VOL.55

子どもの頃から夢だった
海外医療協力を実現し、
日本での仕事、生活とも両立。

新生病院
整形外科 医長 酒井 典子氏(41歳)

福岡県出身

1999年
信州大学医学部卒業
2000年
信州大学整形外科医局入局
2001年
飯田市立病院
2003年
信州大学医学部附属病院
2008年
長野県立こども病院
2009年
安曇野赤十字病院
2011年
新生病院 非常勤勤務
2012年
新生病院 常勤医として入職

「いつかは海外医療協力を」と憧れながらも、日々の生活や日本での仕事を考えて躊躇する医師も少なくないはず。酒井典子氏も、その1人だった。しかし、非常勤先の病院でバングラデシュに訪問するチャンスをつかみ、夢を実現させた。普段は、長野県小布施町の地域医療。年1回はバングラデシュと、2つのやりがいある仕事をうまく両立している。

リクルートドクターズキャリア11月号掲載

BEFORE 転職前

シュバイツァーを読んで
アフリカでの医療支援に憧れ、
医学の道を志した

1ヵ月間のアフリカ滞在で直面した現実の厳しさ

「小学生の頃に読んだシュバイツァーの伝記が、医師を志したきっかけです。医療の乏しいアフリカにわたって多くの人を救った勇気に憧れました」

新生病院(長野県小布施町)整形外科の酒井典子氏は、まるで昨日のことのように、自らの原点を語る。「海外で医療協力をしたい」

その夢をかなえるべく、信州大学医学部在学中に、アフリカを訪れた。1ヵ月間ほど滞在し、現地の医療環境や、住民たちの生活状況に触れた。しかし、現実の厳しさを目の当たりにする。「当然のことですが、医師として一人前でなければ役にたちません。技術を身に着けるには、日本の病院に勤務したほうがいいのですが、何ヵ月も休みをとって海外協力に出掛けることはなかなかできません。それに、結婚や子育てとの両立も非常に難しいと思いました。では、すべてなげうってアフリカに行くかというと、それも現実的ではありませんでした」

医学部を卒業後、整形外科の医局に入り、いくつかの関連病院を回りながら自身のキャリアを考えた。その間も海外医療協力への夢が色あせることはない。結婚・出産をへて、2011年11月から新生病院で非常勤医として勤務している時に、チャンスが訪れた。「当院名誉院長で整形外科医の橋爪長三先生は、ハンセン病患者に対する整形外科治療で著名な医師で、大学の大先輩です。病院の活動の一環として、バングラデシュで医療支援をされており、かねて一緒に行かせていただきたいと思っていました。それがかなったのです」

2週間にわたってバングラデシュに滞在した。メンバーは、整形外科医3人と手術室の看護師。そして、当時、同院の泌尿器科医だった宮崎亮氏がコーディネーターとして同行した。宮崎氏は、30年以上にわたって夫婦でバングラデシュの医療支援を行っている。国際医療協力に関心のある医師がリスペクトする存在だ。「学生時代に宮崎先生の著書を読んでおり、バングラデシュに一緒に行けると知った時は『あの本の先生だ!』と驚きました」

「体を治して働きたい」現地民の切実な思いに応える

バングラデシュでは、北部のジョイラムクラ村にある「ジョイラムクラ・クリスチャン病院」を拠点にし、無料で医療を提供した。遠くから来る患者も含め、100人近くも押し寄せた。住民の多くは生活が困窮しており、一部の富裕層を除いて、診察費を払うことが容易ではない。また、自国の医師が外国に流出していることもあって、医療を受けられる機会は極めて貴重なのだ。「なんとか体を治して働けるようになりたい。そうした切実な思いを抱え、私たちの医療に一生を懸けている患者さんが大勢いました」

酒井氏が主に担当したのは、自身の専門分野でもある足の整形外科手術だ。現地では、貧困による母親の栄養不足などが原因で、足に先天性の奇形がある人が少なくない。また、交通事故にあって足が変形したままのケースもある。日本のような医療設備はないが、煮沸消毒をしたり、手動のドリルを使ったりして工夫を凝らし、患者たちを救った。「手術ができる人数には限りがありますが、歩けたり、歩きやすくなったりする姿を見ると本当に嬉しかったですね」

