VOL.105

治療の初期から終末期まで
充実した緩和ケアにより
その人らしい生き方を支援

新生病院
緩和ケア内科・外科 森廣雅人氏(49歳)

千葉県出身

1995年
千葉大学医学部卒業 
同第一外科(現 臓器制御外科)入局
千葉大学医学部附属病院 第一外科
1996年
茨城県 県西総合病院
(現 茨城県西部メディカルセンター) 外科
1997年
国立がんセンター東病院
(現 国立がん研究センター東病院) 
骨盤外科 レジデント
2000年
国立がんセンター東病院 
骨盤外科 シニアレジデント
2002年
千葉大学医学部附属病院 第一外科
2003年
君津中央病院 外科
2004年
さいたま赤十字病院 外科
2005年
軽井沢町国保軽井沢病院 外科 外科医長
2009年
長野県立須坂病院
(現 長野県立信州医療センター) 外科 
第二外科部長
2015年
新生病院 緩和ケア内科 外科 入職

大学病院やがん専門病院、地域の中核病院などで20年もがん治療に従事した森廣雅人氏が、現在取り組むのは緩和ケアだ。「高度な治療でも治せないがんや再発した患者さんを診る中で、外科では手の打ちようがなくても、緩和ケアならその人や家族を支援できると気づきました」。がん治療の経験は緩和ケアでも大いに生かせると言う森廣氏に話を聞いた。

リクルートドクターズキャリア1月号掲載

BEFORE 転職前

がん専門病院での経験も含め
がん治療の第一線で20年過ごし
緩和ケアの重要性に気づく

大学病院や関連病院、
がん専門病院で診療に従事

大学病院やがん専門病院、各地の中核病院の外科で、20年間がん治療の第一線にいた森廣雅人氏。治療が難しくなった患者にも最期まで寄り添うため、緩和ケアの重要性を痛感するようになり、2015年に緩和ケアが充実している新生病院(長野県)に転職した。

森廣氏が医師を目指したのは、自分をかわいがってくれた祖父を病気で亡くしたからだと言う。

「看病していた祖母が、『病院の先生には本当にお世話になった』と感謝する様子を見て、小学生ながら医療分野に魅力を感じ、医師になろうと決めました。医学部合格を祖母に知らせたときは、涙を流して喜んでくれましたね」

卒業後、森廣氏は大学病院や関連病院を経て、国立がんセンター(当時)のレジデントに採用され、シニアレジデントも含め同東病院で5年間の診療経験を積んだ。

同院での所属は下部消化管のがんを主に診る骨盤外科で、豊富な症例を診る中で診断・治療の腕は飛躍的に向上した。加えて胃や肝胆膵のがん治療、病理検査、内視鏡検査など、先進的ながん医療を多様な分野で体験するプログラムも組まれ、その幅広さと奥深さに圧倒されたと森廣氏は振り返る。

「私の目標は祖父を治療した病院のような地域の中核病院で、がん治療を中心に外科全般の医療を担うことでした。そうした病院では国立がんセンターのような専門医療を行うのは難しいと考え、地域の中核病院で必要とされる診療を重視するようになりました」

がん専門病院での経験も
地域のがん治療に生かす

それから千葉県、埼玉県、長野県と地域・規模の異なるさまざまな関連病院で、幅広く外科治療を行うとともに高度ながん治療に取り組んできた森廣氏。がん専門病院での経験を生かすことで、地方の病院でも先進的な治療は可能と示せたのではないかと話す。

その後、森廣氏は長野県北部の須坂市にある県立病院に移り、約6年の在籍期間中に緩和ケアの重要性を実感することになった。

「ここで食道がんの手術や膵頭十二指腸切除術など高度な治療を行いながら、院内で立ち上げた緩和ケアチームにも加わったことが大きな転機につながりました」

それまで森廣氏は、治療の選択肢が乏しくなった患者に対し、外科医としては手を尽くしたと考えてきたが、緩和ケアの視点を得て考えの幅が広がったと言う。

「治療が難しい状況でも、患者さんやご家族は何か方法を探されているはずで、先行きが見えず不安なときに医師が治療から離れるのは望まれていないと思うのです。そのような状況で、医師が関与できる医療こそ緩和ケアだろうとの考えを持つようになりました」

緩和ケアに専門的に
取り組むため転職を決意

それからは緩和ケア病棟を持つ連携病院に送っていた患者について、可能なら自院のチームでまず対応しようと決めた森廣氏。自身も積極的に緩和ケアに携わる中で、この分野を専門にしたいという思いが強くなったと話す。

