VOL.47

尊敬する医師、
信頼できる仲間と力を合わせながら、
“攻めの二次救急”に挑戦する。

医療法人社団永生会 南多摩病院 救急科・循環器科部長 
関 裕
氏(44歳)

東京都出身

1997年
聖マリアンナ医科大学卒業
国立国際医療センター(現国立国際医療研究センター)で内科研修医
1999年
国立国際医療センター 循環器内科レジデント
2001年
国立病院東京災害医療センター
(現独立行政法人国立病院機構災害医療センター)循環器科
2005年
東京西徳洲会病院 循環器科
2006年
東京医科歯科大学医学部附属病院 救命救急センター
2010年
国立国際医療研究センター 総合診療科
2012年
医療法人社団永生会 南多摩病院 救急科・循環器科部長
2014年
医療法人社団永生会 南多摩病院 診療副部長(救急科・循環器科部長)

人口約58万人。八王子市は東京都有数のベッドタウンだ。同市西部に位置する南多摩病院は、2012年に救急棟を新設し、それまで手薄だった地域の二次救急医療を担っている。立ち上げの中心となったのは、いくつもの急性期病院で経験を積んできた関裕氏。その後、救急医学をけん引する益子邦洋氏を招聘し、八王子市の新しい救急医療を展開している。

リクルートドクターズキャリア3月号掲載

BEFORE 転職前

循環器と救急医療を兼務し、
忙しさを楽しみながら患者に感謝される場が理想

医局に属さず、自身の力と医師同士の縁で道を拓く

「循環器科と救急が、性に合っているんですよ。心臓が止まりそうに苦しくて搬送されてきた患者を治療し、2週間後に退院できるようにする。そんな短期勝負がいい」

南多摩病院(東京都八王子市)診療副部長の関裕氏の表情には、充実感がみなぎっている。循環器科をメインにしつつも、サブスペシャリティーとして救急医療に携わり、地域の二次救急を担っている。いわば二足のわらじを履くキャリアは、1997年に聖マリアンナ医科大学を卒業後、医局に属さずに切り開いてきた。

国立国際医療センター(現国立国際医療研究センター)で内科研修を受け、同院循環器内科のレジデントに。その後、国立病院東京災害医療センター(現国立病院機構災害医療センター)循環器科に入職し、救急医療と出会った。「救命救急センターの大きな病院でしたので、必然的に救急医療にも触れました」

当時は、救急が独立した講座として認識されるようになって間もない頃。救急を大きな柱とする病院がそれほど多くなかった中、大きなやりがいを見いだした。

05年には、災害医療センターの上司の医師に誘われ、東京西徳洲会病院の立ち上げに参画。循環器科と救急医療に携わった。翌06年には、もっと本格的に三次救急を学ぶために、東京医科歯科大学医学部附属病院救命救急センターの立ち上げに関わる。かつての上司が同センター長に就任することから、「一緒にやらないか」と誘われたのだ。「しっかりと救急のスキルを身に着けるため、循環器のほうは非常勤のアルバイトにとどめました。4年間、交通事故の患者などを対象とした外傷外科を学びました」

現在勤務する南多摩病院へ招かれたのは、この時期だ。12年に救急医療センターや循環器センターなどを有する新棟を建設し、疲弊していた八王子市の救急医療を救う計画である。関氏がこれまで培ってきた循環器科と救急のスキルを最大限に発揮できる。「やりがいがある話。ぜひ協力したいと即断しました」

ただ、4年間にわたり救急医療を中心としていたため、循環器内科の知識を復習したいと感じた。タイミングよく、かつての先輩医師が国立国際医療研究センターで総合診療科を立ち上げると聞いて、参画した。同時に、南多摩病院に非常勤医として勤務し、救急医療の“地ならし”を始めた。「それまでの南多摩病院は、平日の救急をほとんど受けていない状態でした。新棟のオープン前から少しずつ救急の受け入れを増やし、救急隊に救急に力を入れていく旨を認知してもらいました」

