VOL.107

自らの将来を何度も問い直し
循環器の専門性を極める道から
総合的に診る内科のジェネラリストに

平塚市民病院
内科 片山 順平氏(39歳)

東京都出身

2006年
浜松医科大学医学部 卒業
2008年
富士宮市立病院 循環器科
2013年
洛和会音羽病院 総合内科
2017年
平塚市民病院 循環器内科 入職
2019年
同院 内科に異動

循環器内科と内科を何度も行き来して、自分の理想を追求した片山順平氏は、2度の転職、3度のキャリアチェンジを経験。現在は平塚市民病院の内科で多様な疾患を診療し、必要に応じて別の診療科につなぐ窓口役を務めている。「自分の見立てで患者さんに適切な治療を提供できることがうれしい」と語る片山氏が、どのようなキャリアの変遷をたどったのか追ってみた。

リクルートドクターズキャリア3月号掲載

BEFORE 転職前

高齢患者を診るための知識を
求めて循環器内科から内科へ
転職を機に循環器内科に回帰

治療の成果が分かりやすい
循環器内科を専門に選ぶ

神奈川県のほぼ中央、相模湾に面した平塚市の平塚市民病院に、片山順平氏は2017年に入職。当初は循環器内科、現在は内科で診療を行っている。医学部卒業後、循環器内科と内科を何度も行き来しながら、自分の進む道を模索し続けたと片山氏はいう。

片山氏の家族や親戚に医療従事者はおらず、医師を目指したのはマンガやドラマなどで興味を持ち、やりがいのある仕事に思えたからだと話す。医学部を卒業し、初期臨床研修を市中病院と大学病院で終えた片山氏は、出身大学の循環器内科に入局。富士宮市の関連病院で勤務することになった。

「もともと手先の細かな作業があまり好きではなく、以前から外科より内科志望でした。研修で両分野を経験して、やはり内科に進もうと決めたのですが、次は循環器内科と呼吸器内科で迷う状況に。そのとき先輩医師から循環器は治療の成果が分かりやすいと聞き、自分の仕事で結果を出せたらと循環器を選んだのです」

循環器分野では成長したが
一般内科の知識不足を実感

勤務した病院は大学のある静岡県西部とは対極の県東部に位置し、病床数は当時350床。市内で唯一の二次救急対応病院だった。

同院の先輩医師は、研修を終えたばかりの片山氏の主体性を生かしつつ丁寧にサポートしてくれ、成長させてくれたという。一方で当直では自分一人で診るケースも多く、救急患者への対処がスムーズにいかず、経験不足の自分には難しい場面もあったと振り返る。

「カテーテルなどの手技も次第に習熟しましたが、同時にほとんどが複合疾患となる高齢の患者さんを診るには、一般内科に関する知識が不足していると実感。もっと幅広い知識があれば十分な対応ができたのでは……といった気持ちも大きくなっていきました」

同院で5年ほど診療を続けた片山氏は、これまで経験を積んだ専門分野から離れることに悩んだものの、やはり次は総合内科を学ぼうと決意して医局と相談。卒後6年目以降の医師を対象に総合内科の教育プログラムを提供する病院に移る了解を得た。

ロジカルなアプローチや
正しい救急医療を学ぶ

その病院は京都市内にあり、総合内科医の教育に力を入れている点で知られていた。片山氏は同院の2年間の教育プログラムを受講。総合内科に熟練した医師も加わるカンファレンスなどを通じ、ロジカルな診療のやり方を身につけ、診断が難しい症例も手順を踏んでアプローチできるようになったと話す。加えて救命救急センターで救急科の専従医と働いた経験から、我流ではない正しい救急医療の対処法も学べたと片山氏。

「みなさん勉強熱心で、幅広い分野の知識を常にアップデートしているのが印象的でした。おかげで私も自分を磨く勉強を常に怠らないようになりました」

プログラム修了後も同院に2年間在籍し、さらに総合内科医として経験を深めた片山氏だったが、その間に子どもが生まれ、子育てのため自分や妻の実家がある関東地方に戻ろうと決めたという。

