VOL.23

専門を備えた総合内科医になりたい。
理想の環境で腕を磨きつつ
次世代の医師育成にも励む日々

医療法人社団保健会 谷津保健病院 診療部長(兼)内科部長 
須藤 真児
氏(49歳)

東京都出身

1989年
千葉大学医学部卒業
東京厚生年金病院(研修)
1991年
東京厚生年金病院内科医員
1997年
東京女子医科大学循環器内科(~1998年国内留学)
2003年
都内市中病院
2006年
谷津保健病院内科医長
2007年
谷津保健病院内科部長
2011年
谷津保健病院診療部長

須藤氏が大学を卒業したのは1989年。母校の大学医局に入らず、市中病院に研修の場を求めた。卒業大学の医局に入局するのが当然という雰囲気だった当時としては異例の選択で、医学部内でも波紋を呼んだそうだ。須藤氏にあえて挑戦の道を選ばせたのは、「少しでも早く総合的な臨床医になりたい」という熱意だった。そして今もって、初心を忘れず、自分の理想の医療をめざし、須藤氏は患者に、そして次世代を担う研修医たちに向き合っている。

リクルートドクターズキャリア5月号掲載

BEFORE 転職前

大学医局に背を向け診療科の細分化にも逆行した
気づけば時代が追ってきた

大学医局に入らず臨床の場へ進む決意

須藤氏は大学卒業後、東京厚生年金病院に研修医として入職し、2年後にはスタッフとなって、内科全般にかかわりながらキャリアを磨いてきた。

「大学卒業時の同期生約120人のうち、大学に残らなかったのは8人だけ。当時、私のような選択は本当に変わっていました。『お前はもう二度と大学の敷居をまたげないぞ』とも言われました」

医局が絶大な力を持っていた時代。リスクをおかしてまで若者が大学を飛び出したのは、大学病院で基礎研究をしたり、論文を書いたりするのは向いておらず、できるだけ早く臨床の現場に出たかったからだという。

「今でこそ大学は臨床研修に力を入れていますが、当時はかたちばかりのものでした。特に、私の大学は卒業時点ですぐに医局が決まり、専門が固定されてしまいます。自分は内科医になりたいと思ってはいましたが、内科の何を専門とするのかは、まだ迷っていたのです」

現在では珍しくもない進路。須藤氏の心情と行為は、ごく当たり前のもので、当時は、誰もが当然と思っていた医師の進路の決め方が歪んでいたとも言える。

東京厚生年金病院を研修先に選んだのは、診療科を細分化していく傾向とは違い、専門を持ちつつ、内科医としてあらゆる疾患に対応できる医師を同院が育成していたからだ。

「おかげで、大勢の患者さんを同時に診る機会を得ました。私は専門に循環器内科を選択しましたが、白血病から心筋梗塞まで受け持っていたほどです。それが、総合的な臨床医をめざす自分にとっては、良い意味で試練になりました」

循環器内科医と総合内科医の両立を

東京厚生年金病院で研鑽を積んだ後、都内の市中病院に移り3年間ほど勤務する。しかし、規模拡大を目指す経営陣の方針が裏目に出て、病院の雰囲気は悪化。スタッフの退職も相次ぎ、これでは自分の理想の医療ができないと、須藤氏は転職を考えるようになる。そこで、インターネットでたまたま目にした医師斡旋会社に登録した。

「何しろ、医局に所属していなかったので、自分の行き先は自分で探すしかありません。そのとき在籍していた病院へは、知り合いのお誘いで移ったのですが、親しい方を介した転職では、気兼ねも多々あります。一方、医師斡旋会社は条件や待遇の話を遠慮なくできて、良かったですね」と振り返る。

須藤氏の条件とは、勤務地などのほか、「専門に特化した診療だけでなく、循環器も診られ、内科全般も診たい」という理想を叶えてくれる病院であること。

そして1年間の転職活動中に、斡旋会社の担当者と3~4病院をまわり、現在勤務する谷津保健病院と出会った。

「私の専門である循環器をサブスペシャリティにしつつ、内科全般にかかわれる――条件に当てはまる病院は、なかなかありませんでした。けれども、この谷津保健病院は、面接で院長先生のお話をうかがい、私の考えと近く、自分の目指す医療ができそうだと感じました。規模的にも大きすぎず小さすぎず、適切だと思い、入職を決意しました」

