VOL.120

自らの力を存分に発揮して
「患者のための医療」を貫き
地域医療の要となる存在に

羽生総合病院
循環器科 髙橋 暁行氏(53歳)

東京都出身

1992年
慶應義塾大学医学部卒業
同大学病院 内科
1994年
亀田総合病院 内科
1995年
静岡赤十字病院 内科
1996年
慶應義塾大学医学部 呼吸循環器内科 入局
(現在は循環器内科と呼吸器内科に分化)
2000年
平塚市民病院 循環器内科
2001年
Texas A&M大学医学部
Cardiovascular Research Institute 留学
2003年
さいたま市立病院 循環器科
(現 循環器内科) 科長
2009年
足利赤十字病院 循環器内科 部長
2014年
足利赤十字病院 総合診療内科 部長
2015年
古河病院(現 古河総合病院) 循環器科 部長
2019年
羽生総合病院 循環器科 部長

循環器内科が専門の髙橋暁行氏は救急医療にも力を入れ、地域の中核病院などで活躍。多忙を極めたが「目の前の患者さんを救うのが医師の仕事」と充実した日々を送ってきた。そうした働き方をこれからも貫きたいと考え、現在は医局を離れ、徳洲会グループの羽生総合病院でその力を発揮している。医師を目指した当初から変わらない髙橋氏の思いと、コロナ禍での医療のあり方などを聞いた。

リクルートドクターズキャリア4月号掲載

BEFORE 転職前

循環器内科から内科全般へと
広がった自分の知識・経験を
急性期医療に生かす

子どもの頃に診てくれた
医師に憧れて医療の道へ

目の前にいる患者を救いたいとの思い。それは羽生総合病院(埼玉県)循環器科に在籍する髙橋暁行氏が医師を目指した原点であり、「今も同じ気持ちで医療現場に立ち続けています」と話す。

髙橋氏に医師への憧れが生まれたのは子どもの頃。家族ぐるみで診てもらっていた医師が、自分や弟の具合が悪ければ夜中でも往診するなど、常に患者を大切にしてくれるのが嬉しかったと髙橋氏。

「その先生に医師への道を勧められ、高校生のときは心臓の病気で入院していた祖母から医師になってほしいと頼まれて、自然に医師を目指すようになりました」

医学部を出た髙橋氏は研修医1年目のときに循環器内科に興味を持つ。もとは外科志望だったが、以前から腰が悪かった自分には長時間立ち続ける手術は難しいと感じ、内科に視点を移したと話す。

「当時は患者さんが亡くなってしまうような循環器疾患が、カテーテル治療のほかに、薬でも治せる時代になりつつあり、外科と同様に患者さんを最後まで治しきれる点に魅力を感じました」

髙橋氏が、患者を断らない医師になろうと決心したのも研修医時代だ。研修先の病院にいた医師が「目の前で患者が苦しんでいるなら、それを救うのが医者だろう」と話すのを聞いて、自分が昔から思い描いていた医師の理想像は間違っていないと確信したと言う。

医療現場の最前線で
医局の方針に疑問を持つ

研修を終えた髙橋氏は母校の呼吸循環器内科に入局。大学病院に4年ほどいた後は、地域の中核病院の循環器分野で経験を積み、カテーテル治療の腕を磨き、さらにアメリカの心臓血管専門部門に留学するなど視野を広げた。

帰国後は埼玉県の地域医療を担う500床規模の病院で、循環器の治療と救急医療に従事する。

「この頃は、とにかく患者さんが来たら必ず引き受けると決め、それを実践していました。夜中に救急外来から呼ばれたらすぐに駆けつけて、目の前の患者さんの命を救うことに一生懸命でしたね」

幼い頃に夜中でも往診してくれた医師や、研修先で多大な影響を受けた医師と同じように、自分も患者のために必死になって働きたいとの思いで、常に医療現場の最前線にいたと話す髙橋氏。

医局の指示で次の病院に移った後も同じ姿勢を貫いていた髙橋氏だが、次第に医局の方針に疑問を持つようになったと振り返る。

「2010年を過ぎると、周囲の働き方との協調をもっと意識するよう医局から求められることが増えました。私はそうしたスタンスでは、救える患者さんも救えなくなるという強い信念があり、そろそろ医局から離れるタイミングだろうと感じていました」

