VOL.70
北部地区医師会病院
消化器内科 川又 久永氏(51歳)
千葉県出身
海外駐在も経験した商社勤務から医師へ。異業種から転職した川又久永氏にとって、2016年の北部地区医師会病院への入職は2度目のキャリアチェンジ。初期臨床研修を受けた病院というだけでなく、全人的医療も視野に入れた地域医療に貢献したいとの思いから、出身地を遠く離れた沖縄で診療を始めた川又氏に、現在の心境を聞いた。
リクルートドクターズキャリア2月号掲載
商社に10年近く勤めた後で医師になり、出身地の千葉県を離れ、沖縄で診療する川又久永氏。そこには「地域の人々の役に立ちたい」と一貫した思いがあった。
高校卒業時にも医学部に合格したが結局は工学部を選択。その理由を川又氏はこう振り返る。 「当時は患者さんを診ることより、生物学や生命科学の一部として医学に興味を持っていました。ですから工学部で化学を専攻した方が、社会に直接役立つ仕事ができそうだと考えたんですね」
最初の大学卒業後は志望していた商社に入社。しばらく国内外で勤務した後、1993年にインドネシアの子会社に出向し、以後はそこを拠点にアジア諸国でビジネスを展開することになった。
「これも私の希望通りで、もともと商社に入ったのは開発途上の国に行って事業を興し、経済発展に寄与したかったから。それによって現地の人々の暮らしを豊かにしたいと考えていました」
しかし商社も企業である以上、利益次第では事業から手を引くこともあった。工場や事業所の閉鎖により、雇用していた現地のスタッフは一気に行き先を失う。そうした光景を何度も目にした川又氏は、やはり商社では継続的な社会貢献は難しいと痛感する。
「この仕事を続けていけるのかと迷いが大きくなり、NPOなどでの活動も真剣に検討するようになりました。並行して自分が一度は医学部を目指したことも思い出すようになったのです」
現在は発展著しいアジア諸国も、川又氏が駐在していた1990年代は成長途上。現地はまだ医療事情が悪く、川又氏は医師の重要性に改めて気づいたという。
「このときは医学より医療に興味を持ち、専門職である医師を目指すという意識が明確でした。それでも会社に残る、NPOで活動する、医師を目指すという選択肢の中で揺れ続け、数年かけてようやく『社会のために自分ができること、やりたいことは何か』の問いに答えが出せました」
川又氏は海外駐在中に結婚しており、医学部入学のタイミングで第一子が誕生。最初の難関を突破した喜びと今後への不安が入り交る再スタートだったと語る。
「商社でいくつもビジネスを興した経験を生かし、在学中に想定される出費とこれまで貯めた貯金などをもとに、卒業までの収支はシミュレーションできていました。ただ卒業後の収入なども考慮して何とか間に合う状況で、これは絶対に留年できないと(笑)」
もちろん予定通り6年間で卒業した川又氏。その間に家族も増えたが、研修先は地域にこだわらず、自分がしっかり研修できる病院を探したという。現在勤務する北部地区医師会病院は、そうして選んだ初期臨床研修先だ。
「医学部のときは千葉に住んでいて、関東の病院なら何度も見学に行き、自分の考えに合った研修先を探せる点で有力な選択肢でした。また研修が充実している沖縄の病院も候補と考えていましたね」
最終的に同院を研修先にした理由の一つに、1学年当たりの研修医の少なさを挙げる川又氏。
「同じ沖縄でも他の病院の研修医は数十名単位。当院は少人数で忙しい分、多くの症例を診て経験が積めると期待しました」
2009年から始まった初期研修はまさに期待通り充実していた。その後も同院で数年診療を続けた川又氏だが、2013年に千葉県の病院に移って後期臨床研修を受けることを決意する。
「私の目標は患者さんの全身を診る医師でしたが、当院には総合内科はありません。そこで早いうちに内科全般を診療できる病院を経験したいと希望したのです」
またその頃は川又氏の父の体調が優れず、弟から「一度千葉に戻ってほしい」と連絡が来ていたことも大きな理由だった。一時はその病院で診療を続ける考えもあった川又氏。沖縄に戻り、北部地区医師会病院に再度入職したのは2016年、家族全員の幸せを願ってのことだった。
2013年から勤めた千葉県の病院は診療体制の変更などがあったため、川又氏は自らのキャリアを再考する必要が出てきた。以前いた北部地区医師会病院も頭に浮かんだが、それでは家族で千葉県から引っ越すことになる。 宇和島病院とともに、人口減少と高齢化が進む地域の医療を支えている。
「そこで妻や子どもに相談したら、全員沖縄に戻ることに大賛成でした。もともと子どもたちは沖縄で育ったようなもの。インドネシア生まれの妻も、故郷の雰囲気に似ている沖縄に住みたかったようで、引っ越した方がみんな幸せになれるとわかったのです」
懸念していた父の体調も落ち着きをみせ、自分の弟が父の近くに住むことになった安心感もあって、川又氏は転職活動に入った。
「といっても当院院長の諸喜田先生と会って話しただけで(笑)。一応、会う前に沖縄県内のほかの病院も検討してみましたが、どこも私なりの将来像がうまく描けず、そうした悩みも正直に院長に伝えると、『急性期をやりたいならうちでどうだ?』『はいお世話になります』と即決でしたね」
また川又氏は諸喜田氏の人柄、消化器内科医としての実力、病院経営の実績などに強くひかれていたことも理由だと語った。
