床の地域包括ケア病棟で、在宅復帰に向けた支援、在宅患者の入院にも対応する。加えて緩和ケアも提供し、地域に必要な医療を実践する。

上越地域医療センター病院

正式名称 上越地域医療センター病院
所在地 新潟県上越市南高田町6-9
開設年 2000年
診療科目 内科、外科、整形外科、
リハビリテーション科、肛門外科、緩和ケア科、
総合診療科、麻酔科、児童精神科
病床数 197床
(一般142床※地域包括ケア病棟41床含む、回復期リハ55床)
常勤医師数 11人
非常勤医師数 17人
外来患者数 160人/日
入院患者数 170人/日
(2019年8月時点)