VOL.28
社会医療法人財団 石心会 川崎幸病院 泌尿器科
木田 智氏(29歳)
千葉県市川市出身
千葉県内でも有数の進学校に通っていた高校時代、スポーツマンだった木田智氏は医師の道を選ぶ。東北大学医学部を卒業後、研修4年目には最愛の女性と婚約。順風満帆な医師人生のスタートかと思いきや、結婚後間もなく東日本大震災に見舞われた。同じ関東圏出身の木田氏と婚約者は、震災を機に、生まれ育った故郷近くでの暮らしを希望する。若さゆえ頼る術が見当たらなかった木田氏は、迷うことなく斡旋会社に登録。わずか3ヵ月後には新天地に立つ。「執刀する件数は、同年代より明らかに多い」と日々の研鑽を喜ぶ木田氏の表情は、充実感であふれていた。
リクルートドクターズキャリア11月号掲載
取材が行われたのは、木田氏が執刀した手術直後。にもかかわらず、木田氏から疲れの色は微塵も感じられない。充実した日々のお陰か。
木田氏が医師を志したのは、身近な出来事がきっかけだった。
「高校時代、バスケットボールのクラブに所属し、怪我ばかりしていました。整形外科の先生にお世話になり、通院を重ねるごとに、『医師は格好いいな』と思うようになったのです。高校2年の終わりごろには、医学部への進学を決意していました」
身近な医師への憧れから、自らも医師への道を歩み始めた木田氏。持ち前の明晰な頭脳に磨きをかけ、東北大学医学部に合格する。
木田氏は、地元から離れた大学に進学した多くの若者がそうであるように、人生初のひとり暮らしを謳歌することになる。
「バスケットや友だちとのつき合いに明け暮れ、大学3年までは自由気ままな生活を送っていました(笑)」
だが、5年生になり臨床実習が始まると、医師への目が開かれる。そして、実習を通じ「臨床医に興味をかき立てられた」そのころ、木田氏の祖父が膀胱がんで他界した。
「祖父の死の直後、泌尿器科をローテートし、ベッドサイドの実習が始まりました。祖父の死因の影響があったのでしょう、自然と他科よりも熱心に取り組む自分がいました」
木田氏は予習復習を欠かさず実習に臨んだ。すると実習への理解がさらに深まる。理解が深まると、いっそう面白さが広がる。学業向上の好循環に入った木田氏は、泌尿器科に傾倒していった。
「学問的な興味はもちろんですが、泌尿器科には穏やかな先生が多い印象があり、医局全体の雰囲気も良く、ますます泌尿器科に入りたいと願うようになりました」
明確な目標を見出した木田氏。東北大学の卒後研修は外部の医療機関で臨床を経験した後、医局に戻るシステムで、木田氏は自ら研修先を探し求めた。そして、東北大学から福島県の白河厚生総合病院に派遣されている泌尿器科専門医の喜屋武淳氏と出会う。深い感銘を受けた木田氏は、初期研修と後期研修の前半までを喜屋武氏のもとですごした。
大学医局に戻り、予定どおり後期研修の後半に勤しんでいた木田氏を襲ったのは、後に人生の岐路の要因となる東日本大震災だった。
「卒後4年目に婚約をしたのですが、入籍する直前に、震災が起こりました。結婚後、いったんは東北地方に居を構えましたが、震災直後の不安定な中での新生活は困難をきわめ、妻と2人で何度も話し合いを重ねた結果、故郷に近い土地での暮らしを選ぶ決心をしました」
退局理由を包み隠さず医局に報告した木田氏には、当初、怒号や呆れ顔が寄せられもしたが、最後には皆から応援の声をもらったという。
「先輩方に、いろいろな思いや考えはあったと思います。それでも、やがて、『木田先生の人生だから』と言ってくださり、転職先との面接時間の融通さえしていただいた。懐の深い、温かい医局だからこそ去るのは辛く、この医局に恥じない職場を見つけなくてはと、肝に銘じました」
木田氏が斡旋会社に登録したのは、2011年7月。登録後間もなく担当スタッフから条件に添う医療機関リストを渡されたとき、「とてもひとりでは探せなかったと深く感じ入りました」と木田氏は話す。
「医師歴が短く、頼るつてもない。しかも東北地方にいたため、関東圏にある病院の知識は皆無と言っていいほどでした。自分も含めて医師は世間の事情に疎く、仕事人間ほど転職は難しいのではないでしょうか。それゆえ、親身に相談に乗ってくれるスタッフの存在は心強く、慣れているプロを頼るのは納得のいく選択肢のひとつだと実感しました」
川崎幸病院への入職は2011年10月。斡旋会社のスムーズなサポートもあり、登録からわずか3ヵ月余りでのスピード入職だった。
同院を選ぶ決め手になったのは、面接時に上司たちから感じた"デキる気配"だったという。
「泌尿器科顧問の林哲夫先生を筆頭に、野田泰照先生、石川覚之先生に面接していただきました。
3人の先生方の第一印象がとても良く、柔らかな物腰に接した瞬間、『すごく仕事ができそう』と直感したのです。有能な医師が放つオーラを感じたと言うか・・・。『泌尿器科チームを盛り上げていこう』という、皆さんの気概もひしひしと伝わってきました。わずかな時間でしたが、面接が終わるときには、自分もこのチームの一員になりたいと切望していました。すぐに入職の決意は固まりました。」
現在は、沖田竜治氏も泌尿器科に加わり、常勤5人体制で診療から執刀まで行っている。
「全体の仕事量は、大学医局のほうが多かったのかもしれませんが、ひとりの患者さんを入院から退院までトータルで診られるなど、当院では自分がかかわった治療の成果が目に見えることが何よりうれしいですね。