ケアミックスから急性期へ
徳洲会グループ内で異動

初めての転職活動は勝手が分からず、人材紹介会社を頼ったと話す髙橋氏。複数の会社に登録して、「救急車を断らない」など自分の働き方に合う病院を探してもらい、茨城県の古河病院に入職した。

髙橋氏は同院の循環器科部長として心臓カテーテル治療など循環器分野の治療を行うのはもちろん、内科全般も幅広く診療した。「当初から循環器の患者さんを3割、内科の患者さんは7割診ようと考えていました」と語る髙橋氏。

「医療資源が不足しがちな地方の病院ほど何でも診る医師が必要になり、自分の専門外は診ないと言うなら、目の前の患者さんは救えないと分かっていました」

また、髙橋氏も多様な内科疾患に対する治療を久しぶりに経験でき、循環器以外の高齢者医療に取り組む機会にもなったと言う。さらには社会福祉制度の仕組みにも詳しくなり、患者の在宅復帰を考えた助言も可能になった。

こうして広がった知識と経験を急性期医療で生かしてみたい、患者の見方や治療の選択肢も以前とは変わるのではないか、と髙橋氏は考えるようになったと話す。

「50代になって、もう一度急性期病院で力を試したいと思い、勤め先の病院が所属する徳洲会グループの中で異動を希望。その願いがかない、2019年から羽生総合病院で診療を続けています」

AFTER 転職後

地域の中核病院として
患者を断らないために
循環器5割、内科5割で診療

病院での診療の入口となる
内科の充実が急務

羽生総合病院は埼玉県北部、群馬県と隣接する地域にあり、24時間対応の二次救急、放射線治療までカバーしたがん治療をはじめ、多様な診療科で地域医療を支えている。髙橋氏は、そうした診療の入口ともいえる内科の充実が急務だったと、異動当初を振り返る。

「もともとは急性期医療に力を入れるつもりでしたが、地域の中核病院である限り、腹痛など各種の不調を訴えて内科を受診される患者さんを断る訳にはいきません。ですから当院での診療は循環器科が5割、内科が5割の診療になるだろうと覚悟を決めました」

内科の患者の一部を髙橋氏が診ていくことで、ほかの医師の負担が減って適切な診療が可能になり、落ち着いたらまた患者を引き受けてもらう。そうやって医療の質を維持しながら内科の受診者数を増やすことで、病院全体の受診者数増につながったと髙橋氏は言う。

「とはいえ、私だけで診療するにはキャパに限りがあります。循環器科の鈴木先生も、私と同じように患者さんがいれば診るという考えで、一緒に頑張ってくれるのがとても有り難いですね」

目の前の患者を救うのは
新型コロナでも同じこと

同院では新型コロナウイルス感染症の患者を可能な限り受け入れているが、先導役となったのも髙橋氏だ。その理由について、「新型コロナであっても、目の前にいる患者さんを救うという考えは変わらない」とごく自然に話す。

「当院はECMOを備え、同感染症を診られる環境も整えることができます。それなのに患者さんを受けないという選択肢は、私には考えられませんでした」

当初は自分だけで同感染症の患者に対応していたが、入院患者が急増したときはECMO2台、人工呼吸器6台を同時に管理することになり、さすがにサポートが必要になったと言う髙橋氏。大学時代の同級生に軽症患者を診てもらい、自身は病院の外来を減らすなど、一時的に診療の負担を軽減することで何とか乗り切った。

なお、同院では2020年11月に敷地内に発熱外来専用の建物を開設。ドライブスルー方式で患者を受け入れて診療を行ってきた。

「病院内でも、新型コロナの患者さんを受け入れてどうなるのか心配した人もいましたが、患者数の減少で苦しかった当院の経営を、国からの補助である程度支えられたのはよかったと思います。私も副院長として職員の生活を守れたので、ひと安心です」

心臓血管外科との連携で
高度な治療もできる環境に

髙橋氏の専門である循環器科ではカテーテル治療が中心だが、今後は心臓血管外科との連携をさらに深めて、困難な症状の治療にも取り組みたいと意欲を見せる。

「これまで手術が必要な患者さんは、別の病院に送るしかありませんでしたが、心臓血管外科の開設で高度な循環器治療も可能な環境が整いました。しかし同科の手術を増やすには、循環器疾患の患者さんを今より多く紹介いただくことが必要。その窓口となる循環器科が、地域の医療機関から信頼を得られるよう、確かな診療を続けることが大切と考えています」