病院や診療科の立ち上げに関わり、ノウハウを学ぶ

一ヵ所に安住せず、求められた病院に快く赴き、活躍する。関氏のフットワークのよさは、目を見張るものがある。一人で病院を渡り歩くことに大変さはないかを問うと、「自分で楽しみながら働いていますから」と笑顔を返す。「入職直後は、その病院のローカルルールがわかりませんから、ひたすら働きます。人が嫌がること、面倒くさいことをやったり、誰かが残らなくてはならない時に手を挙げたり。若干の苦労はありますが、自分の勉強にもなります。あとは楽しく、ネガティブなことを言わずに仕事をしていれば、いつの間にか周囲に打ち解けます」

これまでに計4回、病院や診療科の立ち上げに関わってきた。特に立ち上げにこだわってはいないが、学ぶことは多いそうだ。「すでに仕事の流れが決まったところと違い、立ち上げ時はみんなでコンセンサスを取りながら物事を決めていきます。一つ一つのシステムがなぜ必要かがわかりますから、自分が何かを立ち上げようと思った時に役立ちます」

以前から、大きな病院組織で出世するより、ベンチャービジネスのように新たな場を開拓するタイプだと自覚していた。「ユートピアを作りたいんですよね。学生時代の部活のような雰囲気、とは言い過ぎかもしれませんが、みんなで忙しさを楽しみながら仕事をして、患者に感謝される場。それが私の理想です」

12年4月、南多摩病院に転職し、理想の実現に挑戦している。

AFTER 転職後

新たな救急医療センターで「断らない医療」を展開。
八王子の救急を強化する挑戦

立ち上げ2年で救急車台数4000台を突破

南多摩病院救急医療センターは「断らない医療」をコンセプトの一つに掲げる。年間の救急車の受け入れ台数は2014年10月時点で4000台以上。12年の開設当初の年間約800台から5倍以上に伸びた。関氏は循環器科を診ながら、救急にも対応している。典型的な1週間の流れはこうだ。「月曜日は私が救急当番。朝8時半から夕方まで救急外来を診て、カテーテル手術の時間が来れば手術室に入ります。火曜日は循環器科の病棟と新患外来。午後にペースメーカー手術をすることもあります。水曜日は午前から夕方まで循環器科の外来で、ひっきりなしに心エコーを撮っています。木曜日は1日中カテーテル手術。金曜日が唯一、病棟だけを診ている日です」

日中の救急外来と夜間の当直は、以前の勤務先の後輩や、一緒に働いていた若手医師が非常勤で支えている。また、循環器科の常勤医も、関氏がかつて勤務していた病院の仲間だ。「常勤医も非常勤医も出身大学はばらばらです。全体的に明るく、新しく入職した医師に対してもフレンドリーに接していますね。私自身、一人でいろいろな病院に勤務してきましたから、外から入る側の気持ちもよくわかります」

元北総病院の益子氏を招聘。現場はさらに活気づいた

14年からは、前日本医科大学千葉北総病院救命救急センター長の益子邦洋氏が院長に就任し、現場はさらに活気づいた。益子氏は、日本の救急医療にドクターヘリを定着させたことで知られる。その経験と実績に裏付けられたビジョンや存在感で、「八王子の救急医療を変えられる」と関氏は胸を躍らせる。「益子先生は、何かあった際の責任を全部自分が取ると明言してくださいました。救急で人手が足りない時に電話をすると、数分後には満面の笑みで現れます。するとみんなが落ち着いて医療に没頭できるようになり、慌ただしかった救急外来がスムーズに回ります。自分たちだけの力では、年間救急車台数3000台から3500台ぐらいが精いっぱいでしたが、益子先生が院長に就任して以来、その壁を難なく超えました」

救急隊との関係作りにも尽力している。基本は「断らない医療」を実践しているが、二次救急病院の機能を超える患者は受け入れが難しいこともある。そんな時、関氏は必ず自分が表に出る。看護師や事務スタッフに断らせることはしない。「救急隊からの電話に出て名前を名乗り、『こういう状況になった時に当院では対応できないため』と具体的に説明します。医師が理由を話せば、救急隊も納得し、その後もいい関係を維持できます」

立ち上げから3年がたとうとする今、日々の業務は多忙だが、関氏はそれが楽しいと言う。患者数の増加に比例するようにやりがいも増しているからだ。「研修医の頃から、ベッドが多く医師が少ない病院を望んでいました。きっと、忙しい病院からそうではない病院には転職しやすいのではないでしょうか。でも、その逆は難しい。今の忙しさが楽しめるうちは、どっぷり浸かっていようかなと思うんです」

