VOL.33

病理医から精神科医へ。
“直接患者の役に立つ喜び”を
転職によって手に入れた。

特定医療法人寿栄会 有馬高原病院 精神科 
畑中 薫
氏(70歳)

大阪府出身

1969年3月
大阪大学医学部卒業
1973年4月
同大病理学教室入局
1981年
国立循環器病研究センター臨床病理研究室入職
1986~88年
アメリカ・オクラホマ大学留学
1995年
塩野義製薬入社
2007年
有馬高原病院入職

学び続ける意志がある限り、医師は何度でも新しい領域にチャレンジできる。畑中薫氏は、リタイア後の第二の人生に、精神科を選び、有馬高原病院に転職した。求められるスキルも、勤務先の環境も大きく変わるキャリアチェンジである。しかし、ほどなくして患者に慕われ、同院に欠かせない存在となった。畑中氏の学ぶ意欲と、病院の手厚い教育体制がもたらした成果である。院長の吉川敦氏は、「転科した医師は、時に純粋な精神科医以上の洞察力がある」と語る。転科した医師だからこそできる医療が、病院を活気づけ、患者を救っている。

リクルートドクターズキャリア12月号掲載

BEFORE 転職前

医療崩壊が叫ばれる中、
医師偏在の解消に貢献するために転職を決意。

ひょんなきっかけで転職の縁ができた

みずみずしい草木が茂り、気持ちのよい風が吹く。豊かな自然に囲まれた「有馬高原病院」は、1970年の開設以来、地域に信頼され続けている精神科単科病院だ。

ここに、転職によって長年の夢をかなえた医師がいる。

畑中薫氏は、もともと病理学の研究医だった。大阪大学医学部を卒業後、同大学病理学教室、国立循環器病研究センター臨床病理研究室を経て、1995年から塩野義製薬(株)で医薬品の治験や安全管理等に携わっていた。

大きなキャリアチェンジを遂げたのは、同社をリタイアした2007年。ひょんなきっかけで有馬高原病院との縁ができた。

「ここの名誉院長は、かつて阪大病理教室の研究生でした。同門会の会合で私のことを聞きつけたそうで、精神科医として来ないか、と声をかけてくれました」

言うまでもなく、病理と精神科では仕事内容も必要とされるスキルもまったく違う。企業勤務医から病院勤務医へと転職することによる環境の変化も予想される。

リタイア後は、地域の社会貢献活動に時間を使おうと思っていた畑中氏は、「研修医時代を除いて聴診器を持って患者を診ることはありませんでしたから、私でいいのだろうか?と驚きました」と当時の心中を語る。

だが、かねてから胸に抱いていた問題意識が刺激された。病理医として活躍しているときも、精神科は常に気になる領域だったのである。

「もう40年前のことですが、阪大にいた頃、アルツハイマーの患者の脳の病変を神経病理学会で発表したことがありました。また、テレビのニュースなどで国内のうつ病患者が増えている、と報じられると『役に立ちたい』と思っていましたし、何か事件が起きたときは犯罪加害者の精神病理がどのようなものか学びたいとも思っていました」

病理の専門性を極めたとはいえ、精神科を学び直すことは容易ではない。だが、ベテラン精神科専門医のそろう有馬高原病院はオン・ザ・ジョブ・トレーニングが可能な環境だった。「ここなら、できることがあるかもしれない」と感じたと言う。

研究医から見た臨床医は毎日、患者の役に立っている

また、研究医として常々考えていたことも、背中を押した。

「研究の仕事は広域的で、社会の役に立つまで非常に時間がかかる領域です。iPS細胞のように、直接的な恩恵をもたらす研究は極めて例外的で、ほとんどは明確な成果を見ることのないままに終わります。そんな仕事の僕らから見ると、臨床医は毎日、患者の役に立っているように思えるものです。生身の患者に触れて話を聞いて、治療するという臨床医の仕事は、大きなやりがいを予感させました」

