VOL.95

在宅医療支援から看取りまで
患者と家族の両方に望まれる
療養型の病院を実現したい

シーサイド病院
内科 嘉数 徹氏(65歳)

沖縄県出身

1981年
福岡大学医学部卒業
1981年
福岡大学医学部第一外科入局 肝臓外科
福岡大学病院ほか九州各地の病院への医局派遣
国立がんセンターでの肝臓外科研修など
1990年
信州大学医学部附属病院 第一外科
1995年
福岡大学病院 第一外科 助手、講師を歴任
2001年
東京大学医学部附属病院 肝胆膵・移植外科 助手
2002年
千葉徳洲会病院 外科 顧問、
院長、名誉院長、総長を歴任
2006年
福岡和白病院 総合診療部部長
2007年
医療法人啓仁会 本部診療部長
2010年
今村病院 健康管理センター長
2011年
西野病院 病棟担当
2018年
シーサイド病院 内科 入職

地域に根ざし、患者と共に歩む医療を実現したい。そうした思いから医師になった嘉数徹氏は、さまざまな人との縁に導かれ、九州各地から東京、長野と場所を変え、幅広い診療分野を経験。最後に自らの考えで決めたシーサイド病院で、高齢者を対象とする地域医療に取り組んでいる。そのドラマチックな生き方を振り返ってもらった。

リクルートドクターズキャリア3月号掲載

BEFORE 転職前

地域密着医療が理想ながら
肝移植手術から救急医療、
回復期リハまで幅広く経験

地域医療に熱心な父を見て
自然に医師を志した

移植手術も含む肝臓外科、24時間対応の救急医療、回復期リハなど多様な経験を積んできた嘉数徹氏は、2018年8月にシーサイド病院(福岡県)に転職。現在は仕事のやりがいと私生活の両方を大切に過ごす毎日だという。

「私の父は那覇市などで、赤ひげのように患者さんに尽くす医師でした。その影響で医師を目指したせいか、私生活をあまり考えずに働いた年数も長かったですね」

小さい頃から父と一緒に診療所に行き、診察の様子をずっと見ていたと嘉数氏。そのため医学部入学直後から医療現場に出たいと願ったものの、かなうはずもなくアルバイトと漕艇部に打ち込んで気を紛らしたという。卒業後は福岡大学医学部第一外科に入局し、消化器外科を専門とした。

「父は町医者ですから総合的に患者さんを診ていましたが、あるときふと『外科医になりたかった』と一言漏らしたんです。それが私の心に残っていたようです」

しかし大学病院にいられた期間は短く、独りでも何とかするだろうと思われたのか、九州各地の病院への派遣が続いた。常勤医は自分だけという場合もあり、外科全般どころか内科的な分野まで幅広く診ることになった。

国立がんセンターの研修から
肝移植手術という新たな道へ

4年ほど地方巡りが続き、さすがに大学に戻りたいと考えた嘉数氏は大学院入学を決めた。

「このときは研究もやり、大学病院では肝臓外科を診ていましたが、修了間近に指導教員が大学を去ることが決まり、突然新たな進路を考えることになったんです」

それなら一度は研修に参加したいと考えていた国立がんセンターを訪ね、しばらく肝臓外科を専門に学ぼうと考えを切り替えた嘉数氏は、上京を決意。同センターで半年ほど研修を受けた後、新たな進路が開けることになる。

「肝移植手術で世界的に著名な先生が信州大学医学部附属病院の肝臓外科に行くことになり、私も一緒にどうかと誘われたのです」

嘉数氏はこれを引き受け、病院のある長野県松本市に家族と共に移転。当時の同院は少数精鋭で、嘉数氏は病棟で患者の術前・術後管理を徹底するだけでなく、手術ごとに助手やカテ係、執刀医など必要な役割を担ったという。

「国立がんセンター、信州大学の病院でそれぞれ違う先生に師事しましたが、2人とも術前・術後の管理は非常に厳密で、水1ミリリットル、ナトリウム1メックまで指定通りに維持するのが当然でした。そのおかげで患者管理の何たるかを身をもって学びました」

さらに同院では生体肝移植にも取り組み、「我々は町のテーラーのように丁寧で高品質な手術を徹底しよう」とする指導教員のもと、幸運にも手術を成功させることができたと嘉数氏は振り返る。

