VOL.44

地域医療のやりがいと
働きやすさを兼ね備えた環境で
内科医としてのキャリアを築く。

国保多古中央病院 内科 
中島 賢一
氏(48歳)

千葉県出身

1991年
聖マリアンナ医科大学卒業、千葉大学第一内科(現・消化器・腎臓内科学)入局
1992年
千葉県立東金病院入職
1995年
千葉大学大学院入学、同大学医学部附属病院入職
1997年
国保多古中央病院入職
1998年
千葉大学医学部附属病院入職
1999年
国保多古中央病院入職

成田空港の東約10㎞に位置する国保多古中央病院。豊かな自然に囲まれた多古町で、地域の中核病院として頼られてきた。予防医療から診断、治療、そして高齢者の訪問診療にいたるまで対応している。まさに地域医療の最前線だ。中島賢一氏は、もともと消化器内科が専門だが、同院に入職して15年。医師として診療の幅が広がっていることを楽しんでいる。

リクルートドクターズキャリア12月号掲載

BEFORE 転職前

科ごとのセクショナリズムがなく、
誰かが困っていれば自発的に助け合う風土の病院

専門性+全身を診る能力を身につけられる

特定の専門性を持ちつつも、さまざまな疾患を診られる医師。高齢化社会が求める医師像の一つだ。

国保多古中央病院内科の中島賢一氏は、同院に入職して、社会の要請にあった医療を提供し続けている。 幅広い診療ができるうえ、働きやすく、十分なやりがいもある環境だ。

もともと実父が開業医で、親族にも医師の多い家系で育った。自然と医師を志し、1991年に聖マリアンナ医科大学を卒業。その後、千葉大学の医局に所属し、消化器内科医として技術を身につけた。 なかでも内視鏡が専門で、診断や治療の腕を磨いてきた。

一方で、全身を診るスキルも養われていった。 始まりは、医局人事で千葉県立東金病院に派遣されたことだった。

「東金病院には、消化器内科の専門として派遣されていましたが、脳梗塞や心不全などの患者を診る機会も多かったのです。当時から、全身疾患を診ることのおもしろさを感じていました。医局の中で人気の高い派遣先は消化器専門病院でしたが、専門性を極めることとは別の魅力がありました」

学閥がなく、院内外の人間関係が温かい

それがキャリアに結びつくのは、97年、大学院在学中に、1年間だけ国保多古中央病院に派遣されたことがきっかけだった。「ここは自治医科大学出身の医師が多く、プライマリケアの基本を学ぶことができました。高齢の患者が多く、幅広く病気を診させていただきました。 これから到来する超高齢化社会を先取りしたような環境で、学びになりました」

働きやすさも群を抜いていた。診療科ごとの垣根が低く、「うちは外科だから」「これは内科だから」といったセクショナリズムをまったく感じさせなかったという。「もしも外科が困っていれば、内科がヘルプに入るのは当たり前でした。救急の患者が搬送されて内科医が中心になって診ている時に、小児科医や外科医が助けることもしょっちゅうです。それも、ルールとして決まっているわけではなく、それぞれの医師が自発的に動いています」

また、学閥のない風土も気に入った。自治医科大学の医師の割合が多いものの、ほかはさまざまな大学の出身者が集まっていた。「私は地元の千葉大からの派遣でしたし、今は筑波や鹿児島から来た医師もいます。 大学も出身地もまったく関係がありません」

過去に経験した病院の中でもっとも働きやすかった

さらに特筆すべきは、病院内外の人間関係が良好なことだ。病院職員はもちろん、町の福祉担当者ともスムーズに連携している。「看護師やコメディカルをはじめ、事務スタッフや清掃の担当者にいたるまで、一様に仕事熱心で、和やかな人柄です。多古町の福祉担当者も非常にフットワークが軽く、電話1本ですぐに患者の元へ出向いてくれます」

