VOL.31

母の死から立ち直れたのは
周囲の支えがあったから。
今は私が患者とその家族を守る。

社会医療法人蘇西厚生会 松波総合病院 後期研修医 
栗本 美緒
氏(27歳)

岐阜県出身

2011年3月
岐阜大学医学部卒業
2011年4月
岐阜県総合医療センター 初期研修医
2013年4月
松波総合病院 総合内科後期研修医

松波総合病院総合内科の栗本美緒氏は、後期研修1年目。弾けるような笑顔で日々、研修に打ち込んでいる。同世代の医師の多くが専門特化した領域に進む中、あえて総合内科を選んだ理由。それは、愛する母の早すぎる死だった。それまではまったく別の職業に就くことを考えていたが、母を失ったつらさと、支えてくれた周囲への感謝を糧に一念発起。猛勉強を経て医学部に入学した。診療のモットーは、患者だけでなく、その家族も含めて支えること。常に、「もしも自分が患者家族だったら?」と自問自答し、時間を見つけてはベッドサイドに足を運ぶ。総合内科医としての道はまだ始まったばかりだが、患者を思う気持ちだけは誰にも負けない。一歩一歩、確かめるようにしながら前進する。

リクルートドクターズキャリア9月号掲載

BEFORE 転職前

"病気"ではなく"人"を診る、
全人的な医療を目指して総合内科の道を選んだ

なぜ娘の私がギリギリまで母の病状を知らされないのか

大切な人との別れ、そして出会いが医師のキャリアを決定づけることがある――。

2011年、岐阜大学医学部を卒業した栗本美緒氏は、地元の中核病院である岐阜県総合医療センターで初期研修を受けた。「その頃、祖母が体調を崩していたため、実家にいたかったのです。また、同院は母の入院などで以前から身近な存在でしたので、どんな病院か知りたい気持ちもありました」と振り返る。

各科をローテートし、それぞれの専門分野に触れる経験は充実していた。同じ初期研修医たちが循環器だ、消化器だと専門分野決め談義に花を咲かせる中、栗本氏は「麻酔科に惹かれていました」と言う。だが、ほどなくして専門特化した領域は自身 が望む医療と異なることに気づく。

「色々な科を見ましたが、全人的に治療する総合内科を選びました。身体だけでなく、心理面や社会的状況まで踏まえて、患者さんとその家族を支える医師を目指しています」

背景にあるのは、高校2年生の冬、最愛の母を胃がんで失った経験だ。

「母はまだ40歳で、がんが見つかったのは亡くなる1年前でした。よくある話ですが、私と弟は『胃潰瘍だ』と聞かされていて、当然、治るものだと思っていました」

状況が一変したのは、母親が息を引き取る1ヵ月前。主治医から「もう、お母さんは家に帰れないんだよ」と告げられた。その時の絶望感は、今も鮮明に覚えている。

「なんで娘の私が、こんなにギリギリになるまで事実を知らされなかったんだろうと、悔しさでいっぱいでした。お見舞いに行くたびに、母は弱っていきます。その姿を直視するのがつらくて、病院に行きたくても行けない日が続きました。数学の授業中、急に呼び出されるまでは」

息を切らして病院に駆けつけると、母親はこん睡状態に近かった。だが、栗本氏がベッドサイドに立った時、うっすらと目を開けた。

「『やりたいことを、やりなさい』。母はそう言い残しました」

とことん患者に寄り添い、家族の気持ちに耳を傾ける総合内科医としての原点が、ここにある。

学生時代の院外実習でかけがえのない師に出会う

栗本氏は、医学部6年生の院外実習で松波総合病院を訪れている。そこに、現在のキャリアへとつながる出会いが待っていた。

「総合内科部長の村山正憲先生は、まさに私が目指している医師像そのものでした。患者さんへの接し方はいつも穏やかで、家族背景や社会歴、生活歴を丁寧に問診します。“病気”ではなく“人”を診る診療は、学生から見ても明らかに特別でした。患者さんとの距離がとても近く、ご家族も村山先生を信頼している雰囲気がひしひしと伝わってくるのです」

