VOL.103

被収容者の健康管理と
社会復帰を支援する矯正医官
医療の本質とも向き合う

府中刑務所医務部/法務省矯正局(併任)
外科 岩田 要氏(44歳)

神奈川県出身

1999年
東京大学医学部卒業
同大学医学部附属病院 研修医
2000年
東京都立府中病院
(現 東京都立多摩総合医療センター) 外科
2003年
東京大学医学部附属病院 外科
2008年
同大学大学院医学系研究科
(外科学専攻)博士課程 修了
同大学大学院医学系研究科病因・病理学専攻
(病理学講座) 助教
2016年
府中刑務所 入職
2017年
新潟刑務所 医務課長
2018年
府中刑務所 保健課長
矯正局矯正医療管理官付技官(併任)

がん治療の第一線に立つ外科医から基礎研究に従事する研究者へ。そして刑務所で被収容者を診療する矯正医官となった岩田要氏。研究職時代は学術雑誌への投稿論文のリジェクトを何度も経験し、自分の研究の必要性すら疑ったと話す岩田氏だが、「矯正医官という新たな道を選び、公益性や利他的といった視点が加わったことで、過去の反省点も見えてきた」と語る。仕事だけでなく人生も大きくチェンジした岩田氏の遍歴を追った。

リクルートドクターズキャリア11月号掲載

BEFORE 転職前

自らの手で患者の命を救いたい
その思いから、がんを対象に
外科治療や基礎研究に従事

再発するがん患者に接し
外科治療の限界を感じた

大学病院などで外科医として経験を積んだ後、研究職に転じてがんの基礎研究に従事していた岩田要氏は、2016年に法務省所属の矯正医官に転職。現在は府中刑務所医務部(東京都)での診療に加え、法務省矯正局で業務を行う。

岩田氏が医師を目指したのは、手先が器用で機械いじりが得意だった父親の影響だと笑う。

「父への憧れや負けたくない気持ちから、何か手を動かす仕事に就きたいと思いました。そして両親に医学部を勧められたのです」

外科を専門に選んだのは自らの手で患者の命を救えること、全身の治療に関与できること、活動分野が幅広いことなどが理由。初期研修で回った医局の中で、リベラルな雰囲気が自分にも合うと感じた第三外科に入局した。

大学病院や市中病院で診療する中でさまざまな術式を身につけ、習熟する手応えを感じていた岩田氏だが、やがて臨床から離れたい気持ちも生まれてきたと言う。

「当時は進行したがん患者は手術が成功しても再発し、退院できずに亡くなるケースも少なくありませんでした。術者の技量ではなく、がんの進行度で患者の予後が決まっているようで、外科治療の限界を感じるようになりました」

がんの基礎研究に従事し
新たな治療法に期待

そんな岩田氏を研究の道に導いたのは偶然の出会いだった。著名な心理学者の講演に出かけたとき、昔からの同級生に再会。話をするうちに、彼が所属する研究室のテーマや一つのことに打ち込む研究姿勢に興味を持ったそうだ。

「手術するスピードが上がったりチームの動きが良くなったりと、臨床でも成長を感じることはできたでしょう。しかしそれより自分で新たな治療法を作り、社会に広く貢献できたらと思ったのです」

岩田氏は医局の担当教授に相談し、がんの基礎研究のために大学院に進学。手術やカンファレンスが中心の生活を終え、がん細胞と向き合う毎日がスタートした。

「当時、細胞のがん化と血管新生の関係は盛んに研究が行われていました。ではリンパ管新生との関係はどうか?という視点から、私の研究は始まりました」

岩田氏はがんの血管新生を促すCOX-2が、リンパ管新生とも深く関わることをマウス実験などにより確認。COX-2阻害剤がリンパ管新生を抑制できる可能性を示した。この論文で博士号を取得するなど研究者としてのキャリアは順調に見えたが、次第に悩みを抱えるようになったと話す。

「リンパ管の研究を通して人体を含む自然界の精緻さに魅せられ、海外でも発表を行うなど、研究自体は非常に楽しいものでした。しかし、長い時間をかけて仕上げたある論文は、最後まで学術雑誌に受理されませんでした」

自分の論文を学術雑誌に掲載する意味は本当にあるのだろうか、自分のエゴで投稿を繰り返しているのではないのか……。自問自答の中で別の道に進むことも考え始めた頃、岩田氏は地下鉄の構内で「刑務所・少年院の医師募集」と書かれたポスターに巡り合った。