国保多古中央病院は、成田空港の東約10㎞に位置する。 周囲を緑に囲まれ、近くに畑や田んぼのある立地だ。中島氏にとっては、これもよかった。「実家は千葉市で、父親の経営する診療所は茨城県の神栖市にあるので、ちょうど中間でした。また、夏はカエルが鳴き、秋にはキンモクセイが香る。その自然のぬくもりも気に入りました」

約40分圏内に高度な機能を持つ病院が複数あるため、患者を紹介するには困らない。また、いわゆるへき地ではないため、学会や研究会への参加なども、さほど大変ではない。「都会が恋しくなった時には、1時間30分ほど車を走らせれば東京まで行けます」

98年に大学院を修了するにあたって、中島氏は改めて自身のキャリアを振り返った。「医局在籍時には、病院の規模を問わず、個人病院、公立病院も含めて30近くの医療機関でアルバイトをしてきました。それぞれにカラーがあるなかでも、やはり国保多古中央病院は圧倒的に働きやすい環境でした」

地域医療の魅力、院内の働きやすさの両方を兼ね備えた環境を、医師として歩む道に定めたのだ。

AFTER 転職後

地域で協力しながら、
小さな病変を見逃さない体制をとっている

高齢者の生活背景まで見据えた医療を実践

中島氏の1日は、朝8時過ぎの出勤から始まる。外来や病棟管理を行い、合間を縫って家庭医療後期研修のプログラム作りなどを行う。基本的に、日中の勤務時間内に仕事が終わるようになっており、終業時刻が夜7時を回ることはほとんどない。

また、以前から訪問診療も行っている。病院全体で40件前後の在宅療養患者を診ており、医師が数件ずつ持ち回りで訪問している。小児や障害者の診療もあるが、メーンはやはり高齢者だ。「高齢者は、複雑な生活背景を持っていることがあるため、病気だけではなく、日々の暮らしも含めて包括的に診ることが大切です。プライベートな部分まで入り込み、色々な角度から光を当てて患者の全体像を理解したうえで治療方針を決めます。そうすることで患者本人や、家族の負担が軽くなり、生活の質がよくなっていくことに生きがいを感じますね」

高齢者医療というと、慢性疾患の管理のイメージが強いかも知れないが、一般急性期としてのやりがいも十分だ。

「私は消化器が専門ですが、脳梗塞や心筋梗塞、心不全、腎不全など救急疾患に対応することも少なくありません。また、稀な疾患にも遭遇し対処できた経験もありました。大病院で検査をしても異常がないと言われた患者が、息苦しさを主訴に当院を受診されました。検査をした結果やはり異常があり、近隣の呼吸器内科医に紹介すると、慢性の肺動脈血栓症の疑いがありました。のちに大学病院に紹介されてその通りの診断がついたことがありました。地域の医療機関と協力しながら、稀な疾病を見逃さない体制を取っています」

地域の健康を守るために、病院全体として予防医療にも力を入れている。特定健診や胃がん検診、企業健診などの保健事業を行っており、疾病の早期発見や生活習慣病の指導を行う。ほかにも、地元の老人会での講演や、町の広報紙でも、健康情報を発信している。「当院で仕事をしていると、予防医療から診断、治療、さらには今問題になっている高齢者福祉まで幅広く経験でき、非常に勉強になります。ほかの地域の医師から相談を受けても、実践的なアドバイスができます」

長い間に培われてきた「お互いに助け合う風土」

現在、内科医は4人。非常勤の当直医の協力を得ながら、それほど無理のない体制を保っている。ただ、かつて内科医が2人まで減ったことがあった。医師不足が社会問題化した2006年頃のことである。当直回数や週末のオンコールが増え、困窮していたが、地域が一丸となって乗り越えた。「院長先生も含めて相談し、診療を少し縮小しました。地域住民にもご配慮いただき、過度な受診を控えてもらいました。 かねてから病院全体に協力し合う風土があったことが大きいと思います」

