VOL.57

卒後10年目の決意。
「形成外科医の少ない地域で
住民の方々の役に立ちたい」

久喜総合病院
形成外科 医長 信太 薫氏(38歳)

佐賀県出身

2005年
佐賀大学医学部卒業
高木病院 初期研修
2007年
昭和大学形成外科 後期研修
2008年
鶴岡市立荘内病院
2009年
昭和大学横浜市北部病院
2010年
熊本機能病院
2011年
佐賀大学
2012年
今給黎総合病院
2015年
久喜総合病院

先々のキャリアをどのように描くか、卒後10年目頃、立ち止まって考える医師が多い。信太氏も、その一人。形成外科医として培ってきた経験を、どこでどう生かすかじっくり考えた。導き出された答えは、医師の少ない埼玉県東部で、地域住民に貢献することだった。自分の専門性を発揮し、患者に感謝される。そうした臨床医としての原点を大切にしている。

リクルートドクターズキャリア1月号掲載

BEFORE 転職前

誰かの代わりではなく、
自分がいること自体が
地域医療の充実につながる

情報工学の世界から医学部に転身した

久喜総合病院(埼玉県)形成外科医長の信し太だ薫氏にとって、はじめのキャリアチェンジは医学部に入る前。九州工業大学の情報工学部に在学していた頃だった。「生物システム工学科を専攻し、生物系の研究者を目指していました。少なからず医学と近い分野で、学び進めるうちに人間に対する研究をしたい思いが高まりました」

九州工業大学(福岡県)を退学し、地元の佐賀大学医学部に入学し直した。医学部での勉強や実習などは、臨床医へと方向づけた。「患者からの『治してくれてありがとう』『助かりました』といった感謝の言葉は、研究職とは違ったよさがあると思いました」

2005年に佐賀大学医学部を卒業後、初期研修2年目の時に形成外科医になることを決めた。先輩医師に誘われたことがきっかけだったが、診療内容そのものにも強くひかれた。「形成外科は、頭部から手足まで、さまざまな部位の手術に携わります。もともと外科系志望で、脳神経外科や心臓血管外科なども見学しましたが、広範囲を診る形成外科に最も関心を持ちました」

後期研修は昭和大学(東京都)形成外科で受けた。全国的にも規模の大きな医局で、形成外科のジェネラリストを育成する方針を持ち、東北から九州まで広範囲に医師を派遣している。

信太氏によると、形成外科は一つの病院で全領域を経験することが難しいそうだ。「ある病院では顔面だけ、小児の先天奇形だけ、指の切断など外傷だけというふうに、病院ごとに特色を持っています。悪性腫瘍に関する形成外科手術は、がんセンター以外ではあまり実施しません。そのため、他の大病院に行って経験を積むことが一般的です」

信太氏自身、鶴岡市立荘内病院(山形県)や熊本機能病院、今いま給き黎いれ総合病院(鹿児島県)など各地の病院を回って経験を積み、専門医を取得した。「幅広い領域の手術に携わった中でも、顔面骨骨折や外傷、悪性腫瘍を専門にしました」

途中、2011年には佐賀大学へ戻り、研究や論文執筆に打ち込んだ。13年には博士号を取得している。

常勤医不在の形成外科でこれまでの経験を生かす

転機が訪れたのは、15年のはじめだ。医局人事で、現在勤務する久喜総合病院か、他県の小児センターのどちらかへの赴任を求められた。当時、卒後10年目。形成外科医としてのキャリアをどう描くか、立ち止まって深く考えた。「同期の医師は開業したり、部長職に就いたりしていました。私も今給黎総合病院では医長を務めていましたから、そのまま残る道もありました。しかし、今給黎総合病院には形成外科医が3~4人おり、自分がいなくても成り立つ状況でした。他の地域の病院で力を発揮したいと思いました」

久喜総合病院のある埼玉県東部は、人口に対する医師数の不足が顕著であることで知られる。特に形成外科医は少なく、当時、同院の形成外科は常勤医が不在だった。「ここなら、誰かの代わりというより、自分がいることで地域医療の役に立ち、大きなやりがいがあるのではと考えました。形成外科として未開の地で、自分の力を試したい気持ちもありました」