「がんとその治療で生じる痛みなど不快な症状や不安を和らげ、その人らしく生きることを支える緩和ケアは、今後さらに求められる分野。終末期に限らず、治療の初期段階から緩和ケアは必要と痛感しました。重い病気を手術で治す手応えを感じられる外科は魅力的で、後ろ髪引かれる気持ちもありましたが、緩和ケアで得られる充実感も大きく、次第に緩和ケアを優先したいと思い始めました」

その頃、国の医療政策は高度医療を特定のハイボリュームセンターに集約する流れで、森廣氏が力を注いできた先進的な治療の機会は減りつつあった。しかも同院には新たな外科医が就任する話も出ており、森廣氏は代わりがいる外科を離れ、地域に必要な緩和ケアの医師を目指そうと決めた。

「診療科が変われば、子どもたちと一緒に過ごす時間も増えるだろう。そんな期待も転職を後押ししました。転職先の候補としたのは緩和ケア病棟を持つ新生病院で、これまで患者さんを紹介していた経緯から緩和ケアのレベルが非常に高いと感じ、恵まれた環境で腰を据えて勉強したかったのです」

AFTER 転職後

外来・入院・在宅の患者が
笑顔で長く生きられるよう
専門的な緩和ケアを提供

緩和ケアに来た患者と
心の距離を縮める努力を

新生病院は日本の結核患者を救うためカナダ聖公会が建設した診療所を母体とし、現在は地域に根ざした医療の中でも、在宅医療や緩和ケアなどに力を入れる。

森廣氏はここで緩和ケア内科と外科を担当。同院の外来・入院のほか、在宅医療の患者にも積極的に緩和医療を提供している。そのほか地域の急性期病院、地域がん診療連携拠点病院で診ていた患者のがんが進行し、同院に紹介されるケースも多いという。

「ほとんどの方は緩和ケアを紹介され、『もう最期なのか』と医療に見放されたように感じています。そこで私は、見放したのではなく私も加えた2人主治医体制で診ること、緩和ケアを受けて長生きしてほしいことを最初に伝え、患者さんに安心してがんと向き合ってもらいたいと考えているのです」

さらに森廣氏はこれまでのがん治療の経験をもとに、「膵頭十二指腸切除術を受けられたのですか。大変でしたね」「治療の手段はまだ化学療法もあり、決して終わりではありませんよ」など相手の気持ちに寄り添い、心の距離を縮めるよう努力していると話す。

「必要なら腹水を抜く処置や内視鏡検査も担当できるなど、外科で得た知識・技能は緩和ケアで大いに役立っていると実感します」

専門知識と高い意欲を持つ
看護師との連携がカギ

緩和ケアに携わる喜びを実感する森廣氏だが、入職後すぐに患者のむくみや腹水、呼吸困難等の対処まで熟知した看護師のレベルの高さを知り、同院で自分がなすべきことを考え直したと言う。

「看護の専門性をもとに適切なケアを行った上で、患者さん一人ひとりに何が必要かを考え、どうすれば笑顔で過ごしてもらえるかに本気で取り組む姿は驚きでした。痛みを取るのは手段であり、患者さんが元気になり、その人らしく生きられるよう支えるのが緩和ケアの目的と再認識しましたね」

医師はそうした看護師の姿勢を認め、痛みを取るなどの医療でそれを後押しする立場だと森廣氏。

「看護師は、この方は内服薬が飲めないなど詳しい情報を持っていますから、それに応じた薬を処方することも大切。例えば多様なオピオイド系鎮痛剤から、特性や使い方の違いにもとづいて適切な薬を選べるよう、常に勉強を続けるのも医師の仕事だと思います」

加えて緩和ケア病棟の看護師を対象とした専門的な勉強会、一般診療を行う看護師に対する緩和ケアの基礎的な勉強会なども開き、同院の人材育成にも積極的だ。

「今後は地域の皆さんに向けて、緩和ケア=最期ではなく、治療を楽にするため早めに受診する診療科という理解が進むよう情報発信に力を入れたいと思います」

これからもっと緩和ケアを
突き詰めていきたい

森廣氏は同院の外科で内視鏡検査、甲状腺や乳腺の超音波検査と手術、腹水・胸水の処置、気胸のトロッカー、胃ろう交換などオールラウンドにこなし、大変だが頼られるやりがいもあると笑う。

