VOL.35

外科、緩和ケアを経験し、
在宅診療で患者を看取る
やりがいに気づいた。

医療法人社団八心会 上田医院 在宅診療科 
佐藤 拓道
氏(46歳)

青森県出身

1996年3月
北海道大学医学部卒業
1996年4月
千葉大学医学部第一外科入局
2000年4月
千葉県循環器病センター入職
2002年7月
国家公務員共済組合連合会 六甲病院緩和ケア科 入職
2003年4月
総合病院桜町病院 聖ヨハネホスピス入職
2004年6月
聖路加国際病院緩和ケア科入職
2009年4月
日本赤十字社医療センター緩和ケア科入職
2012年4月
上田医院入職

国の方針として、病院から在宅への移行が進められている。これまで急性期医療を担ってきた医師の中にも、先々のキャリアに「在宅」が選択肢の1つとしてあがりつつあるのではないだろうか。佐藤拓道氏は、外科、緩和ケアと経験を重ね、次のステップとして在宅を選んだ。急性期でもない、病院でもない医療だからこそ得られる充実感があると言う。不必要な薬は使わず、患者の自由を制限する医療介入もできるだけ行わない。そうした医療方針は地域でも好評だ。「住み慣れた家で穏やかに最期を迎えたい」という患者の思いに応える日々は、やりがいに満ちている。

リクルートドクターズキャリア2月号掲載

BEFORE 転職前

かつて同じ病院に勤務していた医師との偶然の再会、
そして決断。

卒緩和ケア病棟は「生きる力を与える場所」

着実に、ステップアップを重ねながら、理想の医療にたどり着く。佐藤拓道氏のキャリアは、そう言い表すことができる。

北海道大学医学部を卒業後、千葉大学医学部第一外科(当時)に入局。消化器外科医として、医師人生を踏み出した。最初の転機が訪れたのは卒後6年目。医局のつながりによって、広島大学原爆放射線医科学研究所で研究することになった。

「研究テーマは、手術ができない進行がん患者に対する化学療法でした。死期が迫った患者の医療に関する研究で関心はありました。ただ、程なくして自分が目指すベクトルは別であることに気づきました」

その頃、佐藤氏の脳裡に浮かんでいたのは、同じ千葉大第一外科出身である山崎章郎氏の著書だった。山崎氏は日本のホスピスの第一人者として知られる。緩和ケアに対する関心を抱き続けていた佐藤氏は、原爆放射線医科学研究所を退職し、思い切って転職した。

「全国で16番目に緩和ケア病棟の認可を受けた六甲病院を見学し、大きなカルチャーショックを受けました。がんで入院していた女性患者が『ここに来て初めて、もっと生きたいと思った』と言っていたのです。一般病棟での治療はつらかった、と。かつて緩和ケア病棟は『死を待つ場所』というイメージが一般的でした。しかし、ここは違う。『生きる力を与えてくれる場所』なのだと意識が変わりました」

佐藤氏は、緩和ケア医として歩み始めることを決意した。

「もう手術はしないと思うと、若干の寂しさはありましたが、緩和ケアへの関心の方が上でした」

六甲病院ではモルヒネの使い方など、緩和ケアに必要なスキルを一通り教わった。外科と特に大きく違うのは、患者との会話だった。

「例えば点滴を抜く時、手早く処置をするだけでは十分ではありません。緩和ケア病棟の患者は、自分の体調に対する不安が強いため、処置をするたびに声を掛けることが大切です」

六甲病院に入職した翌年には、山崎氏が開設した桜町病院聖ヨハネホスピスで1年間の研修を受けた。

「山崎先生はイメージ通りの優しい医師で、毎日が充実していました。声のかけ方一つ一つから、『これがホスピス医か』と感じ入りました」

国内有数の緩和ケアの現場で、スキルを身につけた佐藤氏。桜町病院での研修を終えたあとは、ちょうど医師を募集していた聖路加国際病院緩和ケア科で2年間勤務。その後、日本赤十字社医療センターへ転職して6年間勤務した。この2つの病院を振り返って、佐藤氏はこう語る。