自身の得意分野が病院の主力分野とマッチ

小児センターではなく、久喜総合病院を選んだ理由は、地域特性だけでなく、診療内容の魅力も大きい。同院は救命救急医療と、がん診療を病院の柱としている。それまで信太氏が培ってきた外傷や、悪性腫瘍に関する手術の技術が大いに求められる。症例数が豊富で、自分の技術をいっそう研くには最適の場だった。「例えば交通事故などで顔面骨骨折を受傷した時、遠くまで行かなくても当院で手術ができることは、地域の患者にとって非常にメリットを感じていただけるのではないかと思いました」

患者の役に立ち、感謝される──。信太氏が臨床医になった原点である。久喜総合病院への入職は、それを日々実践するためのキャリアチェンジであった。

AFTER 転職後

働きやすく、ストレスを
感じることのない環境で
数多くの症例を経験できる

入職からわずか半年で売り上げが5倍以上アップ

信太氏が久喜総合病院に赴任したのは15年4月。以来、形成外科は目に見えてレベルアップした。埼玉県南部や東京都北部からの患者紹介が増え、科としての売り上げは半年で5倍以上に増加。現在も高い水準を維持している。「基本的に患者を断らず、大きな手術も行うことで、どんどん紹介してもらえるようになりました」

現在、同院の形成外科は信太氏のほか、3人の非常勤医が昭和大学から派遣されている。普段は東京の病院で働く非常勤医が「初期対応が必要な熱傷や顔面骨骨折、腕の外傷などはここのほうが多い」と言うほど、久喜総合病院の症例数は充実している。「地理的に東京からさほど遠くないのに、東京のように症例の奪い合いになることはありません。手術の経験を積みたい医師にとって、非常に有利な病院だと思います」

効率よく手術を回すために、時間の使い方を工夫している。典型的な1週間の流れはこうだ。「月曜は丸1日手術です。火曜と木曜は手術室がすいている午前中を手術枠にし、午後から外来に入ります。こうすることで他科の手術とバッティングせず、比較的、自由に手術室を使用できます。ただ、患者によっては午前の外来を希望するので、金曜だけは午前外来、午後手術です。病棟は合間の時間を見つけて回診しています。水曜は他院に外勤に行っています」

多忙ではあるが、過度な負担がかかっているわけではない。毎日の出勤は午前8時で、午後7時頃には帰宅できる。当直は月3回が基本だ。病院の働きやすさには満足している。「病院自体、5年前に新築移転したばかりで新しく、設備もきれいです。また、看護師は優しく、やる気もあります。手術室も病棟も、緊急の患者を入れても嫌がることなく、むしろ積極的に手伝ってくれるのです。麻酔科の医師も非常に協力的で、急な手術にも全身麻酔をかけてもらえます。全くストレスを感じることなく、日々の診療ができています」

信太氏は、これまで専門としてきた手術はもちろん、新しい領域にもどんどん挑戦していきたい考えだ。最近は、3人の作業療法士(OT)とともに、術後のリハビリを充実させようとしている。「形成外科の手術は見た目を元に戻すことが第一ではありますが、それだけでなく機能を残すことも極めて重要です。例えば、指の切断手術をしたあと、最低限、物を握ったりつまんだりする機能を残すことで、患者のQOLは大きく向上します。OTと教科書を共有し、相談しながらリハビリに取り組みはじめています」

乳房再建手術の体制を整えることが目標

今後は、乳がん患者の乳房再建手術にも力を入れていく予定だ。信太氏とほぼ同時期に乳腺外科の専門医が非常勤で赴任しており、互いに連携しようとしている。「乳房再建は、自家再建だけでなく、インプラントを使用した再建手術も保険適用になりました。インプラントの手術は、出血が少なく、手術時間も短く済みます。術後の入院も短く済みますし、患者の費用負担も軽減されますから、手術を受けたい人は増えていることでしょう」

