VOL.114

診断がつかない患者を引き受け
適切な治療に導く総合診療で
地域医療の質を向上させる

西東京中央総合病院
総合診療科 小河原 忠彦氏(63歳)

長野県出身

1986年
佐賀医科大学(現 佐賀大学医学部)卒業
山梨医科大学(現 山梨大学医学部) 第一外科入局
1986年〜1987年
同大学附属病院 第一外科/
山梨県立中央病院 麻酔科/
財団法人(現 一般財団法人竹田健康財団)
竹田綜合病院 外科 研修医
1988年〜1989年
埼玉医科大学 胸部外科/
山梨医科大学 第一外科
1994年
財団法人竹田綜合病院 外科
1997年
国立高田病院(国立病院機構新潟病院に統合) 
外科 医長
1999年
医療法人財団 加納岩病院
(現 社会医療法人加納岩 加納岩総合病院) 
外科 医長
山梨医科大学 第一外科 臨床准教授
2003年
長野県立阿南病院 外科 医監
2005年
共立蒲原総合病院 外科 部長
2009年
国保依田窪病院 総合診療科 部長
2016年
医療法人沖縄徳洲会 武蔵野徳洲会病院 
総合診療科 部長
2018年
医療法人社団康明会 康明会病院 
総合診療科 副院長
2020年
医療法人社団東光会 西東京中央総合病院 
総合診療科

消化器外科から総合診療科へ。50代で新たなキャリアに挑んだ小河原忠彦氏は、専門性で細分化された医療の狭間で困っている患者を救いたいと話す。「どの診療科でも診断がつかず、適切な治療が受けられない方のために、診断学を極めるのが今の目標です」。各診療科が原因不明の症状で悩む時間を減らし、地域医療にも貢献する総合診療科を目指すという小河原氏の軌跡を追った。

リクルートドクターズキャリア10月号掲載

BEFORE 転職前

膵頭十二指腸切除術をはじめ
困難な手術の手順や内容も
頭の中で描けるほど習熟

自分の手を動かすことが
好きで消化器外科に

消化器外科の第一線で20年も患者を診てきた小河原忠彦氏は、高度な技術が求められる膵頭十二指腸切除術で満足のいく結果を残せるようになっていたが、50代で総合診療を新たな道と定め、現在は西東京中央総合病院(東京都)の総合診療科に勤務している。

医学部卒業時、小河原氏は死亡率も高かった肺がんの治療か、そのとき最先端だった内臓移植分野に進みたいと考え、肝がん手術で有名な教授が在籍する医局に入局した。

「しかし教授からは消化器外科を勧められました。机の前で研究する時間があるなら、手を動かしたいという私の性格を見抜かれたのでしょう(笑)。教授の見立ては本当に的確だったと思います」

大学病院に始まり、各地のさまざまなタイプの病院で消化器疾患の患者を治療してきた小河原氏だが、自身の手技は研修医時代と30代後半を過ごした地域の基幹病院で磨かれたと話す。

「1,000床近くの大規模な病院で、年間の手術数も2,000件を超えていました。先輩が責任を持って後輩を育てる気風があり、私も研修医で入職して半年後には早期がんの手術を担当させてもらったほど。結果は成功しましたが、頭の中は真っ白で、手術時の手順などほとんど覚えていません」

時期は異なるが、初めて膵頭十二指腸切除術を行ったのも同じ病院で、難しい処置への対応を多少誤ったものの、上司の適切な判断で手術を終えたという。

「その後、私も別の病院で外科の医長を務めるようになり、後輩の力を伸ばすための指導の難しさを痛感しました。昔の私は本人の責任を厳しく問うことも多く、チームを率いて目標をやり遂げるのに向いていなかったようです」

一方で外科の手技は経験を積む中で習熟し、手術内容を細部まで鮮明に思い出せるほど手順を十分に把握できるまでになった。

「40代になると、事前に手術の流れを最初から最後まで頭の中で描いてから臨めるようになり、自分の中で『ようやくここまで来た』という達成感があったことは、メスを置いて次の道を目指す際の後押しになったと思います」

実家にも近い病院で
初めての総合診療に挑む

小河原氏が消化器外科を離れる決意をしたのは、自らの健康問題、両親との別れ、地域医療や全人的に診る総合診療への興味など、複数の理由が重なったためだ。

40代後半に急病で倒れた小河原氏は、無事に回復したが、体力と気力を削るような外科分野で長く働くのは難しく感じたという。

「第一線で力を発揮したい気持ちはまだ残っていたものの、外科のストレスフルな毎日に耐えられなくなったら、メスを置く時期だと以前から思っていました」

また、両親の難しい手術をいずれも自らが執刀し、成功させたことで、「やり遂げた」思いが一層強まったと振り返る。

「手術を終えた父の療養のため、医局を離れて地元の病院を探しました。県庁の医師紹介事業で紹介された病院は整形外科が強く、内科が手薄だったことから、私は総合診療科として地域医療の窓口を目指しました」