自身もそうした医師になることを目指して、後期研修先には松波総合病院総合内科を選んだ。

だが、初期研修が後半にさしかかった頃、栗本氏にピンチが訪れる。岐阜県総合医療センターで、母のカルテを目にしてしまったのだ。

「どうしても気になり、カルテ開示をしたのですが、そこには私が知らなかった母の苦しみが克明に記されていました。お見舞いに行ったときは、決して『痛い』と言わなかったのに、実は壮絶な病苦と闘っていたのです。どうしてもっと側にいなかったんだろう。毎日でも顔を見て、母の気持ちを聞いてあげればよかったと、後悔の念があふれ、私はもう二度と笑顔になれないのではないかと思いました」

ショックを受けた栗本氏は、後期研修についていく自信を失いかけた。意を決して村山氏に打ち明けると、こんな答えが返ってきた。

「1年、2年休んだって大丈夫。来年には新しい病棟が完成する。その頃に来たっていいじゃないか」

心の底に染み渡る安堵感と、理想の医師と出会えた幸福感。「落ち込んでばかりいられない」。栗本氏は再びしっかり立ち上がり、松波総合病院での後期研修を歩み始めた。

AFTER 転職後

主治医制のやりがいと、
科全体で診療をしている安心感が両立された研修環境

後期研修医1年目でもすぐ主治医になれる

「しばらくは上級医の横について学ぶと思っていたのに、4月からさっそく主治医にしてもらえたんです」

後期研修の様子を、栗本氏は声を弾ませて語る。「主治医」という存在には人一倍思い入れがあるのだ。

「自分で検査を決めて、鑑別して、治療した患者さんが治る。この喜びは、主治医の特権であり最大の魅力だと思います。もちろん、大きなプレッシャーが伴いますが、それを上回るやりがいがあります。私がこの患者さんを守る、という感覚をいつも大切にしたいと思っています」

松波総合病院には、教育を重視する風土が根付いている。栗本氏のような若手が安心して第一線に立つためのフォロー体制は万全だ。

「女性医師として尊敬している10年目の先生がオーベンについてくださり、いつでも相談に乗ってもらえます。ほかの先生方も、『最近、疲れているみたいだけど大丈夫?』と声をかけてくださり、研修医にとって非常にありがたい環境です。最終的な治療方針は主治医が決めますが、総合内科全体で診療しているような安心感があります。また、診療科間の垣根が低く、他科の医師にも相談できます。コメディカルの方々の助けも大きな支えになっています」

臨床の基礎力を養う「総合プロブレム方式」

毎週木曜に開催される総合内科のカンファレンス。
毎週木曜に開催される総合内科のカンファレンス。

臨床医としての基礎力を確実に身に着けるためのシステムも整っている。総合内科部長の村山氏が導入した「総合プロブレム方式」がそれだ。

「患者さんのヒストリー(病歴)とフィジカル(身体所見)に基づき、考え得る問題点をすべて洗い出して病態生理を分析します。内科疾患だけでなく、白内障など他領域の疾患も含めて、患者さんがなぜ困っているかをトータルで考える発想です」

まさしく、栗本氏が求めている全人的な医療のフレームである。一人ひとりの患者の背景に思いをはせ、総合的に治療する実践は、栗本氏と患者との距離を確実に近づけている。

「皮下腫瘤の主訴で来院した70代の女性が、検査をしてみたら乳がんの転移だったケースがありました。すでに末期で、私にできることは胸水を抜いたり眠剤を投与したりと対症療法しかなく、1ヵ月後に他界されました。でも、亡くなる直前まで『ありがとう』とおっしゃっていて、ご家族も『栗本先生に診てもらって良かった』と言葉をかけてくださって。思わず病棟で涙が出ました」

亡き母が残した「やりたいことを、やりなさい」という言葉を、日々の臨床で体現している栗本氏。将来のキャリアは、大きな夢を描いている。

「留学して、アメリカの総合医の考えを学んだり、『国境なき医師団』に参加して、途上国の医療支援に貢献したいですね。自分の体が持つ限り、医療が必要なところで役に立ちたいのです」

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
社会医療法人蘇西厚生会 松波総合病院 総合内科部長 村山正憲 氏