「人生の最期をソフトランディングさせる医療は、非常にやりがいがありました。穏やかな臨終の時は、患者家族から感謝の言葉をもらうことも多かったですね。ただ、やはり最期は『家』ではないか、という思いも沸いたのも事実です」

病院での看取りに「疑問」を感じて

一般病棟に比べて、緩和ケア病棟は医療的な介入が少なく、患者を管理する度合いは弱い。それでも、少なからず自由は制限される。

「例えば、転倒防止マット。医療安全のためには必要なのかもしれませんが、緩和ケア病棟にも必須なのか。あるいは、末期がんの患者の『最期にタバコを吸いたい』という思いを制限するのが、果たして妥当なのか、疑問を感じました」

ちょうど期を前後して、医師転職会社から訪問診療医募集の案内が届いた。いくつかの医療機関を比較検討し、出会ったのが上田医院である。奇遇なことに、上田聡院長は、佐藤氏と同時期に千葉県循環器病センターに勤務していた。

「時々、循環器のことで上田先生にコンサルトしていましたので、安心感を覚えました。面接でお会いし、何人もの患者を在宅で看取っていると伺って、率直に『自分も何か手助けできたら』と思いました」

外科、緩和ケア、そして在宅へ。3度目のステップアップに挑戦した。

AFTER 転職後

これからの医療は
在宅で看取りをするクリニックが当たり前になるだろう。

必要以上に薬を使わず穏やかに看取る

60代男性、末期がん。この患者が、佐藤氏が初めて在宅で看取った症例である。

「急変の知らせが来たとき、ちょうど上田先生は外来中で、私が向いました。患者の自宅に着くと、緩和ケアと同じように処置をして、家族に今後どうなるかを伝え、そのまま最期の時を待ちました。無事にソフトランディングするまでの間、家で看取ることの意味や、在宅診療の温かさを感じました」

上田医院では個人宅150人、施設150人の患者を、院長の上田氏と佐藤氏、そして50代のベテラン非常勤医の3人体制で受け持っている。がんを含め、さまざまな疾患の患者が含まれるが、佐藤氏によると「死亡する患者の80~90%は老衰」である。嚥下が困難になり、徐々に体力が衰えていく間、薬の投与は控えめにしながら症状をコントロールする。

「上田先生は、年を取れば取るほど、医療介入は少ないほうがいいとお考えで、私も共感しました。症状コントロールが難しい患者や、本人が薬を使って欲しいと望む場合は処方しますが、そうしたケースは意外なほどに少ない。むしろ、それまで飲んでいた複数の薬を減らすことで元気になり、死期が近づいても自宅で過ごすことができます」

もちろん、転倒防止マットは敷かず、日常生活上の制限は最小限だ。かつて病院での看取りに対する違和感は、今はもうない。佐藤氏は、転職によって医師として本当にやりがいを感じられる医療を手にした。

医師の負担は限定的。休日の代診はごくわずか

上田医院のスタッフと、佐藤氏(中央左)、上田院長(中央右)。
上田医院のスタッフと、佐藤氏(中央左)、上田院長(中央右)。

在宅診療と言えば、24時間・365日の対応が求められるイメージがあるが、上田医院では医師の負担は限定的だ。週4日、午前は地域の在宅、午後は外来。水曜日は終日、少し遠くの患者を訪問する。これが、現在の佐藤氏の平均的なパターンである。

「無理のない範囲で、密度の濃い医療ができています。休日はお互いに協力しながら休んでいますが、2年間で代わりに対応した例は数えられる程度ですね」

また、訪問看護ステーションや居宅介護事業所が併設されているため、医療―介護の連携がスムーズで、ストレスなく診療に打ち込むことができる。当初、佐藤氏は、在宅のノウハウを覚えて自分で開業することも考えていたが「今のままで満足しています」と笑顔を見せる。さらに、こう付け加えた。

「今は在宅での看取りができるクリニックは限られていますが、昔のようにそれが当たり前の時代になると思います。上田医院に転職したことで、医療の原点を思い出させてもらえました」