“役に立つ”という言葉は、畑中氏のキャリアチェンジを象徴する。

07年当時は、おりしも医療崩壊が社会問題として騒がれ始めていた頃だ。深刻な医師不足や医師の過重労働が社会問題となり、メディアで取り上げられることが増えていた。畑中氏は「地域による医師偏在には、国も困っているのではないでしょうか。国から医師免許をいただいた恩返しに、自分が役に立ちたいと思いました」と力を込める。

自宅のある大阪府箕面市から、有馬高原病院までは電車通勤で片道2時間近くかかる。毎日の通勤が体にこたえるのではと思われるが、それが足かせになることはなかった。

「医師のキャリア選択には、給与の高さや勤務の軽さだけでなく、『社会にとってどれだけ役に立つか』を選択基準にするという考え方も必要なのではないでしょうか。第二の医師人生として、精神科医療の臨床に貢献したいと思いました」

極めて利他的な動機による転職である。病理医から精神科医へ。研究医から臨床医へ。そして、企業勤務医から病院勤務医へ。さまざまな変化がともなうキャリアチェンジに挑戦することを決意した。

AFTER 転職後

転職後のトレーニングで精神保健指定医を取得。
患者に慕われる精神科医に。

真綿に水がしみこむように新しい知識が身につく感覚

「毎日の仕事が、ガラリと変わりました。目の前の患者がよくなることは、病理医だった頃には味わえなかった喜びです」

畑中氏は、かみしめるように語る。細胞を見つめる日々の病理とは異なり、精神科は一人ひとりの患者の人生に深く接する。そこには、主治医としての醍醐味がある。

「受診当初は理路整然とした会話にならなかった患者が、自分の治療によって回復し、退院する。そんな時に、臨床のやりがいを実感します」

転科を伴うキャリアチェンジは、新しい領域のトレーニングが必要だ。一般的に見れば、本人にとって大きなハードルに感じられるものである。

しかし、畑中氏の場合は、むしろ知的好奇心を駆り立てるものだった。『今日の治療指針』や『今日の治療薬』といった書物を買い込むところから始まり、精神保健指定医まで取得したというのだから、その熱意の強さは特筆すべきである。

「一から臨床の基本を振り返りました。もちろん、最初のうちは大変だと感じましたが、非常に新鮮な経験でした。まるで真綿に水がしみこむように、新たな知識が身についていきました」

前職で培ってきた経験が、臨床の現場で生きる場面も多い。

「薬の副作用に関しては、勘が働くというのでしょうか、塩野義製薬で安全管理に携わっていた際の知識が役立ちます」

畑中氏は、入職から3年がたった頃、一度、有馬高原病院を離れている。C型肝炎を患い、治療に専念するためだ。

「インターフェロン治療の効果がなく、入院して、新たに承認されたテラプレビルを含む3剤併用療法を受けてしっかりと治すことにしました。2012年7月に退職し、その後は順調に回復しました。これからどうするかと考え始めた翌年1月に『是非もう一度来て欲しい』と吉川敦院長から復職を求められました」

すでに病院に欠かせない存在となっていた

広大な敷地を誇る有馬高原病院。患者のリハビリに利用するグラウンドや野鳥園、農園などもある。
広大な敷地を誇る有馬高原病院。患者のリハビリに利用するグラウンドや野鳥園、農園などもある。

すでに畑中氏は、多くの患者に慕われ、有馬高原病院に欠かせない存在となっていたのである。病院の求めに対し、「私でお役に立てるなら」と快諾。週3日、非常勤医として復帰した。今後は、増加が見込まれる認知症患者の対応に力を入れたいと考えている。

「医師の専門性が問われる時代に、この病院は私の人物を評価してくれました。おかげで、精神を診たいという夢がかなった。体が動くまで、世の中に役立つ医療を実践していきたいですね」

一つの専門性を極めたら、次の道に向かう。医師のキャリアには無限の可能性があることを、畑中氏は教えてくれる。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
特定医療法人寿栄会 有馬高原病院 吉川敦氏

