VOL.94

短期間収容される被収容者の
健康を適切に維持管理し
スムーズな社会復帰を支援

京都拘置所 医務課診療所
内科 落合哲治氏(47歳)

大阪府出身

1995年
大阪大学医学部卒業
神戸掖済会病院 研修医
1997年
東北大学大学院医学系研究科 博士課程
2001年
東北大学医学部 研究員
2004年
Duke大学医学部 Nicolelis研究室 留学
2006年
順天堂大学医学部 研究員
2009年
向日回生病院 内科
2018年
京都拘置所 医務課長に就任

研修医として2年間過ごした後、研究職となり脳科学の研究に従事。留学などを経て、10数年後に臨床に戻ったのは、研究が落ち着いたタイミングと妻の希望があったからだという落合哲治氏。研究にも臨床にも打ち込み、仕事中心になりがちだったが、改めて生活も重視しようと妻と相談。京都拘置所の医療施設に転職した現在の思いを聞いた。

リクルートドクターズキャリア2月号掲載

BEFORE 転職前

研究職の後は病院に転職
どちらも熱心に取り組み
常に仕事中心の毎日が続く

一つのことに打ち込むタイプ
臨床を離れて研究職に

京都駅から私鉄で3駅目という市街地にあり、世界的に有名な寺院などにも近い京都拘置所(京都市伏見区)。同所併設の医療施設に2018年4月から勤務する落合哲治氏は、知人である前任者から引き継ぐ形で転職したという。

「ちょうど勤めていた病院を退職して、次はワークライフバランスを重視して働こうと考えていたところでした。しかし知人から話がなければ、こうした医療施設があることを知らないまま一般の病院を探して移っていたでしょう」

もともと落合氏は臨床一筋ではなく、研究職と医療現場の両方の道を歩んだ経歴の持ち主。医師を志したのは、高校のとき周囲から「一つのことに打ち込むタイプだから医師が向くのではないか」と勧められたからだという。

医学部卒業後は神戸の総合病院で研修医になり、改めて患者とのコミュニケーションの重要性を痛感。専門性にこだわるだけでは相手との信頼をうまく醸成できないケースも多々あると知った。

「また、当直時には外洋航海中の船から連絡を受けることもまれにあり、船内で発症した船員の症状を電話で聞き取り、本人を診ずしてどうにか判断をするといった経験もしました。こうした臨床も楽しかったのですが、研究に打ち込むことは若い頃にしかできないと考え、研修後はしばらく大学院で研究することにしたのです」

研究が一段落したタイミング
10数年ぶりに医療現場へ

落合氏は研修を終えると東北大学大学院で脳科学分野の研究に参加。そこでは脳機能を分子生物学や遺伝子レベルから解明し、ロボット工学分野と連携するなど新たな研究も行われていた。

「その頃は免疫分野の研究がホットで臨床活用も秒読みといった状況でしたが、私はそうした大きな波に積極的に乗るよりは、これから未解明な部分を開拓していく脳科学の可能性にひかれました」

博士課程修了後は研究員となって研究を続け、アメリカ留学中は脳活動から直接マシンを制御するブレイン・マシン・インタフェースの研究にも従事。

帰国後は東京の大学で研究を続けていたが、それも一段落し、次のテーマを模索していた落合氏に、妻から「子育てのため関西の実家近くに引っ越すのはどうか」と提案があったという。

「これまで研究の場は何度も変えてきましたが、妻が希望する地域で自分の研究分野に合った受け入れ先がそうそう見つかるとも思えず、10数年ぶりに臨床に戻ることを決めました。とはいえブランクもあり、研修医の頃のような初心に返って患者を診ていこうという気持ちで転職先を探しました」

ワークライフバランスを重視
京都拘置所での勤務を選ぶ

このとき初めて紹介会社を知ったという落合氏は、関西圏で、久しぶりの臨床でも落ち着いて診療できる病院といった条件を提示。京都市に隣接する向日市にある200床ほどの病院に転職した。

同院はベッドタウンとして発展した地域の二次救急から療養までを担う病院。落合氏は内科で10年近く診療を続け、高齢者をはじめさまざまな患者を相手に楽しく診療が続けられたという。

