VOL.90
共立蒲原総合病院
婦人科 伊吹 友二氏(53歳)
群馬県出身
群馬県立がんセンターの婦人科で手術、放射線治療、化学療法とがん治療に熱心に取り組んできた伊吹友二氏。50歳を過ぎて転職した病院では、がんの早期発見と緩和ケアが中心だという。地域の急性期病院と連携し、役割分担をすることで地域全体の医療の質を向上させたいとの考えで新たな道を選んだ伊吹氏に、これまでの思いとこれからの理想を聞いた。
リクルートドクターズキャリア10月号掲載
標高3776mの富士山頂近くから駿河湾付近の海抜0m地域まで、多彩な地形と自然に恵まれた静岡県富士市。その海側エリアにある共立蒲原(かんばら)総合病院婦人科に転職した伊吹友二氏の歩みも同様に起伏に富むが、患者への思いは常に一途で熱い。
伊吹氏が医学部を目指したのは人と接するのが好きで、患者を最期まで診るような医師になりたいと考えたからだ。一度はその目標をあきらめて薬学部に進んだが、3年次の病院実習で患者と接する機会があまりに少なく、改めて医学部受験を決意したという。
「当時はまだ医薬分業が本格化する前で、薬剤師は薬剤部にこもりきりの印象。これは私が目指す医療の姿とは違うと感じました」
薬学部卒業後は富山県の大学に入学。熱心に勉強する姿を見て、高校や薬学部でのマイペースさを知る友人たちに「人が変わったようだ」と驚かれたと伊吹氏は笑う。その熱心さは自分の目標に一歩ずつ近づく充実感と、遠回りをした焦りの両方が生んだのだろう。
「ただスタートは遅れたものの、同年代の医師に早く追いつきたいとの思いは強かったですね」
卒業後に産婦人科を希望したのは、がんの手術や不妊治療、更年期症状への対応など外科的要素から内科的要素までが含まれる点に興味を持ったからと伊吹氏。
「しかも私はこのとき30歳を過ぎていたので、手術に疲れたら内科的分野を中心に診ようと、将来も考えた選択でもありました」
伊吹氏は出身地の群馬県に戻り、群馬大学医学部産婦人科に入局。並行して検討していた大学より入局者数が少なく、多くの症例を経験できると考えてのことだった。
「自宅でなく大学近くに借りた部屋から通ったのも、急な呼び出しに応じて少しでも経験を積みたいと思ったからです。EBMも重要ですが、私は当時から経験の豊富さがデータに勝る場合もあると感じ、当直で一緒になった先生方に過去の困難な症例を聞くなど、自分に足りない経験を補う努力も続けていました。当直が年200日になった時期もありましたね」
やがて関連病院を回ることになり、複数の候補を提示されたときはあえて1日の外来患者数が少ない病院を選んだと伊吹氏はいう。
「その病院は常勤医が私を含め3人。それぞれが診る患者数は他の候補となった病院より多く、私が手術を担当できる機会も増えそうだとの期待がありました。さらに手術を受け持った患者さんの外来もそのまま担当できたので、一人ひとりを長く診たいという私の希望にも合っていたのです」
その後、伊吹氏はがん手術の手技を磨きたいと考え、群馬県立がんセンターでの診療をキャリアの中心に据えた。同センターが一人の患者を同じ医師がずっと診る体制だった点にもひかれたという。
「関連病院は1年から数年でのローテが基本でしたが、私は他院の経験も挟みながら計10年ほどがんセンターで診療を続けました。おかげで最初の頃に診た患者さんを10数年後に再度診られるなど、貴重な経験もできたのです」
また伊吹氏は患者との信頼関係を大切にし、手術後はその日のうちに患者を訪ねて容体を聞き、合併症を避けるリハビリのため院内を一緒に歩くことなどもあった。
手術の腕を磨くのが目標だったが、次第に放射線治療や化学療法も含めたがん治療全体に興味を持つようになった伊吹氏。患者の求めに応じて緩和ケアも始め、同センターに緩和ケア科ができた後は協力して患者に対応したという。
しかし治療と看取りを繰り返す中、進行がんを根治する難しさを何度も突きつけられ、早期発見で根治を目指す方向を考え始めた。
「加えて地方では手薄な緩和ケアも提供したいと思いました。がん治療の始まりと終わり、両方が診られる病院を希望したんです」
紹介会社と連絡を取り転職先を検討していた伊吹氏は、検診と緩和のどちらも担当できる共立蒲原総合病院を知り、2018年に同院に入職することになった。
新たな活躍の場に選んだ共立蒲原総合病院婦人科で、伊吹氏はがん検診と緩和ケアを中心に、一般診療も手がける予定だ。
「同科は13年も常勤医不在でしたが、その間は非常勤の先生方による検診が主で、何かの治療が中心といった色付けがなく、緩和ケアの希望も院長やスタッフには快く受け入れてもらえました」
また同院は附帯施設に介護老人保健施設や訪問看護ステーションを持つため、在宅での緩和ケアも可能と伊吹氏は考えている。
さらに院内だけでなく、地域にも緩和ケアの取り組みを伝えようと、静岡がんセンターや県立総合病院、富士市立中央病院といった急性期病院を訪ねたという。
それらの病院でがん治療を受けた患者の経過観察や緩和ケアを同院が担うことで、急性期病院の負担を減らし、地域全体の医療の質を高めたいとの考えだった。
「私ががんセンターで最も悩んだのが外来診療でした。多くの患者さんが待たれているとはいえ、再発した方を数分だけ診て、『はい、次の方』というのはできない相談です。どうしても診療に数十分はかかり、そうなると以降の患者さんを診る予定が大幅にずれることになって、ずっと申し訳ない気持ちで診療を続けていました」
こうした事情はどの急性期病院も同じはずで、うまく役割分担が進めばそれも軽減できるのでは、と伊吹氏は期待を寄せている。