駅構内で目にしたポスターで
研究職から矯正医官へ

テレビでよく見かける男性ボーカル・ダンスグループの一人が、「本気で、誰かと向き合ったことはあるか」と問いかけるポスターのビジュアルにひかれ、刑務所や少年院に勤務する医師=矯正医官の仕事を知ったと岩田氏。

「研究者として珍しい仕事に興味を持ったというか(笑)。臨床を離れて約10年たち、病院への転職は難しいと思っていたとき、新たな道が見えてきた感じでした」

岩田氏はすぐに同職を管轄する法務省東京矯正管区に問い合わせ、担当者に会って直接話を聞いた。

「矯正医官は被収容者の更生に欠かせないなどの説明で興味が深まり、詳しく知りたくなって、かつての勤務地にほど近い府中刑務所の見学を手配してもらいました」

同所の医師や職員は温かく迎えてくれ、ここならやっていけそうだと実感したと言う岩田氏。2016年5月には矯正医官への転職を決め、大学で引き継ぎを行った後、同年10月から府中刑務所での勤務が始まった。

AFTER 転職後

法務省矯正局での業務により
矯正医療が持つ公益性や
地域連携にも視野が広がった

患者への忖度をせず
医療本来の姿を追求する

矯正医官は法務省に属する国家公務員で、各地の矯正施設(刑務所、少年刑務所、拘置所、少年院など)に設置された診療所または病院で、被収容者の診療を行う。

診療はプライマリ・ケア中心で、被収容者の高齢化で生活習慣病の管理なども増えているそうだ。

「感染症や精神疾患などが多く見られるほかは、一般の医療機関での診療とさほど変わらないと思います。私は刑務所の中という環境にもすぐ慣れましたし、被収容者の診療中は必ず刑務官が立ち会うので不安もありません」

その一方で、自分の価値観を見直す機会も多々あると岩田氏は明かす。例えば以前在籍した病院では、患者の要望に応えて薬を多めに出すこともあったが、現在は私情を交えず適切な量だけを渡している。そして、なぜこの量が必要かという根拠をカルテに記入し、記録に残すことも求められる。

「患者との対峙を避け、安易な処方をしていたのは、医療の本質から遠ざかっていたと当時を反省しています。また被収容者の訴えには詐病も多いのですが、彼らの偽った動機を考えるうちに、自分にもそうした偽りの動機はないかと自問することもしばしばです」

本省での業務を併任し
市中病院でも診療を続ける

さらに適切な診療には、日頃の被収容者の動静を知る刑務官との密接な連携が必須。被収容者の急な体調の変化などは現場にいる刑務官から医務担当の刑務官に報告があり、矯正医官に連絡が届くと言う。詐病についても刑務官に聞いた被収容者の普段の様子が重要な判断材料になる。

「もちろん医務以外の他職種との連携も必要で、ここに来てから、組織の一員として同じ目標に向かうといった感覚を実感するようになりました」

また、岩田氏は府中刑務所での診療に加え、2018年から法務省矯正局の技官を併任し、週2回は霞が関の本省で業務に当たっている。

岩田氏の配属先となる同局矯正医療管理官室は、矯正医療に関わる施策の立案や感染症対策など、幅広い業務を担当する部署。岩田氏を含む数人の矯正医官は施設での診療も併任しながら、こうした業務に助言・指導を行っている。

「各矯正施設が持つ課題の解決に向け、これまでの経験も生かしたアドバイスなどを行っています。ある施設の事案に対して矯正医療の適切性を確認するなどは、医療の専門知識と現場の経験を持つ矯正医官だからできることでしょう。逆に私にとっては現場と違う視点から組織を見る機会であり、事務官をはじめとする文系の世界に触れ、『理系人間だから』と自ら狭めていた視野が広がりました」

このほか岩田氏は、平日勤務時間外に市中の総合病院等で診療を行うなど、地域社会とのネットワークづくりを進めている。

「たまたま私の場合は勤務時間外に病院で勤務していますが、矯正医官には特例法があり、条件を満たせば勤務時間内の兼業や外部機関での研究も認められるなど、働き方の自由度も高まっています」

公益性の高い仕事に就き
医師として充実した日々

個人プレーでなく組織が一体となって診療する矯正施設。そうした職場にキャリアチェンジして、利己的でなく利他的な見方もするようになり、仕事だけでなく自分自身も大きく変わったと岩田氏。