同院のある埼玉県東部では、乳房再建が可能な医療機関が限られており、潜在的な患者のニーズは高いと思われる。すでに、少しずつではあるが、乳がんの患者が外来に来ている。「16年までは体制を整備したいですね」

と語る信太氏の表情は、穏やかだが意欲に満ちている。地域住民の役に立ち、自身も成長することに、大きなやりがいを感じている様子が伝わってくる。

手術中の信太氏(写真中央)

WELCOME

転職先の病院からのメッセージ
救急とがん診療が病院の2本柱

救急のレベルが高く
実質2・5次救急を提供

「救命救急医療と、がん診療。この2本柱が、当院に課せられた大きな使命です」

久喜総合病院院長の植松武史氏は、こう語る。同院では、15年1月に県の「搬送困難受入病院」に指定された。複数の病院で受け入れ不能とされた救急患者を、断らずに受け入れている。

隣地にはヘリポートを備えた消防署があり、ドクターヘリによる救急搬送も少なくない。11年には災害拠点病院の認定を受け、災害時の救急患者を救護するDMATの派遣機能も備えた。医師不足が深刻な埼玉県東部にあって、極めて重要な役割を担っている。

がん診療に関しては、地域内で唯一、高度な放射線治療装置を導入し、質の高い医療を提供している。15年4月から乳腺外科医を招聘し、乳がんの手術から抗がん剤治療、放射線治療、乳房再建、緩和医療とシームレスな診療体勢を整えつつある。「15年から、県のがん診療指定病院に指定されました。今後は、国レベルのがん診療連携拠点病院を目指しています」

植松氏は「当院は新築移転して5年目。今も成長段階の病院です」と語る。共に、救急やがん診療を充実させる仲間を求めている。「年間3000台以上の救急車と、多数のウオークインの患者を受け入れています。軽症から重症まで多様な患者が集まり、がんを含むさまざまな症例のファーストタッチに携わることが可能です。救急に関しては、千葉大学から救急専門医が派遣されています。当院は2次救急の指定病院ですが、実質2・5次救急のような医療を行うほど、救急が充実しています」

自分の専門性を活かしたい医師、あるいは、これから経験を積みたい医師にとって絶好の場だ。

もちろん、救急やがん診療以外の領域も大切にしている。同じ医療圏の病院やクリニック、検査センターなどと情報を共有する「とねっと」に参加し、地域医療の充実に尽力している。「地域の健康を守りながら、一緒に、病院を育てていきましょう」

植松 武史氏

植松 武史
久喜総合病院 院長
1980年千葉大学医学部卒業。同大学医学部附属病院入職。89年 Hopital Paul-Brousse(フランス)、91年千葉大学医学部附属病院、96年JA栃木県厚生連塩谷総合病院をへて09年JA埼玉県厚生連久喜総合病院。

久喜総合病院

久喜総合病院の経営母体であるJA埼玉県厚生連は、昭和9年(1934年)の発足以来、一貫して農村・地域医療に取り組んできた。同院は、幸手総合病院を前身とし、2011年の新築移転と同時に病院名を改定。診療体勢も一新した。埼玉県東部地域における基幹病院として、救命救急医療と、がん診療を充実させている。また、地域医療にも力を入れており、地域医療支援病院を目指している。利根保健医療圏における地域完結型医療を目標とし、日々、成長を続けている。

久喜総合病院

正式名称 埼玉県厚生農業協同組合連合会 久喜総合病院
所在地 埼玉県久喜市上早見418-1
設立年 2011年
診療科目 内科、呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、代謝・糖尿病内科、腎臓内科、
神経内科、外科、呼吸器外科、乳腺外科、心臓血管外科、整形外科、脳神経外科、形成外科、
皮膚科、泌尿器科、婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科、
救急科整形外科、泌尿器科、皮膚科、小児科、産科、婦人科、麻酔科、リハビリテーション科
病床数 300床
常勤医師数 29人
非常勤医師数 85人
外来患者数 464人/1日
入院患者数 210人/1日
(2015年10月時点)