VOL.68

患者一人ひとりを丁寧に診て
安心してもらえる医療を
提供できる体制に満足

我孫子聖仁会病院
整形外科 石山 典幸氏(45歳)

群馬県出身

1997年
筑波大学医学専門学群卒業
東京大学医学部附属病院 整形外科 研修医
1998年
同愛記念病院 麻酔科
東芝病院 スポーツ整形外科
2001年
武蔵野赤十字病院 整形外科
2003年
東京都老人医療センター 整形外科
(現:地方独立行政法人
東京都健康長寿医療センター)
2004年
東京大学医学部附属病院 整形外科
2006年
東京大学大学院医学系研究科 外科学専攻博士課程 入学
2010年
同博士課程修了
2014年
我孫子聖仁会病院 整形外科 入職

あまりに忙し過ぎたり、全体の方針に納得がいかなかったりしたら、外に目を向けて他の道を探す方法もある。40代で医局を離れて初めての転職を経験した石山典幸氏は、自らのキャリアチェンジの手法をそう振り返る。現在は患者一人ひとりを診る時間も増え、「以前と差し引きすれば圧倒的にプラスが多いと実感している」と語る石山氏の軌跡を追ってみた。

リクルートドクターズキャリア12月号掲載

BEFORE 転職前

手の外科の専門性と
臨床家になるための幅広さ
両方を磨いた医局時代

大学時代のアメフト部が自分の専門分野の入口に

医学部を進路に決めた高校生のときから、ずっと臨床家を目指していたと我孫子聖仁会病院(千葉県)の石山典幸氏はいう。

「私が医師になったのは人と直接関わる仕事、やりがいがあって人助けになる仕事を希望したから。それを一番実感できるのは患者さんを診るとき、という考えは高校時代から変わっていません」

そんな石山氏が筑波大学に入学したのは、既存の学問分野を横断する「学群・学類」制度など当時の国立大学としては新しい教育システムを備えており、実家のある群馬県館林市からそう遠くなかったことなどが理由だった。

「しかも総合大学なので、医学類以外の人とも交流を深めたいと思っていました。そこで医学部独自の部活ではなく、大学全体の部活からアメリカンフットボール部を選んで入ったのです」

体と体をぶつけ合う激しいスポーツだから大学時代にしかできないと考えたというが、結局はこの部活での経験が将来の専門分野の入口となった。

「練習や試合で何度もけがをして、お世話になったのが整形外科。それだけに親しみが持てましたし、治療の成果が目に見え、手術前後の変化がはっきりわかりやすいのも気に入りました」

10年近い医局派遣の中で整形外科をバランスよく経験

大学を卒業し、石山氏が研修先に選んだのは東京大学医学部附属病院の整形外科。高校時代に一度受験を考えたことや、筑波大学の担当教授が東京大学出身で、知人もその病院に勤務していたなど、いくつか縁が重なったという。

「6年間ずっと筑波で、そろそろ東京の厳しい世界で鍛えてもらおうと考えたんですよ」

その頃の東京大学の医局では、医師になって半年間は大学病院で自分の専門分野における診療の基本を学び、その後は他の病院の麻酔科で半年ほど経験を積むのが一般的。2年目からさまざまな病院に派遣されることになる。

「おかげでいろいろな病院を経験できましたが、東京都内は病院の数が多く、『整形外科の中でも膝に強い』『脊髄の治療ならトップクラス』といった特色をうまく出さないと、患者さんに選んでもらえないのだと実感しました」

それだけに少数の勤務先では学べる領域が偏ると考え、石山氏は臨床家として十分に成長できるような異動を希望した。幸い当時はローテーションが10年近く続いたため、いろいろな病院をバランスよく回れたという。

処置一つで結果に大きな差 手の外科の精緻さにひかれる

このように多様な分野を長い時間をかけて経験する一方で、整形外科の中でのサブスペシャリティは意外なほど早く決まった。

「最初に派遣された東芝病院で、私を指導してくれた医師の専門が『手の外科』でした。そして次の勤務先でも同様。もちろん偶然の一致なのでしょうが、これはやはり自分も『手の外科』を専門にすべきだろうと(笑)」