自ら執刀する手術件数が格段に増えたこともあり、仕事が楽しく、充実した毎日を送っています」
泌尿器科の医師5名は、チームワークを大切に、日々診療にあたっている。前列左より泌尿器科部長代行の野田泰照氏、診療部長兼泌尿器レーザー治療センター長の林哲夫氏。後列左より沖田竜治氏、石川覚之氏、そして木田氏。
木田氏は入職して間もなく1年。今後の抱負をたずねると、てらいもなく、まっすぐな目で「野田先生のような医師になりたい」と語った。
野田氏とは、前述の面接に立ち会った木田氏の上司のひとりだ。
「野田先生は手術の腕が良く、仕事が早い。オンとオフの切り替えも明確で、たまに焼肉をごちそうしていただいたりもします(笑)。
仕事に厳しい野田先生は、怒ると怖いですが、それも自分を思ってくれてのこと。心から尊敬できる上司に恵まれ、本当に幸せだと感謝しています」
野田氏の話になると、木田氏の目は輝きが増す。
「近々の目標は、医師としてひとり立ちしつつ、チームの和を保ちながら、患者さんに最適な治療を提案できるようになることです。
いずれは、チーム全員が充実して仕事に打ち込めるよう、快適な職場環境を整えられる野田先生のような存在になりたい。今は整えてもらっている環境に甘えている立場ですから(笑)。
後進が入ってきたとき、自分が野田先生にしていただいたことを彼らにできるようになりたいですね」
良き医師には、必ず良き師がいる。師の背中をまっすぐ追う木田氏が、近い将来、同院を支える医師に成長することは間違いないだろう。
今年6月に川崎駅のそばに新築移転した川崎幸病院は「断らない救急」を合言葉に、地域の命の砦となっている急性期病院である。同院の泌尿器科の医師は現在、常勤5名、非常勤4名。外来、入院、執刀をチーム体制で行っている。
木田氏が敬愛してやまない上司の野田泰照氏が、泌尿器科の概要を解説してくれた。
「当科では、外来にいらしている患者さんが手術入院となった場合は、外来担当医が執刀するシステムを採用しています。主治医制のように受け止められますが、違います。入院中の患者さんは科全員で診るチーム体制を構築し、夜間もオンコール担当の医師以外はしっかり休めます」
主治医制のメリットは言うまでもなく患者の経過を担当医師が全把握できる点だが、裏を返せば365日24時間待機を強いられるのもやむを得ない。それよりも、全員が全員の患者を把握すれば、経過も同様に理解でき、緊急時にも対応しやすい。野田氏は堅固な結びつきを持つチーム体制を実践している。
「顧問の林先生を除くと、スタッフは30代、40代が中心で、木田先生はいちばん若い20代。若さを生かしながら、チームワークを大切にしてくれています」
同科では、月曜と金曜の午前中に全員カンファレンスを行い、回診後の意思統一を図っている。その際、執刀担当医は、「自分のやりたい治療方針を明示する」のが原則だ。患者のための治療法を解き調べ、最善を考え発表する。そして、チーム全体で最適な治療を検討する。この一連の作業が医師の土台づくりになると野田氏は信じている。
「自分の頭で考える習慣を身につけなくては、医師としての自立につながりません。『これ、やっておいて』は、指示するほうも受けるほうも楽ですが、どういう治療をしたいか、まずは考えてもらっています。
木田先生は物おじせずに、自分の意見をはっきり話すので、考え方も理解でき、指導もしやすいですね。
手術の際には、必ずいっしょに入り、手術計画を宣言してもらい、その場で善し悪しを指示します」
自らの頭で考えさせる指導法は、顧問の林先生から受け継いだものだ。「充実している」との木田氏の確信に満ちた言葉は、この指導法と切り離せない。
「今後は、スタッフ全体の底上げをしていきたいですね。たとえば、木田先生が泌尿器科一般の技術を修得すれば、次のステップとして全員で新しい分野に取り組めます。
新病院に生まれ変わり、新たなチャレンジに挑む時期でもあるので、次へと行けるよう後進の教育にはさらに力を入れたいと思っています」
1998年に一般外来を「川崎幸クリニック」として分離し、さらに2012年6月には地域医療の要の救急医療と、それを支える高度医療に特化した急性期病院である「川崎幸病院」を現在の地に新築移転した。救急に重きを置く特色を引き継ぐとともに、新病院では地域で最高水準の医療をめざす、6つの「高度先進医療センター」を開設。川崎駅前という恵まれた立地、免震構造の建物の信頼性を生かし、次世代の医療を切り拓く施設になっている。
正式名称 | 社会医療法人財団石心会 川崎幸病院 |
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所在地 | 神奈川県川崎市幸区大宮町31-27 |
設立年月日 | 1973年6月 |
診療科目 | 内科、外科、循環器内科、脳神経外科、心臓血管外科、 放射線科、麻酔科、泌尿器科、消化器内科、呼吸器内科、 糖尿病・代謝内科、腎臓内科、人工透析内科、 消化器外科、内視鏡外科、腫瘍外科、肛門外科、 乳腺外科、病理診断科、救急科、腫瘍内科 |
病床数 | 326床 |
常勤医師数 | 74名 |
非常勤医師数 | 約40名 |
外来患者数(クリニック) | 1,050人/日 |
救急車受け入れ台数 | 727台/月(新病院に移転後) ※去年度は553台/月(2012年9月現在) |
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