同院に再入職して数ヵ月後、川又氏は以前の病院で必要とされた技術が、同院ではさほど重要ではない現実にも直面した。例えば川又氏の専門は消化器内科だが、沖縄はピロリ菌のタイプの違いなどで胃がんが少なく、また肝臓がんも少ないなどの特色がある。
「一方で高齢化、食生活の変化の影響は本土と同じで、大腸がんは急増していますね。消化管の内視鏡検査は消化器内科の基本中の基本。そこに立ち返り、さらに磨きをかけたいと考えています」
同院での内視鏡検査は上部で約6700件、下部で約1600件(いずれも2015年実績)と病院規模に比して多く、十分な経験によって技術は大幅に向上すると川又氏は見込んでいる。
こうして自らの専門性を高めると同時に、同院では地域医療の中核として近隣の診療所と密接に連携し、また健診や人間ドックを通して未病の段階から地域の人々と関わる機会も増えていくはずだ。
「内視鏡検査で大腸ポリープを取って終わりではなく、その後は近くの診療所で継続して診てもらい、何かあればまた当院で引き受けるといったように、この北部地域全体で患者さんの健康を支える意識が強くなりました。私が考えていた全人的医療に近い診療が実現できると期待しています」
商社で海外駐在経験もある川又氏は、通算5年となる沖縄での生活をどう感じているだろうか。
「地域で温度差はあるのでしょうが、昔から海外との貿易が盛んだったせいか、違う土地で育った人でもすんなり受け入れてくれる気風で、暮らしやすいですね」
現在、川又氏の自宅は病院からやや離れたところにあり、車で往復2時間かかるという。
「通勤する道も都心の渋滞道路と違って美しい海岸沿い。ちょっとしたドライブ気分で、朝日や夕日を眺めながら海岸線を走るのは、いい気分転換になりますよ」
また以前からサーフィンと自転車が趣味だったという川又氏。休日にはそうした楽しみも満喫できると笑顔で語る。
「有名な自転車レース『ツール・ド・おきなわ』にも参加しましたが、自転車で海岸線を走るとさらに楽しく、本当にすてきなところだと実感します。家族と一緒にずっと沖縄で暮らしたいですね」
「ツール・ド・おきなわ」で沖縄北部の山中を走る川又氏。
沖縄県の全面積の4割近くを占める北部地域に、急性期病院は2院しかない。その一つである同院はこの地域の中核病院として、他の総合病院や近隣の診療所と連携を図り、診療を行っている。
「当院の診療科は決して多くありませんが、いたずらに増やすより質を充実させる方針。地域の医療ニーズを考慮し、がんや生活習慣病の診療、病気の予防や早期発見を目的とした健診や人間ドック、救急に力を入れています」
同院のがん診療のレベルは県内有数で、患者の紹介も多いと院長の諸喜田林氏は語る。また医師会立の病院だけに地域の医師のことも熟知しており、逆紹介の際は専門性はもちろん患者との相性なども考慮し、地域全体で患者を支える体制を重視するという。
諸喜田氏が目指すのは10年後、20年後も北部地区で安定した医療を提供すること。チーム医療の充実はその方策の一つだ。
「患者さん一人ひとりを病院全体で診るという意識、医師や看護師、コメディカルスタッフといった職種の垣根を廃した環境を徹底し、チーム力を向上させています」
医師も診療科別でなく全員同室にいて、その場で患者の情報を交換し症例検討が始まるなど、自由に交流する気風が根付いている。
「川又先生は商社勤務後に医師になり、千葉県の病院でも診療されています。そうした多様な経験が育んだ考え方や文化を、当院で自由に発信してほしいですね」
一方で今後は院内での人材育成に力を入れ、外来診療のトレーニングも充実させたいと語る。
「最近の民間病院は、若い医師が先輩の外来診療を見ることが減りましたが、当院では経験の浅い医師に外来診療に同席してもらい、勉強の機会を増やすつもりです」
2016年10月に地域包括ケア病棟も開設し、急性期の治療後も一定期間をサポートして、患者を地域に受け入れてもらいやすい状態で戻せるようになった。
「今後も近隣の診療所や福祉サービスとの連携も深め、地域包括ケア体制を充実させます」
公益社団法人北部地区医師会により、「地域医療への貢献」を理念に設立された中規模の急性期病院。医師会立および地域医療支援病院という背景から沖縄県北部地域の医療機関とも密接に連携し、後方支援病院の役割を担っている。また救急外来で24時間救急対応を行うほか、がんや生活習慣病の診療、リハビリテーション、健康診断や人間ドック等にも力を入れる。医師、看護師、コメディカルの垣根を無くしたチーム医療を目指している。
正式名称 | 公益社団法人 北部地区医師会 北部地区医師会病院 |
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所在地 | 沖縄県名護市字宇茂佐1712-3 |
設立年 | 1991年 |
診療科目 | 消化器内科、呼吸器内科、 内分泌代謝科、放射線科、 消化器外科、乳腺外科、病理診断科、 麻酔科、整形外科、リウマチ科 |
病床数 | 200床(一般175床 地域包括ケア25床) |
常勤医師数 | 36人 |
非常勤医師数 | 60人 |
外来患者数 | 196人/日 |
入院患者数 | 155人/日 |
(2016年11月時点) |
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