細かい動作が多い手の治療には精緻な手術が必要で、一つの処置で結果ががらりと変わってしまう。少し気を抜くと必ず結果に影響し、逆に治療の成果もわかりやすいなど、外科を目指した理由がさらに濃縮された分野だったのが大きな魅力と石山氏はいう。

東京都老人医療センターで高齢者の整形外科を経験した後、東京大学に戻って後輩医師の指導に当たり、自らは大学院の外科学専攻博士課程に入学。さらに在学中も時間をみて千葉県内の総合病院で診療を続け、大学院修了後は同じ病院に派遣された。

「そこで数年間診療しましたが、次第に病院側と診療体制に関する方針に相違が生じ、身を引くことにしました。しかし担当していた患者さんのフォローアップは継続したいとの思いが強く、みなさんが受診しやすいよう近隣の病院への転職を決意したのです」

転職する医師向けの求人サイトで立地や診療体制など条件に合う病院をピックアップした石山氏。20年近く在籍した医局を2014年に離れ、忙しさを極めていた以前の病院から現在の我孫子聖仁会病院に入職を決めた。

AFTER 転職後

整形外科全般の診療を通じて
地域の健康を守り、
住民に喜ばれる医療を行う

地道な診療を続けることが 日々の喜びにつながる

以前担当していた患者が通える範囲で、当直がないなど待遇もよかったと同院を評価する石山氏。

「加藤一良院長は面談中もフランクに話してくれ、『病院側も協力するから、やりたい医療をやってほしい』と期待されたことも転職の後押しになりました」

石山氏が目指す医療は、市中の医師のように患者一人ひとりに寄り添い、丁寧な診療で地域全体の健康を守ること。同院の目標、「地域住民の健康を維持・回復させる」ともうまく重なっていた。

「無理に世界初の治療などに取り組まなくても、地道な診療を続け、充実した毎日を過ごしています。患者さん一人ひとりと話す時間も十分にとれますし、病棟を診て回る余裕もありますから」

現在は週3回を外来中心の日として、そのときは朝9時から夕方17時過ぎまで診療。その後に病棟を回るが、ほとんどの患者の病状は安定しているため1時間ほどで業務を終えるようだ。

「手術日は週1回で、うまくタイミングが合わない方は他院への紹介も行います。とはいえ『手術もここで』と希望される方も多く、今後は人員増などで手術の機会を増やすことも考えたいですね」

骨粗しょう症の治療で転倒骨折の減少にも貢献

同院を受診する患者には高齢者も多く、そのほとんどが骨粗しょう症またはその予備軍だ。

「そうした方を丁寧に診て、薬や運動療法による治療を始めたことで、提携する施設から通う患者さんの転倒骨折が減るなど顕著な変化が生じています。もちろん施設でも転倒予防の指導や措置を行っていると思いますが、自分がやってきたことが結果になるのはやりがいを感じますね」

さらに加藤院長の意向で口腔外科が新設されており、骨粗しょう症の治療薬で懸念される顎骨壊死に対し、医科歯科連携が容易だったことも心強いという。

また石山氏は病院をサービス業と捉え、診療を通じて患者や家族の満足度を高め、納得して帰宅してほしいと考えている。このため診療の終わりには「何かほかにありますか」と必ず尋ね、患者が病気について理解不足のときは何度も説明を重ねている。

「やはりそうした努力ができる時間的余裕は有り難いですね。今後も地域のみなさんに喜ばれる診療を続け、そのために必要なことは常に改善したいと思います」

趣味の自転車を楽しむ気持ちの余裕も生まれた

現在、石山氏は千葉県内の自宅から病院まで、往復約30kmの距離を自転車で通っている。

「中学生のときにテレビでツール・ド・フランスを見てから自転車が趣味に。転職して時間と気持ちに余裕ができ、改めて自転車を楽しめるようになりました(笑)」

石山氏にとって山中を走り抜ける爽快感が一番の魅力で、毎年富士山五合目までの登坂を競うヒルクライムレースにも参加。昨年は遂に年代別クラスで8位入賞を果たし、表彰式に呼ばれるほどになった。

「手術の機会が減ったなどマイナス面もありますが、差し引きすれば圧倒的にプラスが多いですね」

以前は業務が忙しすぎて自分の周囲しか目に入らず、それがすべてと思い込んで悩んだと石山氏。大学の医局派遣もいろいろな病院が経験できるとはいえ、やはりある程度決まった範囲から選ぶことが多くなってくる。

