VOL.96

100人の外務省医務官とともに
在外邦人のメンタルケアを
充実させ、海外での活躍を支援

外務省診療所
精神科 鈴木 満氏(63歳)

神奈川県出身

1982年
岩手医科大学医学部 卒業
同学部神経精神科学講座 入局
1986年
岩手医科大学大学院医学研究科博士課程 修了
1987年
英国国立医学研究所(NIMR)神経生物学部門 留学
1992年
帰国後、岩手医科大学医学部神経精神科学講座
講師、助教授、准教授を歴任
2009年
外務省 入省(本省診療所 精神科)

精神科の中でも、神経細胞移植による再生医療の可能性を探る研究に従事していた鈴木満氏は、英国への長期留学で確かな研究成果を得ると同時に、現地で在外邦人のメンタルヘルス問題の重要性を再認識。それが外務省への入省につながったと言う。本省に日本初の在外ストレス相談室を開設し、世界各地にいる在外邦人の活躍を支援する鈴木氏に取材した。

リクルートドクターズキャリア4月号掲載

BEFORE 転職前

イギリス留学が転換点
脳神経研究を深めると同時に
在外邦人支援の重要性に気づく

法学部をやめて医学部に
新たな環境に心が躍る

学部や分野、国境、文化といったボーダーをいくつも越え、40年近く多文化間メンタルヘルスの支援活動を推進してきた鈴木満氏。2009年には外務省に入省し、在外邦人のメンタルケアを支える仕組み作りに心を砕いてきた。

「私が医学部に入ったのは東京都内の大学に在学中、友人の死という鮮烈な出来事に直面したため。学んでいた法学部をやめて岩手医科大学に移り、上野駅から8時間かけて、啄木と賢治を生んだ盛岡駅に着いたとき、不思議なワクワク感に包まれました」

そうした高揚感は、医師となって訪れた国・地域の駅や空港で何度も感じてきたという鈴木氏は、新奇性を追求する遺伝子が自分の中に刻まれているのだと笑う。

卒業後は1年間の臨床研修を経て、神経解剖学講座で基礎研究に携わった鈴木氏。その頃は脳神経移植法による研究で、「損傷後の自己修復が非常に困難」とされていた脳の中枢神経に再生医療の可能性が見え始めており、新奇性を好む鈴木氏に最適な分野だった。また国内外の研究者が訪れる多文化環境の研究室にいて、鈴木氏は留学にも興味を持ったという。

「研究を始めて1年に満たない時期でしたが、大学院で指導を受けていた川村光毅教授から英国国立医学研究所(NIMR)への短期留学を勧められ、神経可塑性研究の権威であるDr.Raismanが主宰する神経生物学研究室で、脳神経細胞の移植手技を磨きました」

確かな成果を得た長期留学が
在外邦人支援のきっかけに

帰国した鈴木氏は引き続き川村教授のもとで脳神経の研究を進め、大学院修了を翌年に控えた夏休みに再度NIMRを訪れた。

「大学院に提出予定だった学位論文の草稿をDr.Raismanに見せて説明すると、非常に興味を持たれたらしく、ここで長期間研究しないかと誘っていただきました」

新たな高揚感の中、鈴木氏は日本に戻って学位論文を仕上げ、博士号を取得。長期留学に向けて準備を進めていった。

それからNIMRに移った鈴木氏は、1987年から5年間研究に従事することになる。大脳白質内に細胞移植を行い、移植細胞の成長と宿主脳との関係を調べるプロジェクトにも加わり、留学中に書いた論文は『Grey'sAnatomy』に掲載されるなど高い評価を得た。

「脳神経の研究と並行して、現地で研修を受けていた日本人精神科医が集まる親睦会や、邦人精神科医の会にも参加。これらは親交を深めるだけでなく、在留邦人から相談されたケースを共有し、検討するなど、臨床例の研究会的な役割も持つようになりました」

英国の日本大使館にいた医務官(医師)の依頼で、メンタルヘルスが不調な邦人と面談する機会もあったと鈴木氏。在留邦人のメンタルケアの重要性を再認識し、留学中の邦人医師、教育者、聖職者などを集めたシンポジウム「英国在留邦人の精神保健対策」も開催するなど、鈴木氏は留学を契機に、新たな分野に分け入ることになった。