理想とする“忙しさを楽しみながら仕事をして、患者に感謝される場”はすでに達成しているかに見えるが、関氏は「まだまだこれから」と気を抜かない。今後の展望について、次のように語った。「当院を含む永生会グループは、救急から一般急性期、リハビリテーション、高齢者住宅まで運営しています。“八王子に生まれたら必ず永生会を使う”というくらいに発展させたいですね」

八王子での新しい挑戦は、これからが本番となりそうだ。

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
一歩一歩、地域での役割を果たしたい

地域医療の課題の根幹は二次救急医療の疲弊

「日本全国で地域医療の構築が課題になっていますが、その根幹にあるのは二次救急の疲弊・崩壊です。私は36年間、三次救急一筋でしたが、今度は二次救急で地域に貢献したいと思います」

南多摩病院院長の益子邦洋氏はこう語る。2014年4月に現職に就任以来、関氏と共に「断らない医療」を実践してきた。

関氏の第一印象を尋ねると「非常に明るく、モチベーションも高く、何事にも前向きな医師」との答えが返ってきた。若手医師やコメディカルをまとめるリーダーシップもずばぬけているそうだ。

この1年弱の間で、すでに救急医療が充実してきた手応えを感じている。「救急科の医師、スタッフの努力のおかげで、救急隊との信頼関係もできましたし、地域からの信頼を得ている実感もあります」

地域包括ケアのサポート、予防医療、介護予防にも尽力

病院全体としては、救急医療のほかにもさまざまなミッションを持っている。「急性期病院として、地域包括ケアシステムの構築をサポートすること。そして、予防医療や介護予防にも力を入れ、地域住民の健康維持に貢献することです。院内のあらゆる科が総力をあげて、地域での役割を果たしていこうと考えています」

これから受け入れたい医師像に関してはこんな思いを抱いている。「二次救急病院の役割をしっかり理解して、地域貢献できる医師。また、チーム医療のまとめ役としてのリーダーシップも大切です。医療を行う上で壁にぶつかった時に、できない理由を探さないで、どうすればできるかを常に考える医師にぜひ来て欲しいですね」

南多摩病院は、患者の命と健康を守るために、医師が思いっきり活躍できる場だ。益子氏は、「そのために私ができる支援は惜しみません」と語る。一歩一歩、二次救急病院としての役割を果たし、さらなる発展を目指している。

益子 邦洋氏

益子 邦洋
医療法人社団永生会 南多摩病院 院長
1973年日本医科大学医学部卒業。日本医科大学第三外科入局。78年同大学付属病院救命救急センターへ出向。85年米国ミネソタ州ロチェスター市メイヨークリニックへ留学。97年より日本医科大学千葉北総病院救命救急センター長。13年同院副院長に就任し、14年定年退職。同年4月より現職。

医療法人社団永生会 南多摩病院

JR西八王子駅徒歩約1分。地域の二次救急医療を担っている南多摩病院。病院救急車の出動や、救急隊との関係強化によって積極的に救急対応をしている。また、八王子市、医師会、消防などと連携した「八王子市高齢者救急医療体制広域連絡会」のメンバーとして、高齢患者の救急対応にも力を入れている。同院の母体である永生会は、救急から一般急性期、回復期、慢性期、高齢者施設などまで運営している。法人内ですべての病期に対応できる体制を整え、地域住民の信頼を集めている。

医療法人社団永生会 南多摩病院

正式名称 医療法人社団永生会 南多摩病院
所在地 東京都八王子市散田町3-10-1
設立年月日 1954年
※2009年、東京都国民健康保険団体連合会より医療法人社団永生会が経営承継。
12年リニューアル。
診療科目 内科、外科、整形外科、消化器内科、
消化器外科、呼吸器内科、神経内科、小児科、
皮膚科、泌尿器科、眼科、婦人科、
リハビリテーション科、放射線科、麻酔科、救急科、
循環器科、人工透析センター
病床数 170床
常勤医師数 33名
非常勤医師数 70名
外来患者数 584.4人(1日平均)
入院患者数 147.5人(1日平均)