VOL.104

形成外科、総合診療科を中心に
地域に必要とされる医療を提供
褥瘡治療で患者のQOL向上を図る

郡山青藍病院
形成外科 中山毅一郎氏(44歳)

奈良県出身

2001年
京都大学医学部卒業
京都大学医学部附属病院 研修医
2003年
大垣市民病院 研修医
2005年
京都大学医学部附属病院 形成外科
大津赤十字病院 形成外科
2009年
京都大学医学部附属病院 形成外科
2010年
医療法人果恵会 恵王病院 形成外科
2019年
医療法人青心会 郡山青藍病院 形成外科 入職

形成外科を中心に一般外科、救急部門などを経験し、2019年に転職した郡山青藍病院では総合診療科も担当する中山毅一郎氏。転職は家族と一緒の時間を増やすためと話すが、自ら重点分野と定めた褥瘡治療を進化させ、麻酔科標榜医も目指したいと診療面でも意欲的だ。プライベートと仕事が相乗効果を生む働き方を選んだ中山氏に現状と将来への期待を聞いた。

リクルートドクターズキャリア12月号掲載

BEFORE 転職前

皮膚がない状態から再建できる
手術への興味から形成外科へ
救急での経験もその後の糧に

数多くの症例を経験して
形成外科医の腕を磨く

20年近く在籍した医局を離れ、出身地の奈良県にある郡山青藍病院に転職した中山毅一郎氏。専門である形成外科に加え、総合診療にも活躍の幅を広げるなど、忙しいが満足のいく毎日だと話す。

小さい頃から細かな作業が得意だった中山氏は、両親が医師になるよう勧めたこともあって医学部を志望。自由な校風にひかれて京都大学医学部を選んだと言う。

「卒業時は新たな研修医制度への切り替わり時期。大学病院で産婦人科と形成外科を回り、民間病院で内科や外科を経験するなどやや変則的でした。そうした中、皮膚がない状態から再建ができる手術への興味、見た目もきれいになって患者さんに喜ばれるやりがいなどで形成外科を選びました」

大学病院の形成外科に入局した中山氏は同院で3カ月ほど診療した後、関連病院の形成外科に派遣されて4年近くを過ごした。

そこは外傷の患者が多く、切断された手指をつなぐ緊急手術などもよく担当したと言う中山氏。やけどの治療などは全身管理を救急科、手術を形成外科と基本的な分担はあったが、実際は全身管理まで形成外科で行うケースも多く、経験が広がったと振り返る。

「手術を夜通し続けた後に同期と一緒に飲みに行くなど、無茶なこともしましたが(笑)、数多くの症例を診て、手術も行い、上達していく実感がありました」

手術のために新たな病院へ
褥瘡治療にも力を注ぐ

その後は大学病院に戻ったが、関連病院のときより手術に携わる機会が減り、もっと手術ができる病院に移ろうと考えたと中山氏。

「私の出身地でもある奈良県北部の病院を候補として上司に相談したところ、医局に在籍したまま移る話になったのは幸いでした」

この病院で中山氏は形成外科、一般外科で診療するほか二次救急にも対応。関連病院で培った全身管理の経験も生かせたと語る。

「ただ、常勤の医師数は私を含めて10人に満たず、しかも形成外科の常勤は私1人。同科の責任者になって不安も感じましたね」

診断は問題なかったが、手術を自分だけで行うのは初めて。術中の相談相手もおらず、目の前に集中しすぎて近視眼的になることも最初は多かったと反省する。

「例えば目的臓器へと至るルートも、複数の医師がいれば多様な観点があり、複数のパターンが考えやすかったのですが、自分だけだと別ルートに気づくタイミングが遅くなることもありました」

そうした手術も繰り返すうちに視野が広がり、次第に納得のいく治療ができるようになった。また、大学病院では周囲の理解を得にくかった褥瘡の治療もスムーズに受け入れてもらえ、それは中山氏の重点分野の一つになっていく。

家族といる時間のため
新たな職場への転職を模索

中山氏が新たな道を模索し始めたのは、家族で過ごす時間をもっと大切にしたいと考えたからだ。同院の救急は専任医師ではなく、当直医師によるローテーションのため、中山氏もここで働き始めて週1回は当直に入っていた。

「夫婦だけの暮らしから、子どもが1人、2人と増えるに連れ、少しでも家族といる時間を増やそうと考えるようになり、当直を含め勤務する時間帯について病院と何度か相談してみました」