100万人超の在外邦人を
支援するため外務省に入省

1992年に帰国した鈴木氏は、NIMRでの経験を生かして神経生物学の研究チームを発足。自らの研究を深めながら、大学院生の指導にも力を注いでいく。

一方で在外邦人のメンタルヘルスの支援活動も国内で本格化し、1993年に自らも発起人の一人となった「多文化間精神医学会」がスタートする。鈴木氏は同学会の在留邦人支援委員会を務め、世界各地の邦人コミュニティでの調査なども活発になっていった。

「さらに日中は大学病院の臨床業務もあるため、夜間を研究に充てて顕微鏡を見ていると、若い当直医から相談の電話が入って中断。週末は学会活動で国内外に出張と、非常に忙しく過ごしました」

ほかにも日本精神科救急学会で在外邦人の精神科救急問題の担当、岩手県の産業保健推進センター(当時)での産業医と多様な業務を兼任してきた鈴木氏は、50歳を過ぎて、自分が最も力を入れたいと考える「在外邦人のメンタルヘルス支援」に活動を絞ることを決意。その当時で100万人を超えていた在外邦人の支援を目的に、2009年に外務省に入省した。

AFTER 転職後

在外邦人のメンタルの不調に
適切な情報提供を行い
海外生活の不安を減らしたい

海外でメンタルケアが
必要なときに情報を提供

鈴木氏は外務省の本省診療所で精神科を担当し、その主な業務は国内外にいる外務省職員のメンタルヘルス対策だ。海外では大使館や領事館などの在外公館に赴任している外務省の医務官と連携し、公館の職員やその家族のメンタル面の不調をケアしていく。

「医務官が直接的に健康管理を行うのは公館職員とその家族が中心。ただ、現在約140万人といわれる在外邦人に対し、メンタルヘルスを支援する何らかの拠点が必要なことは間違いありません」

正式な統計はないが、国内より海外在住の日本人の方がメンタルヘルスの不調を訴える割合は多いように思うと鈴木氏。気候も言葉も文化も違う環境が、在外邦人への強いストレスになることは容易に想像できる。外務省に入省したのも、そうした拠点作りには省庁の力が欠かせないからだと言う。

すでに鈴木氏は数年前に本省に日本初となる在外ストレス相談室を開設し、在外邦人全般のメンタルヘルスの問題と対策に関する事例を収集。必要なら現地の医務官を通じてメンタルケアに詳しい医療機関の情報を提供するなど、在外邦人を支援する仕組みを稼働させている。

「在外邦人の多くは日本企業の現地法人などに勤めており、そうした企業人のメンタルヘルスを考える際には、産業医の経験が非常に役立っています。また世界各地の医療事情の違いなどは、世界100都市以上を訪問して行った調査・研究、精神科救急の臨床経験のおかげで理解が進みました」

すべての経験が外務省の業務に生きていると鈴木氏は振り返る。

外務省医務官の経験が
多文化への気づきに生きる

さらに鈴木氏はJAMSNET(ニューヨークに本部を置く邦人医療支援ネットワーク)の関連団体となるJAMSNET東京の立ち上げに参画。その直後の2011年3月に東日本大震災が起きた。同年5月にはJAMSNETとJAMSNET東京との間で「東日本大震災被災地への長期メンタルヘルス支援」をテーマにテレビ会議を行い、長期支援の共同プロジェクトが立ち上がった。

「JAMSNETは外務省診療所の所長を務める仲本先生が、在ニューヨーク日本国総領事館の医務官時代に中心となって立ち上げた団体。私が活動している多文化間精神医学会の在留邦人支援委員会の縁で、以前から親交が深かったのです」

そのつながりも外務省入省のきっかけと鈴木氏は笑う。

外務省の医務官は在外公館を中心に活動しているが、今は在外邦人だけでなく在日外国人も増え、生まれた場所とは違う国・地域で暮らすことが当たり前になりつつある時代だと言う鈴木氏。

「これからは国内の医療現場にも多様な文化や価値観が入ってくるはずで、互いの違いを感じ取る力(cultural competence)が必要になるでしょう。外務省の医務官はそうした能力を磨くには最適な職場だと思います」

また公的業務とは別に、鈴木氏の心に大きなウエートを占めるのが東日本大震災被災地の支援だ。鈴木氏は震災直後から被災地に通い、現在は自ら立ち上げた認定NPO法人「心の架け橋いわて」の活動として、週末は岩手県大槌町等でボランティアを続けている。