一方で伊吹氏の現在の悩みは同院で行うがん検診なのだという。
「以前にいたがんセンターで行っていたのは二次検査で、がんの疑いがある患者さんが対象。痛みを伴う検査などもある程度覚悟して来院された方ばかりでした」
しかし同院の健康診断センターで診るのは、多くが健康にさほど問題がない受診者だ。企業健診や人間ドックの段階でどの程度徹底した検査を勧めるべきか、これから実際の検診での手応えを探りつつ検討していきたいと伊吹氏。
「私が転職先を探していたとき、『男性医師で婦人科の検診と緩和ケアが希望』という条件で受け入れてくれる病院は、当院を含めごく少数でした。せっかく貴重なチャンスが手に入ったのですから、今後は婦人科検診の受診者を増やす施策も考えたいですね」
医学部卒業後、伊吹氏は多少の時間外勤務も厭わず、患者のための医療を実践してきた。
「その日の勤務を終えても手術した患者さんは必ず見に行きましたし、ちゃんとリハビリしても腸閉塞になったなら、次はこう改善しようと手術も毎回工夫していました。患者さんから『先生が診てくれたから命拾いしたよ』といわれるとうれしかったですね」
ただ近年は体力にも不安が残るため、転職後は他院に任せる部分と自分で診る部分のメリハリをつけるよう気をつけているそうだ。
実は伊吹氏は医学部2年のときに静岡県在住の女性と結婚し、大学時代は富山県、医師になってからは群馬県との間で遠距離生活を続けてきた。同じ静岡県にある同院を選んだのも、そうした生活の見直しを兼ねていたという。
「妻と会うのは年数回というのが続きましたから、さすがに今後は自分と家族のQOLも考えないといけませんね。これまで一緒に出かける機会もあまりなかったのですが、当院に移ってから久しぶりに夫婦で旅行を楽しみました」
患者への一途な思いはそのままに、地域に腰を据えて医療に取り組み、プライベートも重視するという新たな生活が始まっている。
婦人科で外来診療中の伊吹氏。着任を機に同科のリニューアルも進行中。
同院は1955年に2町2村立の病院として静岡市内に開設。1983年の富士市への移転および市町村合併により、現在は富士市、静岡市、富士宮市が共同で運営する公立病院となっている。
「このような背景から当院は地域の中核病院として近隣の医療機関と連携し、住民に必要な医療を提供するという重要な役割を担っています。今回、伊吹先生のおかげで13年ぶりに婦人科の常勤医が復活し、女性のがんなどの診療を手厚くすることができました」
院長の西ヶ谷和之氏は、いつでも同じ医師が診てくれる体制になり、住民の安心感はより増すだろうと顔をほころばせる。
常勤医がいれば複数の診療科で協力が必要な場合もすぐに対応でき、合併症などの医療ニーズにも大いに貢献できると西ヶ谷氏。
「伊吹先生には当面は一般診療と検診をお願いしますが、本人からは緩和ケアの希望も聞いていますし、悪性腫瘍の手術は連携先の病院に紹介して、その後の患者さんや緩和ケアが必要な方を当院で引き受けるといった役割分担を進めたいと考えています」
さらに同院はこの地で医療従事者の安定雇用を生み出し、地域医療と経済の発展に寄与する役割も持っていると西ヶ谷氏はいう。
「そのためには経営の安定は欠かせませんが、ある程度は収益に目をつぶっても診療分野を広く維持するという公立病院の使命もあり、その両立に配慮しています」
このほか医師からの要望に応えて必要な医療機器の導入を急ぐとともに、院内の風通しを良くし、診療科の壁を越えたスムーズな連携を進めるなど、職員が働きやすい環境の整備にも心を砕く。
「私は当院の3つめの役割として、『医師がやりたいことをできる病院』を目指しています。医師一人ひとりが診療面でライフワークを持ち、充実した人生を送れるよう、医師でなくてもできる業務はスタッフが担うといったチームワークも良好です。こうした体制は医療の質の向上や病院運営にも大きく寄与すると考えています」
1955年に開設され、60年以上の実績を持つ同院。現在は急性期、地域包括ケア、療養の各病床を擁するケアミックス病院であり、MRIやCT、ガンマカメラ、マンモグラフィーといった検査機器も充実させ、健康診断センターでの健診・検診業務、在宅医療にも力を入れる。加えて附帯施設として訪問看護ステーション、介護老人保健施設も開設。富士市・静岡市・富士宮市の三市が共同で運営する公立病院として、疾病予防、一般診療、高度医療、二次救急、介護までトータルにカバーし、住民が地域の中で必要な医療を受けられるよう常に機能の拡充を図っている。
正式名称 | 共立蒲原総合病院組合 共立蒲原総合病院 |
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所在地 | 静岡県富士市中之郷2500-1 |
設立年 | 1955年 |
診療科目 | 内科、神経内科、呼吸器内科・呼吸器外科、 糖尿病・内分泌内科、小児科、外科、 整形外科、脳神経外科、皮膚科、 泌尿器科、婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、 消化器内科、放射線科、リハビリテーション科 |
病床数 | 235床(急性期78床、地域包括ケア65床、療養92床)※稼働病床数 |
常勤医師数 | 18人 |
非常勤医師数 | 21人 |
外来患者数 | 314人/日 |
入院患者数 | 217人/日 |
(2018年7月末時点) |
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