しかし体制の変更には時間がかかりそうだと分かり、中山氏は子どもが大きくなる前に何とかしたいと転職を決意。今度は医局を抜けるという前提で、紹介会社を通じて候補を探すことにした。

「働きやすさはもちろん、私に引き続き診てほしいと希望される患者さんも多く、今の病院からあまり遠くないことも条件でした」

このとき条件に合致するとして紹介された病院の一つが郡山青藍病院で、訪ねてみるとMRIなどの設備も整い、院内は明るい感じで好印象だったと中山氏。

「同院には医療療養病棟もあり、これまで行ってきた褥瘡治療の経験も役立つだろうと思いました」

理事長、院長などの面談を経て内定し、看護部長や師長、医師の主任と話し合って現場の雰囲気を理解した後、中山氏は2019年4月に同院形成外科に入職した。

AFTER 転職後

転職で私生活も仕事も充実
褥瘡の手術を積極的に行い
総合診療にも活躍の場を広げる

形成外科の手術件数を
さらに増やすことが目標

入職した中山氏は週のうち形成外科の外来を1日、総合診療科の外来を半日担当。ほかの日は入院患者や、併設する介護老人保健施設の利用者の診療に充てている。

形成外科では外来患者の治療、入院患者の褥瘡治療を行うほか、同院の脳神経外科が診る患者のうち顔面骨折などの治療も行っている。さらに他科の手術で麻酔を担当する場合もあるという。

「こうした治療には二次救急や全身管理の経験も生きています。しかし、当院の形成外科で手術もできることがうまく伝わっておらず、まだ手術件数は少なめ。今後は地域の患者さんや医療機関に積極的にアピールするつもりです」

総合診療科での診療については理事長の野中家久氏から入職の面談時に依頼されたもので、自らの活躍の場を広げるため是非やりたいと中山氏は答えたと言う。

現在はコモンディジーズの鑑別診断を実践で学び直し、総合診療科の責任者でもある野中氏に腸閉塞、腸炎、胆石といった内科系の病気について指導を受け、入院した患者を継続して診ている。

「思ったより忙しくなりましたが、当直がなく、手術のない日はほぼ定時で帰っているので、家族と過ごす時間は確実に増えました」

患者が快適に暮らせるよう
褥瘡は早めの手術で治療

中山氏が同院で特に力を入れるのが褥瘡の治療だ。大学病院や前の病院でも行っていたが、最初の頃は患者への負担を意識して手術はなるべく先送りにし、薬物治療を1年でも2年でもできる限り長く続ける方針だったと言う。

「ただ、高齢の患者さんにとってその1年、2年がとても大切な時間。手術の適応があっても行わず、定期的に体位を変えたり、痛みに耐えたりといった苦労を続けてもらうよりは、早めに手術をして残りの人生を快適に過ごしてもらう方がいいのでは?5年ほど前からそうした思いが強くなり、1カ月くらい軟膏を塗って改善しないケースは、しんどい時間が短くなるよう手術をご提案しています」

もともと同院の薬局や看護部は褥瘡治療に力を入れており、薬物治療と丁寧なケアにより患者の負担軽減、感染症のリスク回避を図ってきた。そこに中山氏が入職して手術という新たな治療の選択肢が加わり、褥瘡チームの協力体制もさらに強固になったという。

「手術で褥瘡を治せることが、もっと地域全体に広がってほしいですね。そして当院の入院患者だけでなく、ご自宅への訪問診療でも褥瘡が手術で治療できないかも検討したいと思っています」

地域のために何ができるか
それを考えて実践したい

転職時の希望通り家族と過ごす時間は増え、薬剤師や看護師との密接な連携で褥瘡治療のさらなる進化も実現できそうだと笑顔で語る中山氏。加えてこの地域で自分に何ができるかを考え、新しい挑戦も続けたいと意欲的だ。

「当院は急性期、回復期、慢性期を網羅しているので、それぞれの患者さんを診ることができればと思いますし、いずれは麻酔科標榜医の取得も目指しています。再建手術は基本的に保険診療内で行うつもりですが、それ以外にレーザーを使った美容的な施術なども始められるといいですね」

同院は理事長の野中氏が救急医療を含む地域医療の充実を目標に開院。それから30年以上が経過した2017年、中山氏と同年代の院長へと世代交代するなど、将来を見据えた動きが活発化している。

