VOL.39

医局を離れ、一般病院へ。
幼い頃に通った行徳総合病院で
地域密着型の医療に貢献

IMS(イムス)グループ 医療法人財団明理会 行徳総合病院 
腎臓内科 青山 雅則氏(39歳)

千葉県出身

2001年
北里大学医学部卒業、同大学病院で初期研修
2003年
北里大学病院内科学講座入局
伊勢原協同病院腎臓内科
2004年
北里大学病院腎臓内科助手
2006年
北里研究所メディカルセンター腎臓内科
2007年
厚木市立病院腎臓内科
2008年
北里大学病院腎臓内科助教
2010年
行徳総合病院腎臓内科

大学病院から一般病院に転職し、4年がたった青山雅則氏。その表情は穏やかで、日々の診療の充実ぶりを物語る。幼い頃に通った思い出のある行徳総合病院で、地域に恩返しするように、医療を提供している。多くの医師にとって、転職は簡単なことではないが、青山氏は満足度の高い転職を果たした。常に5年後、10年後の自分をイメージし、「臨床に専念したい」「初期状態の患者を診たい」という明確なビジョンを持ち続けたことが、現在につながっている。

リクルートドクターズキャリア6月号掲載

BEFORE 転職前

“そらまめ教室”の経験が疾患の啓蒙や、
患者教育のやりがいを教えてくれた。

もっと患者に直接関わり、会話する時間を持ちたかった

医学部入学以来、実に16年ぶりである。千葉県・行徳に生まれ育った青山雅則氏は、2010年に医局を離れ、地元の行徳総合病院に転職した。懐かしさとやりがいの中で、日々、地域医療に貢献している。

「子どもの頃に風邪をひいた時などに、よく受診していました。家族の誰かが体調を崩した時も、頼りにするのは行徳総合病院でした。院内のアットホームな雰囲気は、当時の面影を残しています」

青山氏は、北里大学医学部を卒業後、同大学病院や神奈川県内の関連病院で経験を積んできた。転職を意識したのは卒後10年目のことだ。

「大学病院では、臨床・研究・教育のバランスをとりながら仕事をしなければなりません。もちろん、研究も教育も重要ですが、もともと医師を目指した時から臨床医として働く自分を想像していました。患者と直接関わり、地域医療の役に立ちたかったのです」

そうしたキャリアビジョンの背景には、大学病院時代に携わった“そらまめ教室”の経験がある。ユニークな名称は、青山氏の専門である腎臓が空豆の形に似ていることにちなむ。他の医師や看護師、検査技師、栄養士、薬剤師、医療ソーシャルワーカーと協力して、腎臓の働きから慢性腎臓病(CKD)の基礎知識、人工透析をする際の費用補助などについて発信する勉強会だ。半年に1回のペースで開催し、患者やその家族、地域住民が大勢参加する。

「CKDは自覚症状が現れにくく、健診などでの早期発見、早期治療が大切です。成人の8人に1人がかかり、21世紀に出現した新たな国民病ですが、国民の認知度はあまり高くありません。大学病院の外来でも、じっくり説明する時間を取れずにいました。そう感じていた時、そらまめ教室の参加者から『外来で医師が話していたことが理解できた』『食事を見直そうか』といった生の声を聞きました。疾患の啓蒙や患者教育、そしてプライマリケアにやりがいを感じたのです」

大学病院に来る患者は、すでに診断がついているケースがほとんどだ。地域の開業医が診ていた患者に、より高度な医療を提供するのが青山氏の役割だったが、プライマリケアに携わりたい思いが募る。

「自分で疾患を推測して診断し、初期段階から治療をしたい。患者と接し、話をする時間がほしいと強く感じました」

職員が明るく、科や職種を問わずに話しやすい雰囲気

それには、大学病院ではなく、一般病院が適している。転職を決意した青山氏は、いくつかの病院を検討した。だが、気持ちはほぼ行徳総合病院に決まっていた。出身地の地域医療に貢献できることや、雰囲気の良さ、病院の規模などが魅力だった。

「職員が明るく、他科の医師や看護師、薬剤師とも話しやすい雰囲気がありました。大学病院に比べるとベッド数や職員の人数は少なくなりますが、逆にフットワークよく仕事ができると感じました」