「当時は病院が非常に忙しく、家にいる時間があまりとれなかったので、仕事とプライベートのバランスを変えたかったのです。また転職を機に、一般内科の知識をもとに循環器内科で再度診療してみたいとの考えもありました」

子育てと循環器内科への
再挑戦のために転職を決意

子育てのために同じ病院で長く働く前提で、転職先は地域に根ざした医療を行う公的病院を優先したと片山氏。全国自治体病院協議会と連絡をとり、それぞれの実家に移動しやすい立地、救急医療を行っている、循環器内科がカテーテルばかりに偏っていない、などの条件で絞り込み、候補の中から平塚市民病院を選んだ。

「見学してみると循環器内科の雰囲気に親しみが持て、院内も活気があって興味を持ちました。それに平塚市は海に面するなど自然も近くて暮らしやすそうでした」

片山氏は京都市を離れ、2017年に同院に転職した。

AFTER 転職後

患者の訴えをじっくりと聞き
的確な診断と治療を行う
総合的な診療が理想になった

循環器内科から内科へ
院内でキャリアチェンジ

平塚市民病院は循環器内科、心臓血管外科、血管外科、放射線科が心臓大血管センターを構成し、各診療科が協力して心臓疾患や血管疾患の治療を行っている。

およそ5年ぶりに循環器内科に戻り、以前よりやや時間がかかってしまう手技もあったが、片山氏は勘を取り戻すように丁寧に診療に当たった。同院には心不全や心筋梗塞を含む複合疾患で入院する高齢患者も多く、また必要なときは救急患者の対応も行うため、以前在籍した病院での経験は大いに役立ったという。

「ただ、循環器の疾患はどうしても緊急の治療が多く、もう少し患者さんとじっくり向き合う診療に興味が移っていきました。カテーテルも人並み以上にうまくなる手応えを感じず、さほど積極的に続けたいと思わなかったのです」

実は転職の際、循環器内科だけでなく内科も担当できないかと病院側に相談したと明かす片山氏。だが忙しくなるのは目に見えており、ワークライフバランスの観点からも回答はNO。そのときは片山氏もあきらめたという。

「入職して2年が経ち、やはり内科のジェネラリストを目指したいと上長に相談して、循環器内科から内科への異動が決まりました」

自らの専門性を生かし
患者のプラスになる診療を

2019年4月から内科に移った片山氏は、月曜日午前中の初診外来、水曜日午前中の再診外来を担当。それまで担当していた患者のフォローのため、木曜日午前中は循環器内科でも診療している。

「何が専門であれ、どの医師も一般内科に関して最低限の診療はできるでしょう。ですから私の内科医としてのスペシャリティは、より的確な診断・治療によって入院期間が短く、予後がよくなるなど、患者さんに何かプラスになる診療ができることと捉えています」

自分が診た患者の中で、他の診療科で診るべき疾患と診断がつけば、そこにつなぐのも大事な役割と話す片山氏。それだけに診断困難だった症状の原因が分かり、患者が適切な治療を受けられるのが何よりうれしいという。

「しかし典型的な症状でないと、引き受ける医師からまれに『本当にうちで診る疾患なのか』と聞かれる場合もあります。それに対して事実をもとにロジカルに説明し、納得してもらうのも私の仕事。患者さんは診療科が変わると不安かもしれませんが、やはり症状に適した治療を受けていただくため必要と説明しています」

プライベートが充実し
実家を訪ねる機会も増えた

同院は病床数416床で救急をはじめ多様な診療科を持ち、やりたいことを周囲に相談すれば、チャレンジを後押ししてくれる気風も気に入っているという片山氏。仕事もほぼ定時に終わり、帰宅時刻は転職前より早くなった。

「妻や子どもと一緒にいる時間が増えて、休日もゆっくりできるのはありがたいですね。以前在籍した病院では勉強する時間がかなり必要で、どうしてもプライベートが削られましたから」