臨床医にとっての基本はベッドサイドが教えてくれる

総合内科部長の村山正憲氏は、もともと内分泌代謝を専攻していた。だが、約20年前に「臨床の師」と呼べる医師に出会って以降、総合内科医に転身した。現在、同科の医師数は10人。前出の栗本氏に対しては、こんな印象を抱いている。

「非常に真摯な姿勢で医療と向き合っていますね。よくベッドサイドに足を運び、患者や家族の声を熱心に聞いています」

研修中の栗本氏に主治医としての役割を与えたのは、“臨床医はベッドサイドから学ぶ”との信条からだ。

「ただ見ているだけでなく、責任とやりがいをセットにして初めて医師は成長します。ベッドサイドに立って患者の歴史や家族の気持ちを聞き、課題を解決する。この繰り返しが、臨床医としての力になるのです。本当は、初期研修医も主治医のマインドを持ってほしいと思っています」

同時に、総合内科医として成長するには、知識や経験だけでなく、ものごとを合理的に考えるツールが必要だと、村山氏は強調する。

「日々の診療で精いっぱいになると、『何でも診るけれど、何も治せない』ということになりかねません。一定の尺度でものごとを捉える習慣は非常に大切です」

そこでキーになるのが「総合プロブレム方式」である。明確に定義づけされた用語と、カルテ書式に則って患者のプロブレムリストを作る。村山氏も所属する内科学研鑽会が考案した診療様式だ。

「プロブレムリストを作成する過程では、自分の頭で問題を整理して考えなくてはなりません。同じ書式で文書化することで、他の医師との情報共有も促進され、科全体の成長に寄与します」

思考を整理し、診療を客観視するためのプレゼンテーション

また、村山氏は定期的なカンファレンスを開催して、医師のプレゼンテーション能力の向上を図っている。

「毎週月曜は初期研修医のカンファ。木曜は総合内科のカンファを開催し、医師たちが症例報告などのプレゼンを行っています。人前で発表するには、症例のポイントを見極め、要約する力が問われますから、普段の診療を冷静に客観視することにつながります。当院では研修医の到達目標の1つにしています」

同科の医師数は徐々に増えている。彼らの向上心とスキルを高めるために、院内でのプレゼン大会や、国内外への留学など、さまざまな施策を打ち立てている。さらにもう1つ、村山氏が意識していることがある。

「人間は誰しも、理性と感情で動いています。気分よく医療に当たるためには、明るい雰囲気を保つことが、ことのほか大切です。栗本君が来てから、現場がパッと明るくなりましたね。彼女の笑顔には、周囲を元気づける力があります」

村山 正憲氏

村山 正憲
社会医療法人蘇西厚生会 松波総合病院 副院長・内科部長 兼
総合内科部長 兼 地域医療介護連携センター センター長
大阪府出身。1980年岐阜大学医学部卒業後、同大学第3内科に入局。医局人事により複数の病院で経験を積んだのち、92年岐阜県立岐阜病院(現・岐阜県総合医療センター)総合内科に入職。06年同院同科部長。2009年より松波総合病院に赴任し現職。

社会医療法人蘇西厚生会 松波総合病院

松波総合病院は地域の中核病院だ。救急医療や高度な先進医療だけでなく、一般急性期医療にも対応している。1994年から臨床研修指定病院に指定され、現在44医学会の認定専門医研修指定施設となっている。高い専門性を有した指導医が揃い、若手医師の研修の場として充実した環境が整う。勤務医の海外留学支援や、離職したり退職した医師の復帰をサポートする「リフレッシュ医学教育」といった制度も設けている。2014年7月には新病棟が完成し、救急医療の強化・充実ならびに療養環境の向上が予定されている。

社会医療法人蘇西厚生会 松波総合病院

正式名称 社会医療法人蘇西厚生会 松波総合病院
所在地 岐阜県羽島郡笠松町田代185-1
設立年月日 1988年2月
診療科目 総合内科、内科、呼吸器内科、循環器内科、
神経内科、血液内科、小児科、放射線科、
外科、整形外科、脳神経外科、呼吸器外科、
心臓血管外科、形成外科、肛門科、皮膚科、
泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、
リハビリテーション科、麻酔科
常勤医師数 107名
非常勤医師数 約30名
外来患者数 1日平均815人
入院患者数 1日平均364人