働きやすい病院の風土は、一朝一夕にできるものではない。中島氏は、趣味の車に例えて説明する。「一見、同じようなセダンでも、A車には“A車らしさ”があります。その理由を探るために、ある自動車メーカーがA車を一度解体し、タイヤやシートを自社の車に移植してみたそうです。しかし、A車に似てはいるものの、やはり違う。すべての部品が集合してこそA車なのです。きっと病院も同じようなところがあり、医師や看護師、看護助手、事務スタッフなど、あらゆる職種が集って病院という構造体になっています。

何年もの間、全職員が協力し合ってきたからこそ、今の働きやすさがあるのだと思います」

病院が持つ雰囲気は、医師のQOLを大きく左右する。毎日気分よく働けるか?は、勤務先選びの重要なファクターと言えそうだ。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
院内外の人間関係が温かい病院

医師が医学を志した時の思いを遂げられる

国保多古中央病院の魅力は、なんといっても院内外の温かい人間関係だ。院長の藤崎安明氏は、前出の中島氏の印象をこう語る。「高齢者に対して丁寧に接し、きちんと話を聞いているので、患者や家族の信頼が厚いようです。また、私は外科医ですが、中島先生には内科の相談に乗ってもらうことも多く、心強い存在です」

同院で求める医師像は、スペシャリストよりジェネラリストだ。 幅広い診療を望む医師にとって、やりがいが大きい。「小児科から内科、外科、整形外科、そして高齢者を対象としたリハビリや訪問診療も行っています。人間が生まれてから亡くなるまでのすべてを診られる環境です。多くの医師が、最初に医学を志した時の思いを遂げられる病院といっても過言ではありません」

開業を視野に入れている医師にも向いている

全人的な医療を実践できるため、開業を視野に入れている医師にも向いている。「実際、当院で何年か経験を積んで開業した医師は少なくありません。診療科間の垣根が低く、他科の医師にも気軽に相談できますから、開業に必要なスキルは十分に身につくでしょう」

職員同士の懇親も盛んで、休日にはゴルフや釣り。勤務が終わった後に楽しく食事に行くことも多い。最近は、近所に町立のこども園ができ、子育て中の医師も安心である。

また、多古町出身の藤崎氏によると、この辺りは穏やかな住民が多い地域柄で、患者トラブルが少ないそうだ。

「住民達はみんな、病院を存続させようと思ってくれています。それも、医師の働きやすさの一つですね」

藤崎氏は、転職を検討している医師に向けてこうアドバイスする。「なぜ転職を考えたか。その理由が、人間関係や病院の雰囲気への違和感だったなら、きっと当院で楽しく働けることでしょう」

藤崎 安明氏

藤崎 安明
国保多古中央病院 院長
千葉県出身。1982年筑波大学医学群卒業。同年、千葉大学医学部附属病院入職。千葉市立病院、成田赤十字病院、国立療養所(現・国立病院機構)下志津病院を経て、86年に千葉大学医学部附属病院へ戻る。90年国保多古中央病院入職。2014年より現職。

国保多古中央病院

国保多古中央病院は、国際空港で知られる成田市の東に隣接する多古町の町立病院だ。1951年(昭和26年)の設立時より、地域の中核的医療機関として、住民の健康を支えてきた。最近では、特定健診やがん検診等の保健事業の拡充、訪問看護や居宅介護支援事業、訪問リハビリ、通所リハビリなど介護保険関連サービスの提供にも力を入れている。医療・保健・福祉が連携して、包括的な地域医療を実践している。「地域のために、地域と共に」をモットーに、よりよい地域医療の充実を目指している。院内の雰囲気は明るく、職員同士の隔たりがない。 研修会や各種スポーツ・文化のクラブ活動が盛んで、職員同士の交流を深める機会も多い。

国保多古中央病院

正式名称 国保多古中央病院
所在地 千葉県香取郡多古町多古388-1
設立年月日 1951年8月1日
診療科目 内科、小児科、外科、整形外科、
皮膚科、泌尿器科、放射線科、リハビリテーション科
病床数 166床(一般110床、療養56床)
常勤医師数 9名
非常勤医師数 15名
外来患者数 189人(1日平均)
入院患者数 111人(1日平均)(2014年9月時点)