若い医師が転科し、入職するケースもある

有馬高原病院は、精神科の単科病院では珍しく、他領域の医師が多い。内科医は3名、整形外科医、皮膚科医、歯科医も1人ずつ在籍している。病院機能の充実とともに、キャリアチェンジを考える医師にとって、広く門戸が開かれている病院である。

院長の吉川敦氏は、病理医から転じた畑中氏の印象をこう振り返る。

「非常に真摯な姿勢で医療と向き合っている、それが、第一印象でした。転科であっても、精神科医として大いに活躍していただけることを直感しました」

転職する医師の側からすると、転科はハードルが高いように感じるものだ。しかし、吉川氏は「逆に長所」と捉えている。

「精神科の患者の多くは、何らかの合併症を持っています。内科やその他の専門領域を経て精神科に参入した医師は、時に、精神科医以上の洞察力を発揮して診察を行うことができます」

実際、畑中氏の他にも転科医師が複数名、在籍している。元内科医、元産婦人科医など、そのキャリアはさまざまだ。中には、40代前半の若さで精神科への転科を決めて入職する医師もいる。その医師は、患者の産後うつや更年期障害を診ていたことで、精神科に関心を持ったという。

人材育成に予算をかけ 研修や学会への出席を奨励

吉川氏が自信をもって転科を歓迎する背景には、盤石な教育支援体制がある。入職後は指導医がついて精神科医療の基本をレクチャーするほか、関心のある分野の研修や、学会への出席を奨励している。もちろん、出張費は全額病院負担だ。

「教育費予算を多く確保していることは、当院の特長の一つです。認知行動療法やアルコール依存症など、医師が学びたいことを全力でバックアップします」

学ぶ意欲の高い医師にとって、極めて居心地のいい環境だ。実際に医師の勤続年数は長く、吉川氏は22年。ほかにも勤続10年以上の医師は少なくない。

今後は、精神科急性期医療を中心にしつつ、高齢者への対応も充実させる方針だ。

「当院の所在する神戸市北部や近隣の三田市は、比較的若い住民が多いエリアですが、今後、急速な高齢化は避けられません。認知症や加齢によるうつの患者を、合併症に配慮して治療する体制を整えています」

2015年には、高齢者を対象にした精神科急性期病棟が完成する計画だ。高齢者に優しいハードを整備し、老年医学に精通した看護師を配置する予定とのこと。

「精神科を学ぶ意欲さえあれば、きっと当院で大きく飛躍できることでしょう」

時代の流れを読み、将来を見据えた経営方針は、転職を検討している医師にとっても安心である。

吉川 敦氏

吉川 敦
特定医療法人寿栄会 有馬高原病院 院長
大阪府出身。1989年、兵庫医科大学卒業。同大学精神神経科入局。91年より有馬高原病院に常勤医師として勤務。2006年、同院に併設する介護老人保健施設「青い空の郷」の施設長に就任。07年より現職。

特定医療法人寿栄会 有馬高原病院

1970年に創立した有馬高原病院は、精神科、神経科領域の全症例に対応している。2009年からは精神科救急も積極的に受け入れている。併接する介護老人保健施設「青い空の郷」、特別養護老人ホーム「愛寿園」との連携によって、老年期の精神科疾患への対応も充実している。若年期から老齢期までのすべての世代の患者を診ることができる。2015年には、高齢者の急性期精神疾患に対応する新病棟が完成の予定である。

特定医療法人寿栄会 有馬高原病院

正式名称 特定医療法人寿栄会 有馬高原病院
所在地 兵庫県神戸市北区長尾町上津4663-3
設立年月日 1970年4月1日
診療科目 精神科・神経科・心療内科・内科・歯科
病床数 精神科病棟396床
(うち精神科急性期治療病棟59床、精神療養病棟120床)、療養病棟59床
常勤医師数 10名
非常勤医師数 8名
看護師数 120名
外来患者数 1日平均50人
入院患者数 1日平均44人(2013年9月末日現在)