「ただ入職して4年半が経ち、最近は外科を少し縮小してもいいと思えるほど、緩和ケアでやりたいことが増えました。日本緩和医療学会の緩和医療認定医も取得し、今後はもっと緩和ケアを突き詰めたいと考えているところです」

プライベートでは学生時代から続けている剣道の腕を磨く時間もでき、子どもたちとふれ合う時間も増えて満足していると森廣氏。

「外科のときは緊急手術などで、自分や家族との予定が急に駄目になることもよくありました。転職後はほぼ定時に帰れるなど、ワークライフバランスが整い、仕事も長く続けられると感じています」

看護師への緩和ケア研修会も行う 画像

看護師への緩和ケア研修会も行う

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域の在宅医療と回復期医療に軸足

病病・病診連携を強化し
地域医療の質を向上させる

新生病院の母体となる診療所が開設されたのは90年近く前。以来、同院は小布施町をはじめ近隣地域の医療を幅広く担ってきた。現在は地域医療構想による病院の機能分化を踏まえ、回復期医療、慢性期医療、在宅医療に軸足を置き、緊急性の高い医療が必要な患者は連携医療機関に紹介するなど、病病連携、病診連携の強化で地域医療の質の向上を図っている。

「当院は町唯一の病院で、地域の医療機関から紹介された患者さんを診る、町立病院のように頼られる役割自体は変わりません」

同院院長の大生氏はこう前置きした上で、その中で先進的な医療は専門の医療機関に任せ、同院は培ってきた多職種連携や緩和ケアを在宅医療に生かしたいと言う。

「在宅医療では、患者さんの生活背景まで把握しながらトータルなケアが可能です。そしてポリファーマシーの問題も含め、ご本人やご家族は在宅で何を大切にされているのか?緩和ケアをはじめどのような医療が望ましいか?などを、多職種の観点から検討できるのも当院の強みと考えています」

さらに医師は専門性を超えた総合性に価値を見いだし、専門分野にとどまらず患者を全人的に診る医療を目指して、自分の殻を破って成長してほしいと大生氏。

診療面では高齢者も多い地域の健康を守るため、同院は医療、介護、福祉の横断的な連携を重視。幅広い診療科で外来・入院患者を診ながら、在宅医療は森廣氏のほか複数名の常勤医で対応し、介護や訪問看護の関連施設により地域を多職種でカバーしている。

加えて20床の地域包括ケア病床で在宅患者の入院にも適宜対応でき、回復期リハ病床とともに急性期医療と在宅医療をつなぐ重要な役割を果たしている。

「森廣先生は緩和ケア医療で中核となるだけでなく、外科を中心に幅広く診療を担当され、また院内スタッフや地域住民向けに緩和ケアの勉強会も企画されるなど、当院にとって欠かせない存在。今後も存分に力を発揮していただけるよう環境を整えていきます」

大生定義氏

大生定義
新生病院 院長
1977年北海道大学医学部卒業後に聖路加国際病院で研修を受け、同院内科副医長、医長を歴任。1995年より産業医に転身し、ニューキャッスル大学臨床疫学大学院修士課程修了。その後、横浜市立市民病院神経内科部長および臨床研修委員会委員長を務め、診療と教育に従事。2006年から立教大学社会学部教授、2017年から現職。横浜市立大学医学部臨床教授、日本医科大学客員教授。

新生病院

同院は新病棟や福利厚生施設など設備の拡充を行いながら、院内の医療資源から財務状況まで各種データの見える化を進め、医療職・事務職が協力して経営改善に取り組んできた。現在は一般病棟、回復期リハ病棟、緩和ケア病棟、療養病棟を持つケアミックス病院となり、地域の医療ニーズに対応。中でも在宅医療と回復期医療に力を入れ、訪問診療では一般的な診療のほか緩和ケアにも積極的だ。また関連施設に居宅介護支援事業所や訪問看護ステーション、デイサービス等を持ち、同町の医療、介護、福祉を支えている。

新生病院

正式名称 特定医療法人 新生病院
所在地 長野県上高井郡小布施町851
開設年 1932年
診療科目 内科、消化器内科、消化器外科、外科、
小児科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、
泌尿器科、放射線科、整形外科、
脳神経外科、形成外科、歯科、
歯科口腔外科、麻酔科、婦人科、
リハビリテーション科、肛門外科、
循環器内科、緩和ケア内科
病床数 155床(一般96床 うち地域包括ケア病床20床、療養59床)
常勤医師数 15人
非常勤医師数 17人
外来患者数 200人/日
入院患者数 140人/日
(2019年10月時点)