帰国後、橋爪氏から「常勤で新生病院に来ないか」と打診された。同院の主軸は地域医療だが、毎年、秋に10日~2週間ほどバングラデシュで医療協力を行っている。日本での仕事や生活に大きな影響を与えずに、海外協力ができる貴重な環境だ。酒井氏は、キャリアチェンジを決意する。「整形外科医として超急性期病院で手術をしたい気持ちも、ゼロではありませんでした。でも、そうした医療をする医師は他にもいます。私は、海外協力をしながら日本の医療も続けたい。子どもたちが育つ小布施町で、住民のゆりかごから墓場までを守る地域医療に貢献したいとも思いました」

12年4月、改めて新生病院に常勤医として入職し、整形外科医長に着任。幼い頃からの夢をかなえる奮闘が始まった。

AFTER 転職後

なぜ長野県は長寿なのか?
400人を10年間追跡調査する
「おぶせスタディ」に参加

住民の運動器の状態を調べロコモとの関連を探る

酒井氏が常勤医になり、4度目の秋を迎えた。バングラデシュへの訪問も4回を数え、国際医療協力にもだいぶ慣れてきた。「毎年、同じ病院を拠点にしていますから、前年に対応しきれなかった患者と再会し、約束通り手術ができることもあります」

整形外科だけでなく、形成外科のチームと一緒に渡航することもある。形成外科医の寺島左和子氏は「NGO世界の医療団」の理事として知られる。診療科は異なっても、お互いに協力しながら現地に医療を届けている。

一方で、普段の酒井氏は小布施町の地域医療に全力を尽くしている。火曜は丸1日、手術を行い、月水木金曜は午前中が外来で、午後が手術だ。「患者の中心は高齢者ですが、橋爪先生のネームバリューもあって県外から若者や子どもの患者も訪れます。難しい手術の症例もあり、勉強になります」

毎週土曜は、14年にスタートした「おぶせスタディ」のための住民検診を実施している。信州大学と小布施町、そして新生病院が協働で行っているコホート研究だ。「長野県の平均寿命は男女ともに全国1位ですが、健康寿命では順位を下げています。なぜそうなのか、10年にわたって追跡調査します。人口約1万1000人の小布施町はコホート研究に適した規模ということで、白羽の矢が立ちました」

具体的には、50歳から90歳までの町民400人の協力を得て、骨や関節など運動器の状態を測定し、ロコモティブシンドロームなど要介護となる要因との関連を調査する。協力者の食生活や職業歴などとの関連も調べる。

おぶせスタディは地元紙の一面に大きく取り上げられ、町でも期待している。住民への啓蒙のために、酒井氏自身が病院の広報誌に連載記事を持ったり、町民向けの講演活動をしたりもする。

仕事もプライベートも妥協しない働き方

さらに、酒井氏は15年4月から診療部長と医療安全・感染予防管理室長も兼任している。毎週、信州大学の医局から研修にやって来る若手医師を指導したり、病院運営に尽力したりする。また、最近では橋爪氏の教えを教科書にまとめる取り組みも始めた。橋爪氏が培ってきた手や足の手術の知見を一冊にまとめ、後世に伝えようとしているのだ。

日々、多方面で活躍し、多忙を極める酒井氏だが、地域のコミュニティーに溶け込むことにも積極的である。「なるべく患者の近くにいたいので、町民運動会などの行事に参加しています。そうした場では、本当に大勢の患者と顔を合わせることができます。地域医療を提供していくうえでは、やはり住民の中に入っていくことが大切だと思っています」

また、プライベートでは子育ての真っ最中だ。いつも子どもの寝る夜9時頃までには帰宅する。特に忙しい日は、早朝4時に出勤して一仕事し、6時にいったん帰宅して子どもと朝食をとり、再び7時に出勤する。

幼少期からの夢をかなえ、同時に地域医療にも貢献しながら、プライベートも妥協しない。一見、パワフルなようだが、物腰は柔らかく、決して力んでいない。そんな働き方を、酒井氏は「いつも、自分が後悔しないようにと思っています」と笑顔で語る。今、キャリアを考えている医師に向けて、こんなメッセージを寄せた。「海外協力に興味があっても、日本での仕事や生活とのかねあいで、なかなか行けない医師も多いと思います。でも、両立する方法はきっとあるはずです。ぜひ、日本で身に着けたスキルを海外で生かしてほしいですね」