「ただ、後半は医師やスタッフの入れ替わりが増え、次第に落ち着かない雰囲気に。私も40歳を過ぎて当直が続くのは体力的にもしんどいと感じ、妻と相談して次の転職先を探していたとき、大学時代の知人に声をかけられました」

今は京都拘置所の医療施設に勤めているが、関東の刑務所に異動するつもりで後任を探している。誰か心当たりはないか?そんな相談だったが、話を聞くうちに国家公務員という安定した身分で、勤務時間通りに仕事が終わるなど、自分が求める条件と重なる部分が多いと気づいた落合氏。妻に話すと大いに乗り気だったため、改めて知人に連絡して、自分が後任を希望するとの話を伝えた。

「当時は紹介会社経由の話も進んでいましたが、知人から市中の診療所と同様にプライマリケア中心で、ある程度診療経験があれば問題ないといった話も聞け、安心して診療できると感じたことから、京都拘置所に転職しました」

AFTER 転職後

ワークライフバランスの充実
家族の期待と社会への貢献
すべてを満たす矯正医官に

スムーズな社会復帰のため
健康維持が診療の目的

京都拘置所の医療施設の常勤医は落合氏を含め2人。いずれも法務省に所属する国家公務員で、矯正医官と呼ばれる。

前任者の後を受けて診療を続けた落合氏は、綿密な引き継ぎも行っていたため、所内で大いに歓迎されたという。

また私生活では以前よりも早く帰宅でき、期待通りワークライフバランスが充実。おかげで体重が少し増えたと落合氏は笑う。

「40歳を過ぎて当直すると気力も体力も失われますから、定時の退所は長く診療を続けるためにも重要だと実感しています」

落合氏がいる京都拘置所は刑務所などと違い、被収容者の長期収容は基本的にない。無罪や執行猶予が確定すれば、すぐ退所して社会に戻ることができ、有罪で実刑なら刑務所に移送されるからだ。

「ですからスムーズな社会復帰や、刑務所での更生を妨げないよう、現状の健康を維持することが診療の大きな目的。もちろん入所前に受けている治療があれば、同様の治療を継続することになります」

所内での診療は一般社会の医療水準を外れないという考えはあるものの、その水準も時代に応じて少しずつ向上しており、数年前からはC型肝炎の治療も所内で継続することになっている。

薬物依存に対応するため
精神科の知識も深めたい

一方、有罪となった被収容者は、執行猶予でなく実刑判決になれば刑務所に長期収容される。

「その場合は長期収容でも耐えられるよう本人の健康状態を整えるほか、大量の薬を使っているならそれも調整する必要があります。しかし当所への収容時、向精神薬などを中心に驚くほど大量の薬を服用している者も多く、それをどう減らすかに苦労しています」

移送先の刑務所に所属する矯正医官と直接会って引き継ぐ機会はないため、書類だけで申し送りが完結するよう対象者の情報を整理することも重要だという。

落合氏は同所に来て1年に満たないが、自分の専門とは異なる精神科の知識も深め、薬の使用量の限界なども踏まえた適切な診療を目指したいと考えている。

兼業可能な制度を生かし
診療レベルの維持にも努める

矯正医官は国家公務員ながら兼業も可能だ。落合氏はこの制度を活用し、週5日勤務のうち特定の曜日を兼業の日に設定している。

「兼業先は京都駅前の病院で、患者は京都らしく国内の修学旅行生から外国人まで幅広いですね。先日はロシア人観光客を診ましたが、ロシア語を話せる人がおらず、電話で通訳を介して問診するなど、珍しい経験ができました(笑)」

落合氏は兼業により多様な症例を診て診療レベルを落とさない、一般的な診療の感覚を忘れないといった点を心がけているという。

「それ以外の日は当所での診療で、大抵は午前中を新規の被収容者への対応に充てます。既往歴や服用中の薬などを確認し、所内での診療を検討するのですが、それまで受診していた医療機関から情報提供されないケースもあります。その場合には警察と私がそれぞれ本人から聞いた内容が主な情報源になりますが、それが合致しないとき、本人の症状とそぐわないときなどは、話の細部を再確認するなど注意深く対応しています」