「医療面から被収容者の社会復帰を支援する公益性の高い仕事。自己を見つめ直すきっかけにもなり、仕事や家庭、地域で接する人々を思いやる余裕も生まれて精神的にも安定し、今は医師として充実した日々を送っています」

新潟刑務所の旧相川拘置支所をプライベートで「視察」中の岩田氏 画像

新潟刑務所の旧相川拘置支所をプライベートで「視察」中の岩田氏

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
医療を通じて犯罪抑止にも貢献

全人的な医療により
被収容者の社会復帰を支援

法務省が所轄する矯正施設は、矯正処遇や職業訓練を通じて被収容者の更生を図り、社会の一員として送り出すことを目的とする。そのためには一人ひとりの健康回復・維持が重要であり、矯正医療が更生に果たす役割は大きい。

またC型肝炎をはじめ感染症の罹患者も少なくないため、社会復帰後の二次感染防止に向けた適切な治療や健康管理も欠かせない。

「矯正医官は各矯正施設での医療を通じて社会の犯罪・非行を抑止し、公衆衛生にも寄与する社会的意義を持った仕事なのです」

こう語るのは同省矯正局長の名執雅子氏。被収容者には高齢化による循環器系疾患・消化器系疾患・呼吸器系疾患も多く、全人的な診療を実践する中で総合的な診療経験が積める点も特色だと言う。

さらに高齢で認知症の傾向がある者、薬物依存で治療が必要な者などに対し、継続した支援が社会でも行えるよう、地域の医療機関・福祉施設と連携した枠組みも必要になってくると名執氏。

「今後は矯正医療を地域医療の一環と捉え、社会とのネットワークを生かした恊働でも矯正医官の力が発揮できると考えています」

その意味では「矯正医官の兼業の特例等に関する法律」(2015年施行)によって、兼業やフレックスタイム制での柔軟な働き方が可能になり、医療機関での兼業、大学等での研究といった機会が増えたことは、地域社会との連携強化にも役立っているといえる。

また府中刑務所での診療と矯正局の業務を併任している岩田氏について、名執氏は「現場の意見や自らの体験をもとに、矯正医療に関する各種施策の検討に加わっていただける」と高く評価。医師という共通基盤があるため、他の施設の矯正医官ともスムーズにコミュニケーションできると言う。

矯正局では矯正医官の勤務環境をさらに整え、教育・研究の支援を充実させるほか、地域医療との共生・連携の強化も図っていく。

「特例法で矯正医官に興味を持つ方も増えましたので、新たな分野としてアピールしたいですね」

名執雅子氏

名執雅子
法務省矯正局 矯正局長
1983年慶應義塾大学法学部卒業後、法務省に入省。女子少年院院長、矯正局少年矯正課長、同局総務課長、大臣官房審議官、人権擁護局長を歴任。2018年から女性として初めて矯正局長に就任。総務課長時代には「矯正医官の兼業の特例等に関する法律」の検討作業にも携わる。

法務省矯正局

同局は1879年に内務省監獄局として発足後、所属する行政機関名、部署名、業務内容等の変遷を重ねながら、1952年に現名称となった。主な業務は矯正施設を管理し、被収容者への適正な処遇を図ること。矯正施設では矯正医官(医師)を中心に看護師、准看護師(刑務官兼任)、薬剤師、コメディカルスタッフなどによる診療が行われている(人員は施設により異なる)。刑事施設(刑務所、少年刑務所、拘置所)は、医療スタッフや医療機器を特に重点的に整備した医療専門施設、医療スタッフや医療機器を重点的に整備した医療重点施設、一般施設に分かれ、必要なら被収容者を重点施設・専門施設に移送して、適切な医療を提供する。

法務省矯正局

正式名称 法務省矯正局
所在地 東京都千代田区霞が関1-1-1
開設年 1952年
矯正施設 刑事施設/184施設(刑務所61、少年刑務所6、拘置所8、刑務支所8、拘置支所101)
うち医療専門施設/東日本成人矯正医療センター、大阪医療刑務所、北九州医療刑務所、岡崎医療刑務所
うち医療重点施設/札幌、宮城、府中、名古屋、大阪、広島、高松、福岡の各刑務所、東京拘置所
少年院/49施設(本院43、分院6)
少年鑑別所/52施設(本所46、分所6)
婦人補導院/1施設
うち第三種少年院/東日本少年矯正医療教育センター、京都医療少年院
(2019年9月時点)