内科医が少ないため診る範囲も広く、ときには救急への対応もあり、重症患者はドクターヘリで搬送するなど、地域医療の厳しさに直面した小河原氏。父親の死後は総合診療の知識をさらに深めるため東京に移住し、プライマリ・ケアを重視する病院に勤務した。

「そこで慢性期医療や在宅医療にも携わることになって高齢者医療も経験し、さらに別の病院に移ってからは地域包括ケア病棟も担当しました。ただ、私自身の目標は総合診療科に来る患者さんの病気を的確に診断し、必要な治療につなぐことでしたから、もっと急性期寄りの病院で診断する力を磨きたいと考えたのです」

そうした条件に合う病院の一つが西東京中央総合病院で、総合診療科部長の白井浩昭氏は小河原氏と同じ大学の出身だった。

「プライマリ・ケアを目指す大学で、同門の縁を感じました。また、以前在籍していた病院で難しい外科手術をこの病院に引き受けてもらっていたため信頼感もあり、すぐに転職を決意しました」

AFTER 転職後

地域医療に必要なのは
専門性の狭間をカバーして
患者の悩みを解決する総合診療

ヒントを集めて謎を解く
総合診療は推理ドラマ

西東京中央総合病院は40年以上前に開院。多摩地域を含む東京都の中央北部に位置する西東京市にあり、脳血管、循環器、消化器をはじめ各分野の急性期医療、24時間対応の二次救急などを行う地域の基幹病院となっている。

総合診療科は受診すべき診療科が分からない患者のほか、他の診療科や医療機関で診断がつかない患者も積極的に受け入れ、診断・治療を行うために開設された。

「容易に診断がつくケースは各分野の専門家に任せ、診断がつかない患者の原因を探り当て、治療の道筋をつけるのが当科の役目。この証拠とあのヒントを結び付け、こう考えれば謎が解ける……推理ドラマのようなワクワク感を味わえる面白さがあります」

例えば、帯状疱疹で痛みのコントロールを依頼された高齢患者を精査したら肺がんが見つかったケース。不明熱の患者が実は血液がんだったケース。意識障害で救急搬送された原因が薬物の過量服用だったケースなど、同科に着任して数カ月でさまざまな患者に遭遇したと小河原氏は言う。

「現代の医療は専門分野ごとに細分化し、高度に発展してきました。治せない病気が治せる反面、専門化により病気の見落としや薬物の過量服用なども起きていると思います。専門に特化した治療は必要ですが、患者さんをひとりの人間として診る総合診療科も今後さらに重要になると感じています」

高齢者を診た経験も
総合診療に生かせる

同院のように地域に根ざした急性期病院は、容体が急変した高齢者の受け入れも多く、在宅療養中の患者も救急搬送されてくる。

「急性期は若年から中高年が多いと思っていたので意外でしたが、慢性期病棟や地域包括ケア病棟で高齢者医療を経験し、高齢者の病状の推移、治療のポイントを熟知していたことが役立ちました」

肺炎で受診した患者が、薬の多用で肝機能障害も併発しているなど、高齢者は複合疾患が当たり前だと小河原氏。既存の疾患に隠れ、見落とされていた疾患が症状の原因だったケースも多いという。

「私見ですが、高齢者の中には人生への怒りが症状の引き金になった方もいるように思います。ご自分の気力・体力の衰え、パートナーと死別した悲しみ、家族と折り合う難しさなど生活の中で鬱積した感情が、頭痛や体の各所の痛み、耳鳴り、ふらつきなどの症状となり、専門の診療科を受診しても原因不明とされ、さらにストレスがたまる。そんな悪循環を断ち切るのも総合診療科の役割なのです」

患者の訴えに耳を傾け、症状の原因をじっくり解きほぐし、複数の診療科で処方された薬も総合的に診て適切な量に減らしていく。そうした全人的な治療で地域に貢献したいと小河原氏は語る。

専門に特化した医師の
負担軽減にもつながる

細分化された急性期医療の狭間で、満足できる診断・治療に至らないと悩む患者を救うことは、専門の医師が専門以外の症例で苦労する時間を減らすことにもなると考え、患者と患者に必要な医療をうまくつないで、地域医療の質を向上させたいと話す。