お互いの実家との距離も近くなり、家族一緒に実家を訪ねる機会もずいぶん増えたと笑う。

これまで2度転職し、循環器内科と内科で3度のキャリアチェンジを経験した片山氏は、どれも自分なりに納得のいく進路変更だったと振り返る。その経験をもとに、事前の見学や面談では分からないこともあり、実際に転職してみるのも大切とアドバイスする。

「転職後は思い悩まず、新たな環境に自分から思い切って飛び込んでいくのが肝心。その後は環境になじむまで、しばらく踏みとどまってほしいと思います」

片山氏も参加するカンファレンス風景 画像

片山氏も参加するカンファレンス風景

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域医療と市民の生命をまもるために

診療環境の整備や
人材育成にも積極的

平塚市民病院は神奈川県の湘南西部二次保健医療圏にあり、医療圏南部を占める平塚市、大磯町、二宮町の地域医療をカバーする。

同院小児科で30年近く診療を続けてきた山田健一朗氏は、2019年に病院長に就任。「断らない救急」を掲げる救命救急センターへの注力をはじめ、地域の中核病院として高度医療や急性期医療を中心に診療を行い、地域で完結できる医療を目指すと語る。

「公的病院が担う政策的医療の中で、当院は周産期医療・小児医療を充実させており、近隣の医療機関で小児医療が手薄になる中、小児救急に24時間対応できるのは医療圏内で当院のみです」

一時は小児科の医師が減ったが、平塚市などの支援で少しずつ回復し、現在は安定的に運営しているという。一方で内科は医師が不足気味であり、片山氏の内科への異動は歓迎だったと山田氏。

「循環器内科や総合内科も経験されているので、その知見を生かして活躍してほしいと思います」

同院は神奈川県がん診療連携指定病院で、がんに対する集学的治療・標準的治療を提供しているが、山田氏は将来はがんゲノム医療の導入も検討したいという。

また平塚市は平塚市民病院将来構想にもとづき、10年をかけて同院の整備事業を進め、2016年には新館が完成。救命救急センターや周産期・小児病棟を新館に移設するなど診療環境を整備したほか、屋上にヘリポートを備え、災害時や遭難などで負傷した患者への緊急対応も可能になった。

「当院は市民のための総合病院であり、地域医療の最後の砦です。そのためには健全な経営の維持を前提に、良質な医療を支える医療機器の導入や人材育成などは今後も前向きに行う考えです」

特に人材育成の面では、初期研修医や専攻医など若手医師の育成にも力を入れていると山田氏。

「もともと当院はみんなが意見を出し合う風通しのいい環境。そこに毎年研修医が入ってくると院内は活性化し、さらに働きやすい環境になると期待しています」

山田 健一朗氏

山田 健一朗
平塚市民病院 院長
1984年慶應義塾大学医学部卒業後、大学病院、関連病院などで診療。1992年から平塚市民病院小児科に勤務。小児科部長、副院長を経て2019年4月から現職。専門は小児循環器。日本小児科学会小児科専門医。

平塚市民病院

同院は50年以上も平塚市および近隣地域の医療に貢献してきたが、今後も安定的に継続を図るため、平塚市は既存棟の建て替え・改修を含む「平塚市民病院将来構想」を2008年に策定。10年をかけて整備事業を進めてきた。2017年には今後9年間の病院の方向性を示す新たな将来構想を策定し、地域医療への貢献を同院の理念とし、高度医療、急性期医療、政策的医療を担うことをミッションに掲げて診療を行っている。

平塚市民病院

正式名称 平塚市民病院
所在地 神奈川県平塚市南原1-19-1
開設年 1968年
診療科目 内科、外科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、神経内科、
腎臓内分泌代謝内科、緩和ケア内科、呼吸器外科、消化器外科、
血管外科、心臓血管外科、脳神経外科、乳腺外科、整形外科、
形成外科、精神科、小児科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、
眼科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、放射線診断科、
放射線治療科、病理診断科、救急科、麻酔科
病床数 416床(一般410床、感染症6床)
常勤医師数 90人
非常勤医師数 127人
外来患者数 829人/日
入院患者数 330.6人/日
(2020年1月時点)