新規の入所には慎重に対応
感染症などを細かくチェック

さらに落合氏が重視するのは、所内に感染症を持ち込ませないことだ。被収容者も高齢化が進み、既感染結核が再発する恐れが十分考えられるためで、入所時の健康診断でX線検査を行うときは結核の発見が重要と話す。

「このほか高齢化に伴い、認知症の被収容者が入所することも増えています。この場合は自宅と異なる拘置所という環境に置かれることで認知症が進むことも考えられ、その対応にも精神科の知識はさらに重要になると思っています」

被収容者の更生に医療が果たす役割は重要だが、本人の意識を変えるのはとても難しいと落合氏。

「ただ微力ではあっても、一人ひとりの更生の手助けになるよう、今後も努力を続けていきます」

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
裁判確定前の者の健康管理に従事

円滑な社会復帰を目指して
被収容者の健康管理に努める

法務省の矯正施設には主に受刑者を収容する刑務所・少年刑務所、保護処分となった少年の社会復帰を支援する少年院などがあるが、京都拘置所をはじめとする各拘置所は、刑事裁判が確定していない者を一時的に収容する施設だ。

これら矯正施設には診療所や病院があり、法務省の矯正医官(医師)が健康管理に当たる。京都拘置所所長の西岡慎介氏は同所での医師の役割をこう説明する。

「当所の目的は犯罪の嫌疑がある人の逃亡や証拠隠滅を防ぐことですが、有罪が確定した訳ではなく、所内でもこれまで同様に過ごせることが基本となります。このため医療は健康管理が第一義で、これは執行猶予などの際、社会にスムーズに復帰してもらうための重要な要件と考えています」

もちろん有罪が確定して刑務所に移るケースでも、改善更生を目指す教育や指導を適切に受けるには、本人の健康が何より大切だ。

「そして良好な健康状態のまま、働く技能・習慣を収容中に身につけて退所後に備えることは、再犯防止にも役立つでしょう」

さらに西岡氏は同所の落合氏について、刑務官や薬剤師など多職種との連携も重視する、非常に頼れる存在と高く評価している。

「ご専門の内科のほか精神科にも興味を持たれているようで、一人の医師が幅広く診る当所の診療に適した方と皆で喜んでいます」

なお落合氏は近隣の病院で非常勤医として週1回勤務しているが、これは「矯正医官の兼業の特例等に関する法律」によりフレックスタイム制が導入され、国家公務員である矯正医官も兼業可能になったことを背景としている。

「兼業は医療技術を保ち、一般社会での診療の感覚を忘れないといった効果もあります。またこの制度によってワークライフバランスを重視したり、大学や外部研究機関で調査研究を行ったりと多様な働き方も可能になりました」

各地の矯正施設で兼業制度を利用する矯正医官は増えており、働きやすさに魅力を感じる医師に向いた職場の一つとなっている。

西岡慎介氏

西岡慎介
京都拘置所 所長
法務省入省後、矯正施設の刑務官や矯正局各課職員を歴任したほか、内閣府での業務にも携わる。2018年4月から現職。

京都拘置所

拘置所は法務省が管轄する矯正施設の一つで、主に刑事裁判が確定していない者を収容する施設だ。現在は東京都から福岡県まで全国8カ所に置かれている。中でも京都拘置所は古く、京都刑務所の上京区支所から1941年に京都拘置所として独立。1961年には伏見区の駅近くに移り、現在も約2万平方メートルの敷地を有する。ここは京都駅にも私鉄で3駅という市内中心部で、勤務医が兼業する際の病院選びや、非常勤医の受け入れなどの際にも好条件となっている。所内の医療施設にはX線画像診断装置など必要な機器がそろい、一般的な疾病なら所内で診断・治療が可能。必要に応じて外部の医療機関に移送するなどの連携も図られている。さらに建物の造りが強固なこと、孤立した場合でも水や食糧を備蓄していることから、災害などの非常時に一部を避難所として利用してもらう協定を周辺自治会と結んでいる。

京都拘置所

正式名称 京都拘置所 医務課診療所
所在地 京都府京都市伏見区竹田向代町138
開設年 1941年
診療科目 内科、外科
常勤医師数 2人
所内診察患者数 39人程度/日
(2018年12月時点)