「また、総合診療科で診断がついても、自分だけでは対応が難しい症例もありますが、当院なら院内の専門家が受けてくれます」

消化器外科で20年診療を続けた小河原氏が、総合診療科に転身して15年近く経つ。今後は診断学をさらに極め、自分が納得できる医療を地域に提供したいと言う。

「私の転職は、大学や研修医のときの出会いがつないだものも多く、これからもそうした縁を大切に診療を続けたいと思っています」

常に笑顔で、相手が話しやすい雰囲気を作る小河原氏。 画像

常に笑顔で、相手が話しやすい雰囲気を作る小河原氏。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
急性期を中心に地域ニーズに応える

細分化された枠組みから
こぼれる患者を救う

同院は270床と中規模ながら、二次救急医療も含む急性期医療を中心に、リハビリテーションによる在宅復帰支援など、地域が必要とする多様な医療を提供する。

そのなかで、白井浩昭氏は「専門性によって細分化された枠組みからこぼれる患者を救いたい」との思いから、同院が2016年に開設した総合診療科の部長に就任。どの診療科でも明確な診断がつかなかったり、治療を続けてもなかなか改善しなかったりといった患者を中心に診療を行ってきた。

同科の患者も順調に増えてきたが、担当医師は自分一人で対応に限りがあったと言う白井氏。

「それが今年6月からベテランの小河原先生に来ていただき、当科の診療枠は倍増。私自身も余裕ができ、診療科同士の院内連携も一層深められるようになりました」

最近は「患者に何が起きているのか分からないときは相談してほしい。相談してよかったと思ってもらえるよう解決策を考える」と、積極的にコンサルする姿勢を各診療科に伝え、初診患者だけでなく院内紹介のケースも多いという。

「もちろん当科で診断がついても、より専門的な治療が必要な場合は該当する診療科に担当してもらいます。このような連携は、幅広い診療科を持つ当院規模の病院でないと難しいでしょう」

診断がつかない患者を診るのは難しいパズルを解いていく感覚で、どのような病気が隠れているのか探るのが醍醐味。総合診療の魅力を白井氏はこう語る。

「適切な診断や治療に向かう糸口は必ずあるはずで、これまでの知識と経験、そして目の前の患者さんを治したいという強い思いが、解決のヒントを見つけ出す力になるのだと思います。私と小河原先生は、『現代の赤ひげを育てる』の理念のもと、国立大学病院初の総合診療部を設置した大学の出身。同じ思いでこの地域の医療に携われるのはうれしいですね」

専門性の狭間で悩み、苦しむ患者を減らしたいという白井氏は、中堅医師の加入などによって同科のさらなる拡充を図っている。

白井 浩昭氏

白井 浩昭
西東京中央総合病院 総合診療科部長/副院長
1988年佐賀医科大学(現 佐賀大学医学部)卒業後、浜松医科大学第二内科に入局し、同大学医学部附属病院内科で研修。富士宮市立病院、榛原総合病院、淵野辺総合病院での内科診療を経て、1994年田無第一病院(現 西東京中央総合病院)内科に入職。治験も行うクリニックの院長を経験後、2008年から西東京中央総合病院。2016年に総合診療科を開設。

西東京中央総合病院

同院は24時間対応の二次救急医療と多様な診療科で、西東京市および周辺地域の中核病院となっている。急性期医療を中心に、慢性期患者の療養や在宅患者の緊急入院にも対応。東京都CCUネットワーク、北多摩北部医療圏脳卒中ネットワークに加盟し、地域の医療機関と連携して循環器や脳血管の救急患者も24時間診療している。また、整形外科にはスポーツ整形外科、股関節・膝関節、脊椎など各分野の専門家がそろう。加えて消化器外科・消化器内科では消化管や肝胆膵の疾患の早期発見と治療に力を入れている。

西東京中央総合病院

正式名称 医療法人社団東光会
西東京中央総合病院
所在地 東京都西東京市芝久保町2-4-19
開設年 1976年
診療科目 内科、外科、整形外科、リハビリテーション科、
消化器内科、消化器外科、循環器内科、心臓血管外科、
脳神経外科、耳鼻咽喉科、眼科、泌尿器科、小児科、
皮膚科、神経内科、腎臓内科、麻酔科
病床数 270床(一般270床うちHCU8床)
常勤医師数 32人
非常勤医師数 59人
外来患者数 545人/日 (2019年実績)
入院患者数 245人/日 (2019年実績)
(2020年8月時点)