行徳総合病院には、病院のウェブサイトを見て直接応募した。

「どんな医師がいるかはわかりませんでしたが、幼い頃から知っている病院なので迷いや不安はなかったですね」

応募後は、トントン拍子に話が進み、入職が決まる。一方で、医局を離れるにあたっては、教授から引き留められた。大学内での将来的なポジションを示され、「臨床は10年後でもできる」と説得された。しかし、青山氏の決意は変わらなかった。

「限られた時間を好きなことに使うには、モチベーションが高いタイミングで行動したかったのです。教授には、地域医療の臨床を担いたい思いを伝え、理解していただけました。今でも良好な関係で、腎臓内科の同門会や研究会に参加しています」

大学病院の高度医療から、一般病院のプライマリケアへ。医師として、重大な転換を果たした青山氏。再び地元・行徳に舞い戻り、新たなステップを駆け出した。

AFTER 転職後

5年後、10年後にどうありたいか。
日頃からイメージすることで前に突き進むことができる。

患者教育から診断、治療と幅広い診療ができる

地域密着型医療を提供する行徳総合病院は、青山氏が期待した通りの環境だった。

「健診で異常が見つかったという初診の患者や、開業医からの紹介で初期段階のうちに受診する患者が大勢います。患者教育から診断、治療と、幅広い診療ができています」 

モチベーションの高い職員が多く、チーム医療も円滑だ。職種間の垣根が低く、さまざまな職員とコミュニケーションをとりながら、一緒に病院をもり立てる楽しさもあるそうだ。

「往々にして、医師は医師同士で固まりがちですが、当院は職種に関係ない仲間意識があります。一方で、医師数が限られている分、自分の発言や行動の影響力が大きいことも感じています。少し大げさかもしれませんが、チーム全体の模範になるように、緊張感を忘れないように努めています」

大学病院とは異なり、研究や教育に時間を費やすことがなく、臨床に専念できるのも想定通りである。通常は8時半から19時頃までの勤務で、火曜の午後は研究日。当直はたまにスポットで入るくらいだ。

「以前は、講義の準備やミーティングなどで、帰宅が深夜になることもよくありました。楽をしたくて転職したわけではありませんが、今は自分のペースで仕事ができています」

新病院移転後は、活躍のフィールドがいっそう広がる

院長の田中岳史氏(左)と、腎臓内科の青山雅則氏。新病院への移転に向けて、理想の医療を語り合うことも。
院長の田中岳史氏(左)と、腎臓内科の青山雅則氏。新病院への移転に向けて、理想の医療を語り合うことも。

入職2年後には、さらにやりがいを感じる計画が具体化した。2015年春、行徳総合病院は現在地とほど近い場所に新築移転する。12階建ての近代的な建物で、病床数は199床から307床に増床。うち6床はICUだ。高度な医療機器が導入され、いっそうフィールドが広がることに青山氏の期待も高まる。

「腎臓内科で言えば、透析室のベッドが16床から24床に増えます。経皮的腎生検での診断や、急性期の血液浄化ができるようになり、大学病院での経験を生かせるのもうれしいですね。今後は、新たに入職する医師もどんどん増える予定で、当院でも“そらまめ教室”を開催することを目指しています。“顔の見える”地域内での連携を充実させて、近隣の開業医や他の病院の腎臓内科医との症例検討会や意見交換をしたいですね」

青山氏の視点は、いつも前に向けられている。目標をしっかり見定めて、行動に移す姿勢が、期待通りの転職を果たし、ステップアップできた要因なのかもしれない。

「日頃から、ふとした時に5年後、10年後の自分をイメージするようにしています。将来、どういう医師でありたいか。どんな医療を提供したいのか。前へ進むためには、そうした長期的なビジョンが必要ではないでしょうか」

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
IMS(イムス)グループ 医療法人財団明理会 行徳総合病院 院長 田中岳史氏

病院の新築移転によってより高度な医療を提供する

行徳総合病院は、1980年の開院以来、地域に根ざした医療を提供している。疾病の一次予防から二次予防、三次予防までを担い、住民たちの健康を守ってきた。時には、自治体や地元企業とのコラボレーションによる健康教育も行う。