「私もそうでしたが、制限を一度取り払って外に視線を向けると、案外と違う働き方ができる病院が見つかるかもしれませんね」

現状に行き詰まりを感じているような後輩医師たちに向けて、石山氏はそうエールを送った。

石山氏と看護師、リハビリスタッフ、医事課とのミーティング風景。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
地域医療のすき間を埋める診療を目指す

やりたいことが実現できる自由度の高い環境も魅力

千葉県我孫子市で50年近く診療を続けてきた我孫子聖仁会病院。内科、外科、整形外科、腎臓内科(人工透析)を中心に多様な診療科を備え、一般病床のほか療養病床、緩和ケア病床で急性期から終末期まで幅広く対応している。

自らも転職者であり、3年前に院長として着任した加藤一良氏は、同院の方針をこう語る。

「この地域が求めているのは風邪から認知症まで幅広く対応してくれる病院。私は可能な限りオールラウンドな対応を目指し、これまで抜けていた“すき間”部分をカバーしたいと考えています」

その言葉どおり、加藤氏は睡眠時無呼吸症候群や正常圧水頭症の治療をスタートさせ、民間病院で廃止が続く口腔外科を新たに開設するなど積極的に動いてきた。

「特に水頭症は認知症と合併した事例もあり、水頭症の治療で認知症の症状が改善できる可能性もあります。そうなればご自宅で介護していた方が働きに出られるなど、地域の生産性を高めることにもつながると考えています」

加藤氏が同院を転職先に選んだ理由の一つが、このような「やりたいことをやらせてくれる」自由度の高さにあったという。

「病院の基本方針から外れなければ、各診療科の医師にもやりたいことを実現してほしいですね。例えばケアミックスという診療領域の広さを生かし、急性期から慢性期まで診療をトータルに考えていける面白みもあると思います」

また我孫子市唯一の地域包括医療・ケア認定施設である同院は、関連施設の特別養護老人ホームとも連携を深め、地域の医療と福祉により深く関わっていく。

「ただ当院は医師に過大な要求はしません。スタンダードな医療を着実に行うことが、地域のニーズにかなうと考えるからです」

現在、同院の常勤医の約半数は病院がある千葉県内に住み、残りは都心からの通勤組だという。

「ここは居住環境もよく、都心方面にも出やすい場所。住んでよし、通ってよしでプライベートが充実した人も多いはずです(笑)」

加藤 一良氏

加藤 一良
医療法人社団聖仁会 我孫子聖仁会病院 院長
1981年に日本医科大学を卒業後、済生会神奈川県病院、日本医科大学付属病院救命救急科、日本医科大学千葉北総病院救命救急センター等で診療。2013年から我孫子聖仁会病院院長に着任し、口腔外科、睡眠時無呼吸症候群の専門外来など新たな診療科を次々に開設。また自身の専門分野として特発性正常圧水頭症の診断と治療などに取り組む。

我孫子聖仁会病院

千葉県と神奈川県に病院およびクリニックを展開する聖仁会グループの中核病院として、50年近くの歴史を持つ。2006年に現在の場所に新築移転し、地域のニーズに応えて内科、外科ともに多様な診療科を擁している。2012年にがんに伴う苦痛の緩和を目的とした緩和ケア病棟を開設。2014年には地域包括医療・ケア認定施設の認定も受けるなど幅広く診療を行っている。睡眠時無呼吸症候群、水頭症などの診断と治療をはじめ、今後も地域に必要とされる専門外来を充実させる予定だ。

我孫子聖仁会病院

正式名称 我孫子聖仁会病院
所在地 千葉県我孫子市柴崎1300
設立年 1968年
診療科目 内科、循環器内科、呼吸器内科、
消化器内科、糖尿病内科、
腎臓内科(人工透析)、緩和ケア内科、
外科、消化器外科、乳腺外科、肛門外科、
整形外科、婦人科、皮膚科、泌尿器科、
眼科、リハビリテーション科、放射線科、
麻酔科、口腔外科、脳神経外科
病床数 168床(一般50床 療養98床 緩和ケア20床)
常勤医師数 15人
非常勤医師数 19人
外来患者数 277人/日
入院患者数 157人/日
(2016年9月時点)