救急車や新型コロナの患者をすべて受けられた。難しい局面にもうまく対処できた。これからもそんなふうに、患者のために毎日一生懸命働き続けるだろうと髙橋氏は自分の将来を予測する。

「いつもクタクタになって自宅に戻り、休みは日曜日だけなので、家族と過ごす時間はあまりありません。ただ、娘も新型コロナへの対応については頑張っていると評価してくれて、それが最近嬉しかったことですね(笑)」

カテーテル治療の準備を行う髙橋氏 画像

カテーテル治療の準備を行う髙橋氏

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域医療のすべてを担う病院へ

地域のニーズに合わせて
今後も柔軟に発展する

1983年に166床の病院としてスタートした同院は、幾度かの増床と診療科および設備の拡充を経て、2018年に現在の新病院に移転。院長の松本裕史氏が長年構想を練り、医療現場の意見も積極的に採り入れたことで、使いやすく医療安全にも配慮した病院になったと松本氏は言う。

「しかしこれで完成ではなく、医療ニーズに合わせて今後も柔軟に発展していくことが、地域医療を守る当院の務めと考えています」

同院は地域で完結する医療を目指し、新病院の完成により医療の柱としているがん治療、救急医療、健診部門がさらに充実した。

がん治療はCT、MRI、血管造影といった検査機能に加え、新病院では放射線治療を開始。緩和ケア病棟も備え、同院で患者を一貫して診ていける環境が整った。

救急医療ではスーパーICU並みの設備を持つHCUの開設、循環器系診療科の充実などで、重症患者の救急搬送も増えている。

「循環器科は脳神経外科と並ぶ救急医療の要の一つ。髙橋先生が循環器科に来られ、2020年に心臓血管外科も新設したことで、さらなる活躍を期待しています」

さらに松本氏は、髙橋氏が循環器科に限らず、内科や新型コロナウイルス感染症の救急患者にも対応することに感謝していると話す。

「当院は断らない救急医療を掲げており、目の前の課題から逃げず、患者さんを診ていただける髙橋先生は、地域の信頼に応えるために重要な役割を担われています」

健診部門には上部・下部内視鏡、マンモグラフィ、ABUS(乳房用エコー)に加え、PET−CTも導入し、これまで以上に病気の早期発見・治療に努め、地域の健康寿命の延伸に貢献していく。

病院としてはまだ6割の完成度で、今後も新たな医療設備の増強のほか、回復期リハビリテーションや地域包括ケアに必要な増床なども計画していると語る松本氏。

「急性期だけでは地域のニーズに応えられない面があり、当院だけで患者さんの在宅復帰までカバーすることを目指しています」

松本 裕史氏

松本 裕史
羽生総合病院 院長
1984年群馬大学医学部卒業後、三井記念病院、国立がん研究センターを経て、1990年から群馬大学医学部附属病院外科。1991年伊勢崎市民病院外科医長に就任後、2002年同院外科部長。2003年から現職。専門は胸部外科(肺)および消化器外科(食道)。

羽生総合病院

同院は、北埼玉地区の医療環境の充実を目指して設立された埼玉医療生活協同組合を母体とし、羽生市、医療法人徳洲会の協力を得て1983年に開設された。以来40年近く、「断らない救急医療」をはじめ、多様な診療科で地域に貢献してきた。2018年5月には現在地に新築移転して院内の医療設備やアメニティが大きく向上。地域完結の医療という理想に近づいた。関連施設に県西北部の皆野病院(150床)、県内各地にクリニックや福祉施設があり、地域の医療と福祉を包括的に支える。

羽生総合病院

正式名称 埼玉医療生活協同組合 羽生総合病院
所在地 埼玉県羽生市下岩瀬446番地
開設年 1983年
診療科目 内科、呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、
血液内科、漢方内科、外科、呼吸器外科、
心臓血管外科、消化器外科、整形外科、脳神経外科、
小児科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、
皮膚科、泌尿器科、放射線科、放射線治療科、
病理診断科、臨床検査科、歯科口腔外科、
救急科、麻酔科、神経内科
病床数 311床(一般311床、うちHCU10床、緩和ケア14床)
常勤医師数 52人
非常勤医師数 20.92人(常勤換算)
外来患者数 620人/日
入院患者数 250人/日
(2021年2月時点)