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
医療法人社団八心会 上田医院 院長 上田聡氏

研修医時代から感じていた「思い」を在宅で実現

最期まで病院に送らず、自宅で看取る。この上田医院の基本スタンスには、院長の上田聡氏自身の経験が反映されている。上田氏は、自治医科大学循環器内科や榊原記念病院などで、循環器の高度専門医療に携わってきた。1万人以上の患者を診て、500例以上のカテーテル治療を行ったが、研修医の頃から一貫して感じている思いがあった。

「先端医療で救える命はたくさんあります。しかし、それは医療の一部分でしかない。患者の最期まで診る全人的な医療を、どこかで渇望していました」

35歳で開業。在宅診療への道に歩み進めた。もっともやりがいを感じるのは、患者の臨終を待つ時だ。

「患者や家族にとって、この上なく大切な時間です。ここでは、小手先の技術ではなく、自分の人間性が問われている気がします。それにこたえられたときの満足感は大きい」

看取りの際は、死因の伝え方を大切にしている。病院での死亡の場合、直前に誤嚥性肺炎を起こしていれば「死因:誤嚥性肺炎」となることが多いが、上田氏は違う。

「誤嚥すること自体は老いの過程の1つです。激しく大きく誤嚥せずに過ごせれば、徐々に衰弱して死亡する老衰に数えられると私は思います。患者の家族には、『病気で亡くなりました』ではなく『天寿を全うしました』と伝えるようにしています。多くの医師は心のどこかに似た思いがあるのではないでしょうか」

こうした診療方針は評判になり、口コミや病院からの紹介で上田医院を訪れる患者は増えている。まだ動けるうちから「寝たきりになったらお願いします」と、外来で“予約”をする患者もいるほどだ。

本気で在宅を学びたい医師に二つとない環境

現在、法人内には訪問看護ステーションやデイケア、デイサービスなど、介護領域の事業所も持っている。2013年4月に新設した住宅型有料老人ホーム「我が家中国分」は、家庭の事情等で、在宅が難しくなった患者を引き続き診るために建てた。「最期まで診たい」という信念は、法人の経営方針にも貫かれている。

今後は、医療・介護の密な連携を取り、質の高い在宅診療を目指している。これから在宅への参入を検討している医師へのアドバイスを尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「在宅診療は内科医中心の領域と思われるかもしれませんが、元の診療科は問いません。佐藤先生は消化器外科ですし、整形外科、麻酔科などの経験も生きる場です。むしろ、各専門領域を持ち寄ることで、強いチーム医療が実現するでしょう」

上田医院は外来、個宅・施設それぞれの診療を経験できる。本気で在宅を学びたい医師にとって、間違いなく満ち足りた勤務環境だ。

上田 聡氏

上田 聡
医療法人社団八心会 上田医院 院長
東京都出身。1991年山形大学医学部卒業。自治医科大学循環器内科、榊原記念病院、千葉県循環器病センターなどを経て、02年東京都内に開業。07年から千葉県市川市に移り、在宅診療を中心とする上田医院を開院。

医療法人社団八心会 上田医院

千葉県市川市北部の地域医療を守るクリニック。末期がんをはじめ、ほぼすべての領域の患者に対し、在宅診療を提供している。訪問先は個宅・施設がそれぞれ150件ずつ。3人の医師が交替しながら対応している。外来も開設しており、幅広い経験を積むことができる。同じ法人内には、居宅介護支援時事業所、訪問看護ステーション、デイケア、デイサービス、住宅型有料老人ホームも有している。外来、個宅、施設のあらゆる面で、医療・介護の切れ目のないサービスを展開している。

医療法人社団八心会 上田医院

正式名称 医療法人社団八心会 上田医院
所在地 千葉県市川市中国分2-11-6
設立年月日 2004年9月1日
診療科目 循環器科、消化器科、呼吸器科、アレルギー科
内科、在宅診療科
病床数 なし
常勤医師数 2名
非常勤医師数 1名
看護師数 22名
外来患者数 1日平均45人(2014年1月末日現在)