一方で、専門性の高さも特徴的だ。院長の田中岳史氏は「各科に専門医が在籍し、専門外来を開いています。199床の規模でありながら、最先端の知識と技量を生かした診療を行っているのです」と話す。

来年春の病院移転後には、よりいっそう高度で多角的な医療を提供する予定だ。

「各診療部門ではセンター化を進め、内科も外科もチームになって、医療の質を高めていきます。病床数は307床に増え、設備も充実しますから、これまでは難しかった検査や治療も可能になるでしょう。専門医が集まりやすく、若い医師にとっても学びの多い病院にしていきます」

地域における責任は今以上に大きくなり、同時に、医師が活躍できるフィールドも広がる。

「こんな医師になりたい」を応援し、かなえる病院

田中氏によると、将来のビジョンを明確に持ち、理想に向かって努力する医師ほど入職後も活躍するという。前出の青山氏は、まさにその典型である。

「青山先生は、患者や職員からもっとも信頼されている医師の一人です。臨床に対する情熱があり、現在、腎臓内科は医師一人体制で大変な面もあるにもかかわらず、いつも笑顔で診療しています」

青山氏は、常に5年後、10年後のビジョンを思い描いて転職を成功させた。その姿勢には田中氏も共感しており、「入職する医師の理想を応援し、実現に向けて環境を整えることが私の仕事です」と断言する。臨床はもちろん、サイエンティストとして活躍し続けるためのバックアップも惜しまない。

「医師は人生の最後まで勉強し続ける存在で、完成形はありません。研究や学会活動への参加は、ぜひ継続してほしいですね。当院は、人材教育にも力を入れており、専門資格取得のための環境も整備しています」

移転に向けて、すでに多くの医師を新たに迎えてきた行徳総合病院。田中氏は、転職をする医師に対し、こんな思いを抱いている。

「私も大学病院にいましたから、転職が非常に勇気がいることはよくわかります。自分についている患者のことを思うと、簡単ではありません。ただ、卒後10年までは知識や技術を吸収する時期でも、それ以降は社会に貢献したくなる医師が多いのも事実です。自分の理想をどうやってかなえるか。一つカラをやぶって成長してもらいたいですね。当院は、そうした医師の船出を応援します」

田中 岳史氏

田中 岳史
IMS(イムス)グループ 医療法人財団明理会 行徳総合病院 院長
東京都出身。1985年順天堂大学医学部卒業後、同大学第2外科学講座入局。90年同大学大学院卒業。93年ケンブリッジ大学留学。97年胃腸病院外科部長。2010年行徳総合病院に外科部長として入職し、12年から現職。

IMS(イムス)グループ 医療法人財団明理会 行徳総合病院

大手医療グループ「IMS(イムス:板橋中央医科)グループ」の病院。1980年の開院以降、地域密着型でありながら、専門性の高い医療を提供してきた。2015年の新築移転後は307床(うちICU6床)に増床し、より高度な医療を提供する。各科のセンター化や、小児病棟の新設なども予定している。

IMS(イムス)グループ 医療法人財団明理会 行徳総合病院

正式名称 IMS(イムス)グループ 医療法人財団明理会 行徳総合病院
所在地 千葉県市川市行徳駅前1-12-6【新病院(予定):千葉県市川市加藤新田202】
設立年月日 1980年10月【2015年3月新築移転予定】
診療科目 一般内科、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科、
脳神経内科、腎臓内科、人工透析内科、糖尿病内科、
消化器外科、乳腺外科、甲状腺外科、呼吸器外科、
心臓血管外科、整形外科、脳神経外科、肛門外科、
形成外科、泌尿器科、婦人科、小児科、
皮膚科、救急科、麻酔科、眼科、
耳鼻咽喉科、放射線科(移転後の標榜予定含む)
病床数 199床【移転後:307床(うち、ICU6床)】
常勤医師数 29名
非常勤医師数 50名
看護師数 150名
外来患者数 1日平均350人
入院患者数 1日平均160人(2014年4月現在)