「そんなタイミングで私が入職したのも何かの縁なのでしょう。地域に根ざした病院として、今必要な医療、これから求められる医療をスタッフとともに作り上げていきたいと考えています」

看護師をはじめスタッフも褥瘡治療への意欲は高く、コミュニケーションも良好だ。 画像

看護師をはじめスタッフも褥瘡治療への意欲は高く、コミュニケーションも良好だ。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
脳、心臓、腰痛にも強い地域密着病院

救急から療養、在宅まで
多様な地域ニーズに対応

急性期中心の病院から、地域の医療ニーズを踏まえてケアミックス病院となった同院。院長を務めていた野中氏に代わり、2017年に新院長となった宮本和典氏は、救急への対応は開院30年以上経った今も変わらないと言う。

「ただ、現在は転倒による頭部打撲、肺炎などで搬送される高齢の患者さんも多く、地域包括ケア病床に移ってリハビリを行う、医療療養病棟で長期療養を続けるなど、治療後の暮らしも含めて支援する体制が重要になっています」

近隣には療養病棟を持たず、90歳や100歳の超高齢患者を受け入れられない医療機関も多く、同院はそうした行き場のない患者の受け皿の役割も担うという。そして救急から慢性期、在宅までカバーし、地域に頼られる病院という野中氏の思いを受け継ぎながら、「脳」「心臓」「腰痛」の3つの強みを磨いていくと宮本氏は語る。

「当院では脳血管障害、特に脳卒中の患者さんが増えたため、脳神経外科と神経内科が連携する脳卒中センターを開設し、CT、MRI、脳血管撮影といった検査、rt-PA静注療法をはじめとした脳血管内治療、開頭手術などを充実させました。未破裂脳動脈瘤の診断・治療も行っています」

その前から同院は脳ドックを実施しており、脳血管障害の早期発見にも貢献。治療も同センターで継続して行うと言う。また、奈良県が検討している脳卒中治療病院の輪番制度に同院も間もなく参加予定で、もっと多くの脳卒中患者を受け入れたいと宮本氏。

このほか心臓は循環器内科がカテーテル治療やペースメーカーの植え込みなどを行い、腰痛治療では患者の体への負担が少ないPLDD法(経皮的レーザー椎間板減圧術)を得意とするなど、それぞれ特色ある診療を行っている。

「中山先生が形成外科に来られてから顔面骨折などが治療でき、褥瘡治療の手術も可能になったことは、新たな強みに育つと期待しています。地域に必要とされる病院を目標に、今後は一般内科、循環器内科も強化を図っていきます」

宮本和典氏

宮本和典
郡山青藍病院 院長
1988年奈良県立医科大学医学部卒業。1995年同大学大学院医学研究科(脳神経外科学)修了。同大学附属病院のほか、大阪市立松原病院(2009年閉院)、東大阪市立総合病院(現 市立東大阪医療センター)、大阪警察病院、清恵会病院などの脳神経外科で医長、部長を歴任。2011年に郡山青藍病院脳神経外科部長。副院長を経て、2017年から現職。

郡山青藍病院

同院は1984年、「奈良県の救急患者は奈良県で受け入れる」を目的に、野中家久氏(当時の院長・現在は理事長)が開院。二次救急を含む急性期病院として地域に根ざした診療を行った後、2006年から地域の高齢化や病態の多様化に合わせてケアミックス病院となった。一般病床100床には地域包括ケア病床40床が含まれ、入院患者の在宅復帰に向けたリハビリ、在宅患者の受け入れなどで地域との連携を強めている。同院の地域連携室では入院中の患者の転院や退院後の生活についてソーシャルワーカーが相談に乗り、神経難病患者のレスパイト入院も担当者を置いて相談に当たっている。

郡山青藍病院

正式名称 医療法人青心会 郡山青藍病院
所在地 奈良県大和郡山市本庄町1-1
開設年 1984年
診療科目 内科、循環器内科、消化器内科、
外科、脳神経外科、整形外科、形成外科、
消化器外科、肛門外科、呼吸器内科、
神経内科、皮膚科、泌尿器科、
リハビリテーション科、放射線科、麻酔科
病床数 140床(一般100床※地域包括ケア病床40床含む、医療療養40床)
常勤医師数 6人
非常勤医師数 14人(日勤のみ週1日程度)
外来患者数 約90人/日
入院患者数 115人/日
(2019年9月時点)