斡旋会社の情報力を味方につける

須藤氏は、斡旋会社を使うメリットを、もう一つ挙げてくれた。

「自分ひとりでの情報収集には限界がありましたが、斡旋会社の担当者が提供してくれる情報量はたいへんなものです。実は、谷津保健病院も最初は循環器内科医が足りており、一般内科医の募集しかなく、無理だとあきらめていたのですが、ある夜、担当者の方から『近々、空きが出るらしい』との電話がかかってきたのです。情報をいち早く得られたので、絶好の転職機会を逃さずにすみました」

医師斡旋会社を味方につければ、理想の転職の近道になる好例だろう。

AFTER 転職後

かつて大学を飛び出して得た経験を
次世代の医師たちに伝え
専門を兼ね備えた総合医を育てたい

自由な雰囲気の職場で新たな治療に取り組む

2006年秋、須藤氏は谷津保健病院に内科医長として入職。それまで同院にはなかった透析による血液浄化治療を導入するなど、循環器内科の専門医として面目躍如の活躍だ。

もちろん、もう一つのミッションである総合内科医としての活動も日々、充実している。

「当院は、私が研修医の頃を過ごした東京厚生年金病院と雰囲気が似ています。自由で、専門外の分野にも積極的にかかわれるのです。それがいちばんの良さですね。また、総合診療には各専門のスタッフ間のチームワークが欠かせません。チームワークは私が最も重視するところですが、その点も満たされています」

理想の医師育成をめざす臨床研修がスタート

法人主催での忘年会は、ホテルの宴会場を使い盛大に行われる。一年間の疲れを癒し、職員の親睦を深める貴重な場だ。
法人主催での忘年会は、ホテルの宴会場を使い盛大に行われる。一年間の疲れを癒し、職員の親睦を深める貴重な場だ。

入職前に思い描いていた医療を、転職によって実現しつつある須藤氏。入職から1年後には内科部長に、昨年には診療部長に就任した。かつて、医局に背を向けキャリアをスタートさせた若者が、今、管理職となって想像する病院の未来は――。

「自分の生涯のテーマは、総合的な診療能力を備えた医師の育成。それを可能にする臨床研修の場を積極的に提供したいと願っています。

そこで、以前の職場での研修指導医としての経験を生かし、当院でも昨年度から臨床研修を始め、2人の研修医を受け入れ、今年度もさらに2人の研修医が来てくれました。数は少ないですが、だからこそ大学病院ではできない、内容の濃い臨床研修になると確信しています」

須藤氏が考える理想の医師育成のあり方は、同院で総合内科医の研修を受けた医師が、一度、ほかの病院で専門科の研鑽を積み、再び戻ってくるような循環だという。

「総合医であっても、専門を体得すれば視野も広がり、医師人生を歩んでいくうえでも強みになるでしょう。私自身、東京厚生年金病院時代に、東京女子医科大学病院へ1年ほど国内留学させてもらいました。同大は循環器医療で日本の最先端を行く病院。当時はちょうど心臓移植が始まった頃で、移植のシミュレーションに取り組んだり、それまでとはまったく違う世界でしたが、貴重な体験でした。後輩たちにもそんな経験をしてほしいと思います」

今、医師不足に苦しむ市中病院は多いが、須藤氏は原因の一つに、医局への依存から脱却できない点を挙げる。たとえば、「専門を備えた総合内科医の育成」という明確な看板を掲げ、独自のカラーを打ち出せば、地域に貢献しようとする若い医師を引き寄せられるはずだ。

「実現できるのは、ずっと先の話ですよ」と、須藤氏は笑う。しかし時代を先取りしてきた彼ならば、そう遠くない将来に夢を叶え、周囲が彼を追いかけているだろう。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
谷津保健病院院長 宮﨑 正二郎氏