「この活動は外務省の許可も得ていますが、精神科医による被災地支援というより、昭和の後半に安定した暮らしを送ってきた世代の責任として、被災地と向き合う気持ちが強くなりました」

在外邦人や被災地住民に対するメンタルヘルスの支援活動は、多様性に共感する多文化間精神医学のアプローチが役立つという点で共通していると鈴木氏。

「どちらも日本の未来に貢献する活動という実感がありますね」

2014年のカサブランカ出張時に撮影 画像

2014年のカサブランカ出張時に撮影

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
職員や在外邦人のメンタルケアに注力

広域メンタルヘルス担当官が
近隣の医務官を支援する

外務省の医務官は在外公館の職員やその家族の健康管理を中心としているが、メンタル面の不調を相談に来るケースは多い。世界各地の在外公館を経て、外務省診療所の所長を務める仲本光一氏はそう言い、鈴木氏のように多文化間精神医学、精神科救急、職域メンタルヘルスケアなど幅広い経験を持つ人材を得たことで、在外邦人のメンタルヘルスへの対応は次第に充実してきたと評価する。

「ただ、医務官は精神科の主治医の役割ではなく、産業医的な業務が中心。在外公館という職域の中で、効果的なメンタルケアをどう行うかは重要な課題になります」

このため同省では広域メンタルヘルス担当官をバンコク、パリ、南アフリカ、ニューヨーク、サンパウロに置き、近隣の医務官をサポートしている。むろんこの統括役となるのも鈴木氏だ。

在外公館にいる約100人の医務官のうち2割ほどは精神科医だが、ほかは外科、内科、救急医学、小児科など、各医務官は多様な専門性を持っている。このため精神科に限らず、各自が専門性を生かしてメールや電話でコンタクトを取り、協力してサポートし合う体制が整っていると仲本氏。

「世界に広がる100人の医局のようなもの。現地の医師は自分だけでも、心強いチームがバックアップしてくれるのです」

こうした健康相談の業務以外では、現地で国際医療に従事する日本人と日本の協力機関とのつなぎ役を果たし、国際貢献に間接的に携わるケースもあるようだ。

さらに現地の最新の医療情報を収集し、日本に伝えることも医務官の重要な役割だ。そのためには現地病院や現地保健省などを積極的に回り、良好な関係を築いておくことが重要で、これは人間性を磨く経験になるだろうと仲本氏。

「さらに今後はトラウマとなる災害・事故等に遭遇した在外邦人へのサイコロジカル・ファーストエイドの提供も重要で、東日本大震災後のボランティア経験も豊富な鈴木先生の協力も得て、人材育成に取り組みたいと考えています」

仲本光一氏

仲本光一
外務省診療所 所長
弘前大学医学部卒業後、横浜市立大学医学部第二外科学教室(現 消化器・腫瘍外科学)に入局し、外科医として神奈川県内の公立病院で勤務。1992年外務省入省。ミャンマーに始まり、アジア、アメリカ、アフリカなどの大使館・総領事館に医務官として勤務。JAMSNET(邦人医療支援ネットワーク)等の設立に参画。2014年より現職。

外務省診療所

外務省の本省内には診療所があり、同省に勤務する職員の診療を行っている。ここではプライマリケアのほかメンタルヘルスケアも重視し、ストレスチェックも同所の精神科医が担当。各省庁で進む働き方改革のフロントランナーを目指している。また途上国にある大使館や総領事館など在外公館の多くに医務室が設置され、医務官が配属される。基本業務は担当地域に勤務する公館職員とその家族の健康管理で、在留邦人に対する健康相談にも対応する。加えて現地の医療事情を積極的に調査し、病院の診療科や医療機器設置状況、現地で注意すべき感染症などの最新情報をまとめ、外務省のホームページに「世界の医療事情」として国民に提供する役割も担っている。

外務省診療所

正式名称 外務省診療所
所在地 外務本省 東京都千代田区霞が関2-2-1
診療科目 一般診療、精神科
医務官数 107人(外務省全体)
配置公館数 全271在外公館のうち以下の98公館に配置
アジア・太洋州地域/23公館
アフリカ地域/34公館
中近東地域/12公館
北米・中南米地域/17公館
欧州地域/12公館
(2019年3月時点)