「その後、私は知人の勧めで福岡大学病院の肝臓外科に戻って手術を行い、しばらくして信州大学時代の先生がいる東京大学医学部附属病院で肝臓移植手術を手伝うなど、先進的な医療分野に従事しました。しかし本来は父のような町医者が理想のはずで、50歳を迎えたときに市中病院に転職しました」

落ち着いたペースで
診療できる病院に転職希望

嘉数氏は千葉県の総合病院に4年勤めたほか、福岡県内や都内の医療法人本部で系列病院の支援や新病院立ち上げなどに奔走。

別の病院で健診業務、また違う病院では回復期リハ病棟の担当など、さらに多様な経験を積むことになった。

「この時期は精神的に孤独でしたね。自分が周囲を引っ張って何とかする役割なので、誰かに泣き言を言うわけにもいきません」

そうした折、家族が体調を崩したことから、自宅から通える病院への転職を検討し始めた嘉数氏。自らも落ち着いたペースで診療したいと考えていたこともあり、紹介会社にそうした条件に合う病院への仲介を頼んだという。

「沖縄生まれなので、今度は海の見える病院で働きたいとひそかに願っていたら、紹介されたのが『シーサイド病院』。これはもう決まりだと思いましたね(笑)」

AFTER 転職後

初めて診る介護療養の患者に
悩みながらも、適切な医療を
行う努力を続けていく

わからないことは聞く
それが患者のためになる

シーサイド病院に入職して半年が過ぎた嘉数氏だが、面談のため初めて同院を訪れた時のことは、今も鮮明に覚えているという。

「数百メートルも歩けば博多湾があり、高台の病院からは玄界灘も望めるロケーション。今度は海の近くに勤めたいと思っていた私は、もうワクワクの連続(笑)。建物は新しくないものの、隅々まで掃除が行き届き、この病院は職員に愛されていると感じました」

面談前に確認した募集条件も非常に合理的でごまかしがなく、管理職を務めた自分が見ても信頼できると思ったと嘉数氏。

「こちらは入職前提で面談に臨んでいましたし、当時の病院長と共通の知人がいるとわかってから話はさらに盛り上がりましたね」

ただ、前職でも回復期リハの病棟を診ていたとはいえ、こちらは療養専門の病院で病床数もはるかに多い。入職後は自分の流儀ではなく病院のやり方に慣れること、わからないことはすぐ医師やスタッフに尋ねることを心がけた。

「以前に師事した先生の『自分ができないことができる人は、すべて何かを教えてくれる先生だよ』という教えを守り、年齢に関係なく何でも質問しています。私の知識も豊かになり、何より患者さんのためになることですから」

同院の医師はその多くが内科に属するが、バックボーンとなる専門分野は多様でバランスよくそろっており、質問する相手に不自由しないと嘉数氏は評価している。

治療が患者を幸せにするか
悩みながらの診療も多い

現在の嘉数氏は介護病床の患者を中心に担当し、週1日は同じ医療法人のグループホーム利用者の外来診療も行っている。

「グループホームの利用者は比較的元気な方が中心で、万一病状が悪化したら当院の医療療養の病床に入院し、回復後はホームに戻っていただく流れができています」

一方で介護病床の患者は要介護度が高く、病気が複合しているなど難しい症状の方がほとんど。落ち着いていると思っていたら容体の急変なども起り、体調変化には十分留意する必要があるという。

さらに嘉数氏が診る中には意思表示が難しい患者もいて、その場合は家族の考えをもとに治療方針を決めていくことになる。

「なるべく延命をと考えるご家族も多いのですが、患者さんに手術に耐える体力があるのか、治療することがご本人の幸せなのかと、常に悩みつつ診療しています」

これを適切に判断するには周囲の協力が必要だと嘉数氏は考え、日頃から患者の身近にいる看護師や介護士に意見を求めている。

「当院はスタッフとの連携がよく、一つ聞けば二つも三つも答えてくれます。そうやって多くの意見を参考に、介護療養の精度をさらに高めることが当面の目標です」

家族との時間や趣味の時間を
楽しむことも増えた

もっと家族との時間を増やしたいと考えて転職した嘉数氏は、平日は定時に病院を出られ、土日はしっかり休める同院の体制のおかげで希望がかなったと満足げだ。

「それだけでなく、以前から趣味でやっていたジャズ演奏のバンドに充てる時間も増やせました」

同院に至るまで何度も転職を繰り返した嘉数氏は、きっかけは何であれ、最終的に自分で希望して転職したときは必ず得るものがあり、成長につながったという。

「肝移植手術も誘いを断らなかったから経験できたこと。しかも今回は紹介会社を利用したことで、自分がまったく知らない病院に出会うことができ、希望にあった転職ができました。何歳になっても常に新しいことに取り組み、自分を成長させたいと思っています」