急性期病院でありながらプライマリ・ケアも行う地域の病院

京成線谷津駅を降りた瞬間、モダンで美しいビルが視界に入る。ぱっと見ただけでは、病院とは思えないこの建物が谷津保健病院だ。新築かと思いきや、躯体自体はまったく触れずにリニューアルしたのだと、宮﨑氏は説明する。

「駅前に立地しているので、地域の皆さんの"生活導線"に組み込まれた病院と言えます。そのため、当院は急性期病院でありながらも、多くの外来患者さんが訪れます。両極にある医療ニーズに対応するには、プライマリ・ケアからある程度高度な医療まで幅広くカバーする必要に迫られます。そこで求められるのが、専門性を備えつつ、ジェネラリストでもある医師。須藤先生は、条件にまさにぴったりと当てはまる方でした」

宮﨑氏は以前、須藤氏に会ったことがあるという。

「親類が東京厚生年金病院に入院していたとき、主治医をしていただいたのです。そのときに見た、患者に向き合う態度がすばらしく、印象に残っていました」

須藤氏の活躍ぶりは、当初の期待以上のようだ。

「まず、ご本人の診療能力が高いのはもちろんですが、ジェネラル・プラス・サブスペシャリティな内科医としての姿勢が当院に合っていて、さらにそれを推し進める内科づくりをしてくれました。

専門の先生に丸投げせず、ご自分で専門外の消化器の内視鏡治療を勉強したり、管理職にありながらも、現役医師に必要な日進月歩の医療技術を身につけつづけようと努力する姿をお見かけします。内科の総合的な診察力もレベルアップし、病院全体にも良い影響が出ています」

病診連携を推進し、地域に貢献する

現在、須藤氏には診療部長としてマネジメントも任せているが、それにより院内でめざましく進展した点が2つある。

一つは、病診連携の活性化だ。

「一時期は、医療連携室長として対外的な活動をしてもらいました。開業医の先生から紹介の相談をいただいた際も、すぐれた総合医なので受け入れる科の選定が適確で、病診連携がスムーズに行われ、院内外の先生方からの評判も良く、非常に適任でした」

そして、もう一つが同院開設以来初の臨床研修医受け入れ開始。

「高齢化により、複数の疾患を持つ患者さんが増えてきています。そんな時、総合医としてバランスのいい診断ができる、須藤先生の指導を受けた初期研修医の診療能力には大いに期待が持てます」

最後に、宮﨑氏は笑顔で最高の賛辞を須藤氏に贈った。

「もし、私がもう1回研修医になれるとしたら、ぜひ須藤先生に指導していただきたいですね」

宮﨑 正二郎氏

宮﨑 正二郎
医療法人社団保健会 谷津保健病院 院長
1983年筑波大学医学専門学群卒業。同年河北総合病院勤務、85年東京女子医科大学消化器病センター外科入局。91年谷津保健病院外科。外科医長、副院長を経て、2004年から現職。

医療法人社団保健会 谷津保健病院

千葉県習志野市は東京近郊のベッドタウンで、近年、住民の第一世代が高齢化しつつある。それにともない、同院の受け入れる患者の疾病構造も変化し、生活習慣病やがんの増加が著しい。このような変化に対応するため、同院では患者に対し、①予防、②早期診断・治療、③リハビリテーション・社会復帰までを一連の治療として位置づけ、トータルな医療提供をめざしている。病院の理念は「私たちは、全ての方々に安心と安全な質を高い医療を提供し、相互の信頼関係を大切にする心の行き届いた、急性期病院を目指します」。

医療法人社団保健会 谷津保健病院

正式名称 医療法人社団保健会 谷津保健病院
所在地 千葉県習志野市谷津4-6-16
設立年月日 1981年8月
診療科目 内科、循環器科、消化器科、乳腺外科、
外科、整形外科、小児科、産婦人科、
耳鼻咽喉科・アレルギー科、泌尿器科、皮膚科、脳神経外科、
神経内科、リハビリテーション科、麻酔科
病床数 300床
常勤医師数 35名
非常勤医師数 70名
患者数(1日) 600名