バングラデシュで訪問する「ジョイラムクラ・クリスチャン病院」の仲間たちと。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
海外協力で「医療の原点」に触れる病院

医学的に洗練された高齢者医療を実践したい

長野県北部に位置する新生病院は、長年にわたり地域の二次救急医療を守ってきた。近年は超高齢化社会の流れに伴って、新たな役割を担っている。院長の宮尾陽一氏はこう語る。「地域の診療所と協力してプライマリケアを担いながら、重症例を三次救急病院につなぐ“ハブ病院”としての機能と、訪問診療に力を入れています。患者の生活を見ると、自分たちが病院で提供している医療の質が分かります。現実を見ながら医学的に洗練された高齢者医療を実践していきたいと考えています」

これまでの一般病棟、回復期リハビリ病棟、療養病棟、緩和ケア病棟に加え、最近では、新たに地域包括ケア病床も開設した。「できるだけ間口を広げて、地域完結型の医療を目指しています。充実した地域包括ケア体制を構築し、他に発信していきたいですね」

その一方で特長的であるのが、やはり海外医療協力だ。同院の前身は、カナダの宣教師団の善意によって設立された結核療養所だったこともあり、開発途上国への支援に意欲的である。定期的に、アフリカと東南アジアに医師や看護師を派遣している。

宮尾氏は、自らも外科医としてタンザニアに赴き、足かけ6年にわたり、手術や現地の医師の育成に携わってきた。その経験から、海外医療協力は医師にとって大きな学びがあると実感している。「言葉や文化が違っても、医療に求められることは世界共通です。途上国での医療は『医療の原点とは何か』を教えてくれます。患者を治す喜びに触れるだけでなく、時に無力感に直面することもあり、学びになるのです。また、限られた資源の中での医療は、今後の日本の医療のあり方を考えるヒントも与えてくれます」

地域医療で診療の腕を磨きながら、海外での医療協力ができる同院は、どこに行っても通用するスキルを身に着けることができる。“いつかは海外で……”

心のどこかのそんな思いを、新生病院でかなえることができる。

松本 裕史氏

宮尾 陽一
新生病院 院長
熊本県出身。1979年千葉大学医学部卒業。同大学医学部附属病院第一外科入局。千葉県内の大学関連病院において勤務。89年国民健康保険軽井沢病院に外科医長として着任後、副院長、病院長を歴任。05年同病院退職後、関東近郊の医療機関を拠点として在宅医療に従事する。12年4月から現職。JOCS日本キリスト教海外医療協力会、新生国際医療協力基金等の派遣により、バングラデシュ、ネパール、カンボジア、インドネシア、インド、タンザニアにおいて海外医療協力活動を精力的に続ける。

新生病院

1932年、カナダ聖公会が資金と人材を日本に送り、新生病院の前身である「新生療養所」が開設された。当初は結核療養所として、多くの人を救った。その後、時代の流れとともに役割が変わり、68年には現在の総合病院として生まれ変わった。近年は、地域のプライマリケアに力点を置きながら、重症例を高度病院につなぐ役割を担う。また、キリスト教の精神に基づく病院として、「すべての人に仕える病院」「癒しと看取りの医療」を使命とし、ホスピスケアにも力を入れている。同時に、海外医療協力にも積極的に関わり、途上国に医療を届けている。

特定医療法人 新生病院

正式名称 特定医療法人 新生病院
所在地 長野県上高井郡小布施町851
設立年 1932年
診療科目 内科、消化器内科、消化器外科、外科、小児科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、
泌尿器科、放射線科、整形外科、形成外科、歯科、歯科口腔外科、麻酔科、
婦人科、リハビリテーション科、肛門外科、循環器内科
病床数 155床
常勤医師数 14人
非常勤医師数 21人
外来患者数 217人/1日(14年度平均)
入院患者数 142人/1日(14年度平均)
(2015年9月時点)