看護師、介護士をはじめ多職種のスタッフとの密接な連携も自慢だ。 画像

看護師、介護士をはじめ多職種のスタッフとの密接な連携も自慢だ。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
高齢者の長期療養ニーズに応える

入院・通所のリハビリで
患者のQOL維持に注力

シーサイド病院の母体である医療法人永寿会は、東京都八王子市に2つの病院を設置後、1978年に同院を開院。同じ法人で精神科・心療内科の川添記念病院と連携し、福岡市西部や隣接する糸島市の高齢者医療に尽力している。

2018年12月に病院長に就任した杉﨑勝敎氏は、医療療養180床、介護療養233床の規模は福岡市でも類を見ないという。

「当院はそうしたメリットを生かして、病状が比較的安定した慢性期の患者さんのうち、高度な医療措置が必要な方、要介護度の高い方などを受け入れるほか、急性期病院での治療を終えた方のリハビリにも力を入れています」

退院後は施設や自宅での在宅療養に移れるよう、同院のソーシャルワーカーがきめ細やかな提案を行い、在宅時もQOLやADLの維持を目指して院内の通所リハビリなどが手厚く支援していく。

また高齢者医療では複数の病気が合併した患者を診ることも多く、医師は自らの専門性に関わらず幅広い対応が求められる。

「その点で嘉数先生は肝臓外科から救急、リハビリまで豊富な経験をお持ちで、柔軟に対応していただけるので助かっています」

加えて同院は看護師や介護士をはじめ各スタッフの意欲が高く、意思表示が困難な患者の経過や家族の希望も熟知しており、適切な治療に役立っているという。

「特にご家族が患者さんの治療にどんな考えをお持ちかを知ることは、ご家族の満足度向上のためにも重要で、それが自然にできるスタッフは当院の強みでしょう」

高齢者主体の療養型病院では、誤嚥性肺炎による容体の悪化が起こりやすい。そこで杉﨑氏は着任早々、同院の歯科部門による口腔ケアを徹底したところ次第に成果が出始めているという。

「私の専門が呼吸器内科だけに、誤嚥性肺炎の発症率低減が着実に進んでいることに安心しました。今後は介護療養病床から介護医療院への転換の検討も必要で、地域に根ざした高齢者医療にさらに貢献したいと考えています」

杉﨑 勝敎氏

杉﨑 勝敎
シーサイド病院 病院長
熊本大学医学部卒業後、九州圏の大学病院、国立病院、一般病院で広く患者を診療し、豊富な臨床経験を持つ。専門は呼吸器内科で、大学病院時代から一貫して院内感染対策に注力。各病院で同対策委員長なども歴任し、感染対策に精通する。60歳を過ぎてワークライフバランスを家族と相談して、自然豊かな同院に転職し、2018年12月から現職。現在も精力的に臨床に携わる。

シーサイド病院

九州大学の伊都キャンパス移転を機に開業したJR九大学研都市駅などが同院の最寄り駅。院内から博多湾沿いの景色も望めるなど自然豊かな環境を生かし、413床の療養病床を擁する病院として地域のニーズに応えている。同院の近辺には同じ医療法人の川添記念病院、居宅介護支援事業所、認知症グループホーム、通所リハビリテーション施設などがあり、これらは連携して急性期病院と在宅医療をつなぐ役割を担っている。診療面では内科とリハビリテーション科で患者を全般的にケアし、高齢の入院患者で心配される皮膚の疾患を診る皮膚科を設置。誤嚥性肺炎の抑制や健康寿命の延伸に貢献する口腔ケアを行う歯科も開設している。

シーサイド病院

正式名称 医療法人永寿会 シーサイド病院
所在地 福岡県福岡市西区今津3810
開設年 1978年
診療科目 内科、リハビリテーション科、
皮膚科、歯科
病床数 413床
常勤医師数 10人
非常勤医師数 11人
外来患者数 36.6人/日
入院患者数 349.5人/日
(2018年12月時点)